詩人の詩   作:117

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085話

 

 

 

 ロアーヌは慌ただしく動く。

 モニカがもたらした成果はそれ程に重く、そして大きかった。結論を先に言うと、ロアーヌはビューネイを迎撃しつつ追い打ちで仕留めるという、余裕を持った作戦をとれる程になったのである。

 アウナス撃破の栄誉をその身に纏ったモニカとユリアンが直属として舞い戻った。他にもアウナス撃破により余裕ができたという理由と、モニカに対する恩義によってという名目でフルブライト商会からは1000を超える兵とそれを支える物資、そして何より四魔貴族打倒の成果を持つエレンとエクレアにリン、そして詩人が派遣された形となる。もちろんエレン達への報酬はロアーヌが支払いをしなくてならないが、ビューネイを直接的に倒せる戦力というのは喉から手が出る程に欲していたもの。ビューネイを倒すという確約を持ってロアーヌに彼女らを迎え入れられたのは僥倖以外の何物でもない。

 更にはエレンたちが個人的にビューネイを倒す為の手段として用意した、巨竜ドーラの子であるグゥエイン。かの竜により、少数ではあるが直接的にビューネイの拠点を攻めるという作戦も可能となった。例えばタフターン山の霧の結界を突破するに兵士の土木作業を行うにしても、その際にビューネイの巣で彼女たちが暴れるだけで危険性は一気に低くなる。ビューネイ攻略が一気に現実味を帯びてきたのだ。

 ここでロアーヌは一息つく事にした。グゥエインはやや不機嫌そうながらエレンの話は聞く姿勢を見せているので、攻撃のタイミングはこちらで計れるという事である。ビューネイ軍の侵攻は気をかけなくてはならないが、それとて急に空中から現れる訳でもなくタフターン山から襲い掛かってくるのは自明の理。タフターン山を見張りつつ、ロアーヌは1000の兵を攻撃から治安維持に回した。これで領地で騒ぎが起きても治安維持に手が回るし、急速に国力が低下するという事態は避けられる。抜けた1000人の兵はフルブライトのそれで補えばいい。

 とはいえ、戦争準備態勢をし続けるのも疲弊するのは確かである。とっととビューネイを仕留めたいという事には違いない。

 ゆえに一息つき、間もなく送られてくるフルブライト商会の兵が組み込まれたらこちらから攻め込む算段である。グゥエインがいる以上、ビューネイは攻められる危惧を抱かなくてならず、それに対する圧迫効果も見逃せない。どちらが先に手を出すか分からないが、状況は五分五分に近いといっていい。しかもこれは現在の状況であり、劣勢だった方が望外の助力を得て勢いを得たのと、優勢だった方がいきなりその優位を崩されたのでは流れがどちらに来ているのか言うまでもない。ミカエルは勝ち戦の予感をひしひしと感じながら、喜び勇んで職務に励んでいた。

 

 そしてミカエルの多忙が落ち着いたのは、夜。グゥエインが着地した中庭は突貫工事で竜の寝床が作られており、世話係まで手配されていた。まあ、人を喰らう竜の世話係である。普通に貧乏くじではあるが、一方でグゥエインはビューネイを打倒するには最重要といっていい駒である。失礼があっていい訳がなく、その人選にもひと騒ぎあった事は明記しておこう。

 とにもかくにもミカエルは篝火で照らされる中庭に参じていた。供にはモニカとハリード、そしてユリアン。中庭に元々いたのはグゥエインとエレンにエクレア、そしてリンと詩人である。

 ビューネイ打倒の相談とあって、人払いは済ませてある。なにせゴドウィンを取り込む程の相手である。どこから情報が漏れるのか分かったものではない。機密情報は極力、流さないに限るのだ。

「待たせたな」

『全くだ。だがまあ、いい陽気で昼寝ができたからよしとしよう』

 自分の体よりも巨きい竜にミカエルは厳かに言葉をかけるが、返ってきた言葉は意外にもユーモアに溢れていた。

 10年程前から凶暴化したという情報を得ていたミカエルとしてはやや肩透かしをくらった気分でもある。

『そう驚いた顔をするな。我は知る気もないが、人間は色々と面倒な生き物だという事くらいは知っている。昼寝をする程度の時間待たされたとていちいち怒らぬ』

 その言葉を聞いて、ミカエルは今度こそ虚をつかれた。

 グゥエインは竜であり、人間に属してはいない。もっとはっきりと言ってしまえばモンスターの一種である。

 もちろん本能のままに暴れるだけの野獣とは思っていないが、人間の事情を鑑みる程の理性があるとも思えなかった。ましてや10年前から凶暴化したとはとても思えない言葉である。

 ミカエルとしては数時間も待たせた事に怒りの言葉が真っ先に飛んでくればいい方、襲い掛かってくることさえ有り得ると思っていたのだ。まさか軽口を叩かれるとは思ってもいなかった。

「いや、穏便なのだな。もう少し荒い気性をしているかと思っていたが」

『この地の主はお前だろう、ならば相応の敬意を払おう。獣のように思われるのは不快だ』

 むしろミカエルの意外さの方に機嫌を悪くした風でさえある。それも軽い言葉にのった程度であり、言うなればグゥエインからは対等という様子さえ透けていた。ロアーヌの主とルーブ山地の主、等しいその立場といった具合に。

 こうなるとますます近年の凶暴化の説明がつかない。

「いやなに、最近のグゥエインは凶暴になったという噂が流れていてね。それで疑問に思った次第だ。そう気を悪くしないでほしい」

『我が? いちいち癇癪を起こす程に幼くないぞ』

 ちらりと詩人に視線を向けた意味を知るのは彼と、エレンとエクレアだけである。他はその視線の意味が分かる訳がない。

 と、凶暴になったと言われた事にグゥエインがふと思い至った。

『ああ。そういえばここ数年、我が領地で人間が村を作る事や荷を運ぶ事が増えたな。我が領地に侵入した以上、我の獲物である。

 確かに人を襲う事は増えたやもな』

「……グゥエインの領地?」

 意外そうに聞くミカエルだが、それを聞くグゥエインもまた意外そうだった。

『なんだ、聖王から聞いていないのか?

 300年前、母ドーラが聖王と共にビューネイを討った時、その報奨としてルーブ山地一帯を正式にドーラとその子孫の領地と認めた。故に母ドーラ亡き今、ルーブ山地一帯は我が領地という訳だ』

「あー。確かにフルブライトにはルーブ山地とその周辺は竜の領域であるからして立ち入るべからずという話は残っていたな。そこらの支配権を奪ったドフォーレ商会がそれを知っていたかは知らんが、たぶん知らなかったんだろう」

 詩人の、ある2人にとっては白々しい説明によって、おおよその経緯を全員が把握した。

 今までのグゥエインは、例えば迷い込んだ旅人や人から隠れて住まう野盗など、そういった入り込んだ者を襲う事はあっても、領地の外に出る事はなく村や町が襲われる事はなかった。だから刺激しなければ問題ないと思われていたのだが、そのグゥエインの領地にドフォーレ商会が村を立てて交易路を作った。

 グゥエインにとっては今までと違いない行動ではあるが、人にとってはそうではない。今までは近づかなくては危害を加えなかったグゥエインが積極的に人々を襲うと映ったのだ。

「では、貴殿の母ドーラは何故聖王に討たれた? 領地内で行動する事は聖王が認めたのであろう? 他ならぬ聖王がその約束を破ったのか?」

『それは違う、約束を破ったのは母ドーラだ。母ドーラは己の領地の外に居る人間を襲ったのだ。そして聖王の再三の警告も聞かず、やがて聖王に討たれた。

 何故そのような事をしたのかは知らんがな』

 嘘だ。何故そのような事をドーラがしたのかを、グゥエインは知っている。

 襲い、奪うのは竜の性。それに従って生きてきたドーラだが、聖王と共に行動するにつれて人間に親しみを感じた。感じてしまった。しかし今更長年の習性を変えられる訳もなく、人を親しく思うようになったドーラは苦悩する事になる。喰らうも苦痛、触れられぬ事も苦痛。聖王やアバロンといった例外を除き、恐怖と悪意に晒されるという苦痛。

 それに耐えきれなくなったドーラはやがて間接的な自死を選んだ。人への情を捨て去り、竜として暴れる。そして最期は友の手で死にたい。そう願ってしまったのだ。

 ちなみにこの話はアバロンがちょくちょくドーラに会いに来た時、彼にドーラが相談していたのをグゥエインが聞いていたから知っているのであった。世界を復興する意欲に燃えていた聖王と違い、アバロンにそのような気概はない。暇になった彼は適当に世界をぶらつき、それにも飽きたら聖王の顔を見に帰るという生活をしていた。聖王が彼の子供を孕むまでの数年の話である。

 そしてその話を聞いていたアバロンはせめてグゥエインに同じ道を歩ませないよう、人間と竜の線引きというものをしっかりと教育していた。わざわざ住処まで来たエレンたちをいきなり獲物として見なかったのはその為である、用事があって来た相手をいきなり襲ってはいけないと。

 昔話はさておいて、ミカエルは思った以上にグゥエインという竜が理性的な判断をしている事に驚き、そしてそれ以上に喜んだ。

 人間全てを下等と見下すならば対応も一苦労だが、相手はちゃんとこちらという個を認めている。少なくともロアーヌの主であるミカエルと、共にビューネイを倒すという目的を持ったエレンやエクレアは対等に見ているだろうという事が分かった。ならばこちらとしても礼節を保って相手をすればいい。そうすれば下手に襲われる事はない。

 随分と楽になったと思ったミカエル。そんな彼を見て不機嫌そうに鼻をならすグゥエイン。

『とはいえ、母ドーラが聖王に討たれたのは事実。我は人間は好かぬ。今はビューネイを倒す為、一時協力してやっているに過ぎん。

 そこのエレンやタチアナが認めた人間でなければ、我の背中に乗る事はできぬと思え』

「詩人は?」

『そいつは別枠だ』

 ミカエルの言葉に素っ気なく答えるグゥエインだが、その内心は結構ビクビクだ。

 なにせ詩人はグゥエインの育ての親であると同時、母ドーラを討った聖王よりも圧倒的に強い存在だと知っているのである。それなのにへりくだることもできず、かといって偉ぶれる訳もない。この対応で詩人の機嫌を損ねないか、分からないのだ。

 そんなグゥエインの内心は知らず、思わずといった風情で聞きなれぬ言葉を拾ったのはモニカ。

「タチアナ?」

「あ、それ私の本当の名前。今まで隠してたけど、もういいかなって思って」

 気軽にそう言うエクレアと名乗っていた少女、タチアナ。

 なにせ本名がバレても実家に連れ戻されるという危険がなくなったのである、名前を隠す意味はなくなった。

 まあ尤も。愛娘が四魔貴族に挑んでいると知ったら、アレクセイ会頭は死に物狂いでなんとかしようとするだろうから、実はあまり良い手ではなかったりもする。今現在はそんな無茶なことをしているとは思われていないからこその自由だとは彼女は気が付いていない。

 ともかく彼女は本名であるタチアナを名乗る事を選択した。ちなみに面倒事になりそうなのでラザイエフは名乗らないが。

「ちなみに何人くらいなら乗れるのだ?」

『5人が限度だろうな』

 グゥエインの言葉に考え込むミカエル。エレンとタチアナ、ユリアンとハリード、詩人にリン。6人である。一人余る計算だ、いったい誰を外すか。そう考えるミカエルだが、意外なところから声があがる。

「そうかい、じゃあ俺はお役御免だな」

 そう言うのはハリード。それに驚きを持って口を開くミカエル。

「何を言う、ハリード。お前はロアーヌとして最大の戦力だ。是非ともビューネイを討伐してもらいたい」

「悪いが、勝算の低い戦いに命を張るつもりはなくてね」

 熱く語るミカエルに冷ややかに返すハリード。そのまま醒めた視線でエレンやタチアナ、リンにユリアンを見る。

「どいつもこいつも俺より弱い、四魔貴族を相手にするのに子守をしながらじゃあ無理だ。そしてその詩人はそもそも信用できないときている。

 ミカエル候。あんたの護衛なら受けてやってもいいが、悪いがビューネイと戦うところまでは付き合えない。いくら金を積まれても引き受ける気はないね」

 勝ち目が薄い、それがハリードの出した結論であった。

 無いとは言わないだろう、曲りなりともフォルネウスとアウナスは討伐された。しかしながら、それは分の悪い賭けに勝っただけであり、命を賭けてそれに準じるつもりはハリードにはない。

 彼は名誉よりも命が惜しかった。いや、命が惜しいというと少し語弊がある。命がけでやらねばならない事が他にあるのだ。こんなところで命を賭けている場合ではないのだ。例え四魔貴族を倒したという栄誉がその目的に沿うものであっても、四魔貴族討伐という危険すぎる橋を渡る訳にはいかない。

 こうなってはハリードを説得させる事は困難だとミカエルは悩む。ミカエルとしてはハリードとユリアンに四魔貴族を討伐してもらい、ロアーヌと協力者がビューネイを倒したという体で話を進めたかったのだ。これがハリードを除いた面々であるとロアーヌの色が薄すぎる。フルブライトとその協力者になりかねない。

 どうするべきかと考えるその横から助け舟を出したのは詩人だった。

「じゃあ金以外の報酬ならどうだ?」

「……なに?」

「例えば、そう。ファティマ姫の情報」

 ハリードの目が見開かれた。

 ファティマ姫が誰だか知らない他の者としてはきょとんとするしかないが、ミカエルだけはその名前に憶えがあった。

「ファティマ姫――確か、ナジュ王国の姫君だったか?

 ハリードの肌の色からしてそちらの出身だとは思っていたが、ハリードなどという強者は聞いたことがない」

「そりゃ偽名の一つも名乗ろうってものだろう、国を滅ぼされた王族としては。

 なあ、エル・ヌール?」

「っ! 貴様、知っていてっ!!」

「当然だろ。カムシーンの試練を潜り抜け、その曲刀を手にした男の名前だ。

 顔を知らずとも、その剣を見れば誰かは分かる」

 ギリィと歯を食いしばるハリード。エレンやタチアナとしては自分の正体を隠しつつ、相手の正体を暴く詩人に引きつった笑みしか出てこない。やはりこの男、相当に悪辣だ。

 また一方でミカエルはハリードの曲刀をカムシーンだと見抜いた詩人の眼力に驚いていた。カムシーンの伝説は有名であり、己の剣にカムシーンと名付ける者は少なからずいる。ハリードもそんな手合いの一人だと思っていたが、どうやら本物らしかった。そしてそれ以上にカムシーンを知っていた詩人に警戒心を抱く。

「……。姫は、生きてらっしゃるのだな?」

「少なくとも2年前までは」

「っ! なぜその時に姫を助けなかった!!」

「そりゃお前、俺にファティマ姫を助ける義理があるかい?」

 道理である。ハリードならともかく、詩人にファティマ姫を助ける理由はない。

 分かってはいる。頭では分かっているが、頭と感情は別物である。ハリードの腸は煮えくり返っているが、かといってファティマ姫の情報源をここで斬る訳にもいかない。

 それにこの男、詩人は強い。あるいは自分より。それが分かっているからこそ、ハリードは手を出せなかった。

「――くそっ!」

「当分死にそうな様子はなかったからたぶん今も生きているとは思う。

 どこにいるか、ビューネイを討伐してくれたらしっかりとした情報をやろう」

「分かった、分かったぜ! やればいいんだろう、やれば!!」

 やけくそ気味に叫ぶハリードに詩人は満足そうに頷いた。そして追加で要求を足す。

「あ、子守もよろしくな。誰か一人でも死んでいたら、ファティマ姫の墓所に案内する事になる」

「っっっ! くそぉぉぉーー!!」

 そんな理不尽な要求も、ハリードは呑む。遠回しに呑まなければファティマ姫を殺すといっているのだから呑むしかないだろう。

 やりたい放題の詩人への怒りと、そして言われたい放題の自分の不甲斐なさに。屈辱を飲み込みながらハリードは絶叫をあげて耐えるのだった。

「その……ごめんなさい」

 思わずエレンが謝ってしまう程の容赦のなさである。何故エレンが謝るのか分からないが、詩人側の誰かが謝らなければならないと感じたのだろう。

 そしてそんなハリードを哀れに思い、それと同時に取り込む策を弄するのがミカエルである。

「ではハリードの報酬は決まったな。ロアーヌはファティマ姫の後見となろう」

「……そうして貰えると助かる」

 たとえファティマ姫を見つけたとして、さすらいの旅に連れまわすのは酷だろう。面倒を見てくれる国があるのとないのとでは大きな違いだ。

 ミカエルとしてもこれでハリードを取り込めるのではという下心もあった。神王教団を敵に回す可能性は高くなるが、この期に及んで祈ってばかりで援助の一つもしてこない坊主どもより、カムシーンを持つハリードの方がよほど有用である。少なくともビューネイに攻められ、ロアーヌ存亡の危機に面している現在、ハリードという手札を失う訳にはいかなかった。

 そして一人分の報酬を確定させたミカエルは、次いで他の者を見やる。

「ハリードの報酬は決まった。ユリアンはロアーヌのものであるからして、ビューネイの首を獲った暁には私がじきじきに報奨を用意しよう。

 他の者も欲すれば言うがいい」

『では我は宝石を所望しようか。金は詩人にたっぷり貰ったしな』

 真っ先に言葉にしたのはグゥエインだった。余りに分かりやすい報酬だが、まさか断る訳にもいかない。竜の所望する宝石ならば、質はともかく量は多くなければならないだろう。

 いきなり多額の出費がかさんでしまったミカエルは心の中で頭を抱えた。

「俺はいらない。ファティマ姫の正確な場所を見つけなければならなくなったからな、今夜にでもロアーヌを発つ」

「なに?」

 そして詩人はビューネイ戦には関わる気はないらしい。それに眉を顰めるのはミカエル。彼としてはガルダウイングを一撃で仕留めた詩人には是非とも協力を仰ぎたかった。

「は。人に押し付けるだけ押し付けて、自分は逃げるのかい?」

「別に参加してもいいが、その時間の差でファティマ姫の行方が分からなくなっても知れないぞ?」

「ぐっ!」

「まあまあ。詩人の分はあたしたちが頑張るからさ」

 そこでエレンが仲裁役を買って出る。ここら辺は面倒見の良さが出ているといっていいだろう。

 実際、この2人の相性は最悪だ。武器こそ振るわないが、特にハリードが抱く悪感情はどうしようもないレベルになっている。

 エレンとしては詩人がビューネイと戦えない理由を聞いているので、どうにか理屈をつけて逃げ出そうとしているのが分かる。サラの安全を確保してくれるであろう詩人には気も遣うというものだ。そこに個人的感情がなくもないが。

「そういうエレンはどんな報酬が欲しいかな?」

「――あたし、ですか」

 ミカエルに聞かれてエレンは一瞬沈黙する。言っていいかどうか、躊躇った後、彼女はこう言い放った。

「あたしは土地が欲しいです」

「ほう。貴族号が欲しいか」

「あ、いえ。そんな広い土地じゃなくて、一軒家を」

 何が言いたいのか、首を傾げるミカエル。家は確かに安くないが、四魔貴族討伐の報酬にしてはあまりに軽い。

 しかし続く言葉にエレンの望むものの具体性が見えてくる。

「人里離れた土地に、誰も自由には入れないと約束された土地が欲しいです。期間は未来永劫、一種の禁域扱いでも構いません。

 その小さな土地で、静かに暮らせれればいいんです。四魔貴族を倒して平和になった後に」

 つまりエレンは四魔貴族を倒した後の暮らしを気にかけているのだ。名誉などは欲しないらしく、騒ぎ立てられる事無く暮らしたいという事だろう。未来永劫立ち入り禁止とはなかなか徹底しているが。

 その意味を汲み取れたのは詩人とタチアナ。未来永劫とはつまり、老いる事がない詩人はそこでならゆっくりできるという事だ。詩人は人の世の中で永遠などないとは分かっているが、百年かそこらは静かな暮らしができるということである。それだけの時間があれば、この騒動のほとぼりも冷めるだろう。

「じゃあ私もそれに合わせてさ。丈夫な家を建てて、畑や果物の木とか、家畜も用意してよ。いつまでもゆっくり暮らせるように」

 だからこそタチアナはそれにのった。恩人である詩人の為ならば、要らない報酬を使い潰すのも悪くない。そして二人分の報酬となれば、ミカエルも頷かざるを得ない。これを撥ね退けてしまえば、最悪彼女らの助力を失うかも知れないのだ。

 それに滅多に手に入らないものとはいえ、高い価値があるものでは少なくともロアーヌ候にとってはない。彼としては滅多に人が入らない場所に家を造り多少の整備をして、誰も近づくなと命令すればいいだけなのだ。安いといえば確かに安い。

「よかろう、その願いを聞き遂げた。ただ、不足するものもあろうからロアーヌからたまに行商人を出すのはどうか?」

「あ、それいーね。ありがと」

「あたしたちも買い出しに出るかもしれませんが、運んでもらえるのは嬉しいですね」

 無邪気に喜ぶ女二人だが、これには禁域の意味が薄れてしまう事には気が付いていないらしい。やはり交渉や政治といった面で疎い彼女たちに詩人は苦笑する。

 ロアーヌとしても四魔貴族を倒した者たちの様子を全く窺えなくなるのは困るだろうから、どうせ何かしらのアプローチをしてくるのは目に見えているので放置したが。

 さて、残るのはリンであるが、艶を含んだ視線をミカエルに送っている辺りおおよそは察せるというものだ。できれば聞きたくないが、聞かない訳にもいかないだろう。

「さて、リン。そなたは何を望む?」

「ミカエルさまのご寵愛を」

 余りに直接的なそれに、思わず全員が絶句する。聖王のこの文化において、男が女を求めるのならともかく、女が男を求めるのは非常にはしたない部類に入る。それをロアーヌ候に臆面もなく言うのだから、一般的には厚顔無恥というものだ。

 しかしリンの常識ではそうではない。そもそも、彼女の出身であるムング族は狩猟民族だ。強い者や巧みな者と交わり、結婚しないまでも子供を儲けるというのは珍しい話ではない。というよりも結婚するという概念が薄く、村の子供は男たちにとって皆自分の子供と同然である。流石に族長などの身分の上の者は結婚をするが、それも男がそれなり以上に成果を見せていなければ、例え族長の子供だろうと女が嫌がる。

 そしてリンは族長の娘であり、彼女ならば子供を産めば族長の血筋であることが確定する。そして強さを示した女には男から群がってくるものであり、実はリンは相当モテた。だがそのモテた状態が普通のリンにとって、恋愛とは無縁な存在だったのだ。要するに誰でも選べるからこそ誰も選ばなかったのである。あるいは詩人が東に来るのがもう少し遅ければ詩人に恋をしたのかも知れないが、あいにくとその時分のリンは子供過ぎて恋愛感情を持つには幼過ぎた。

 そうこうしているうちに西に来てしまったリンは、ここロアーヌで電撃的な一目惚れによる初恋を経験する事になった。まあ、強い者が好まれるムング族であっても美醜は存在するし、外見に惚れるものがない訳ではない。リンの初恋はそうだったというだけの話である。

 詩人としては両方の常識を持っているが故に、また親戚の子供のような感覚を持っていたリンがぶっちゃけた事にフリーズしたのだが。

「……それは、側室という意味か? まさか正室ではあるまいな?」

「いえ。子供を授かればそれで構いません」

 ミカエルが必死に自分の常識で心を立て直そうとするが、やはりリンの答えは斜め上。男が女を孕ませたいというならばともかく、女が男の子供を欲しいなどとは一般常識で言わない。結婚するならともかく、それすらも無しである。

 もはや西の文化人にとって、リンの発言は宇宙人のそれである。リンとしては自分の常識に至極当然なだけであるのだが、異文化の怖さというのが如実に表に出ていた。

「リンの出身ではそれは当然のことなのか?」

「? そうですけど?」

 思わずユリアンが問いかけれれば、リンも空気のおかしさに気が付いたのか首を傾げながらそう答える。

 リンが東の出身と知る者にとっては、東の恐ろしさを戦慄しながら実感している最中である。実際はムング族が特殊であり、更にリンの境遇が輪にかけて特殊なのであるが、詩人くらいしかそれは分からない。

 なのでここは自分がフォローを入れなければならないだろうと詩人が口を挟んだ。

「あー。リンはとある部族の、族長の娘なんだ。自由恋愛が許される身分で、子供さえ産めば誰からも文句を言われない。結婚する必要すらない。

 ほら、いるだろ。若いうちに女と遊んで種を蒔く貴族とか豪商とか。それの女性版みたいなものだと思ってくれ。少なくとも、彼女は彼女の故郷に何も恥じ入る事はしていない」

「失礼ですね、詩人さん。私は遊びじゃありませんよ?」

「遊び人はみんなそう言うんだよ」

 遊んで許される身分の、女性版。それでなんとか自分の常識に当てはめる事ができた一同。もちろん下手に種を蒔いて数ばかり増やしてしまえば家督争いなどが起きてしまうので推奨される訳はないのだが、それも遠い別の部族の話であるならロアーヌには関係ない。そもそもとして女には産める数にある程度の制限があるのだから、多少数を産まないと何かの拍子に子孫断絶となりかねない。リンはその相手の男を、特定の誰かにする観念がほとんどないのだ。むしろ見方を変えれば色々な男の子供を孕み、その中で一番優秀な子供を選ぶという事さえできる。

 となればミカエルの心の問題だけとなるのだが。何度でも言うが、今現在ロアーヌは存亡の危機なのである。手段など選んでいられる訳もなく、そもそもとしてミカエルはモニカを政略結婚の道具にしようとしていたのだ。まさかそれが自分の身に降りかかって嫌だと言える訳もない。

(これも因果応報というものか)

 目を閉ざし、思い描いた女性に詫びて。ミカエルは瞳を開いて頷いた。

「それがお前の望みならそうしよう。ただし、その子にロアーヌの相続権は与えない。それでいいな?」

「もちろんですっ!」

 喜色を浮かべるリンだが、場の空気はよくない。詩人だけはそうでもないが、他の者はカルチャーショックを受けている最中である。

 そんな中、モニカが心配そうに兄を見た。

「お兄様……」

「…………」

 それに無言で答えるミカエル。だが仕方ない、これは仕方のない事なのだ。

 誰も悪くない、誰も損をしない。リンは産む子供に族長の血筋という身分を与えられるし、ミカエルだってロアーヌを切り売りする訳でない。

 ただ、それで心が整理できる訳ではない。ゆえにミカエルはそれから視線を逸らし、モニカを見る。

「モニカ、お前の此度の働きは見事であった。お前にも何か報いたいが、何か望むものはあるか?」

「――あ」

 一瞬だけ彼女の視線がユリアンに走るが、まさか口に出せる訳もない。

 今現在の兄に言うのも酷な話であるし、ユリアンに想い人がいる事も知っている。何より貴族と平民が結婚することなど、できる訳がない。

 でも、それでも。許されるのならば――!!

 心の整理など、そう簡単にできるものではないのだ。

 モニカの表情と視線でおおよそを察したミカエルは、やはりかと心の中で嘆息した。血を分けた実の妹であり、その恋心の在り処などミカエルにはお見通しらしい。だが、はいそうですかと認めては貴族社会は立ち行かない。

「時間はある、ゆっくりと考えるがいい」

「はい、お兄様」

 

 おおよそ微妙な空気の中、その場は解散となった。

 これから進軍の準備が整うまで。あるいはビューネイ軍が攻撃をしかけてくるまで。

 ロアーヌにはしばし、空白期間が流れる事になる。

 

 

 




ご報告です。

この話で、いったん詩の筆を置かせていただきます。
絆の時には薄々分かってはいたのですが、どうやら私は同時に二作を書く事ができないタイプのようです。どっちつかずになってしまう。
ですので、ここからしばらくの間はオリジナル小説の執筆に全力を注がせて下さい。

詩の次回投稿は、おそらく4月の下旬にはできると思います。
どうかよろしくお願いいたします。
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