短めで申し訳ないですが、とりあえず投稿を開始したいと思います。
どうか楽しんでいただけたら幸いです。
ロアーヌは慌ただしく動く。
当初の予定で軍に動員された治安維持部隊は元の業務に戻り、その行ったり来たりの配置換えで少なからず動揺が見られた為である。また、フルブライト商会から派遣される1000人もの援軍の使い道も考えなくてはならず、時間を無理に絞り出して軍議を行っている状況だ。
もちろんそれらの軍人に軍馬を支える物資もバカにならない。軍人だけでなく文官までもが対ビューネイに備えて協力し合い、また見えないところで足を引っ張り合ったりしている。この辺りのどうしようも無さは人間である限りなくならないのではないかとさえ思えてくる。
ともあれ、ビューネイ軍の最初の攻撃を思えば今現在の状況は大分好転したといえる。人々の顔は明るく、自らの仕事に熱をあげて励んでいるところだ。
さて、そんな中で暇な人間というのも存在する。それはビューネイ討伐隊ともいえるエレン達だ。
彼女たちは、いわばビューネイの雑兵との戦いは極力回避し、ビューネイ自身を仕留める事に全力を注がなくてはならない。となれば、そんな大切な戦力を消耗させる案など取れる訳もなく、まず最初に起こるであろうロアーヌ軍とビューネイ軍との戦いに参加するわけもない。そして彼女たちの今最も大事な仕事は、ビューネイとの戦いに備えて英気を養うことだ。
そんな訳で。エレンとタチアナ、モニカとユリアン、リンに詩人はロアーヌの城下町に繰り出していた。ロアーヌ宮殿の中では息が詰まるというものもあるからして外に出た方がいいという意見であり、ユリアンはともかく他の者たちに軍事機密を見せたくないという思惑もあったりする。
そうでなくてもこれからの戦いで何を守るのかを自分で見聞きする事はとても重要なモチベーションの維持に繋がる。ちなみにここにハリードがいないのは詩人の顔を見るとリラックスなんてできない為であることは言うまでもない。
「良い町だね」
町を歩き、店を冷やかしたまに甘味を買いながら、そう口に出すのはタチアナ。彼女は14歳にしては珍しく世界中を旅したといえる身であるが、世界のどの町に比べてもロアーヌ城下町というのは素晴らしいといえた。
まず何より、活気がある。かつてトーマスカンパニーではロアーヌは発展途上中であるという評価が下されていたが、それはすなわち開発の為に資金が回され、労働層に金が回るということでもある。その為に貴族に回る金に制限が付き、即座に強国になることは難しいともいえるが、これはすなわち100年先を見据えた政策だ。じっくりと腰を据えて全体の国力を増すことによって、地にしっかりと根を張った巨木の如くの国造りを目指している。今はまだ若木かも知れないが、為した内政が成功すれば何百年と続く国の礎となるであろう。ある意味ツヴァイクと正反対の政策であるといえる。それでいてそういった国からは上手く金をふんだくっているのだから、単純過ぎる為政者でもないということだ。
そんなロアーヌの特徴として、とにかく物価が安い。もちろん高級品の取り扱いがない訳ではないのだが、商人の主なターゲット層は中流から下の今金回りがいい人々である。高い品を一品卸すより、毎日楽しめる安くて悪くない品が好まれるのだ。それとて決して粗悪品という訳ではなく、人々は国内に流通する簡単な嗜好品に満足し、一日の仕事終わりの楽しみにしている。
「ええ。世界を回り、様々な国を見てきましたがやはりロアーヌは良い町です。お父様やお兄様がどれだけ努力をしてきたかということですわね」
それに嬉しそうに頷いて答えるのはモニカ。故国が手放しの賛辞を受けるのはやはり悪い気はしないものだ。そんな彼女の意見に同意するようにそれぞれが頷いて言葉を発する。
「西を色々見て回って来たけど、この町が一番活気があるみたいね」
「シノンにいた時もロアーヌの町にはたまに来てたけど、改めていい町よね。ここは」
「好景気を長く続けようという政策がうまくかみ合っているな。シノンの開拓といい、攻めるべき部分は攻め、守るべき部分は守っている。バランス感覚が凄い」
リン、エレン、詩人がそれぞれロアーヌという国、そしてその為政者を褒め称える。自慢の身内を褒められて悪い気がする訳もなく、モニカの機嫌はどんどんと良くなってくる。
そんな中、エレンはふと思ったように詩人に話を向ける。
「詩人。あんた、結構旅をしてきて色々な国を見てきたと思うんだけど、その中でもロアーヌは悪くないの?」
「ああ。停滞せず、成長を続け、その努力をやめない。限界がないとは言わないが、素晴らしい施策だろうな。どこまで成功するかは分からないが、少なくとも目指す方向性は間違っていないし、今のところ成功しているともいえる。
何より、人々の顔が穏やかだ」
ビューネイ軍が間近に迫っているのにここまで張り詰めない空気というのは本当に貴重だ。それが分かっているからこそ、詩人はロアーヌという国を手放しで褒めた。だがもちろん、ビューネイに負ければ泡沫と消える風景でもある。だからこそこの国を守りたいと、一人一人の兵士が思うのだろう。
目立って強くはないかも知れない。だがしかし、決して負けないという地に足がついた強さを多くの者が持つというのは並大抵でできることではない。詩人は何よりもそれを評価していた。
そんな詩人はいつになく優しそうで、エレンはそんな詩人を眩しそうに見ている。悠久の時を生きてきた詩人は人の醜いところも、国が亡ぶところも見てきただろう。けれども今のロアーヌは希望と活気で満ち満ちている。それを嬉しそうに見る彼が、エレンはとても嬉しかった。好きな人が穏やかに生きている。これに勝る喜びはそうそうないだろう。
そしてエレンの表情を複雑そうに見ていたのはユリアン。エレンを恋する男の目で見ていた彼は、彼女の僅かな違いも敏感に感じ取っていた。そしてそれが決定的になったのはルーブ山地からグゥエインと共にロアーヌにやってきてから。
もちろんユリアンにはそこで何があったのかは知らない。けれどもエレンが自分から遠ざかり、そして詩人に近づいた事は認めざるを得なかった。詩人がもっていた頑なな雰囲気が薄まり、エレンは彼により心を許している事を認めざるを得なかった。そうと気が付いてしまえば、もう覚悟を決めるしかなくなる。
「なあ。少しの時間でいいから、エレンと二人きりで話をしたいんだけど、いいかな?」
唐突に言うユリアンに、詩人以外はちょっと驚いた顔をする。詩人だけは彼の意見の問題点をあげたが。
「ユリアン、お前はモニカの護衛だろ? 護衛対象と離れてどうする?」
「……大切な話なんだ。少しの間、モニカさまの護衛を頼みたい。もちろん、視界に入っていれば嬉しい。
そうだな、あのカフェで少しお茶でもしないか? あっちの席に俺とエレンは座るから、少し離れたあの席でゆっくりしていてくれ」
そう言ってユリアンが指さしたのは少し洒落た、アンティーク調のオープンカフェ。確かにそこにはうまい具合に少し離れた席が空いており、それぞれ視界に入りつつ声は届かない位置になっていた。
タチアナはユリアンの案に真っ先に賛成する。
「いいよー。ちょっと歩き疲れたしね」
「まあ、お前がそう言うなら構わないが。モニカの護衛は任せておけ」
「……ユリアン」
詩人も頷き、話はまとまっているかに見えたが、モニカはやや曇った表情をユリアンに向けていた。
ユリアンはそれに無理に作った笑みで答える。
「大丈夫ですよ、モニカさま。けじめをつけるだけですから」
そう言ってユリアンはエレンを連れ立って席に向かう。どんな話をされるのか分からないエレンは怪訝な顔をしながらユリアンについていき、腰を落ち着ける。
そして飲み物とお茶請けを注文したユリアンとエレンは、それらが運ばれてきて口をつけてから話を始める。口火を切ったのは、もちろんこの話し合いを望んだユリアンである。
「……エレン。お前、変わったな」
「は?」
言っている意味が分からないとばかりに顔をしかめるエレンだが、ユリアンの表情は変わらない。どこか穏やかで、そして少し寂しそうなその表情。
「エレンだけじゃない。詩人さんも、エレンやタチアナにだけは随分気を許しているみたいだな。ルーブ山地から戻ってきてからか」
「…………」
確かにそこであった真実のカミングアウトからお互いに遠慮がなくなったとはエレンも感じていた。詩人がしていた警戒も薄れ、彼女たち2人には言うなれば心を許しているともいえる様子を醸し出している。
とはいえその内容が内容である。まさか口外できる訳もなく、ユリアンをどこか突き放したような口調をとってしまうエレン。
「だから、なに?」
「だから、複雑なんだ。昔からほら、エレンは俺やトム、サラだけが特別だっただろ? だから俺にもまだチャンスがあると思っていたんだ。
間柄はどうあれ、一番近い1人に俺がいたって思えてたから」
けれどもどうやらそんな関係に甘えていられる期間は終わったらしいと、ユリアンは気が付かない訳にはいかなかった。自分たちの事を最優先にしていたエレンはもうおらず、詩人との間柄を勘繰る者に素っ気ない態度を取る女性。それが今のエレンである。
そしてそれはもう一つの事実を表していた。
「――吹っ切れたんだろう、詩人さんに。受け入れて貰えるかは分からないだろうけど、それでも詩人さんを絶対に諦めない。
今のエレンからはそう思えるよ」
「…………」
流石は恋した女を見続けた男というべきか、ユリアンの洞察は間違っていなかった。エレンは詩人の秘密を知り、その心の中に入り込みたいと思ってしまった。
こうなってしまえば他の男のアプローチになびく訳がない。エレンの今までは単純に男に興味がなかっただけであるが、今度は心に決めた一人に懸念し続けるということ。この差は余りに大きい。
そしてまたユリアンも。初恋の人が自分以外を心から愛したということに悲しみはあれど、それと同時に大切な幼馴染が心から愛せる相手を見つけられたということは喜ばしい。そして今更自分の都合でエレンに無理をして欲しくない。ユリアンは次の言葉を言うのに自分の意志力を全て注ぎ込まなくてはならなかった。
「エレン」
「俺は、お前を諦めるよ」
「すぐに好きだって感情は消せないと思う」
「けどそれより、たとえ相手が俺じゃなくてもいいからエレンには幸せになって欲しいんだ」
「だから、頑張れ」
ずいぶんと長い間続いた片思い、それを諦める宣誓。
エレンはその真摯さに僅かに言葉に詰まり、それでもしっかりとその言葉を言わなくてはならなかった。
「ユリアン。
……ごめんなさい、そして、ありがとう」
今まで愛してくれていて。言葉には表さない、その想いはユリアンに届いただろうか。 この時をもってこの幼馴染2人の間に恋が混ざる事はない。その決別の会話だった。
ワイワイガヤガヤと騒がしい周囲。静かな2人とは対照的に、ロアーヌの町はどこまでも明るい。
或いはこの明るさこそが今の2人には必要なのかもしれない。そう思わせる程にこの町は朗らかな空気が流れていた。
昼間の散策が終わり、やがて一行はロアーヌ宮殿に戻ってくる。
夕食をすませ、思い思いの時間を全員が集まってサロンにて過ごしているこの時。とはいえ、流石にエレンとユリアンはいつも通りとはいかなかったがそれはそれ。
穏やかな時間を過ごしているなかでミカエルからの伝令が一人の女性に届く。
「これを」
伝令は簡潔に手紙をリンに渡すと、すぐにその場からいなくなってしまう。
おおよそ中の予想はつくが、それでも確認はしなくてはならない。そして中が予想通りならば大勢の中で検めるのは流石に気が引ける。
「それじゃあ私は自分の部屋に戻るわね」
そう言ってサロンを辞するリン。聡いものもおおよそ察しはついているが、つつくような野暮はしない。ただリンを見送るのみだ。
そして自室に帰ってきたリンは手紙の封を切り、中の文に目を通す。
内容は予想通り、ミカエルからリンへの報酬である寵愛を与えることについて。今夜ならば時間が取れるということが書いてあったことをリンは喜び、早速湯あみをして身を清めた。
そして下品にならない程度に
時間になれば自室を出て、指定されたミカエルの寝所へといそいそと向かうのだった。
やがてついたその部屋を軽くノックして返事を待つ。
「リンか?」
「はい」
「そうか。入れ」
ミカエルの言葉に従い、するりと部屋の中に身を入れるリン。
薄暗く、そういった事をする為の雰囲気を出しつつあるその部屋。ベッドに腰かけているのは紛れもなくリンが焦がれたミカエル候。
リンは胸にときめきを抱きながらミカエルの側に近づき――凍り付いた。
入口では暗くて見えなかったが、今のミカエルの表情は無だ。決して彼女が一目ぼれした、あの好青年の顔ではない。
「どうした?」
「あ…あ…」
淡々と告げられるミカエルの言葉に、リンの心にあったときめきはもうない。あるのは悲しみと虚無、そして恐怖だった。
今までモテていたリンがこんな表情を向けられることは皆無だったといっていい。それが愛したはずの男から向けられている。ある意味恋愛経験がない彼女にとって、これには並々ならぬ衝撃を与えられていた。曲りなりとも自分が魅力的だったという自負があればなおさらである。
それを敏感に感じ取ったミカエルは無表情のままにリンに告げる。
「報奨は子を与えるところまで。まさか心まで無条件に貰えるとは思っているまいな?」
言われた言葉は正しい。だが、正しいからといって受け入れられるとは限らない。
リンはこれまでの人生の中で、今がもっとも無様だったと言っていいだろう。恐怖に震え、瞳に涙を浮かべながら後退りをする。
情のない交わり。それがこんなに恐ろしいものだとはリンは思ってもいなかった。今までずっと愛され続けていた彼女は、こんな無機質な対応をされる衝撃に耐えられなかったのだ。
「い、いや……」
「いや? これはお前が望んだことだろう?」
「違う。私は、私はミカエル候の愛が、欲しかった…」
愛した男から無感情を向けられる恐怖にそう零すリン。
それを聞いて、ミカエルはそこでようやく表情を崩した。ふっと笑い、余裕のある表情でリンを見る。
「会ってすぐの相手に愛を求めるのは無理があるだろう」
「…………」
反論の余地のない言葉に黙るしかないリンである。
しかしミカエルは言葉を続ける。
「愛が欲しいという報酬なら、まずはゆっくり話すところから始めよう。
お茶でも飲みながらゆっくりと話をするのはどうかな」
そう言ってミカエルはサイドテーブルに用意してあった紅茶のポットを手に取り、カップに注いでいく。
そしてリンを優雅にエスコートし、椅子に座らせる。
「話をしよう。お互いを理解しよう。そして、すべてはそこからだ。そうは思わないか、リン」
「はい、はい。そうですね、ミカエルさま」
温かい紅茶を少し口に入れたことで、リンはようやく落ち着きを取り戻したようだった。
夜遅くまで話声は続く。
それは艶のあるそれではなく、お互いに理解しあう為の他愛のない言葉の交わし合いだった。