詩人の詩   作:117

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091話

 ミカエルは困惑していた。

 ビューネイとの戦争、その結果に狼狽したといっていい。有り得ない結果に現実を直視できなかったと言われても仕方がない。

 戦いというのは言うまでもなく、有利の取り合いだ。殴りたいと思っても相手が受け入れる訳がない。被害を回避したいと願ってもそれが単純にかなう訳がない。フェイントを仕掛けたとして相手がそれに引っかかるかどうかは分からない。

 殴れる方が上手なのだ。回避を成功させることが褒められるのだ。フェイントに引っかかる方が馬鹿なのだ。戦いとは究極的な暴論としてそう言い切ってしまっていい。勝った方が正義であり、正しいと。

 それに照らし合わせて現状はどうか。ビューネイ軍は出した分だけ撃破され、僅かな幹部だけを残して全滅した。対してロアーヌ軍の被害は軽微であり、ビューネイ軍を追い払った士気高揚を思えば、戦う前よりも戦力が上がっているかも知れない程だ。

 

 とどのつまり、勝ちがすぎた。

 

 もちろん決して悪い事ではないのだが、想像を超える状態というのは思考が止まってしまう、計算を最初からし直さなければならないからだ。予想された被害がないと、作戦の内容を変えざるを得ない。それによって失われる時間を考えれば絶対に良い事であるとは言い切れないのである。

 故にミカエルはできる限り作戦を修正しないで決行した。予定ではミカエルの供回りの精鋭をエレンたちに付随させるというのが最良だったが、一般兵をそれに上乗せしたのだ。

 もちろんグゥエインに乗れるのは、エレンとタチアナが認めた5人が上限。それに変化はない。しかしビューネイに痛手を負わせた今ならば、タフターン山の制空権はロアーヌ側が握っている。それを生かさない手はない。

 グゥエインに乗ったエレンに長い鉄の鎖を持たせ、タフターン山の霧の結界を抜けた先まで行って貰う。そこで適当な木か岩か何かに鎖を結び付けて、それを結界の反対側まで持ってくれば経路の確保は完了である。方向感覚を狂わす霧といえども、正解の一本道は外れない。

『我の扱いがひどくないか?』

「コキ使われるあたしも似たようなモンよ」

『そなたは人間だろうに…。何故、ドーラの子である我がこんな雑な目に遭わねばならんのだ』

「報酬として金に宝石を貰うんだからグダグダ言うな。あたしのやる気も下がるわ」

 雲の上でそんな会話があったのは、まあ蛇足だろう。

 かくして霧の結界に鎖の一本道ができあがり、ロアーヌ軍とエレンたちの侵攻が始まる。そしてここまでにかかった刻限が24時間以内に収まっているというのだから恐れ入る。この神速とも言える進軍を強行できたミカエルの手腕を疑う者は、少なくともロアーヌにはいない。

 だがしかし。それでも、ビューネイに約1日という時間を与えてしまったというのも事実であるのだ。

 

 

『おのれ…!!』

 竜と人との合力により深い手傷を負わされたビューネイはゲートの間にて回復を行っていた。ここは世界で最もアビスに近い場所、アビスの属性を持った者であるならば自然治癒能力は飛躍的に高まる。

 それでもロアーヌが攻め入って来るのは自明であり、回復にしばらくかかりそうで完治できるかは微妙であった。

「ビューネイさま、言われた通りに兵を配置したよ、配置したよっ、配置したよ!」

『ご苦労、ビューネイベビー。次にライフトラップに捕らえた人間を捧げよ。アレらが活性化しているか否かで敵の消耗具合も違う』

「分かったよ、分かったよっ。分かったよ!」

 ましてやこのように拠点防御の指揮を取りながらでは治るものも治らないだろう。特にビューネイの支配者としてのプライドは四魔貴族一高い。この拠点に攻め入られることを呑むだけでも相当の屈辱であり、その怒りが回復によりよく向かう訳がなかった。

 それでもビューネイに屈辱はあれど焦りはない。その根拠はゲートに設置されたソレにあった。

「……、…………、…………」

 もはや悲鳴すらも出し尽くしたゴドウィンと、彼がまとっている魔王の鎧。ゴドウィン自体は魔王の鎧に生命力を捧げる為の生贄でしかなく、彼が死ねばビューネイはなんの躊躇いもなく別の生贄を用意するだけであるだろう。重要なのは魔王の鎧である。

 魔王は言うまでもなくアビスの属性を得た宿命の子であり、彼が身に着けた魔王遺物は600年が経過した今でも禍々しいアビスの瘴気を放っている。そしてその瘴気はゲートを開く程ではないにしろ、ゲートからアビスの力を引き出すのに有用であるのだ。ビューネイが完治すれば、ビューネイだけでなく魔王の鎧を触媒にしてアビスから魔物を召喚できる。より正確に言えば、アビスの瘴気を具現化して魔物化できると言った方が正しい。

 とはいえ、これは裏を返せば完治までビューネイがゲートの間から動けない事を意味している。そして動けるようになったとしても、フォルネウスとアウナスを倒した人間どもはもうビューネイの拠点に侵入していることは明白であり、ビューネイはゲートの間を守らざるを得ない。

 そう、王者は最奥で堂々としているのが最善なのだ。結果的にせよ、そう開き直れた事によってビューネイの心理状態は安定していた。

『そう、これでいい。最後にこの屈辱を倍にして返せればそれでいいのだ……!』

 ビューネイの脳裏には攻め入ったロアーヌ軍に防御兵をぶつけ、消耗した敵をビューネイ自身が蹂躙。そのままロアーヌまで逆侵攻を仕掛けて逆転勝利を得るというものだった。実際そうなるかは分からないが可能性は低くないし、そういったポジティブな考え方は回復にもプラスになる。

 来るべき戦いに備えてビューネイはじっと力を蓄えるのだった。

 

 

 一方でロアーヌ軍。一般兵がフルブライト軍から300にロアーヌから1200で合わせて1500。それにミカエルの供回りの精鋭とエレンたち5人を合わせた者が進行部隊の全てだ。

 モニカはもちろん、リンも今回は留守番である。ロアーヌの防御力はともかく、ミカエル自身の防御力は供回りを出している分著しく下がっている。暗殺などの危険性が飛躍的に高まっているのに対策が必要で、また万が一ビューネイが直接急襲を仕掛けてきたらグゥエインと共に戦う人員が必要である。それには数の力も使う供回りよりかはリンの方が優れているという判断だ。

 彼らは無事に霧の結界を抜け、タフターン山の頂上に足を踏み入れた。ここまで来た人間はそう多くはなく、つまり情報はほとんどないといっていい。エレンだけは既に見た光景だがタフターン山の頂点は尖がっている訳ではなく、すり鉢状になっており内部に入り組んだ横穴も確認でき、そのところどころにモンスターが巣くっている。その奥になればビューネイが手を加えていない訳がなく、迷宮と化しているのは明らかだ。さながらビューネイの巣とでも言えるべき魔窟である。漏れ出るアビスの気配がその禍々しさに拍車をかけていた。

 これに怯える者は怯えるが、ビューネイ討伐隊はこの距離でひるんでいてはお話にならない。皆、平然としている。エレンにタチアナ、ユリアンは一度以上は体感した感覚であり、ハリードやロビンはこの程度で影響を受ける程弱者ではない。

「どう攻めるのー?」

 タチアナの純粋な問いにほんの少しだけ考えるエレン。

「タチアナ、あんたアビスの気配が分かるわよね? それっておおまかな距離や方向が分かるだけ? それとも道順まで分かる?」

「両方。ゲートから漏れ出る気配はビンビン感じてるし、それが流れ出る経路も研ぎ澄ませば分かるかな」

「なら問題はないわね。あたしたちは道順だけ指示して戦力を温存、その護衛をミカエル様の供回りにしてもらって、敵モンスターの露払いは一般兵に頼みましょう。

 何か補足事項はあるかしら?」

 そう言って男三人を見るエレン。その全員が首を横に振る。代表してハリードが答えた。

「問題ない。ビューネイを討つまでは俺たちは体力を温存するべきだ」

「そう。じゃあ行きましょうか」

 エレンの言葉を合図に、そのビューネイの巣へと歩を進める一行。その先にこの世で最もおぞましい景色があると想像できた者はいない。

 タフターン山とて一般的な山である。そう、そこまでは。ある一線を越えた瞬間から、ビューネイの領域に入った瞬間から、そこは山ではなくアビスに最も近い忌地へと変貌した。

 壁や地面に生き物の血管のような管が走っている。なぜ血管のようなと表現したかというと、それらはドクドクと脈打っているからだ。まるで生き物の体内に取り込まれたような錯覚。それだけでも嫌悪感をぬぐえないというのに、視界に映るのはモンスターに捕食されている人間。ビューネイは捕らえた人間を使い捨てるような事はしない、こういう風に有効活用しているのだ。ビューネイの巣という場所では人間とはモンスターに捕食されるエサでしかないと遠回しに示すその行為は、侵入した兵士たちの士気に確かなダメージを与えていた。アウナスを討伐したユリアンでさえ、ここまでおぞましいものを見る覚悟がなかったのか若干怯んでいる。

 ちなみにエレンやタチアナ、ロビンはドフォーレ商会の闇を覗いた時に耐性はできており、ハリードに至ってはここで揺らぐような精神の脆さはない。だがこれも言い換えれば、このレベルでなければ精神に負荷がかかってしまうということだ。

(タチが悪い)

 心の中でそう毒付くハリード。これに比べれば詩人は一気にまともに見えてしまう。いやまあ、詩人も流石にコレと比べられたくはないだろうが、心の中で思う分には自由であろう。

 ともかく留まっても心理的ダメージが溜まる一方なのは明白だ。こんな場所はとっとと踏破してしまうに限る。ハリードが先を促した。

「行くぞ」

「おー」

 緊張感がないタチアナは相変わらずである。

 

 目指すべき方向はタチアナが示す。ミカエルの供回りがその指示を聞き、そして一般兵が先々にある障害を除去しながらの進軍。

 最も安全な位置にいるエレンたちに前線の状況は分からないが、四魔貴族の拠点に攻め込んだことがある者は知っている。ここが如何に危険な場所であるかを。それを考慮すれば犠牲者は恐らく既に出ているだろう。逆に出ていない方がおかしい。

「被害はどのくらいでているのかしら…」

「下らんことに思考を回すな」

 ポツリとエレンが呟いたと思ったら、ハリードから手厳しい言葉が返ってくる。

 それに眦を吊り上げるエレン。

「ちょっとアンタ、今のはどういう意味よ」

「そのままだ。ビューネイを討伐せねば今まで払った犠牲全てが無駄になる。今すべきは被害を憂うことではなく、いかに己の本分を全うするかだ」

「……」

 エレンは何か言いたそうにハリードを睨んだが、それ以上は口にしない。理性でハリードが間違っていないと納得している為だ。

 とはいえ。いくら正論でも、いや正論だからこそ感情論を叩き伏せられるとより強い憤りを感じるものだ。エレンはムスっとしたまま先を進もうとする。

 と、その瞬間。

「うわぁっ!?」

 すぐ前方から悲鳴があがった。全員が警戒してそちらを見れば、地面にある僅かな亀裂に供回りの人間が足を取られている。

 いや、よく見れば亀裂から触手が伸びてその足に絡みついている。そして徐々にだがその亀裂に足を引きずり込まれている。

「くっ、このぉ!!」

 このままではまずい。供回りの人間はそう判断したのか、手に持った槍を亀裂の中に突きこむ。

 それが引き金になったかどうかは分からないが、その瞬間に亀裂が生物的に広がり、人一人を優に呑み込める程の大穴になった。その直上にいた供回りの男は悲鳴を上げながら大穴に落ちていき、代わりに大穴から蠢く数多の触手が獲物を探して這い出てくる。

 大穴の周囲にはエレンたちを守る為の供回りの人間も多くいて、彼らは自分に伸びる触手に対処しようとしていた。しかしこの凶悪さを鑑みれば敵も一筋縄でいかないのは明白であり、エレンたちの実力を必要と考えても不思議ではない。

「いかんっ! 動くぞ!!」

 ロビンの言葉に咄嗟の行動をとるエレンたち。だが攻撃も退却もできるその立ち位置からの咄嗟の行動には大きな違いが見えた。

 ロビンとエレンにユリアンは武器を手に取って前進し、ハリードとタチアナはバックステップで触手から一気に遠ざかる。

「エレンさんっ!?」

「タチアナっ!?」

「ユリアン、何をやっている。下がれっ!」

「ハリードさんこそなんで下がってるんですか!?」

 エレンとタチアナ、ハリードとユリアンはお互いの行動に疑問を持って思わず硬直してしまう。

 唯一なんの枷もなく行動できたロビンは愛用のレイピアを手に取って、大穴の中に躍り込む。

「ライトニングピアス!」

 大穴の中にいた醜悪な植物型モンスター、ライフトラップを一撃で仕留める。どうやらこのモンスターは捕食に吸血行為を行うらしく、最初に大穴に落ちた供回りはすでに全ての血や体液を吸われてカラカラに渇いていた。ミイラと違い髪の毛がまだ青いのが死後間もないことを物語っている。

 他にも一人大穴に引きずり込まれた者がいたが、幸いこちらまで吸血の手は回っていないようだ。しかし大穴に引きずり込まれる際に触手に強く締め付けられたらしく、衣服が裂けて見えた地肌は青黒く下手したら骨折までしているかも知れない。

 ロビンは無言で傷ついた供回りを抱えると、大穴から脱出した。

「ああ、ありがとう。あんた、ええと……」

「ロビンだ。正義を助け、悪を挫く。怪傑ロビン」

「…。あ、ありがとう。怪傑ロビン」

「ふ、お安い御用さ」

 キラリと歯を白く輝かせて、ロビンはビューネイ討伐隊の元に戻る。

 そこには興味なさそうな表情をしたタチアナと、申し訳なさそうな顔をしたエレンとユリアン。そして怒気を発したハリードがいた。

 特にハリードの怒気は激しく、もはや殺気に近い。ロビンはそれを飄々と受け流す。

「おい」

「どうかしたかね」

「どうかしたかじゃねぇ。テメェ、ビューネイと戦う前に無駄な体力を使っているんじゃねぇよ」

「無駄な体力なぞ使っていない。これは必要な措置だった」

「そういう些事は供回りに任せて俺たちは体力を温存しろ。これは提案じゃねぇ、命令だ」

「些事の基準にいささか認識の違いがあるようだね。それに、君の命令に私が従う理由があるとでも?」

 ピリっとした緊張感が走る。さっきまではまだギリギリ怒気だったが、今度は確かな殺気。しかもロビンからも漏れだしている。供回り程度に口を挟めるレベルのそれではなく、話はビューネイ討伐隊に限られる。

 お互いの手に武器の柄が触れている。抜けばそのまま敵対行為、殺し合いまでいきかねない。やや不自然な沈黙が流れるが、やがてロビンが口を開く。

「この事に費やす体力こそを私は無駄と思うのだが?」

「…チ」

 ハリードの殺気が緩み、ロビンが武器から手を外す。

 しかしハリードはそこで話を終わらせるつもりはなかったらしく、その追及の手は他へと向かう。

「エレン、ユリアン。お前らまで無駄な体力を使ってるんじゃねぇ」

「でも、ハリードさん…」

 ユリアンは師に近いハリードの言葉に弱々しく抗議をしようとするが、エレンは毅然としたもの。

「あたしもロビンと同じ意見よ、アンタの命令に従う理由はないわ。さっきの人に生命の水をかけてあげなくちゃならないから失礼するわ」

「止まれ」

 ハリードの手はカムシーンの柄を掴んでいた。殺気はない、あるのは剣気のみ。すなわち、殺すではなく斬る。純粋な剣士にとってはこちらの方がより本気だ。

 それに反応してエレンもバックステップで距離を取り、ブラックの斧を掴んでいつでも抜けるように構える。

「驚いた。味方にする態度かしら、それ」

「お前の愚行によっては味方にすらならんかも知れん。ビューネイに殺されるくらいなら、ここで俺が戦闘不能になるまで痛めつけてやるよ」

 ハリードは本気だ。それを悟ったエレンの目はすっと細まる。

「…一応聞くわ。何が気に食わないの?」

「兵士の治療をするな」

「理由は?」

「数だ。随伴した兵士は1000を超える。一人を治療すれば、全員に治療を施さねば不満が溜まる。だから平等に、誰も治療をするな」

「……」

 それが道理であることくらいならエレンも分かる。不満が溜まり、規律がなくなった集団ほど無力なものはない。

 だがそれと同時に目の前の怪我人を無視する理由もないと、エレンはそう思ってしまう。

 対立する正義の矛盾。エレンは思わずこの中で最も頼っているタチアナを見てしまう。その視線を感じとったタチアナはため息まじりに言葉を紡ぐ。

「エレンさんの好きにしたら? けど、ビューネイに負けたらどうなるか分かってるよね?」

 その言葉に一気にエレンの頭が冷えた。そうだ、自分の正義や良心と比べれば人の命は確かに重い。だが、サラの安全に代えられるものではない。

 結論に至ったエレンはあっさりと斧から手を放し、ハリードの言う通りにする。

「いいのか、エレン?」

「いいのよ、ユリアン」

 割とあっさりと収まった場に、意外な顔をするのはユリアン。

 エレンは正義感が強く、また庇護欲も強い、そうと知っているユリアンはあっさりと矛を収めた幼馴染に意外という感想しか浮かんでこない。

 だがユリアンは知らない、現在サラがどれだけ危うい立場に立たされているかを。それを覆す為にエレンがどれだけ無茶をして死線を潜り抜け、己を殺してきたのかを。

 おそらく、今のエレンはサラの為ならば誰でも殺せる。ユリアンもトーマスも、タチアナも自分さえもだ。

 死にかけている人間も躊躇なく見殺そう、気に食わないハリード(あいて)の力も借りよう。全てはサラの安全の為に。残るゲートは後2つ、詩人が動けることを鑑みれば実質このビューネイのゲートのみ。この戦いに勝てばもう己を殺さなくても済むというならば、今まで支払ってきた代償を考えてもここで張る意地はない。

 無理やり自分を抑え込んだエレンとこの状況についていけないユリアンに、ハリードは諦めと疲れのため息を吐く。

「全く。一番使えるのがこのガキとは頭が痛いぜ」

「うっさいオッサン。私をガキって呼ぶな」

 自分と一緒に供回りの命よりも体力の温存を選んだタチアナの方がよほど頼もしい。そう思ってハリードは少女と言える年齢で優れた大局観を養っているタチアナを、やや遠回しな言葉ながら本気で褒めたのだがタチアナ本人は心底嫌そうだ。

 もちろん褒められたのが嫌なのではなく呼び方が気に入らなかっただけなのだが、そうとは知らないハリードは地雷を踏んでしまう。

「なんだ、一丁前にガキって言われて怒ってるのか?」

「私をガキって呼んでいいのは一人だけ。誇り高き海賊、ブラックだけよ」

「ブラック? あの海賊如きならガキと言っていいのか?」

 瞬間、タチアナは氷の剣を抜く。即座に対応したハリードはカムシーンを抜いてその剣撃を防いだ。

 氷の硬さと大剣の重さを生かしたその斬撃の狙いは脳天。すなわち、本気で殺す気だ。

「おい」

「黙れ、主君も国も守れず、自分の命だけは守った腰抜け野郎」

「――」

 タチアナに言われた通りに黙るハリード。

 返答は行動で。氷の剣の攻撃範囲からカムシーンごと体を抜いて、改めて速度と体重の乗った突きをタチアナの心臓に向かって繰り出す。ハリードもタチアナを殺す気だ。

 ハリードは詩人に人間最強と言われたレベルである。いくらタチアナに天賦の才があるとはいえ、その剣筋を見切るには無理がある。よってタチアナはその武具の特性を最大に生かす戦いをした。氷の剣を盾に変形させ、胴体への刺突を回避する形状へ。それにて格上(ハリード)必殺の刺突を回避する。

 武器を失ったタチアナ、体勢が崩れたハリードはいったん距離を取る。

 その一瞬の間でエレンはタチアナを、ユリアンはハリードを羽交い絞めにして止める。もちろんタチアナはともかくハリードはその程度では止まらない。故にダメ押しと言わんばかりにその首筋にロビンのレイピアが添えられた。

「タチアナ、止めなさいっ!」

「ハリードさん、抑えてっ!」

「双方、引きたまえ」

 かけられた言葉に、あるいは制限された動きに、もしくは押し付けられた刃物に。タチアナとハリードは止まる、止まらざるを得ない。

 しかし瞳だけは相手の喉笛を引き裂かんばかりに殺意に満ち満ちている。隙があれば容赦なく殺し合いを再開するだろう。

「話はビューネイを倒してからミカエル候の前ですればいい。いいな?」

「いい訳ないでしょ。ブラックを侮辱したコイツはここで殺す」

「コイツは俺の存在を否定しやがった。今、この場で殺す。話は必要ない」

「――ハリード、タチアナも悪かったのは分かるけど、この子を殺すならあたしも相手になるわ。第一、先にブラックを如きと言ったのは貴方。あたしも相当怒ってるの」

「は、上等だ。二人まとめてかかって来やがれ」

「けれども優勢順位はビューネイの討伐。今、この場で殺し合う訳にもいかないわ。あなたもファティマ姫の安全は確保したいでしょ?」

「……」

 ファティマ姫の名前にハリードの頭にあがった血が少しだけ下がる。

 そうだ、姫の安全の為にはハリードはビューネイを倒さなければならない。エレンやタチアナを有効活用しなくてはならない。

 ハリードの中でタチアナを生かす選択肢はない、あそこまでの暴言を吐かれたのだから理解できる人間はいるだろう。しかし、今はファティマ姫の命は詩人に握られている。

 ならばここは堪えて、ファティマ姫の情報を得た後タチアナを殺す。そしてそれによって敵対するであろうエレンや詩人も殺す。正直、他はともかく詩人だけは勝てる気はしないのだが、そんな勝率(りくつ)だけで戦いを避けるにはタチアナはハリードの自尊心を削り過ぎた。

 タチアナは殺す。それは決定事項だが、それは今ではない。ハリードは素直にこの場は引くことにする。

 対してタチアナもブラックを侮辱されたことは頭にきた、それこそ殺したい程に。しかしブラックと同じかそれ以上に大好きなエレンがタチアナを止めて、更にこの争いはエレンにもタチアナにも利するものではない。ハリードはいつか殺してやりたいとは思うが、今はやめておこうと思う程度には頭は働いている。ハリードは明らかに自分よりも上の腕前を持つ。ならば彼はビューネイを倒す上で重要なファクターになるだろう。

 そうお互いに自分をなだめてとりあえず殺意を抑え込む。それでひとまず収まった場を見てユリアンは心の中で頭を抱えた。

(ミカエル様。強いのを集めたのはいいですけど、心がバラバラです)

 まさか供回りへの襲撃からここまで話が大きくなるとはどうして思えよう。

 集まった人間の相性の悪さにユリアンはビューネイとの戦いに不安しか抱けなかった。

 

 

 約1日。それがビューネイの巣を踏破するのにかかった時間である。

 討伐隊には常にギスギスした空気が流れ、それを抑える為に比較的中立のエレンやユリアンが間に立つ。誰にとっても優しくない時間もようやく終わろうとしていた。

「そろそろゲートだね」

 タチアナの言葉に一番安心したのは供回りのリーダーだ。空気の悪い、もっと言えば殺意で満ち満ちた場の一番近くに居なくてはならず、また配下も一刻ごとに削られていく現状。色々な意味で壊滅となるところだったが、とりあえず己の役割は果たせたといっていい。

 しかし不安が残らない訳ではない。兵力を犠牲にした強行軍は、もう体力がない。このままでは帰ることができないのだ。生きて帰るにはただ一つ、討伐隊がビューネイを撃破して、このアビスの気配を消すしかない。

 それしかないのだが、それを託さざるを得ないのはギスギスとした空気を隠そうともしない5人である。ボロボロの命綱に命運を託している気分だ。

「御武運を」

 その不安を微塵も感じさせない声色を出す辺りは流石だろう。

 背に声を受けて、5人の戦士たちはゲートの間に足を踏み入れた。

 

 




ロマサガ3リマスターがとうとう発表されましたね。
楽しみで仕方ありません。
詩人の詩をそれまで完結させたかったのですが、流石に無理そうですね。

ゆっくりお付き合いいただければ幸いです。
発売日とその翌日はロマサガ3を遊び倒す。
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