マクシムスの部屋から続く隠された空間に入り込んだ瞬間、全員の顔が歪む。隠し通路となっていたその場から尋常でない雰囲気を察知したからだ。
血に腐臭、鼻を突く酸いた臭い。絶望の、死の気配が濃厚に感じられた。それと同時にまた、風の流れも感じられる。どこかに繋がっているのか通気口があるのかは分からないが、最悪を想定すればこのまま外へ逃げられかねない。
「ここはモンスターの養育所も兼ねている訳ね」
ヤーマスのグレイト・フェイク・ショーで感じたのと同じ気配を感じ取り、エレンはそう呟く。つまりここはモンスターの巣窟と同意義であり、危険度もそれに比例する。いや、人間の悪意が加わった分だけ危険度は高いかもしれない。目にするものは全て敵か犠牲者、そう判断していいだろう。そしてサラの救出が最優先な今、無視するものは全て無視して最短で最愛の妹の元へ辿り着く。それがエレンの判断だった。
そうやってエレンが考え込む一方で、詩人も強い危機感を持っていた。最善で収まるのならばなんの問題もないが、嫌な予感しかしない。そして最善で済まないのならば、彼は力を温存しなければならない。手加減できる訳がないモノを相手にしなくてはならないのだから。
「俺はしばらく後ろに控える。弓で援護するから前衛は任せた」
「? 何でアンタが前に出ないのよ!?」
「必要なことだからだ」
エレンが思わず問いかけるが詩人は素っ気ない。
それにフォーメーションとして間違っている訳でもない。ここには前衛を得意とする者かオールラウンダーしかいない、後衛の専門がいないのだ。ならば最も弓の扱いが優れた詩人を後衛に配してバランスを取るのも悪くない。
だがしかしエレンとしては最短でサラのところまで辿り着きたかった。だからこそ詩人を先頭に切り込み、後衛はタチアナに任せてもいいのではないか。それが最善で最速だと。
そう言おうとしたが、状況はそれを待ってくれない。
「来ました」
言いながらカタリナはフランベルジュの切っ先を通路の先に向ける。シャールは銀の手が装着されたその腕で以ってブリッツランサーを構え、ユリアンは白銀の剣を握りしめた。
果たして角からぞろりと神王教団のローブを着た一団が現れる。人の成りはしているが、あれらが人間であるなどと考えるバカはもちろんいない。まず間違いなくローブの下にはモンスターの姿があるだろう。
だとすると――やりにくい。突如としてあのローブの下から触手が生えてくるかも知れないし、頭や心臓を貫いたとしてもそこが急所とは限らないのだ。時間がどうしてもかかってしまう。
それをどうやって短縮するのかを考えるのがエレンで、
「一番槍貰いっ!」
考えるくらいならばとっとと倒してしまおうと考えるのがタチアナだ。
通路は狭く、大剣を振るうには少し窮屈だ。もちろん振るえない程に彼女の練度は低くないが、ストレスのたまりそうな戦い方はタチアナの気風に合っていない。氷の剣を分裂させ、片方の手には長剣を形作り、もう片方の手には小剣が握られていた。彼女が最も得意とする二刀流である。それで以って敵集団に躍り掛かる少女。
更にそれを援護する為に詩人はその場で弓を構え、矢を射かける。彼にしてあのローブの隠匿能力を破ることは叶わず、とりあえず急所になりそうな頭を狙う事にした。
こう話が進んでしまってはゴタゴタ言う方が余計な手間だ。エレンはそう判断し、詩人が前衛に出る事を諦めた。斧を片手にタチアナの背後から追随する。
「タチアナ、一人で突っ走らないっ!」
「私たちも行きますよ。シャール、ユリアン」
「言われるまでもないっ!」
「切り開きます!」
ここに集まったのは精鋭たち。苦戦するまでもなく、ローブを着たモンスターたちを次々と駆逐していく。
だがジャッカルも然る者、本拠地を手薄にする訳もない。配下のモンスターの数に限りが無いかの様に、一行の行く手を阻む。
「こっのぉ…どけぇぇぇ!!」
エレンの焦燥した叫びは虚しく響いた。
上半身の自由を奪われた少年とサラは、マクシムスとその護衛に囲まれて神王教団ピドナ支部の地下通路を歩いていた。この状況に少年は自分の弱さを呪いたくなる。
数時間前、マクシムスの腕を露出させる為に矢を射かけたサラと彼女を護衛していた少年だが、狙撃してすぐに場所を動かなかったのが失敗だった。即座といえる間を置いて暗殺者が2人襲ってきて、少年が一人を相手取っているうちにサラが捕らわれてしまったのだ。
一対一でも互角だったのに2人を相手にできる訳もなく、そもそもとして少年にサラを見捨てる選択ができる訳もない。降伏し、縛り上げられてマクシムスの元に連れていかれた。そして捕虜を見たマクシムスが喜悦の表情を作り出し、決して死なせないように厳命した。それからしばらくこの地下通路の一室に押し込められ、今は敵に連れられて通路の奥に向かっている。
チラとサラの様子を伺えば顔が青白い。この状況では当然だろう。敵に捕縛されてどう扱われるかも分からない、どこに向かっているかも分からない。
少年はサラの心を思いやり、意を決して口を開く。
「ねえ、僕たちをどうするつもり?」
「無駄口を開くな、ガキ」
護衛にゴっと、頭を小突かれる以上の勢いで殴られる少年。
マクシムスは殴る事自体は無視し、しかし少年の言葉には反応する。
「ふむ、俺様は今機嫌がいい。それにお前も知っておいた方がいい事ではある。説明してやろうか」
その言葉を聞いて護衛は手を引っ込める。マクシムスの意に沿った行動を取る辺り、忠実な配下といえるだろう。他にも数人いる配下たちにはそれぞれ武器が握られていた。
それらはマクシムスが集めた聖王遺物であり、それぞれ七星剣、ルツェンルンガード、聖王の槍に栄光の杖といった破壊力に優れた武器が揃っていた。彼らはマクシムス直々に選別した親衛隊であるマクシムスガード。マクシムスが最も便利に扱う部下である。
「まずは俺様の名前はマクシムス。昔は海賊ジャッカルと名乗っていたのは貴様らは知っての通りだと思うが、敗れた名前は俺様に相応しくない。マクシムスという名前がこれから世界を支配する王者の名前だ、覚えておけ」
「……」
神王教団は世界最大勢力の一つではあるが、マクシムスはその最高幹部の一人。リーダーであるティベリウスよりも権力としては劣る筈である。それがどうして王者になれるのかは疑問だが、ここで下手に口を挟んでもいい事は何一つないと判断して少年はマクシムスの次の言葉を待つ。
「んん~。どうやって世界を支配するのか、それを聞きたいって顔だな」
どうやらマクシムスには少年の胸中などお見通しだったらしい。支配する側に居るという愉悦を醸し出しながら、マクシムスは黙って話を聞く少年をニヤニヤと見やる。
「神王教団幹部の地位を使い、集めた聖王遺物に忠実な配下。魔王の斧を持つ俺様に従うモンスター共。これらでも戦力としては十分だが、今日は更なる戦力が加わる事になる」
「魔王の斧っ!?」
「聖王遺物……!!」
これには流石に驚きのあまりに少年とサラは思わず言葉を出してしまった。
そんな驚きも心地よいと言わんばかりにマクシムスは上機嫌に腰に隠してあったソレを取り出して見せびらかす。禍々しい瘴気を開放したソレはどんな説明よりも己自身を雄弁に語っていた、呪われた魔王遺物である魔王の斧である事を。
「魔王の斧による瘴気は別格だ。これにより、俺様はモンスター共を支配する事に成功した。
だがこれではまだ足りない。そんな中、最後の一手が俺様の手に転がり込んできた。
最強にして最高の手札、宿命の子がなっ!」
「そんなっ!? 有り得ない、どうしてそれを知っているのっ!?」
マクシムスの言葉に思わず叫んでしまったサラだが、彼女を責める事はできないだろう。サラが宿命の子であるという事はカーソン家のみの秘密だ。
――いや、可能性はある。カーソン家の本筋もその事実を知っている。ならばそこより情報を引き出す事は不可能ではないだろう。そう考えてしまったサラは今まで秘密にしてきた事が暴露されてしまった事にカタカタと震え始める。そんなサラを心配そうに、そして意味が分からないといった表情で見る少年。
「くっくっく、メスガキの方は気が付いていたか。
そう、この色黒のガキこそが宿命の子!!」
「「……え?」」
意外過ぎる言葉に思わず間抜けな声を上げてしまうサラと少年。
少年としては自分が宿命の子などという訳の分からない事を唐突に宣言された事について。サラはまさか自分ではなく少年が宿命の子と言われたことに関して。
「?」
サラの反応に思わず疑問符が浮かぶマクシムス。
捕まった片割れが宿命の子だと知っていたのではなかったのか、それが知られていたからこその驚きではなかったのか。
今の間の抜けた声はそんな印象を抱かせない。別に宿命の子が居ると知っていて、それがこの場に居て、それが少年とは思っていなくて――
「まさか」
マクシムスは目を見開いてサラを見る。見透かされたと感じたサラの表情に怯えが混じる。
「まさか――宿命の子は貴様の方か?」
ビクリと反応してしまった事が、正解である事をマクシムスに教えていた。だが、それはおかしい。マクシムスは最大の情報網を使って少年の足跡を調べていた。そしてその有り得ない程に死に満ち満ちた経歴を調べ上げていたのだ。それでいて本人が死んでいないとは、宿命の子以外に考えようがない。
いや待て、おかしくはないのだろうか? その死に飽和されたかのような人生が、ピドナに来てから急に収まりはしなかったか? まるで少年が撒き散らして死を誰かが止めたかのように。それがこの少女、サラであるとは考えられないだろうか。宿命の子の力を止められた記録は無く、魔王は世界を破壊して聖王は世界を復興した。
もしも、もしも仮にだが世界に魔王と聖王が同時に存在したらどうだろうか? 世界は破壊に向かうのか、復興に向かうのか、はたまた相殺されて何も起きないのか。今現在、それが起きているのではないのか。
マクシムスにはこの仮説が正解の様に思えた。
「く…くっくっくっ。まさかまさか、宿命の子と思わしき者を2人も抱えられるとはな。これが例外なのか? それとも魔王や聖王ももう一人の宿命の子と争ったのか?
いや、片方のガキは宿命の子ではないとも考えられるか。まあ、丁度いいといえば丁度いい」
マクシムスが軽く合図をすると同時、聖王の槍とルツェンルンガードがサラと少年の心臓に向けられた。
死が目前にある事を理解しない訳にはいかないその行動。
「今から俺様たちはアラケスのゲートへ向かう。アラケスとは今現在同盟を結んでいるが、宿命の子が居るならば同盟などという迂遠な方法を選ぶ必要はない。その力で以ってアラケスを縛れ、縛って俺様の配下にしろ。
もしも縛ろうとしなかったら死ぬ事になる、ソイツではなく相方の方がな。もしも両方できなかったら2人共殺すと覚えておけ」
「「…………」」
サラと少年は絶句するしかない。四魔貴族を縛るなんて考えた事もないというのに、とんだ無茶な話があったものだ。それに話の前提として魔王殿の最深部まで行き、アラケスと会う――いや遭う事が当然なのだろう。敵地というか、敵しかいないその場所に今から連れていかれて四魔貴族にケンカを売る羽目になったのだ。
強制される余りに過酷な展開に思考と感情が付いていかない。逆らっても、失敗しても殺される。成功の見込みは分からない。たとえ成功しても未来はない。もう、絶望しかない。
「報告しますっ! 侵入者です!!」
「殺せ、とっととな」
と、そこで背後から飛び出してきた男が大声で叫んだ言葉に我に返れた。呆然自失しても仕方がない、そうでなくてもどうしようもないのかも知れないが。
そして余りに素っ気なくマクシムスが言うが、報告者は言葉を続ける。
「モンスターの群れと信者共をぶつけましたが、侵入者は止まりません! こちらの被害は100を超えます」
「無能がっ! 今が一番大事だというのにここで面倒を起こしてどうするっ!! 我が配下はそこまで役に立たんのかっ!?」
「相手が悪すぎます、侵入者は英雄エレンです!」
「なに…?」
マクシムスもその名はもちろん知っている。四魔貴族のフォルネウスとアウナスを撃破した、目下最大の障害。
だがしかし、奴は確かビューネイ討伐に向かっていた筈だと報告書を思い返す。ロアーヌが襲撃され、その援軍という形で巨竜グゥエインを連れて討伐に――
「待て」
巨竜グゥエインを連れて? ならばビューネイ討伐如何に関わらず、ピドナの異常を察知して襲来することは確かに可能だ。グゥエインという相手を説得できたら、だが。しかし実際にこの場に到達したという事はグゥエインを御したと考えるのが妥当。
更にその上でピドナの現状を得た上で来たかと考えれば、これは難しい。何せピドナとロアーヌは海を隔てている。いくらグゥエインを味方につけたとはいえ、世界中に監視網が即座にできる訳がない。ならばビューネイのゲートを閉じ、最後のゲートであるアラケスのゲートを閉じに来たと考えるのが妥当だろう。つまりマクシムスが配下にできる四魔貴族はアラケスのみとなった訳だ。
そして最後に重要となるのが、名前。エレン・カーソンとサラ・カーソン。この二人が姉妹であることくらいは調べがついている。宿命の子を確保しに来たのか、妹を助けに来たのかは分からないが。どちらにせよ、神王教団とルードヴィッヒは確実にエレンを敵に回してしまった。
「死んでも止めろ! アレを出しても構わんっ!!」
「はっ!」
「時間がなくなった。俺様たちは先を急ぐぞ。
抵抗するなら相方を殺す」
マクシムスのその言葉に、マクシムスガードで片手武器である七星剣を持つ男と栄光の杖を持つ男がそれぞれサラと少年を担ぎ上げる。
サラと少年はされるがままにするしかない。握られている命は自分のものではないのだから。それに絶望しかなかったこの状況で希望が見えたというのもある。サラにとって誰よりも信頼できる姉が助けに来てくれたのだ。ここは命を無駄にする場面ではない。
(大丈夫、お姉ちゃんならきっと助けてくれる……!!)
祈りではない、願いでもない。確信を持ったサラに怖いものはもう何もなかった。
「しつっこいわね!」
一人頭50は立ち塞がる敵を撃破しただろう、それでも減らない敵の量にエレンの口から苛立ちが漏れた。
シャールがブリッツランサーを振るいながら冷静に答える。
「しかし数が無限という事は有り得ない。貯蓄を全て吐き出している感じだ。マクシムスめ、今さら何を焦っている?」
「全くです。こいつらでは時間稼ぎにしかなりはしません。この時が値千金とでも思っているのでしょうか?」
カタリナも疑問を呈した。確かに時間はかかり、疲労も溜まるがこちらを討ち取るには足りていない。モンスターもいくらでも居る訳ではないだろうに、むしろここまで育成するの手間と金も大きくかかっているだろうに。策もなく捨てるような愚行に頭を傾げる。
「「「……」」」
エレンとタチアナ、ユリアンはその答えを持っている。サラが宿命の子であり、魔王殿のゲートを開放してアラケスをぶつけるだろうと。アラケスが素直にジャッカルの言うことを聞くとは思えないが、聖王遺物を集めてモンスターも操る男である。何かカラクリがあってもおかしくない。
だが言えない。サラが宿命の子というのは絶対に秘密にしなくていけない事実なのだ。
「サラ・カーソンは宿命の子だ」
「「!!??」」
「詩人っ!!!!」
だというのに。あっさりとそれを口にした詩人にエレンは全力の怒声をぶつけた。
それでも詩人は涼しい顔をしたままだ。
「諦めろ、エレン。この状況で隠すと本当に全てを失う」
「だからって…だからっていって!」
今までずっと隠してきたこと、これからもずっと隠さなくてはいけないこと。それを熟考を経ないで暴露された事に、エレンの感情の行き場がなくなる。
だが、ただでは転ばないのが詩人である。この男はやるなら徹底的に転ぶ。やらなくていいところまで転ぶ。
「もちろんこれはエレンが言わない限り誰にも秘密だぞ? お前らの主君であるミカエルやミューズにもだ」
「いえ、それは流石に……」
「私がミューズ様に言わないのはいいが。カタリナがミカエル候に伝達しないというのは難しくないか?」
無茶を言うな。そう言わんばかりの2人に詩人は真面目な声で続きを口にする。
「そうでもない。もしもミカエルがそれを知ったら、ロアーヌはレオニードとグゥエインに攻め込まれ、滅亡することになる」
さらっととんでもない脅迫をする詩人。
人の秘密を晒して自分の秘密を晒さないというのも不義理であるという変に真面目くさった理由と、脅迫として有効であるという理由で詩人は言葉を続けた。
「我が名はアバロン。聖王12傑の一人にして、300年前の伝説に名を残す聖者。俺が言うなら、レオニードもグゥエインも動く」
「……言ってる意味が分かりません」
呆れた顔と声でカタリナがフランベルジュを振るって目の前の敵を切り捨てる。ユリアンも何を言っているのかという表情だし、シャールも眉間に皺を寄せている。
それを真実と理解しているのは、いや真実と信じられるのはエレンとタチアナのみ。
「詩人さん、それ、言っていいの……?」
「いいさ。信じなければ言った通りにする」
「ロアーヌを滅ぼすとか、ちょっと……」
「冗談を言っても仕方ないだろう、釘はしっかり刺す。もしもこの二人から真実が漏れれば、ピドナかロアーヌは滅亡する。いや、させる」
本気の本気で詩人と話をするエレンとタチアナに、怪訝な感覚が芽生えてくる。
「詩人さん、あんたは人間か? レオニード伯みたいにバンパイアではなくてか?」
「残念ながら人間だ、300年以上前から生きているけどな」
「信じ、られん。られんが、レオニード伯との関係を見れば、いやしかし……」
「別に信じなくてもいいが、少なくともレオニードとグゥエインを動かせる事は証明している筈だぞ? それも無視するか?」
「もしもそれが本当ならば、貴方はフェルディナンド様とも知り合いとでも言うつもりですか?」
「ああ。ヒルダにでれっでれのフェルディナンドの話でもしようか?」
ひくりとカタリナの顔が引きつる。アウスバッハ家に伝わる伝説というより、冗談のようなその話をモニカの護衛だった彼女は聞いていた。曰く、フェルディナンドとヒルダ姫は相思相愛だったというが、実際はフェルディナンドが全力でヒルダ姫に惚れてアプローチしたというその話。
男に威厳が求められる世界である、300年前ならば時代もそうでなければならないだろう。だからこそフランツが娘に話したそれを冗談だと流したカタリナだが、一般的にヒルダがフェルディナンドに惚れこんだと流布されている中でその情報を口にされるのは見逃せない。まさかこの詩人が聖者アバロン本人だということは有り得ないが、その血脈である可能性は十分ある。そして実際、グゥエインがビューネイ討伐に加わったという情報くらいは彼女も得ているのだ。
宿命の子の情報にかけられた対価は祖国の滅亡。現実味がなくもないその話に、万が一を考えれば確かに口を噤んだ方が利口である。そもそも、ゲートは既に半分以上が閉じられている。このままサラの身柄を保護して魔王殿に攻め込み、アラケスのゲートを閉じてしまえば宿命の子などなんの役にも立たなかったという事になる。むしろ全てのゲートを閉じるだろうエレンの不興を買うだけ余計だ。
「……分かりました。ミカエル様にさえ、サラが宿命の子であるということは黙っていましょう。私はマスカレイドを取り戻し、強奪したジャッカルを始末できればそれでいい」
「賢明な判断だ、カタリナ」
「で、本当にあなたは聖者アバロン本人なのですか?」
「そうだ」
胡散臭そうな目で首肯する詩人を見るカタリナとシャール、そしてユリアン。それを見てなんとも言えない顔をしているエレンとタチアナ。3人の方が普通の反応だと分かっているだけ口を出しにくい。詩人の言葉を肯定しても自分が変に見られるだけで、信じられる可能性はないだろう。そもそも詩人もそれを望んでいない。
「と、まあ。肩の力が抜けたところで、出口だな」
矢を撃ちながら詩人は先を見据える。
松明の明かりしかなかった通路の先に、太陽の光が見えた。そこまでにある人影は1つだけ。ならばあれは出口であり、ジャッカルとサラたちはそこから連れ出されたと考えていいだろう。
問題は立ち塞がる人影だ。最後の一人、数に頼らないソイツが弱い訳もない。そして逆光であり見えにくかったその男の顔が松明の明かりで晒されると、シャールの目が驚愕で開かれた。
「ケインかっ!!」
「誰ですか?」
「ピドナ最強の剣士だった男だ。クレメンス様が暗殺された時、護衛だった男。それ以来姿を消していたが――」
ケインがクレメンスを裏切ったのではないとシャールには分かっていた。何故なら、眼前に立ち塞がったケインだった剣士の男に生気は感じられなかったから。代わりに背後に赤く光るオーラを纏った亡霊が憑いている。
仁王と呼ばれる憑依する霊体のモンスターが、ピドナ最強剣士に憑いて立ち塞がる。恐らくケインはクレメンス暗殺の際に一緒に殺害され、その遺体も奪われてここまで残酷に利用されているのだろう。
シャールはギリと歯を食いしばり、せめて自分がその苦しみから解放してやると言わんばかりに足を前に出す。それと同時、シャールより素早い動きでケインに駆け寄る女が一人。エレンその人である。
「サラが待ってるのよ、時間がないのよ」
「ァァァァァァァ……」
「ピドナ最強がなんだっていうのよ。あたしは世界最強に鍛え上げられたんだから、この程度で負けてられるかぁ!」
ピドナ最強と言われるに違わない剣戟が奔る。
エレンはそれを斧で受けた、受けられた。そして力で押されて体勢を崩したそのままにケインの懐に潜り込み、拳を硬く握る。アンデッドが嫌う生の気を込めたその一撃を、亡者故に防御が疎かになったその身体にめり込ませた。
活殺破邪法。
そう言われる特殊な気を叩き込まれた仁王が絶叫を上げて消え去っていく。ケインの体には目立った外傷がないままに倒れこみ、それを見下ろしてエレンは勝ち誇る。
「あたしも舐められたものね!」
「いや、結構滅茶苦茶だからな、お前」
ユリアンが一応突っ込んでおいた。
本来ならば体の損壊を気にすることがないピドナ最強剣士というのは、厄介が過ぎる相手だろう。毒や急所攻撃といったものが通じずに、地力で勝りきらなくてはならないのだから。それを倒したとしても亡霊である仁王が次の相手となり、疲弊しきった体を乗っ取られる危険も併せてある。
それなのにまさかいきなり敵の本体である仁王を滅しようとは、普通思わない。だがエレンに言わせれば亡霊本体こそが最大の弱点であるのに、そこを突かない選択肢はなかった。自身で言った通りに世界最強に鍛えられた事は伊達ではないのだ、良い事か悪い事かは置いていて。
シャールはケインの遺体を痛ましく見て、これ以上利用されないように朱鳥術にて火葬する。他の仲間たちは他に何か罠がないか、注意深く警戒しながら先に進んでいた。出口が見え、最後の番人を倒したと気を抜いた時に仕掛ける罠が最も効果的だからだ。
果たして罠はなく、こもった空気の場所から外へと脱出できた。
だが、快適というには程遠い。なぜならそこは廃墟の一歩手前であるピドナ旧市街であり、埃っぽい場所だから。
そして何より、目の前すぐのところに魔王殿がある場所だったから。どうか違ってくれと、無駄とは思いつつ驚きの顔でこちらを見る住人の男に聞く。
「なあ、お前はマクシムスを見なかったか? マクシムスの他に誰か居なかったか?」
「あ、ああ。ついさっきだが、あんたらが出てきた所から飛び出してきたよ。マクシムス様と、その付き人様と、付き人様に担がれた少年と少女も居た」
「――どこへ行った?」
「魔王殿に向かったよ」
エレンの表情が硬くなる。最悪の展開になった事を理解せざるを得ない。
見上げるは魔王殿。かつて魔王の居城であった、アラケスと最後のゲートが存在する場所。そこに集う、聖王遺物と宿命の子、そしてエレンたち。
誰ともなしに駆け出した。
時間に余裕がないと分かっているのだから。