ある男の昔話をしよう。
優しすぎるがゆえに親に売られ、人生のすべてをダーウィンズゲームに狂わされた男の話を。
男は一般的な家に生まれた。特に裕福でも貧しくもない。ごくごく普通な平凡な家。
男の父は小さいながらも建設系の会社を立ち上げ、最近では珍しい部類に入るだろう――いや、こういう仕事だからかはわからないが地域の住民と協力して仕事に当たっていた。仕事がない人に別にする必要もない仕事を与え、バイト代ということでお金を与えたり、低所得者――といっても父はそんなこと心にも思っていないと思うが、そんなものから建設のお願いを申し込まれ、値引きを頼まれたら予定していた金額の三割引きにするなど、ざらにあった。
地域との交流が途絶えがちな今日この頃である。当然父の行動は常識外れに分類され、疎ましく思われることもあったが、人間はもともと集団的生き物だ。心中では嫌っていてもそれ以上に、何かあったら無条件に人を助けるという、甘い、とてつもなく甘いものに縋りつく者もいた。
だからこそ比例するかのように父を嫌うものは多く、それゆえに父は多くの人から愛されていた。
そんな姿に少年だった子供はあこがれた。
父こそが一番正しい人間だと思っていた。
それが、九つ。少年――江郷昌志から見た父の姿だった。
だが、昌志が十の年をまたぐようになったころ、父は狂い始めた。
昌志が学校に向かう前までにはバタバタとあわただしく仕事へ向かう準備をしていた父だったのだが、急に仕事に行くことをやめたのだ。
朝からはぐびぐびとビール瓶を浴びるように飲みゲームに熱中し、夜、家族の全員が寝静まったころフラッと外へ出ていき、朝遅くに返ってくるのだ。
当然昌志の母は、激怒し、父を叱った。自分で建てた仕事はどうするのか。これからの生活はどうするのか。目いっぱいに涙をためて父を叱咤した。
だが、父はやめなかった。
昌志は父を一気に軽蔑するようになった。今までのイメージがガラガラと崩れていき、残ったものは昔の父のような人間こそが一番正しい人間であり、自分もそうありたい。決して今の父のような堕落した人間にはならない。そういう決意だけだった。
ただ。
なぜか生活に困るようなことにはならなかった。昌志は拍子抜けした。これから地獄のような極貧生活が始まると身構え、昔どこかの本屋で立ち読みした夜逃げのための準備本通りに三日分の食料などを蓄えたにも関わらず、だ。
そして、いつしか母までもが夜、父と時同じくして外へ外出するようになった。
昌志は一人になった。三人で一緒に暮らしているはずなのに、一人になった。
昔あったような食卓の風景はなく、父と母の笑い声が消え、静まり返った家の中で規則正しく生活する。
小さい時にあこがれていた夜更かしだけは絶対にすることはなかった。父と母の堕落した姿というものを見たくなかったのだ。
そうして、昌志は十二歳を迎えた。誕生日には父も母も、おめでとうの一言すら言わなくなっていた。
その次の日から事態は急変する。
昌志がいつも通りのスケジュールをこなし、いつも通りの日常を終え、家へと戻ってきたら珍しく父と母がリビングにいた。
互いに無言。誰一人として声を発さない空間。
静寂を壊したのは父だった。
昌志にあることを言ったのだある。
「お前には今からアメリカで新しい家族の一員になってもらう」
正直、意味がよくわからなかった。ただ、父と母はすがるような眼を昌志に向けていて。
それは父に助けを求める者たちの目によく似ていて。
昌志は頷くしかなかった。
昔話はあと一話続きます。