ここには、一人の提督が居た
馴れた動きで艦隊の指揮をし、その顔はいつも帽子の影に隠れていた。普段着らしいものもほとんどないが、普段着で出掛けるときは、決まってフードのついているパーカー等を着込んでいた。
存在が希薄になり、街の空気に紛れる。
表情をあまり変えない彼の経歴は…
0歳
実家の片田舎にて、農家の子供として産まれる
2歳
弟が産まれる
3歳
孤児の女の子を引き取り、家族に迎える
妹となる
7歳
新たに妹が産まれる
17歳
『深海棲艦』の出現
両親二名、兄妹三名全員の死亡
同時期、軍部に保護され、見習い衛生兵になる
21歳
正式に軍部に所属
『対深海棲艦駆逐師団』に所属
23歳
単独での深海棲艦2体の轟沈
勲章の授与と共に、戦局の膠着化
26歳
『艦娘』の誕生
同時期、初期鎮守府防衛提督として、新たに『提督』となる。
彼の人生はとても奇妙で複雑なものになっていった、そして、未だ終わることのない深海棲艦との戦いは、出現から数えて、既に『35年』と言う年月が経とうとしていた。
■■■
提督「…ここが新しい鎮守府か」
彼は、度重なる敗北により、かつてのような栄誉は与えられず、新たに出来た鎮守府に飛ばされる形で、かつての実家のあった土地まで戻ってきていた。
提督「…初期艦は…多摩か」
提督は少ない荷物と服を詰めた旅行用のバッグを肩にかけながら、大本営より送られてきた書類に目を通す。あらかた読んだ後、鎮守府の最も大事な場所、提督に与えられる執務室に向かう。
■■■
提督「…」
執務室の扉を開ければ、夕焼けの光が執務室の中を照らしていた。新しく来る提督のために用意されたであろう机、デスクライトには、少なからず埃が積もっていた。
提督「…新しい提督が見つからず、放置されていた鎮守府にあてがわれた…と言うことか」
確かにそうだな、と納得しつつ、バッグを机の横に置き、窓の外を見つめた。
この時、齢52
彼にとって、最後の鎮守府での生活が始まる
■■■
空き部屋を借りて布団の上に積もった少ない埃を落としたり、掃除道具を使って執務室の中を掃除することしばらく。
時刻は1900
提督「…これぐらいで良いか」
自在ホウキを部屋の片隅に立て掛け、少し体をほぐす。
鎮守府に来た時刻が1700、秋空が広がる11月では、それなりに陽が落ちる時刻だ。そして1900ともなると…外の明るさはいずこへ、といった具合に、執務室の少し頼りない明かりだけが部屋を照らしている。
提督は一人でランタンを持ち、台所に向かう。夕食を食べようと思ったが、人が誰一人居ない現在、自分で作るしかないため今から夕食の用意をする。
5分ほど歩くと、普段なら、多くの子達で賑わっているはずの食堂にたどり着く。
しかし、今は誰も居ない、そのため、明かりがついておらず、不気味な雰囲気を出していた。
提督「…懐かしいな、鳳翔なんかの、料理が上手い奴が来るまでは、俺が作ってたっけか…」
かつての記憶が戻ってくる、文句を言いながらも自分が作った料理を食べてくれる駆逐艦や軽巡の子らを思い出す。その後、作ってくれると鳳翔から聞いたときは頭を下げながら感謝したものだ。
提督「さて、腕が鈍ってなければいいが」
冷蔵庫からいくつかの材料を取り出す。玉子、牛乳、大葉、それに市販のめんつゆ
提督「…久々に作るか」
適当な器を一つ取り、その中に玉子と牛乳、めんつゆを入れ、かき混ぜる。その後、細切りにした大葉を入れて再び混ぜ、フライパンに油をひく。
フライパンを火にかけ、油を全体に満遍なく広げる。
フライパンが暖まったと感じたら、かき混ぜた玉子をフライパンに流し込んでいく。
黄色い液体がフライパンに流れ着くと、油と共に激しく音をたてながら固まり始める。熱によって固まっていく玉子をせわしなく動く箸が掴み、丸められていく。
■■■
提督「…まあ、良いか」
執務室の椅子に座っている提督は、机の上に置いてあるものを見る。
玉子焼き
…だけである。
提督「確かに米を炊き忘れていたから仕方ないのだが…まあ構わん。」
夕食が玉子焼きだけと言う寂しいものになってしまったが、それを気にせず食べ始める。(他にも料理を作ってれば良かったのでは、とは言ってはいけない。)
提督「いただきます…もぐもぐ」
久々に食べる玉子焼きは、美味しかったのと同時に、懐かしさもあった。
提督「…親父が作ってたの食べさせてもらって以来、いっつも大葉を入れて作るようにしたなぁ…」
懐かしさの原因は、生きていた頃の親父が作ってくれていた玉子焼きと同じように作ったものだからだ。
一人で執務室の椅子に座りながら玉子焼きを食べること5分と少し、作った玉子焼きは残らずたえらげていた。
■■■
その後、ある程度の執務をこなし、執務室に備え付けの風呂に入り、埃っぽかった服を着替えた。風呂から出てくる頃には、時刻は2200になっていた。
提督「…明日から、また艦隊の指揮か」
提督は、誰も居ない執務室で一人、呟いた。
脳の奥がチクリと痛み、顔をしかめた。
提督「…寝るか」
脳裏に浮かんだ多くの人影が消える前に眠りにつこうと、布団の中に体を忍ばせた。
目を閉じ、眠りにつこうとすると、かつての家族、仲間、艦娘が脳を焼いた。閉じた筈の瞳から、涙が1滴流れて、枕に染みを作った。