民間軍事会社"鎮守府"   作:sakeu

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 橘さんの確定診断が下りた。

 

「リンパ芽球性リンパ腫」

 

 最初、先生にそう言われてキョトンしたが、リンパ腫の中でも悪性度の高いものの1つだそうだ。

 頭からコーヒーを被り、ようやく整理がつきかけたの時にこれだ。せめての救いは、先生のおかげで早めに見つかったことだ。

 

「病勢はとても強く、全身に広がっています。早急に治療をする必要があります」

 

 先生の声に、橘さんはただ淡々として頷いた。

 

「そうですか」

 

 すっかり肉の落ちた橘さんの目にはいつもと変わらない静寂がある。その傍らでは、着替えを持ってきた鳳翔さんが挙措も乱さず、端然と立っていた。

 橘さんの病状は目に見えるように進行し始めていた。初めて執務室で倒れた時は、それほど感じなかったが、入院してからは急速に痩せはじめ、食事量も減っているらしい。また、毎日熱を出すらしく、朝見舞いに行けば寝汗でビッショリになっていることもあった。総じて言えば、明らかに衰弱の気配を示していた。

 それでも橘さんは、見舞いにやってくる艦娘たちにはあくまで穏やかに接し、夜になれば工廠全体の指示をするために紙に書いていた。時には、明石や夕張を呼んで指示するくらいだ。その姿は、ほとん荘厳と言っていい風格をまとっていた。

 

「化学療法、ですか?」

 

 橘さんの声は揺るぎない。

 先生が頷いた。

 

「明日、最後の検査を行って、結果を再確認次第、4剤併用の強力な治療を開始します」

「あなたのような先生だと、とても心強いです」

 

 小さく微笑してから、

 

「お任せすると言ったからには、全てを託します。ですが、治療の開始については、少し待ってくれませんか?先生」

 

 橘さんの細い、しかし確かな声が耳を打った。

 先生は一瞬戸惑ったように目を見開いたが、すぐに、

 

「橘さん、わざわざ言う必要もありませんが、のんびりと構えていられる状況ではありません。病状は…………」

「2、3日でいいんです。少し」

 

 あくまで返答は揺るぎない。

 いつもは影の薄い橘さんが、今日ばかりは歴戦を戦い抜いた老将の存在感を示していた。

 先生が口を開くまで、少しばかりの沈黙があった。

 

「医者である私が橘さんの選択に口出す資格はありません。しかし、仕事のことを心配しているのなら、今すぐやめてください」

 

 いつもは温厚そうな先生の口調が今日は厳しかった。

 

「橘さんは、どんな仕事で働いているかは知りませんが、それ以前に人間です。そのことだけを忘れないでください」

 

 静かに先生は告げ、病室を去っていった。

 あとには俺と橘さんと鳳翔さんの3人がただ静かに佇むばかりだ。

 

「優しい人ですね」

 

 呟くように言ったのは鳳翔さんだ。

 顔を上げる橘さんに向かって、鳳翔さんは微笑とともに告げる。

 

「私が言いたかったことをあんなはっきりと言ってくれるなんて、優しいですね」

「"どんな仕事で働いているかは知りませんが、それ以前に人間です"。とても当たり前のことなのに、言えずにきてしまいました」

 

 鳳翔さんは、そっとお茶の支度を始めながら、

 

「こんな時くらい、自分を第一に考えてもいいと思いますよ。満さんがどれほど艦娘たちのために頑張ってきたのか、私が一番知っているんですから」

「鳳翔…………」

「ずーっと、振り向いてもらえなかった私が言うんですから、間違いありません」

 

 橘さんの口元に苦笑が浮かんだ。

 それを鳳翔さんの微笑がそっと包み込む。

 そんな時に、ガラリと扉が開いて静寂を彼方へ吹き飛ばす大声が飛び込んできた。

 

「お、なんやなんや、えらい静まりかえっとるやんか、どないした?」

 

 場違いな陽気をまとって入ってきたのは、言わずと知れた佐久間さんだ。

 

「調子はどないや、満」

「特に変わってませんよ。治療の開始を待って欲しいと先生に言ったら、怒られたところです」

「そりゃそうや。1日遅ければ1日寿命が縮むで、満。艦娘のことはどうでもええから、とっと始めえや」

 

 とんでもないことをさらりと言う。

 橘さんはと言うと、かえって愉快そうに笑っている。30年を超える盟友だからこそできるギリギリの会話だ。

 

「それでこんな忙しい時間帯にどうしたんですか?気遣いなら無用ですよ」

「気遣い?そんなんわしの性に合わへんよ。ただ案内しただけや」

 

 言いながら扉を振り返った先には見慣れた人影があった。俺が口を開くより先に、鳳翔さんが声を上げた。

 

「まあ、長門さん」

 

 入口で頭を下げたのは長門だった。

 

「お久しぶりです、橘さん、鳳翔さん」

「まあまあ、今は忙しいはずなのに」

「いえ、私だけ見舞いに行かないのも良くないですから」

 

 長門の答えに、橘さんは嬉しそうに微笑んだ。

 こうして、長門と佐久間さんが並ぶと、いくら大きい長門でも小さく見えてしまう。俺が並べば、より俺の小ささが引き立ってしまう。

 そして、長門は持ってきた小箱を差し出した。どうやら洋菓子店のものらしい。

 

「まあ、シュークリームですか」

「みんなで食べれば、と。橘さんも食べれるでしょうか?」

 

 長門の遠慮気味の視線に、橘さんの優しげな瞳が答える。

 

「甘いものは大好物です。早速いただくとしましょうか」

「せっかくですから、お茶を淹れなおしますね」

 

 微笑する橘さんも、手際よく準備する鳳翔さんも、何やら急に嬉しげだ。やはり人を元気にさせるのは人だ。

 

「なあ、はたちゃん」

 

 と佐久間さんが耳打ちした。

 

「なんか、居づらくねえへん?」

「急にどうしたんですか、佐久間さんらしくもない」

「だって、満も鳳翔も、長門もえろう仲が良さそうで気ぃ遣うちゃうやんか。わしたちだけ浮いてへんか?」

「佐久間さんは浮いているかもしれませんが、自分は溶け込んでいるつもりですよ。気を遣うのなら退室しても構いませんが、俺は遠慮なくシュークリームをもらいますよ」

「冷たいやつやな、はたちゃんは」

 

 言葉の内容はいささか寂しいものだが、豪快な笑い声は相変わらずだ。不思議そうに振り返った長門に、佐久間さんは満面の笑みを返した。

 

「長門は相変わらずべっぴんさんやな。はたちゃんには少し勿体あらへんかいな」

 

 そんなことを言いながら、長門の頭を大きな手でポンポンと叩く。佐久間さんと長門にも面識はある。詳しくは知らないが。

 佐久間さんの手の下で、長門は少し苦笑しながら、

 

「佐久間さんも相変わらずなようですね。いつも提督がお世話になっています」

「そんなんあらへんで。はたちゃんたちは自衛隊がやれてへん仕事をいつもやってくれる。こっちの方がいつもはたちゃんたちにお世話になりっぱなしや」

 

 そこまで言って、少し間を置いて、何気ない様子で付け加えた。

 

「大変な仕事ばっかり押し付けてすまへん」

 

 そんな声が断片的に聞こえて思わず目を見張った。長門も同様に目を見張って佐久間さんを見返した。

 しかし当の佐久間さんは、その一瞬の沈黙を持ち前の大声で叫び吹き飛ばし、さあノンアルコール宴会や、などと笑ってベッドのそばに腰下ろした。橘さんはシュークリームを取り出し、鳳翔さんが湯呑を人数分並べ始める。

 

「優しい人たちだな」

「ああ…………だから、ここまでやっていけているのだろう」

 

 平日の午後、普段は依頼の電話がうるさく鳴り響く時間帯なのに、この日は珍しく沈黙を守っていた。

 

 

 ーーーー

 

 

 よくないことは続くものだ。

 漁船の護衛をしていた、朝潮が大破した。

 橘さんの化学療法を検討していた頃であった。普段の依頼任務より沿岸での任務だが、深海棲艦が姿を現したのである。艦隊が命からがら戻ってきた時は、息も絶え絶えとなった朝潮の姿が川内の背中にあった。

 漁船の方々は川内のとっさの判断もあり無事。

 

「高速修復材の使用を許可するから皆、随時入渠してくれ」

 

 静かに告げるのに対し、川内はかすかに顎を動かして頷いた。いつもは夜戦夜戦とうるさい川内だが、今日ばかりは気を遣ってくれたのか、静かに入渠した。

 報告を受けた後、俺は医務室で眠る朝潮をただじっと見つめるしかできなかった。

 

「電をかばって大破したんだって」

 

 俺がずっと朝潮のベッドの横で座っているところに、叢雲がそんな言葉を告げた。朝潮が眠ってそろそろ1時間は経つが、起きる気配はない。

 

「あんたにそっくりね、朝潮」

「そうでもない。朝潮は俺なんかよりもよっぽど立派だ」

 

 叢雲が苦笑した。苦笑した後、冴えない顔になり、そっと窓の景色を眺めた。

 

「どうした?」

「風向きが良くないのよ」

 

 短い言葉が、端的にこの鎮守府をさらにはこの海の空気を表している。

 橘さんの診断と、それに重なるように朝潮の大破。深海棲艦の動きは日に日に活発になっており、全体として嫌な空気に満ちている。特に駆逐艦は敏感に感じ取っているらしく、いつものような活気が少しなくなり、気落ちしている様子が隠せない。

 

「こういう時って、トラブルが発生しやすいから気をつけないと…………」

「なら、艦娘1人1人に頭からコーヒーをかけてやろうか?意外と元気になるもんだぞ」

 

 性に合わない軽口を叩けば、叢雲は沈黙したまま答えない。顔を上げると、思いのほか優しげな微笑に出くわした。

 

「ようやく、しっかりしてくれるようになったわね。最近のあんたは、色々と酷かったから」

「これもコーヒーのおかげか…………君もやってみるか?頭からコーヒー被るの」

「嫌よ。染みがついて取れなくなるじゃない」

 

 苦笑して立ち去りかけた叢雲が、ふいに足を止めたのは、俺の懐からやかましい音が鳴り響いたからだ。俺は慌てて部屋を出て音源を探す。

 それは依頼の電話だった。緊急の。それも海上自衛隊から。

 少しながら訝しみつつ、電話に出る。

 

 "助けてください!"

 

 女性の緊迫した声で言われ、身体を強張らせた。どうしましたかと聞くと、

 

 "こちらの鎮守府が超遠距離射撃を受けました!すでに被害は大きく、艦隊も組めない状況です!"

 

 まさに足場が急になくなった心地がした。しかし、こちらが慌てている場合ではない。俺は冷静になるよう努めた。

 

「一応、こちらの艦隊を至急送ります。今はそちらの提督の指示に従って、凌いでください」

 "そ、それが…………いないんです!いなくなったんです!早く助け…………きゃぁ!?"

 

 爆発音が耳を貫いた。嫌な汗が流れる。俺は叢雲を見ると、察したのかすぐさま、駆け出した。

 

「大丈夫か!?と、とにかく凌いでくれ!」

 "だ、大丈夫です!"

 

 俺はどこの鎮守府かを聞いた。

 どうやら、この鎮守府に近いところに位置しているようだ。連絡した女性は機転が利くらしく、すぐに助けに迎えるここに連絡したようだ。

 

「司令官!艦隊の準備はOKよ!」

「すまん叢雲、助かる。すぐに出撃してくれ!」

 

 叢雲を旗艦とする艦隊を出撃させた後、俺は執務室に向かった。いくら艦娘とも言えども、陸上では100%の力は発揮できない。最悪の事態を想定するならば、鎮守府内に深海棲艦が侵入する事だろう。

 俺は自室のクローゼットの奥にある箱を取り出して、着替えた。

 

 

 ーーーー

 

 

「大変な事になりましたね」

 

 港に立っていた私に、広瀬が声をかけた。いつでも出撃ができるように、艤装の準備を済ませた。

 

「こういう時、嫌なことを思い出す」

 

 広瀬は何も言わずにこちらを見つめる。

 提督の話を聞くには、彼も相当苦労してここにやって来たと言う。やって来てすぐは散々で先が思いやられたが、今では立派な戦力だ。

 互いに何も言わぬまま、沈黙が漂う。

 

「…………長門さんは隊長とは幼馴染なんですよね?」

 

 私はそっと首肯する。

 しかし、広瀬はそれ以上何も言わなかった。妙に納得した表情を浮かべるばかりだ。こんな時に思い出すべきではないのだが、彼と提督のホモ疑惑が浮かんでしまう。

 私が妙な事に胸騒ぎを覚えていると、広瀬はいつのまにかいなくなっていた。まぁ、彼も提督の事はよく知っているだろう。だからこそ、今の状況が嫌な予感をさせるのだ。

 

 

 ーーーー

 

 

 叢雲たちが出撃して30分くらい経った後、私はとりあえず執務室に向かう事にした。多分、提督は心配で押し潰されそうになっているだろう。その途中の廊下で、熊野の急いた声が飛び込んできた。

 

「どこにいらしたの、長門」

 

 息を荒げながら、慌ただしく駆け寄ってくる。

 

「どうした?」

「提督が…………」

 

 ただならぬ様子に私はすぐに足を踏み出した。

 熊野について執務室まで足早に進む。室内に入ると、いつもは机にいるはずの提督の姿がなかった。

 慌てて提督の私室に入ると、脱ぎ捨てられた軍服に荒らされたクローゼットが見えた。

 1つの古びた箱が空になっているのを見て、私は目を見開いた。

 提督が自ら救援要請を出した鎮守府に向かっている事に気付いたのは、彼の車が無いと確認した瞬間だった。

 

 

 ーーーー

 

 

「沈みなさいっ!」

 

 砲撃音とともに、1つの駆逐艦に命中して沈む。それでも攻撃を止める暇はない。

 叢雲たちはすでに救援要請が出た鎮守府のすぐ近くにまで来たいた。満身創痍ながらも、深海棲艦に対抗する、艦娘の姿も捉えている。

 

「これでは近づけません!」

 

 榛名の声が砲撃音に紛れて届く。その中にはおぞましいほどの数の咆哮が混じっている。その咆哮は止むことがなく、そして無数の巨大から顎が獲物を喰らわんと弾丸を放つ。

 

「ぽいっ!?」

 

 砲撃が夕立を掠める。

 もはや砲撃は雨のごとく降りかかってくる。注意がこちらに向いてくれつつあるのはいいものの、一斉に攻撃されてはひとたまりもない。

 

「邪魔よっ!」

 

 主砲を放つものの、焼け石に水。向こうに見える艦娘と自分たちの間の分厚い壁は貫けない。いくら沈めてもその後ろから新たな船が出てくる。

 船、船、船。鎮守府の前を取り囲むかのように覆い尽くされた漆黒の群れ。そのほとんどは駆逐艦だが、軽巡や重巡も混ざって突撃してくる。その群れの真ん中には空母も控えており、艦載機までもがやってくる。

 セオリーとしては空母を叩きたいところなのだが、それを阻むかのように駆逐艦や軽巡どもが囲っているせいで、できない。どうやら敵も戦術を身につけたようだ。

 敵の隙間からは、まだ艦娘が見えるがギリギリの状態だ。そう長くは持たないだろう。

 

「自衛隊の方はまだなんでしょうか…………」

 

 肩越しに聞こえた祥鳳の声は不安げだ。彼女も精一杯艦載機を飛ばすが、軽空母ではここを突破するには物足りない。そもそも叢雲たち、民間軍事会社は基本的に護衛や応援サービスなど、サポート役が多い。そのため、真っ向からの戦いでは火力が物足りないのだ。

 

「今はそんなことを言ってもしょうがないわ!とにかく、攻撃の手を止めないで!」

「ちくしょう!このままじゃ、こっちも危ないぞ!」

 

 天龍の言う通り、このままだとこちらも危ない。

 襲撃された鎮守府は少し辺鄙なところにあり、他の鎮守府からだと遠い。お陰で、自衛隊でもない叢雲たちが出向く羽目になっているのだ。

 

「こうなら、長門も連れて来るべきだったな…………」

 

 天龍の柄ではない弱気な発言に答える者はいない。最初は、笑顔を見せていた夕立ですら、今ではその笑顔は消え失せた。

 

「やっぱり風向きが良くないわ…………」

 

 いつもは自信いっぱいの叢雲も不安になり始めた時、後方から大量の艦載機が通り過ぎた。

 その艦載機らは、瞬く間に深海棲艦どもを轟沈させ壁を壊していく。

 

「皆さん、良く持ちこたえました、後は私たちにお任せください!」

 

 後ろには待ちに待った自衛隊の艦隊。それも主力級ばかり。そこには一航戦と名高い正規空母までいる。

 

「やっと…………」

 

 そこからはあっという間だった。叢雲たちとは比べ物にならないほどの火力で敵を蹴散らす。深海棲艦の咆哮はすぐさま悲鳴のような声に変わり、次々と海底へと沈む。敵方の空母も負けじと艦載機を飛ばすが、盾の駆逐艦どもを失い、一斉射撃を喰らう。

 

「すっげえな。あの装備、軽く世界水準を超えてねえか?」

「私たちの装備も負けてないっぽい!」

「…………そうね」

「とにかく、あの人たちを助けましょう!」

 

 祥鳳の声に弾かれるかのように、叢雲たちはギリギリのところで立っている艦娘たちの救助に向かった。特に駆逐艦の損傷は酷く、攻撃も不可能なほどだった。叢雲は群青色の髪に煙突のような帽子を被ったような娘を抱えた。

 

「安心しなさい、もう大丈夫よ」

「鎮守府に…………敵が…………」

「全て沈んだわ。だから、安心して」

「違うんです…………鎮守府の中に…………」

 

 驚愕の言葉が漏れ出た。鎮守府内に侵入されたとなれば一大事だ。

 

「中に…………満潮と荒潮が…………」

 

 叢雲の顔から血の気が引いた。

 

「天龍!今すぐ、鎮守府の中に向かうわよ!」

「お、おう?なんで?」

「いいから、早くっ!」

 

 とりあえず、救出した娘を祥鳳に預け、不思議そうな顔をする天龍を無理やり連れて行き、鎮守府内に向かった。遠くからは気づかなかったが、鎮守府はもうボロボロでどこからでも攻めれる状態だ。

 

「叢雲、何があったんだ?」

「中に、いるのよ!深海棲艦が!」

「はぁ!?ヤバくないか?それ」

「当たり前よ!」

 

 もし彼女の言う、満潮と荒潮が艤装を外している状態なら事は一刻を争う。いくら妖精の恩恵を受けていようとも、艤装を外せばほぼ人間なのだ。

 鎮守府から何も音がないのが、不安を増幅させる。

 辿り着けば、鎮守府は瓦礫と化していた。至る所に砲撃を喰らった後が残っている。

 

「天龍、あんたはドッグの方を見て来なさい」

「分かったぜ!」

 

 叢雲は少し気になることがあった。普通ならこの中に司令官がいるはずである。しかし、連絡をしたのは艦娘だった。それに中にいると言われたのは、2人だけだ。では、司令官は?

 

「…………まさか、ね」

 

 嫌な予感を無理やり心の片隅に追いやり、叢雲は取り残された娘の救助に専念することにした。

 ほぼ崩壊した鎮守府の瓦礫をくまなく探すが、姿が見当たらない。最悪の事態を頭に入れつつ、時折瓦礫を除けると、深海棲艦の駆逐艦を見つけた。

 それも頭から真っ二つにされた状態で。

 

「な、何よ、これ…………」

 

 もしかして、ここの司令官は腕が立つのだろうか?いや、それはない。艦娘でもない人が深海棲艦を倒すだなんて聞いたこともない。1人、心当たりがあるがその人は…………

 

「よっこいせ…………危なかった…………」

「無事だったのね…………ええ!?」

「ん?おぉ!叢雲か!良かった、この娘たちを…………」

「なんでうちの司令官がここにいるのよ!」

 

 瓦礫の中から出てきたのは紛れも無い、民間軍事会社"鎮守府"の司令官だった。

 

「細かい事は後だ。とにかく、この娘を。俺は別の用事がある」

「細かい?一体どんな了見なのよ!」

 

 自分たちの出撃を見送っていた人が、何故かこの場所にいる。そのことが、叢雲を混乱させた。

 

「本当に悪い。詳細は後で、じゃあな!」

「待ちなさいっ!」

 

 叢雲の言葉を聞かず、司令官はどこかへ走り去ってしまった。追いかけたいところだが、2人を残すわけにもいかず、止めることもできなかった。

 

「はぁ…………後始末が大変なのに…………」

 

 盛大なため息を吐きつつ、叢雲は満潮、荒潮と呼ばれる2人を保護したのだった。

 

 

 ーーーー

 

 

「すまへんかった、お陰で助かったで」

「一応、依頼でしたからね」

 

 深海棲艦による鎮守府襲撃は叢雲たちの活躍もあり、死者0で済ませることができた。しかし、それと同時にあの日を彷彿とさせ決戦も近づいていることを示した。

 

「で、真っ二つになった深海棲艦があってんけど、どないなことや」

「さ、さぁ…………」

「さぁ、じゃないでしょ。刀ぶら下げておきながら」

 

 叢雲の鋭い声が的確につく。

 

「せやせや、このことがバレたらはたちゃん、罰せられるで。基本的に艦娘以外の人は深海棲艦と戦ったらあかんのやから」

「いやぁ…………これしか手がなかったんです」

 

 連絡には鎮守府内に侵入されたと言っていた。しかし、艦娘は海で実力を発揮する。それに対して、俺は海よりも地上の方がまだ戦える。そもそも戦うつもりは毛頭なかった。取り残された人を助けようと思っての行動だった。

 

「ま、結果的には2人の命を救ったちゃうわけや。…………それに」

 

 持ち前の眼光で後ろに控える1人の男を睨む。あの眼で見られたら、誰でも萎縮してしまうだろう。

 

「のうのうと、敵前逃亡しよったアホも見つけたからな」

「…………」

 

 この男、深海棲艦の大群が押し寄せた時に、事もあろうか指揮を投げ出し、一目散に逃げ出したのだ。その結果、襲撃の連絡は遅れて、被害が拡大した。

 それだけではない。この男は気にくわない部下に暴力を振るっていたらしい。満潮と名乗った艦娘の顔には痣があり、部屋に監禁されていた。荒潮と言う娘が教えてくれなければ、今頃瓦礫の下に埋もれてしまっていただろう。

 

「それで、ここの艦娘たちは?」

「とりあえず、横須賀に異動や。…………やけど、その娘はえらいあんたに懐いとるやないか」

 

 と、佐久間さんは俺の背中に隠れる満潮を見た。他の艦娘と同様、我が鎮守府のドッグに向かわせようとしたのだが、俺の背後から離れようとしないのだ。

 

「うーん…………とりあえず、怪我は治そう、な?」

「…………嫌よ」

「ずっとこんな感じなんです」

「この男があかんか?」

 

 と、後ろで小さくなっている男を指し示した。満潮はその姿を親の仇でも見るかのように睨みつける。

 

「ま、安心せぇ。こいつは2度と司令官には戻れへん」

「…………」

 

 そうだろう。むしろ戻られたら困る。

 

「それにしても…………久しぶりやな。その刀は」

「まぁ…………これ5代目なんですけどね」

 

 しばらく、クローゼットの奥深くに放置してたものだから、斬れ味を心配したが、意外と悪くなかった。残念ながら、一振りで(なまくら)と化したが。

 

「ま、このことは秘密にしとくから、安心せぇや」

「ありがとうございます」

「ともかく、よかったよかった!ガハハ!」

「そうですね」

「よくないわよ」

 

 丸く収まりかけたところで叢雲の声が、制した。

 

「あんた、どうするつもりだったの?もし怪我したらどうしたのよ!」

「そ、その時は…………その時だな?」

「バッッッカじゃないの!トップがいなくなったら、組織は機能しないじゃない!」

「そ、そんなことで、怒らなくても…………」

「そんなこと、じゃないわよ!もう少し、司令官としての自覚を持ちなさい!」

「わ、悪い…………」

「珍しいやないか、はたちゃんがこんななってまうなんて」

「あんたは黙ってて!」

「お、おう…………」

 

 鬼の佐久間とも呼ばれた左官にここまで言うとは…………さすが、叢雲。

 

「もう、あんたは昔とは違う身なのよ?今はあんたを心配する人だったいることを忘れないでよ!」

「…………すまない」

 

 そうだった。今は俺の身を案じてくれる人たちがいる。叢雲もその1人なのだろう。だからこそ、ここまで怒ってくれる。

 

「…………はぁ、私も少し熱くなりすぎたわ。でも、忘れないでよね」

「ああ」

「で、その娘、いつまであんたの背中に張り付かせるの?」

「それなんだが…………うちに引き取ろうかと思っている。彼女、少し人間不信のようだから。少し調べたんだが、朝潮の妹らしいし丁度いいだろう。構いませんよね?佐久間さん」

「全然構わへん。むしろ、こっちのせいやのにそこまでしてくれてありがたい」

 

 どんな仕打ちを受けたのかは知らないが、この満潮は誰とも眼を合わせようとしない。姉の朝潮と一緒にいれば何かが変わららかもしれない。

 今回の襲撃は被害も大きかったが、艦娘と一般人の問題を浮き彫りとさせることとなった。

 

「それでいいか?満潮」

 

 俺の言葉に満潮は黙って首肯した。

 その痣が俺には痛々しく映った。

 

 

 ーーーー

 

 

 翌日の朝、俺はすぐに朝潮に満潮を会わせた。朝潮はすっかり怪我は癒え、元気な様子だった。

 

「満潮!元気でしたか?」

 

 朝潮は少々興奮気味に満潮の手を取った。

 

「久しぶりね、朝潮」

 

 しかし、朝潮は満潮の顔にある痣を見た瞬間青ざめた。

 

「そ、それはどうしたんですか?」

「これ?ちょっと、打っただけよ」

「嘘ですよね?あの人にやられたんですよね?」

 

 朝潮は食いつくように満潮に問いた。朝潮もかつては、あの鎮守府にいたらしい。どのような経緯でここに来たのだろうか?

 

「大丈夫よ」

 

 そう言い残し、満潮は部屋を出た。

 後に残るのは、沈黙だ。それを破ろうと言葉を探すが、いい言葉は見つからない。

 

「司令官、満潮にあんな怪我を負わせたのはあの人なんですか?」

 

 朝潮は思い詰めた表情で言葉を切り、思い切ったように言った。そんな彼女を俺は見返した。

 

「人の怨みはさらに怨みを呼ぶ。延々に怨みは連なっていく。だから、まだ年少な君には言うべきじゃないと思うが、あえて言う」

 

 俺は一呼吸置いてから言葉を継いだ。

 

「十中八九あいつの仕業だろう。話を聞けば、あいつはエリートらしく、プライドも高い。また、満潮はなかなかキツイ言葉を言うらしいな。それ故に、あいつの癪に触ったのだろう」

「そのことは、分かります…………見てきましたから」

「己を悲観しなくてもいい。今は、満潮が元気になるようにしてくれ」

「…………はい」

 

 俺は手を固く握り締める朝潮を後にして部屋を出た。そして、その部屋を出て向かう先は、いつも通り困った時に向かう場所だ。が、その日は先客がいた。

 

「不熱心な男が、喫煙だけは熱心だな」

 

 振り返ったのは航だ。

 くわえ煙草で肩越しに苦笑した。

 

「おはようございます、隊長。ひどい顔ですよ」

「君にしても叢雲にしても、人の顔をひどいひどいと言う。失礼な話だ」

「話を聞きましたよ。こんな時に災難ですね」

「まったくだ。だが、災難なのは俺ではない。彼女らだ」

 

 航のそばに並んで、ため息を吐く。

 

「橘さんの様子はどうですか?」

「いつも通りだ。ただ、化学療法は数日待って欲しい、との一点張りだ」

 

 航は、そうですか、とだけ小さく呟いて、それ以上何も言わなかった。

 

「君こそ、随分と朝が早いじゃないか。渚はどうした?」

「保育園の先生が、うちの事情を考えてくれて、少し早めに預かってくれるようになったんです」

 

 答える盟友の顔は、父親の顔そのものだ。そのままゆっくりと煙を吐き出した。

 

「そろそろ煙草はやめたらどうだ?渚のことを考えれば、ニコチンなど摂取している場合じゃないだろ」

「相変わらず手厳しいですね」

 

 航は少し困った顔をしたあと、まだ半分以上残っているセブンスターを眺めて、やがてそのまま携帯灰皿に押し込んだ。

 意外な諦めの早さに驚いて、訝しげに目を向ければら、なにやらさっぱりとした顔がある。

 

「隊長、1つ頼みごとがあるんです」

「無理だ。俺はそんなに暇じゃない」

「まだなにも言ってませんよ」

「言わんでいい。聞いてしまうと、断りにくくなる」

「今週末、渚の誕生日会をしようと考えてます。来てくれませんか?」

 

 軽く言葉に詰まる俺に、航は少々照れた顔をする。

 

「ずっと迷ってたんです。大和もいないのにそんなことをしている暇はあるのだろうって。でも大変な時だからこそ、渚を祝ってやりたいんです。特に、隊長は渚のお気に入りですから」

 

 俺はもう1度ため息を吐いて、それから軽く舌打ちをした。

 

「やっぱり忙しいですか?」

「ああ、だが他ならぬ渚のためなら仕方ない」

 

 航は破顔した。

 

「ただし」

 

 と俺は付け加える。

 

「俺と君のホモ疑惑を解消してからだ」

 

 最近巷で噂のホモ疑惑。この原因は航にある。そもそも俺と仲がいいからのもあるが、決定付けたのはバレンタインだ。彼からしたら、少し意匠を凝らしただけなのだろうが、バラ型のチョコはない。

 航は苦笑して、

 

「そうですね。最近は妙な目で見られてますし」

 

 俺はこれ見よがしに、深々とため息をついた。

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