民間軍事会社"鎮守府"   作:sakeu

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第3章 黒風白雨


「すいません、護衛を依頼したいのですが…………」

 

 廊下を抜けて、休憩室で一休みしようとしたところで、そんな声が電話から響いた。

 窓から外を眺めれば、赤い夕日が海に沈もうとしているところだ。間髪入れずに駆逐艦2人が駆けていくのが見えた。

 時計を見れば、午後5時半。

 これから報告をまとめようとする時間に、いきなり依頼をしたいと言うのだ。それだけではなく、メールという形で依頼が溢れかえっている。

 金曜日の夜という、一般的社会人にとっては気分の浮かれる条件も、依頼主には、格別の感興をもたらさないらしい。今宵も全力で我が鎮守府を荒らしにやって来ている。

 私は電話を切った後、叢雲を探し出して、口を開いた。

 

「深夜に漁業を行いたいそうだ」

「…………で、誰かを誘って出撃して欲しいと?」

「そうだ。状況把握が早くて助かる」

 

 とても大変な依頼なのだが、叢雲は涼しい顔で応じる。

 

「そうそう、今日の報告は机に置いてあるからよろしくね。とりあえず、執務室には朝潮がいるから彼女にも手伝ってもらって」

 

 分かった、と応じつつ、最近掲げられた理念を思い出し、たちまち頭痛がした。

 

『海に関する依頼、なんでも受け付けます』

 

 理念は完璧なのだが…………

 今後の予定について、手帳から確認すれば、休む間も無く出撃予定が埋まっており、一層気が滅入る。

 軽く額を押さえてため息を吐く俺に、叢雲の苦笑が応じる。

 

「あんまりため息ばかりついていると、幸せの神様が逃げていくわよ」

「ため息程度で逃げていく薄情な神様なら、こっちから願い下げだ」

「そんな勝手なことを言うから、罰が当たるのよ」

 

 軽い口調で応じながら、艤装を取り付け始める。

 

「夜の出撃になるから十分に気をつけろよ」

「心配しなくても、提督がいるから安心よ。"軍神八幡"がいるからには誰も沈みやしないわ」

 

 "軍神"というあだ名には、もう何も言う気力がない。俺がいれば誰も死なないと言う、根拠のないジンクスによって固定化された名だ。

 

「やぁ、提督」

 

 場違いに明るい声が聞こえて振り返れば、歩み寄ってきたのは川内だ。ちょうど、彼女に出撃してもらおうと考えていたところだ。

 

「今夜はなんか胸騒ぎするなーって思ってたら…………夜戦があるの?」

 

 俺は一瞬眉を動かしたが、聞こえないふりをしつつ、叢雲の方を見る。

 

「やっぱり提督が夜出歩くと荒れるね。やっぱり、夜戦の神様だからかな?」

「君も段々と口が悪くなってきたな。あまり皮肉を言うと夜戦に行かせないぞ」

「それは困るなぁ。だって、今から夜戦なんでしょ?」

 

 言ってもいないのに、出撃があることが分かるとは。伊達に夜戦バカと言われてないこともある。

 

「じゃ、私も準備してくる」

 

 と、指示もしていないのに川内は踵をめぐらせた。廊下に立っていた不知火も巻き込んで艤装を取りに行く。叢雲はそんな彼女らを見送りつつ、ぽんと俺の肩を叩いた。

 

「さ、司令官。私たちが出撃している間に、1つでも仕事を終わらせなさい」

「あせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です」

 

 唐突に呟くと、叢雲は2度ほど瞬きをした。

 

「何それ?」

「夏目漱石の名言だ。知らないのか?あせってはいけません。ただ牛のように…………」

 

 たちまち叢雲は呆れ顔になる。

 

「そんなことばっかり言ってるから、いつまでも変人だって言われるのよ」

 

 言いつつ叢雲は一歩前に出た。

 

「あんたの愚痴はあとで聞いてあげるから、とりあえず執務をよろしくね」

 

 まことに不本意ではあるが、俺は黙って執務室へ足を進めた。

 

 

 ーーーー

 

 

 入渠施設には、赤、黄、緑の3種類の部屋がある。

 赤が大破したなどの重傷者用、緑は少々ダメージを負った程度の者が使い、せいぜい休憩用といったところ、黄はその間といった寸法だ。

 入渠状況を確認すれば、黄に入った者が3人ほどいるようだ。

 特に重傷を負った者がいないことを確認し、近くにいた神通に早めに出てくるようにと伝える。神通は相変わらずおどおどしているが、前よりは少し堂々とできるようになってきているのかもしれない。

 そのまま執務室へ向かうべく廊下に出たところで、ふいに呼びかける声が聞こえ、足を止めた。

 黄色の部屋から、出てきたばかりの1人の艦娘が、手を振りながら駆け寄ってきた。

 俺が顔を向けると、その艦娘はニヤリと笑った。

 

「久しぶりですね、提督」

 

 その声を聞いて少し怪訝な顔をする俺に、艦娘の方は笑みを崩さず、

 

「その様子だと、私のことは忘れたのかしら?」

「職務中なのに、朝っぱらから寮で酒ばっかり飲んでいる千歳、だろ?忘れるにも忘れられん。ともかく、傷は癒えたのか?」

「ふふ、さすが提督。最近は、少し元気が無くて心配していたけど、変わっていないようですね」

 

 千歳は、目を嬉しそうに細めて笑った。

 普段から、物腰の落ち着いている彼女は、時折いたずらっぽい顔が見え隠れする。無論当方の皮肉なんぞ一切の功を奏さない。

 

「提督の辛口は健在ですね。辛いものばかり食べているせいか、淡麗辛口でめっぽう切れがいい。安心しましたよ」

「中破しておいて、安心されても仕方がない。また、飲むのか?」

「飲みませんよ。最近は提督の言う通り控えるようにしています」

 

 意外な返答だ。

 

「私たちだって、ちゃんと思慮分別くらいあります。今は飲んでいる場合ではないってことは分かってますよ」

「…………ホントか?」

「そんなに疑わなくたっていいでしょう?長門さんなら疑いなんてしないくせに」

 

 そのおどけた口調を聞けば、本当に控えているのかは怪しいところではある。

 

「ま、怪我も治っているようだし、ゆっくりしておけ。明日も出撃しないといけないかもしれないし」

「明日もですか?」

「そうだ。依頼はたっぷり来ているからな。喜ばしいことだ」

「…………冗談きついですよ、提督」

「冗談であることを願うよ」

 

 さすがに笑みを引きつらせた千歳に背を向ければ、懐からベルが鳴り響く。また、新たな依頼なのだろうか。間断ない敵軍の襲撃を受け続けて、こちらは疲労困憊である。

 今宵もどうやら、寝れないらしい。無論だが、「寝かせてくれ!」と叫んだところで、深海棲艦は消えてなくならないし、依頼の電話を止むわけでもない。そんなあり得もしない妄想に胸を膨らませている間にも依頼の電話は鳴り響く。

 俺は、一度大きく深呼吸した後、執務室に足を進めた。

 

 

 ーーーー

 

 

 窓の外を見れば、抜けるような快晴だった。4月の柔らかな日差しは、世界の色彩をより華やかにしている。2階にある休憩室から外を見渡せば、桜が咲き乱れている。そのまま視線を空へと転じれば、白雲のかけらもなく、澄み渡った(あお)一色だ。

 開け放たれた窓の内側で、淡い水色のカーテンが思い出したかのようにゆらりと揺れた。

 

「ひどい夜だったらしいですね」

 

 穏やかな声とともに、パチリと駒を進める音が聞こえた。

 ほとんど思考が停止している状態で駒を進めると、古びた将棋盤を挟んだ向かい側に、航が少し考え込むように首を捻った。

 そして、少しとがった顎を指で撫でながら小さく呟いた。

 

「最後に出撃してきた艦隊が帰ってきたのが12時ですって?忙しいとは聞いてましたけど、これほどとは思ってもいませんでしたよ」

「3時だ」

「え?」

「急遽、急ぎの依頼が入ったんだ。それで3時」

「やめてくださいよ。聞いただけで、気が滅入ります」

 

 パチリパチリと進んでくる銀を見つめつつ、俺はただ夢心地の状態で美濃囲いを組む。

 休憩室の掛け時計が示す時間は、午前10時。

 艦娘たちは3時で終わったからいいものの、俺はつい先刻ようやく修羅場の執務が終えたところなのだ。16時間ぶっ続けの執務から解放された足でとにかく休憩室に行くと、珍しく土曜日に出勤していた航を見つけたのだ。そのままたまたま見つけた将棋盤で、一局を所望した。

 

「朝、食堂で叢雲さんを見かけましたけど、あの隙のない人が、珍しく乾いた笑みを浮かべて座ってましたよ」

「1日においての出撃回数が過去最高を記録したからな。それに喜んでいたのだろう」

 

 投げやりに応じれば、航は苦笑とともに視線をめぐらす。

 

「熊野も、大変だったようですね」

 

 ソファの上に、うつ伏せになって可愛らしい寝息を立てているのは、熊野だ。

 熊野も、叢雲と同様記録を更新し、フラフラしながら去っていたことまでは記憶にあるのだが、どうやら自分の寮に戻ることが叶わず、ここに倒れこんだらしい。

 俺は角を敵陣に送り込みながら口を開いた。

 

「1日で4度の出撃だったからな。さすがに限界を超えたらしい」

「隊長の余波を受けたわけですね」

「異議あり。根拠も何もない軽率な発言だ」

「根拠なら今までの執務の統計を出せば…………」

「それも異議あり。とにかく不愉快な発言だ」

 

 爆睡中の熊野は、傍らの無意味な会話には微塵も反応せず、すやすやと眠っている。時折、ふいに「ひゃぁあっ!」だの「とぉぉ↑おう↓!!」だの叫んでいるところを見ると、夢の中で5回目の戦闘を行っているらしい。ご苦労なことだ。

 

「でも今日は土曜日ですよ。少しは休めるんですか?」

「休めるかどうかは俺が決めるのではない。所構わず電話をかけてくる依頼主と、時間にかかわらず急変する深海棲艦が決めるんだ」

「なるほど、あまり期待できそうにありませんね」

 

 苦笑しつつ、それにしても、と航は低く唸り声を上げる。

 

「隊長の美濃がこんなに堅いとは…………」

「君の中飛車の切れがないだけだろ」

 

 応じて駒を動かす。

 自身の陣中で馬へと転ずる俺の角を見て、航は腕を組み直す。

 

「徹夜明けで、頭が働かないはずなのに、いつもよりずっと冴えているように思えますね」

「ふん、悪手を重ねたあげくに負け惜しみとはワタルらしくもないな」

 

 さらに一手を進めれば、ついに航は声もなく黙りこんだ。

 そんな時に、背後で扉の開く音がした。

 

「あ、こんなところにいたのか」

 

 聞き慣れた声に顔を向ければ、立っていたのは長門だ。

 

「珍しいな、長門。君が休憩室にやってくるとは」

「またそんなのんびりとしたことを…………なにやってるんだ」

「見ての通り、将棋だ。そんなことも知らんのか」

「そういうことじゃない。いくら電話をかけても、全然つながらじゃないか」

 

 そんなはずはない、と答えてポケットから携帯を取り出すと、なるほどと納得する。

 

「電池切れだ」

 

 長門は呆れ顔でため息をついた。

 

「電話も徹夜で働き続けて疲れたんだよ。今日くらい休ませてやれ」

「携帯は休ませても構わんが、提督はそういうわけにもいかん。すぐに執務室に来い。今日の昼までしか指示の入っていない艦娘が結構いるんだぞ」

「それはいけませんね」

 

 と答えたのは航だ。

 言うなり駒を入れるための木箱を手に取った。

 

「おい、ワタル…………」

 

 と止める間も無くその長い指が盤上の駒をさらって、木箱の中へと収めて行く。

 

「勤務を終えたと思ったから一局につきあっただけなんです。指示がまだ残っているなら、そちらを優先すべきです」

 

 言い終えた時には盤上は綺麗さっぱり片付いている。勝ちが危ういと判断しての暴挙だろうが、俺の抗議の声を上げるよりも先に、長門の急き立てる声がかぶさった。

 

「みんな困っているんだから、早くしてくれ」

 

 首根っこを差し出せば、そのまま掴まれて引きずられそうな勢いだ。

 俺はただ悄然と立ち上がり、にこやかに手を振る航と、この騒ぎの中でもすやすやと眠る熊野を交互に睨みつけてから、休憩室を後にした。

 

 

 ーーーー

 

 

「ねぇ、ヤハタ」

 

 食堂に、そういう声が響いたのは、眉間にしわをよせた長門からようやく解放された後のことである。

 そっと顔を上げれば、テーブルを挟んだ向かいに座った小柄な女の子の姿がある。顎がテーブルにつく姿勢で、目だけは爛々と輝かせて当方を見据えている。

 

「ねぇ、ヤハタ」

 

 小さな口が開いて、声が響いた。俺はとりあえず聞こえないふりをして昼食の激辛カレーを食べる。

 理由がある。

 この少女は、満潮という。最近、こちらに所属したばかりの新人だ。駆逐艦の中では比較的落ち着いた性格なのだが、とにかく口が悪い。その悪い口で妙に俺にからむ。

 

「聞こえないないのかしら、ヤハタ」

 

 基本的に、艦娘は俺のことを提督や司令官という風に呼ぶ。しかし、どういうわけかこの満潮は、俺の苗字で呼ぶ。さらに呼び捨てだからタチが悪い。

 しかし、応じる気力はないので、あくまで聞こえないふりを決め込む。

 

「聞こえないふりをしているだけなんでしょ?ヤハタ」

 

 満潮には、親がいない。いるのは姉妹だけだ。で、どういう奇縁なのか彼女の姉である朝潮はこちらに所属していた。その朝潮が言うには、とても心優しい、笑顔の絶えない妹だったとのことだ。

 何があったのかは不明だが、今の、毒舌の満潮からは、容易に想像がつかない。

 

「まったく態度の悪い司令官ね」

「満潮ほどではない」

「聞こえているじゃない」

 

 俺は観念して顔を上げた。

 

「それ一口ちょうだい」

 

 ギロッと見る目は不知火といい勝負ができそうだが、こちらとて圧倒されてばかりもいられない。

 

「これは裏メニューで超激辛だ。子供の君には無理だ」

「何それ、意味わかんない。子供っていう理由だけで、食べちゃいけないの?」

「そもそも君は昼飯は食べただろ」

「ふんっ、ケチな人ね」

 

 朝潮が言うには、心優しい妹だそうだが、そんなことはないだろう。

 

「それだからいい歳して独身なのよ」

 

 ときどき支離滅裂にもなるから、困ったものだ。

 いずれにせよ、唇を尖らせて不満げな顔をする姿には、どことなく可愛げがある。

 

「何をやってるんですか、満潮」

 

 ふいに聞こえてきた声は、朝潮のものだ。ずっと満潮を探していたのか、慌てて駆け寄った。

 

「司令官、すいません。また満潮が何か言ったんですね」

「いつものことだから問題ない」

「満潮、司令官は忙しいんですから、あんまり迷惑をかけてはいけませんよ」

 

 朝潮の言葉に、満潮は、ぶすっとすねたような顔をして黙りこんだ。

 

「最近、私が忙しくて一緒にいてあげられないから、満潮も寂しいんですよ」

 

 朝潮は小声で俺に告げながら、手際よく今回の報告をした。まだここに勤務して日が浅いが、テキパキとした動きは見ていて気持ちがいい。叢雲が高く評価しているのも分かる話だ。唯一の問題といえば、たまに行き過ぎた気遣いがあることだけだろう。

 報告を聞きながらも俺は手を動かして、昼飯を食べる。そんな俺の様子を、傍の満潮はじっと眺めている。

 窓から降り注ぐ光は、ようやく午後の柔らかな光へと移ろい始めた。

 

 

 ーーーー

 

 

 俺が外に出たのは、夕方だった。

 外に出てみれば、傾きかけた春の日は、ゆるやかに暮色を帯び始めている。

 視線をめぐらしたところで、俺が動きを止めたのは、いつも立ち寄る港に先客がいたからだ。

 叢雲だ。

 彼女は海の水平線をのんびりと眺めている。昨夜は出撃していたが、ここにいるのいうことは、今夜も仕事があるのかもしれない。十分に睡眠がとれているとは言えないはずなのに、景色を眺めている姿は、相変わらず洗練されていて隙がない。と、ふいに先方もこちらに気づいたようで、顔を向けた。

 

「もしかして、終わった?司令官」

「ああ、ありがたいことにな」

「今までずっと執務室にいたの?」

「まぁ、そういうことになる」

 

 俺のくたびれた声に、叢雲は苦笑で応じた。そして、こちらに歩み寄った。

 

「でも、今はとにかく休めるわけね」

「おかげさまでな」

「じゃ、早く戻って寝たほうがいいわ。そんな顔色で働かれても、こっちだって迷惑だから」

 

 爽やかに笑ってそんなことを言う。

 叢雲の心遣いというのは、いつも心地がよい。

 

「叢雲こそ、2日連続で夜に出撃予定があったか?」

「本来なら今日はないんだけど、1人風邪ひいているのよ」

「で、駆逐艦のリーダーみずから代打を?」

「全然軽いわ。提督の徹夜よりはマシだもの」

 

 あっけらかんの返答だ。

 昨夜の修羅場を思い出せば、俺としても反論のしようがない。

 おや、と思ったのは、普段は車どころか人すら通らない鎮守府の前の道を進むんでいく大勢の人たちの姿が見えたからだ。

 

「始まったようね」

「何が?」

 

 問えば、叢雲はかえってあきれ顔になる。

 

「花見よ、いつものことじゃない」

 

 言われてにわかに思い当たった。そくういえば、鎮守府の近くに夜桜で有名な公園があった。

 鎮守府から徒歩数分くらいで着く公園へ向かう人たちが今鎮守府の前を横切っているのだ。

 

「やっと春が来たって感じね」

「はぁ、きっと今頃隼鷹どもがはしゃいでいるんだろうな」

「またそういう身も蓋もない言い方をする」

 

 言いつつも、叢雲は心なしか楽しげだ。

 しかし、ふいに叢雲が思い出したかのように俺を見た。

 

「そうだ、司令官。とりあえず鎮守府から出てくれない?司令官が鎮守府にいないと、平和になるような気がするのよ」

 

 完全な当て付けなのだが、俺は神妙にうなずいて、背を向けたのである。

 

 

 ーーーー

 

 

 小道をわたって北側へ進めば、2分とかからぬうちに満開の桜に囲まれた公園に着く。

 見上げれば、夕方をさえぎる桜木は天高く枝葉を広げ、見渡せば、全てが桜色である。常日頃は静まり返った公園だが、今日ばかりは人の往来が激しい。

 花見とあれば当然だろう。

 特に夜桜は絶景との大評判で、この公園では夜に花見を行うのが一般的だ。

 さして広くもないはずな公園の中には、すでに多くのレジャーシートが敷かれ、桜を照らすためのライトが行き交う人々も柔らかく照らしている。

 花見そのものは、まだ本格的に始まっていないようで、すでに飲み始めているところもあれば、まだ場所取りなのか1人の人もいる。豪快にビールを飲み干す筋骨たくましい男、談笑しながら酒を飲む女たち、くわえ煙草でのんびりと桜を眺める老人、その雑多な空気に、花見特有の熱をはらんだ情緒がある。

 ふらりとその空気の中に入れば、飲んでもいないのに、なにやら陶然たる心地だ。

 そんな喧騒の中で、ふいに俺が足を止めた場所は、一段と喧しい場所だった。別にどんちゃん騒ぎしていたからではない。どんちゃん騒ぎの主に見覚えがあったからだ。

 俺の視線を感じたのか、1人の女がふりかえり、目があった途端、ちょっと驚いたような顔をしてから、気まずそうな苦笑いを浮かべた。

 

「あら、提督」

 

 誰であろう、千歳だった。

 

「午後から姿を消したかと思えば…………こんなところで何をしてる?」

「何をしているように見えます?」

「…………花見という名目でどんちゃん騒ぎを起こしているように見えるな」

「相変わらずキツイですよ、提督。花見そのものですよ」

 

 ふふふ、と笑う千歳は、すでに頰を赤く染めていて、一目で酔っ払っていると分かる。

 

「そんな怖い顔をしないでください。ただの花見なんですから」

「ただの花見に怒っているわけではない。何かやらかすのではと心配してるんだ」

 

 眉を寄せて、千歳の顔を睨みつけた。

 

「まあまあ、いいじゃないですか。こんな時に飲まなければ損なんですから」

 

 チラリと隣の隼鷹に目を向ける。目を向けられた隼鷹は、無意味に磊落な笑みを返した。当方ただため息とともに額に手を当てるしかない。

 

「しかしだな…………あまり羽目を外し過ぎるなよ?もしもの時に何かがあったら、周りから冷ややかな目で見られるようになるんだからな」

「私たちがそんな風に見えますか?」

「見えないと思っているのか?」

「まあ、提督。今日は上司と部下ではなくて、仲良しな関係です。難しいことはなしにしましょう、ね?」

 

 赤ら顔の千歳は、酒を口に運びながら、わけのわからないことを言っている。

 

「とにかく、この絶景な夜桜の下です。楽しみましょうよ」

 

 赤ら顔に、浮かべた笑みが、なにやら妖艶な雰囲気がある。しかし誑かされて、上司の本分を見失うわけにもいかない。

 

「とにかく飲み過ぎはよくないからな。次に飲むのが、酒じゃなくて死に水だと笑えないぞ」

「縁起でもないこと言わないでくださいよ」

 

 少し誘惑的だった千歳だったが、すぐに酔っ払い特有のもの陽気を取り戻して答えた。

 

「もちろん提督も飲みますよね?」

 

 背を向けようとしたが、千歳に肩を掴まれてしまった。

 周りを見ると、軽空母たちが何やら期待の眼差しでこちらを見ている。

 俺はため息をついて、

 

「少しだけだからな?」

 

 と告げれば、隼鷹から秘蔵の酒だという日本酒をなみなみと注がれ、それを飲み干せば祥鳳から、また飲み干せば千歳から…………それを何回も繰り返した。

 さすが鎮守府一酒を飲んでいるのか、どの酒も上等なものであった。

 

「そういえばさ、提督」

 

 日も完全に沈み、綺麗に桜がライトアップされた頃、急に真面目な顔で隼鷹が話しかけた。

 

「海軍がさ、新しい兵装を開発したって知ってるか?」

 

 普段から酔っ払ていると思われがちな彼女だが、今まで酒は飲んでも酒に飲まれたことは一度もない。海軍に飲み友達がいるらしく、その人から時折情報を聞いては、俺に伝えてくれる。

 

「知らないな。どんな兵装なんだ?」

「練度の高い艦娘の力をさらに解放してくれるらしいぜ」

「へぇ…………実用化はされているのか?」

「すでにいくつかの鎮守府で実用済みだってよ。その性能は折り紙つき」

 

 ここ最近の戦況は少々厳しいので、そういった新装備はきっと役に立つのだろう。

 

「あ、それ私も知っています」

「そうなのか?祥鳳」

「はい、確かそれって指輪を使うんですよね?」

「そうそう!書類に提督と艦娘の名前を書いて、指輪渡すっという流れらしいぜ」

「うん?」

 

 祥鳳と隼鷹の言葉に俺は首を傾げた。それって本当に兵装なのか?まるで…………

 

「結婚みたいじゃないか」

「…………へぇ、提督はその兵装がこの鎮守府にも実装されたらどうするの?」

「さぁ、そもそもそんな最新装備がこの鎮守府に来るわけもなかろう」

 

 俺の答えが面白くなかったのか、隼鷹はあからさまに不満げな顔をした。

 

「…………暑い」

 

 ふいにそんな言葉が聞こえたかと思えば、千歳が自らの衣服に手をかけ脱ごうとしていた。

 

「お、おい!人前だぞ!」

「だって、暑いんですよ!」

 

 羽目を外し過ぎるなと、言っただろうに。だが、それを言葉にしなかったのはすでに頭痛の気配が濃厚だったからだ。

 

 

 ーーーー

 

 

「あれ、戻ってきたんですか」

 

 夜半の休憩室で俺を迎えたのは、日中と同じ場所で、黙然と詰将棋を解いていた航だった。

 時刻は夜10時。

 結局、軽空母たちは浴びるように酒を飲み、千歳に至っては酔い潰れて寝てしまったおかげで、俺が運んでひと段落ついたかと思えば、すでにこの時刻だった。

 夜半の休憩室は随分と薄暗い。その薄暗い休憩室の片隅で、月明かりの下、ゆるりと盤上の駒を進めながら、航は独り言のように告げた。

 

「花見があってるとは聞いてましたけど…………」

「相変わらず、だ。いかんせん彼女らは度を知らない」

「そんな彼女らに、いちいち付き合うなんて、隊長らしいというか、物好きというか…………」

 

 詰将棋の本をパタリと閉じて、航が苦笑した。乱暴な言葉の割に、その笑みは柔らかい。俺は向かい腰を下ろしながら、

 

「そういう君こそ、随分と遅い時間に…………」

 

 言いかけた途中で口を閉じたのは、航の膝上に、幼子の眠っているのを見つけたからだ。3歳になる航の娘の渚が、父の胸にしがみつくようにして、すーすーと心地よさげな寝息を立てていた。

 沈黙した俺を見て、航が淡々とした口調で答えた。

 

「僕も公園に連れて行こうとしたところで、呼び出しを受けたんです。どうしても一緒に行くと言って聞かないから、やむを得ず連れてきたんです。さっきまで、艦娘たちが遊び相手になってくれたけどさすがに疲れたようです」

「呼び出しの方は片付いたのか?」

「装備について、指示が伝わっていなかったところがあっただけです。今は、特に何もありません」

「そうか」

 

 俺は静かにうなずいてから、航を見返した。航は航で、俺の言わんとしたことを正確に汲み取ったようだ。微笑を浮かべたまま、

 

「大丈夫です、無理はしていませんよ」

 

 その長い指は、優しげに娘の髪を撫でている。

 

「渚の面倒を見ながら仕事をするのは大変ですが、できることはできるときにやっていきますよ。それでもどうしようもないとき、全部隊長に押し付けて逃げるつもりです」

「発想の転換は結構だが、驚くところは、押し付けられる俺には、なんの了解も得ていないところだな」

「そうなんですよ。いつ打ち明けるか、ずっと考えていたんです」

 

 ふふっと笑う航の顔には、屈託がない。

 その小さな笑声に呼応するかのように、膝の上の渚がかすかに身じろぎをした。なにやら小さく呟く声が聞こえるが、寝言なのだろうか。3歳児がどんな寝言を言うのかは俺には分からない。

 

「大和の方はどうなってる?」

 

 唐突に投げ出したその名は、航が横須賀に置いてきた妻の名だ。家族ではなく戦地を選んだ航の妻は、今も横須賀鎮守府で働いているはずだ。

 俺の無遠慮な不意打ちに、しかしそれを予測していたかのように航は動じなかった。

 

「少しずつ連絡を取っています」

「帰ってくるのか?」

 

 ストレートな質問を、航はあくまで微笑で受け流した。

 

「まだ、分かりません」

 

 苦境にあっても悲観することはない、現実から目をそらしているわけでもない。そこにはかつて"期待のエース"とまで呼ばれた頭脳明晰な旧友の姿があった。

 あせらず、ゆっくりと、牛のように、図々しく…………。

 今の航の歩みそのものだろう。

 

「飲むか、ワタル」

 

 おもむろにポケットから取り出したのは、2本の缶ビールだ。将棋盤の上に、ことりと2本並べてみせる。

 

「隼鷹たちの宴会から少しばかり拝借してきた。俺らの休日をぶち壊してくれた深海棲艦に乾杯だ」

「もう少し魅力ある乾杯をしましょうよ。それにここは休憩室ですよ。ビールを楽しむ場所ではないかと…………」

「問題ない。ドライゼロだ」

「僕には純然たるスーパードライに見えるんですが…………」

「ゼロということにしておけ」

 

 また小さく肩を揺らして航が笑ったその声を遮るかのように、休憩室のドアが勢いよく開いた。入ってきたのは、熊野であった。

 

「あら、提督にワタルさんではありませんの」

「熊野、とりあえず黙るか、喋らないかのどちらかにしてくれ」

「黙るか、喋らないか…………?」

 

 真剣な顔で悩む熊野を見て、俺の方がぐったりする。

 

「つまり、静かにしろと言ってるんだ」

「あら、渚ちゃんじゃないの」

「俺の話は聞いているのか」

 

 お嬢様は上機嫌で航の膝の上で眠っている少女を見下ろしている。「可愛いですわね」と嬉しそうな声に、渚の方は少しだけ眠そうに目を開けたが、すぐに夢の中に戻っていった。

 

「熊野はまた出撃だったのか?ここ最近の忙しさは尋常ではないようだけど、大丈夫なのかい?」

「改二になってからは、より艦隊に必要不可欠な存在となってしまいましたわ。だから、出撃回数も増えて…………」

 

 と、俺の方を見る。

 俺はバツが悪くなり顔を背けるが、すぐに降参して、

 

「すまない。だが、休みをあげようにも、今はそういうわけにもいかんのだ。いつか埋め合わせはする」

 

 その言葉に、熊野はふふふと笑って応じた。

 連日の出撃にことごとく対応しても、なおこのように元気であるから見上げたものだろう。

 逆境を転じて己の力に変える能力は、俺や航よりも、この熊野ははるかに上だ。

 

「熊野、とりあえず、君の底なしの気力に乾杯しよう、飲め」

 

 航がさすがに呆れ顔になる。

 

「隊長、ポケットには一体何が入ってるんですか?」

「必要なもんが必要なだけ入っている」

 

 泰然と応じて、自らの1缶に手を伸ばす。

 

「ろくでもない日常ではあるが、愚痴を言っても仕方がない。依頼がくれば、応じるのがこの鎮守府だ」

 

 半ばは意地のセリフだが、道理が通らない世界なら、意地で現実をはっ倒すくらいの気概を待つしかない。道なき山も、橋なき川も、意地で無理やり舗装して、行けるところまで進むのが、俺らの歩みだ。

 

「来る者は拒まずって言うことですわね。やっぱりいいことを言いますわ」

「感心する前に声を小さくしろ。渚が起きてしまうだろ」

「いいですよ。熊野の声を聞くと、不思議と元気になりますからね」

「あら、嬉しいことを言ってくれますわね」

 

 脈絡のないやりとりのうちに、3つの缶ビールが同時に開く。

 乾杯だ、と誰からともなく声を上げれば、軍隊時代から同期3人のささやかな酒宴が始まった。

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