民間軍事会社"鎮守府"   作:sakeu

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今回は少々短いです。






 風が落ち着き始めたのは、夜の11時を回るころだった。

 五月雨は、徐々に勢いを失いつつもなお止まず、音もなく路面を濡らし続けていた。風の静まった闇の中を、天から地へ、薄絹の膜が舞い降りるように、細雨は降りしきっている。

 結局部屋を出て行った叢雲は、その後どこへ行ってしまったか姿は見えなかった。とりあえず平手打ちされた江下さんに治療を施せば、他にすることはない。徒労感を抱えつつ、鎮守府を出てぶらぶらと外を歩き回っている。

 北へ、雨の路地を抜けて歩くと、やがて街灯の光を受けてぼんやりと神社の鳥居が見える。

 こういうロクでもない日は、とにかくこの地の祭神に参拝しておくのがいいだろう。問題が起こるたびに参拝される神様も、随分迷惑な話だろうが、当方は非力な一個の人間なので、仕方がない。人と神との領分というものだ。

 濡れた鳥居をくぐり、砂利を敷き詰めた境内を本殿近くまで歩いてきたところで、にわかにパンパンと場違いに明瞭な柏手(かしわで)が響いて、俺は足を止めた。

 目を凝らすと、薄明かりのともる拝殿前に、人が1人、一心に祈りを捧げている。雨の降る深夜の神社に、先客がいたことなんて未だかつてないことだ。参拝者は随分と長く祈りを捧げていたが、俺が拝殿前まで来たところで、ちょうど身を翻して、石段から降りてきた。

 降りてきたところで先方がふいに眼前で足を止めた。おや、と傘を持ち上げたところで、俺と相手の目があった。

 叢雲だった。

 雨の中、傘もささずに歩いてきたのだろう。艶のある青みがかった銀髪がすっかり濡れて額に張り付いている。戸惑うように俺を見つめているその目が、あきらかに泣きはらしたあとを示して真っ赤だ。

 どこかで何かの予感はあったのかもしれない。俺は自分でも意外なほど、驚かなかった。

 静まり返った林中の境内に、雨音だけが響く。

 さらに数瞬の沈黙ののちに、俺はおもむろに傘を差し出した。

 

「雨だぞ、叢雲」

「知ってるわ…………」

 

 叢雲は、つぶやくように言ったきり、立ち尽くすばかりだ。

 俺はなかば強引に彼女の手をとって、傘を握らせた。その手が氷のように冷たい。

 

「持っていけ」

「いらない。あんたが濡れちゃうでしょ」

「やむをえん。ここには人間が2人いるが、傘は1つしかない。おまけに雨はまだ降りそうだ」

 

 俺の言葉に、叢雲はぎこちなく微笑んだ。微笑んだ途端に、その目にうっすらと涙が浮かんで叢雲はあわてて手の甲でそれをぬぐった。

 

「ごめんね、司令官」

「軍事機密を持ち出した輩をビンタしたことなら謝る必要もない。君がやるか俺がやるか、それだけの問題だ」

「相変わらず、変な慰め方」

 

 もう一度、今度は少しだけ緊張を解いた微笑を、叢雲は浮かべた。

 

「もう遅い時間だ。とにかく、さっさと帰れ。俺は先に戻る」

「…………嫌よ」

 

 立ち去ろうとした俺の腕を叢雲が掴んだ。思わぬ行動と返答に、当方が戸惑う。

 

「タクシーでも呼ぶか?」

「あんたって、ほんとに野暮で気が利かないわよね」

 

 最近同じようなことを言われたばかりだ。どうも周りの女性たちは俺のことを勘違いしているらしい。

 にわかに闇が深くなったような気がしたのは、遠のいていたはずの雨脚が、再び増したからだ。

 ふいに叢雲は、大きく呼吸をして見せ、それからまっすぐな目で俺を見た。

 

「ね、司令官、一杯付き合ってくれない?」

「今からか?」

 

 さすがに唐突だ。

 

「夜の12時に、雨にぬれた泣き顔の女を連れて行って、問題なく迎えてくれるような店がどこにある」

「あんたなら1つくらい知ってるでしょ」

 

 勝手な言われようだが、心当たりはすでに1つついている。

 

「連れて行ってくれないと、明日からコーヒー淹れてあげないわよ」

「それは困る」

 

 俺は眉をしかめて、空いている手で額に当てた。鎮守府で叢雲のコーヒーにありつけなくなるのは、執務に差し支える重大事だ。

 俺はおもむろに携帯電話を取り出した。

 

「店が開いていたらの話だからな」

 

 うん、とうなずく叢雲は、いつもの堂々たる秘書艦とはあまりに雰囲気が異なって、なにやら調子が狂う。

 いつのまにやら、左手は叢雲の冷たい手に握られ、空いている右手で番号を打ち込み、発信ボタンを押した。

 店は開いていたのである。

 

 

 ーーーー

 

 

 居酒屋「鳳翔」は、鎮守府の片隅にあるごく小さな店だ。

 前線を退いた鳳翔さんが黙々と日本酒を提供してくれる店で、食事も美味しいので、事あるごとに通っている。夜の11時頃には閉めることの多い店だが、客が遅くまでいると、それに合わせて開けてくれる。

 この日もそうだった。

 灯りを半ば落とした店内に足を踏み入れると、客は、カウンターの隅にある隼鷹だけだ。

 俺に続いて叢雲が入ってきたのを見て、わずかに不思議そうな顔をしたが、すぐに何事もなかったかのように飲酒を再開した。

 鳳翔さんの方はというと、一貫して眉ひとつ動かさず、店の奥からタオルを1枚持ってきて「どうぞ」と手渡してくれた。叢雲がタオルで髪を吹いているうちに、俺たちの上着を手早く干してくれている。手際はいいし、余計な言葉もない。

 

「食べますか、飲みますか?」

 

 明らかにキッチンの火を落としているのに、こういう聞き方をしてくれる。

 ほとんど即答で、

 

「飲みます」

 

 と言ったのは、俺ではなく叢雲だ。

 

 

 ーーーー

 

 

 叢雲の話しは尽きなかった。

 1杯を飲み、2杯を飲み、夜は更け、隼鷹がいなくなっても酒杯を傾ける速度は変わらなかった。

 これほど酒に強いとは予想してなかった。

 俺はひたすら聞き手に徹していただけだ。

 多くの言葉が、後悔や自己嫌悪やその他数えきれないほどの複雑な感情の波に乗って流れていった。

 時間がどのくらい過ぎたかはわからない。

 

「大丈夫ですか?」

 

 柔らかな声が聞こえて、顔をあげれば、鳳翔さんの穏やかな顔が眼前にあった。その細い腕がコップになみなみと水を注いでくれる。

 これを受け取りつつ、ふと傍らを見れば、卓上に突っ伏して静かな寝息をたてる叢雲の横顔があった。すっかり乾いた銀髪が、白い頰にさらりと流れ落ちた。

 

「大丈夫では、なさそうですね」

 

 かすかに鳳翔さんは苦笑する。

 俺はちらりと叢雲の横顔に視線を落としてから、鳳翔さんを見上げた。

 

「みんなには内緒にしてください」

 

 言われた鳳翔さんは、少し意外そうな顔をしてから微笑んだ。

 

「提督さん、ここは居酒屋鳳翔ですよ」

 

 それだけの応答だった。

 鳳翔さんはいつもの湯のみに酒を注ぎ込む。俺は受け取ったコップを持ち上げる。

 言わずもがなのことを口にする無粋な客に、あくまで端然とかまえた鳳翔さんが、乾杯と応じてくれたのである。

 

 

 ーーーー

 

 

 午後の鎮守府の前に一台の車がすべりこんできた。

 俺と、江下さんは、鎮守府の入り口前のフロアで、ガラスごしに静かにこれを眺めていた。数人の艦娘が、車に駆け寄り、こちらへと誘導している。太陽が燦々と差し込む昼下がりで、今から行われることが想像できないほど穏やかだ。

 文字通り通り抜けるような快晴だった。

 

「本当によろしいので?」

 

 俺の問いに、江下さんは穏やかにうなずいた。

 

「ええ。今更、ナナミに何か言うことはありません。それに、顔を合わせる度胸もありませんから」

「また平手打ちされても困りますからね」

 

 俺の声に、江下さんはかすかに肩を動かして笑った。

 俺が見つけ出したメモリースティック、そして江下さんが引き渡した相手も明らかとなり、逮捕が決まったのだ。

 それにしても、と首だけめぐらして、江下さんが俺を見上げた。

 

「車椅子だなんて、必要ありませんよ、八幡さん。私は普通に歩けます」

「それだけ青白い顔で言われても説得力がありません。反論は健康になってから聞きましょう」

 

 喘息を持っていたようで、昨晩は倒れたのだ。今こそ落ち着いてはいるが、精神的にも肉体的も安心できる状態ではない。

 

「貴方が務めていた鎮守府には新しい提督が着任する予定です。心配はいりません」

「問題は、私が立ち直れるかどうか、だけですからね」

 

 俺は黙ってうなずいた。

 こうして話していれば、軍事機密を持ち逃げしたような人物とはとても思えない。思えないことが恐ろしいことだ。

 しばし陽ざしの心地良さをゆだねるように沈黙していた江下さんが、やがてそっと口を開いた。

 

「八幡さん、ナナミはどうなってます?」

「休暇をとってます。鎮守府でも姿を見ていません」

「そうですか…………」

 

 格別落胆した様子もない。

 

「かわりに預かり物があります」

 

 俺の声に、江下さんは首を傾げるように視線をあげた。

 小脇に抱えていた紙袋を何も言わずに差し出せば、江下さんもまた黙ってこれを受け取った。カサカサと袋を開ける音に続いて、かすかに息を呑む様子が伝わってきた。

 明日さんの手中で震えたのは、一冊の書物であった。

 

「これは…………」

「あなたがずいぶん前になくしたとおっしゃっていたもののようですね」

 

 鮮やかな陽光のもと、表紙の上の文字が見えた。

 

 "葉隠"

 

 その上巻であった。

 

「ナナミはずっとこれを…………」

「あなたの大切な本が借りたままになっていたことを案じていたようです」

 

 江下さんの青白い手が、そっと上巻の文字を撫でた。何度も読み返したであろう中、下巻に対して、この上巻は、よほど大切に保存されていたのか、皺1つなく、傷1つ見えなかった。

 俺はポケットから缶コーヒーを取り出して、これを開栓した。

 

「叢雲は、あなたに会えたことを感謝している、と言ってました」

「ナナミが?私は彼女に何ひとつ…………」

「艦娘でめげずに戦えているのは、あなたに出会ったからだそうです」

 

 江下さんは軽く目を見張った。

 

「喘息を持ちながらも、懸命に剣道をしているあなたを見て、決心したそうですよ」

 

 あの夜、叢雲自身が語った言葉だった。

 さしたる将来の夢もなく、ひとりの教師に恋心を寄せていただけの叢雲に、艦娘として戦う具体的な決意をもたらしたのが、江下さんの存在であったのだ。

 叢雲がどんな困難にも立ち向かい続けられたのは、このひとりの教師のすがたがいつも胸のうちにあったからに違いない。あの、いつでも端然とかまえて揺るがぬ叢雲の態度の根底には、5年前の思い出が確かに息づいているのだ。

 江下さんは俺の言葉に何も答えなかった。

 左手をあげて、そっと両の目頭を押さえただけであった。

 訪れた静寂の中で、俺は黙って缶コーヒーを傾けた。

 

「俺もひとつ、聞いておきたいことがあります」

 

 そんな問いかけに、江下さんは何も答えず沈黙をもって先を促した。

 

「あなたは、5年前、叢雲との件で学校を辞めさせられた時、弁明の余地などなかったと言いましたね」

 

 江下さんはかすかに目を細めてから、静かにうなずく。

 

「しかしどうやら、叢雲の話とはいくらか齟齬(そご)があるようです」

「齟齬?」

「はい、あなたは叢雲と会っているところを見つかって、ただちに弁明の余地がないほど窮地に追い詰められたわけではなかった。むしろ、弁明すべきときに、口を閉ざし、学校長や目撃した士官たちに対して、事情を話す責務をおこたった。結果、状況は窮迫し、学校側もあなたをかばいきれず免職になった。違いますか?」

 

 穏やかな時間の中で、江下さんは細めたままの目でじっと俺を見上げていた。

 

「なぜ、弁明しなかったんですか?」

「自分には嘘はつけなかったのです」

 

 静かな声が応じていた。

 一呼吸置いて、江下さんはすぐに語を継いだ。

 

「たとえ、すべての人を騙せても、自分には嘘はつけません」

 

 深みのある、胸の奥底にまで響く声であった。

 

「たとえ、どんなに困難な状況でも、私は嘘をついてまで目を背けることはできません。誰も気にしない些細なことだろうと、私は目を見開いてそれを見たいのです」

 

 江下さんは、ゆるりと窓外へと視線を戻し、まぶしげに太陽を見上げた。

 

「ナナミに会えて、俺は本当に幸せだったのですよ」

 

 八幡さん!と聞こえてた声は、車から降りてきていた男だ。入り口を抜けて、こちらへ駆け寄ってくるのが見えた。どうやら時間はここまでらしい。

 

「お別れの時間ですね」

 

 江下さんは、ゆっくりと車椅子を動かし始めた。

 その背に日が差して、なにやら江下さん自身の背が輝いているようにすら見えた。

 駆け寄った警察に、何か告げたあと、すぐに車の方へと進み始める。

 俺はその背に向けて、にわかに明らかな声で告げた。

 

「武士道の根本は、死ぬことにつきると会得した」

 

 俺の声に、江下さんは車椅子を進めていた両手をピタリと止めた。やがてゆったりと肩越しに振り返り、朗々と響く声で応じた。

 

「死ぬか生きるか、二つに一つという場合に、死をえらぶというだけのことである」

 

 言って江下さんは破顔した。

 その大きな手が、まるでこれからの困難を切り開くかのように、大きく振り上げられた。

 

「また会える日を。八幡さん」

 

 車の扉が開き、江下さんの姿を隠した。

 俺は車が立ち去った後もその後ろ姿を捉えていた。

 

 

 ーーーー

 

 

「大切な人を見送りもせずに休暇を取るというのは、らしからぬ行動だな、叢雲」

 

 ガラス越しの景色を眺めつつ、俺はため息混じりに告げた。

 

「休みを取らないと、ゆっくり見送ってあげられないでしょ」

 

 淡々とした応答に、俺はそっと背後を振り返った。いつのまにか立っていたのは、叢雲だ。

 黒のジーンズに藍のセーターという地味にな私服で、ポケットに両手を突っ込んで立っていた。

 周りの艦娘が不思議そうな顔を向けているのは、叢雲の私服姿と言うのが相当珍しいからだろう。

 

「ちゃんと渡してくれたわよね?」

「葉隠なら心配ない。それにしても君があんな書物を、わざわざ借りてまで読むやつだったとは思わなかった」

「読むわけないじゃない」

 

 あっけらかんとした応答に、思わずまゆを寄せる。

 叢雲は肩を軽くすくめて当然と言わんばかりに、

 

「本って、借りたからには返しに行かないといけないでしょ?つまりはソウちゃんに会う口実をつくるために借りたのよ。あんな難しい本、私が読めるわけないじゃない」

「胸を張って言うような内容じゃないだろ。道理で、10年も経ってるのに傷1つない新品同様の本だと思ったが…………」

「あ、そんな呆れ顔をして。あれは一生懸命傷がつかないように大切にしていたからよ。一項も読んでないわけじゃないんだから」

 

 わけのわからない言い訳がかえってくる。

 

「せっかくの休暇だ。いつまでも鎮守府にいないで、ゆっくり休め」

 

 俺の声に、叢雲は切れ長の目を俺に向けて、にっこりと微笑んだ。

 

「そうするわ。今日はゆっくり休ませてもらって、明日からまた頑張って働かないと」

「大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃない、なんて、2度と言わないわよ」

 

 思いのほか、活力のある声であった。

 見返せば、叢雲はかすかな微笑を浮かべて付け加えた。

 

「それに、変人に、これ以上、振り回されるわけにもいかないからね」

「意味深にも聞こえなくない言い方だな」

「意味深に聞こえるように言ってるのよ」

 

 例によって切れ味のよい駆逐艦だ。

 右手の缶コーヒーを飲み干してから、俺は静かに執務室へと足を向けた。

 とたんに背後から、

 

「ありがとうね、司令官」

 

 聞き慣れた声で聞き慣れぬ言葉が届いた。

 思わず振り返れば、まっすぐな目を向ける叢雲の姿がある。

 その目元に言葉にはならない多くの感情が垣間見えた。かける言葉なんて持ち合わせているはずもない。数瞬戸惑って、とりあえず偉そうに応じてみた。

 

「例なら、山本常朝に言ってくれ」

「嫌よ、軍神八幡に言ってるんだから」

 

 再び切れのいい応答が聞こえて俺は苦笑した。この場ではどうも頭の回転の速さは、向こうに分があるらしい。

 じゃあね、と告げて叢雲は身を翻した。

 そのままフロアを抜けて、ドアをくぐり、陽ざしの下へと抜け出していく。

 俺はただ目を細めてこれを見送るばかりだ。

 5月の陽光に溶けていく叢雲の足取りは、まばゆさと優しさと律動感という、彼女らしい輝きを、わずかも失っていなかった。






次回からは赤城視点中心となります。また、少しずつ提督である八幡の正体が少しずつ明るみになっていきます。
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