民間軍事会社"鎮守府"   作:sakeu

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「起きないか、赤城」

 

 聞き慣れた声に目を開けると、眼前に提督の姿の顔があった。いつもは柔和な表情なのだが、今日は何処へやら、少々不機嫌そうな顔をしている。

 私は背筋を立てて、周りを見渡した。机がたくさん並んではいるが人一人も見当たらない。

 私はようやく食堂の机に突っ伏して寝ていたことに気づいた。

 

「…………どうして、ここに?」

 

 私の声に、提督は冷ややかな一瞥を投げかけてから、向かいの椅子に座った。

 

「たまたま、ここを通ったら赤城を見つけたんだよ。どうしてここで寝ているのか少々心配だがね」

「…………大丈夫です。ちょっと疲れていただけです」

 

 深夜の0時に、例のごとく深海棲艦が警戒範囲内に侵入してきたのだ。

 夜警の当番であった私は、出撃こそはしなかったものの鎮守府内を走り回ってかなり大変だった。ようやく交代したのが夜の2時。そのあと一息つこうとここまで来たところまで記憶にあるが、そこから先は曖昧だ。よだれも垂らして寝ていたのだから、瑞鶴に見られなかったのが、唯一の救いだ。

 チラリと提督の方に目を向けると、ただ1人の目撃者はくたびれた様子で、頬杖をついている。私の視線に気づいたようで、提督は顔もあげずに告げた。

 

「疲れているなら寮に戻るといい」

「お気遣いありがとうございます」

 

 ただし、と提督が付け加えた。

 

「もう2度とこんなところで寝ないように」

 

 うっ、と返答に窮する。

 今夜の提督には元気がない。もともと瑞鶴のように元気を振り回すタイプでもないが、今夜はそれが甚だしい。今夜の指揮を務めているから、という単純な理由ではない。

 

「今も荒れているんですか?」

「いいや、今夜はいつもと比べたら、深海棲艦の動きは活発じゃない。けれど…………」

 

 一度ため息をついてから、

 

「おおいに荒れている」

 

 落ち着いている夜警が、荒れている。

 理由がある。

 今回の作戦の旗艦を務めることとなった加賀さんが数日前から休みを取って、現場にいないのだ。

 表向きは「病欠」だが、ことはそんなに簡単ではない。

 ほんの1週間前、八幡さんと加賀さんが、指示に関して正面衝突をしたのだ。

 八幡さんが、1週間前からちらほらと姿を見せていた深海棲艦について、出撃した方がいいのではないかと意見を言った艦娘を一瞥もくれずに追い返したことが、衝突の発端だった。

 

「大きな艦隊ではないのなら夜に出撃なんてしなくてもいい、夜が明けてから出撃すれば済む話だ」

 

 というのが八幡さんの理屈なのだが、さまざまな鎮守府から寄せ集められた艦娘が全員納得するわけではない。

 

「追い返したことに怒ってはいません」

 

 翌朝、いまだに怒気冷めやらぬ加賀さんが、珍しく眉間にしわを寄せながら口にした言葉だ。

 

「追い返すにしても、一度、説明してから追い返すべきです。説明して、それでも出撃しようとするのなら、無闇に夜戦をするべきではないと、思いっきり怒鳴りつければいいはずです」

 

 "思いっきり怒鳴りつければいい"かどうかは別として、加賀さんの話はたしかに筋が通っている。

 

「指揮官の大変さは、十分に理解しています。でも、こんな状況下で深海棲艦一つ見逃してはいけない。ましてや、夜なんて厳重に注意すべき。そういう緊張感の中でやっているんです。それなのに、あんな態度は話にもなりません」

 

 大きなため息をついて、語を継いだ。

 

「それに、あんな風に言われると…………」

 

 加賀さんの逆鱗に触れた一言は、八幡さんの最後の応答にあった。

 辛抱強く道理を並べる加賀さんに対して、八幡さんは語気を強めて応じた。

 

「俺の判断に口を挟まないでくれないか」と。

 

 その場の空気が凍りついたことは言うまでもない。

 戦を人間に例えると、指揮官はたしかに頭脳の役割だ。だが頭脳のがいくつ集まったところで、握手するのは手であるし、歩くのは足だ。右足をもって左足を蹴飛ばせば、転んで頭を打つだけの話だ。

 八幡さんの発言は、まさにこれだ。

 

「みんなが必死で戦っている中で、あんなことを言われると、手の打ちようがありません」

 

 拳を強く握りしめて、加賀さんはまだ薄暗い朝の空を見上げた。

 

「本当に、くたびれました…………」

 

 しみじみとした嘆息が、黎明の空に消えていった。

 加賀さんが風邪をひいたのは、その翌日からだ。

 以来、艦娘の指揮官に対する態度が、険悪な空気をはらむようになった。きっかけは八幡さん個人の暴言であるが、それが指揮官というひとつの集団に対する抵抗に変じてしまったのは事実だ。

 

「加賀の気持ちもよくわかるが、指揮官との口論くらいで休むのは、一航戦らしくない軽挙だな。指揮がやりにくくてしょうがないよ」

「口論で休んでいません。風邪で休んでいるんですよ」

「そうだったね。八幡さんと口論した翌日から発症した風邪で休んでいるんだった」

 

 普段は優しい提督の声に、珍しく険がある。

 

「やはり空気は相当悪いんですか」

「悪いよ」

 

 提督は、久しく吸っていなかった禁煙パイポを取り出してくわえた。

 

「あれなら喫煙所の空気の方が、まだましだよ」

 

 提督は、まるでタバコを吸っているかのように、大きな吐息を天井に向かって吐き出した。

 

 

 ーーーー

 

 

「で、正義感に溢れた赤城は、再び俺に苦言を呈しに来たのか?」

 

 コーヒーを口につけながらモニターに向かっていた八幡さんが、肩越しに一瞥を投じて告げた。

 八幡さんに割振れた部屋である。

 夜1時。

 私が食堂で居眠りした翌日のことだ。

 ようやく業務を終えたあとに八幡さんを訪ねてみれば、深夜というのにまだ宵の口のような集中力で作戦を考えているようだった。傍に積み上げられた資料は、以前に増してその標高を高め、八方に飛び出した付箋には細かな書き込みも見える。かかる多忙な指揮の業務をこなしつつ、なおこれだけの気力を維持している八幡さんは、やはり尋常な人ではない。

 

「加賀になにか言われた?」

「いえ。場の空気が悪くなって、ギクシャクし始めていることは事実ですが」

 

 私の言葉に、八幡さんは小さくため息をついて、頭を掻いた。

 一見すると恐縮したように見えるが、事実そうではない。その瞳には面白がるような光がちらついている。以前は気づかなかったが、先日、過激な言葉をもらってからは、かえってこの人の特質が見えるようになってきた。要するに、相当食えない人物だということだ。

 しかし、食えない人物でも、今夜は関係ない。

 訪問の理由は、明確に戦場に関係することだ。

 

「八幡さんに相談したいことがあります」

 

 言って私は、持ってきた報告書と写真を取り出した。八幡さんは、面白がるような光を収めて、1人の指揮官の目になった。

 

「今日の偵察のことです」

「ああ、偵察機も飛ばしたんだっけ?」

「報告は敵の本拠地を見つけた可能性あり、でしたが、目立った敵影はありませんでした」

 

 前々から警戒していた場所ではあるが、敵影はまだ確認できていない。

 

「現在、何回かの出撃のおかげで深海棲艦の動きはおさまってはいますが、討ちもらした敵がここへと移動していることから、ここに本拠地か何かがあると考えますが、それ以外の敵影が確認できていないことが、問題です」

「偵察なんて、あまりあてにならんだろ。確認できなくても、実際はいることなんてよくある」

 

 画像を眺めながら、八幡さんは言う。

 正論だ。

 しかし、私はとりあえず反論してみる。

 

「これだけ深海棲艦が向かっておきながら、ほかの敵影は全く見当たらないと、少し気になります。ましてや、大きな艦隊を動かすとなると…………」

 

 言葉を途切れさせたのは、八幡さんがこれ見よがしに大きなため息を吐いたからだ。「これだからダメなんだ」と言わんばかりに、肩をすくめてから口を開いた。

 

「赤城の判断は?」

 

 問う言葉と視線に、鋭利な刃物の閃きがある。

 臆せずに私は答えるだけだ。

 

「いる、と思います」

「他の所での敵影は?」

「確認されてません」

「艦娘たちの状態は?」

「基本的に良好です」

 

 八幡さんは目を細めて、語を継いだ。

 

「それで出撃しないのなら、軍法会議じゃないか?」

 

 非の打ち所がない論法だった。情報を整理すれば、選択の余地のないことが際立って明確になった。

 

「そこから先は軍略的な話じゃないな。艦娘たちと指揮官たちの気持ちしだい。むしろ赤城たちの得意分野だろ、俺に聞く必要もない」

「得意分野?」

「哲学の問題だってことだ」

 

 少し癪に障らなくもない。

 

「私の職責は、艦娘であって哲学者じゃありません」

「ああ、そうだったな。すまんな、あまりにも初歩的なことを聞きにくるもんだから、少し混乱した」

 

 左頬に小さな笑みを浮かべて言う。相変わらず容赦ない。容赦ないことが、しかし不快じゃない。苛烈であっても皮肉であっても、この人は逃げることを絶対にしない。常に最良最善の作戦を、揺るぎない知識と経験の先に提示する。

 沈思する私を面白そうに眺めながら、八幡さんは「飲む?」と新しいカップを取り出した。

 

「いいえ、八幡さんのコーヒーより長門さんの方が好みですから」

「はぁ、あれを美味いというのは君が初めてだ」

「八幡さんが理解できなくて残念です」

 

 少しの皮肉を置いて、そのまま退出しようとしたところで、八幡さんの意味ありげな視線にぶつかって私は足を止めた。

 

「なにか?」

「加賀の件、何もないのか?」

 

 怜悧な瞳の中に、うかがうような気配がある。

 

「何もない、というわけではありません。あの件に関しては、私は加賀さんに賛成です」

「なのに辛口の赤城は、何も言わないのか。この前はあんなにはっきりと言いにきたのに」

 

 意外に、少し気にしているのかもしれない。

 私は一考してから、静かに口を開いた。

 

「八幡さんは、どういう理由であれ最低限の説明はしてきました。どんなに反発する艦娘にも説明はしていましたし、必要であれば資料も提示していました。しかし今回は違います。意見を持つ艦娘を、聞く耳を持たずに無視しています。最初から議論する余地がありません」

「相手がたとえただの戦闘狂であっても?」

「そうかどうかは話さなければ分かりません」

 

 八幡さんは少し虚を突かれたかのように目を見開いた。

 

「真摯に守ろうとしている人なら、八幡さんはいつでも全力を尽くすと言っていました。しかし今回は、その判断材料でさえ用意されてないように見えます」

「…………」

「八幡さんがいくら優れた知識と観察眼を持っていても、艦娘たちに伝えなければその能力を発揮できません。まことに残念なことです」

 

 八幡さんは飲みかけのカップを片手にしたまま、しばし考え込むように目を細め、やがて、軽く目もとに手を当ててから、鎮めたこえで答えた。

 

「今回ばかりは、赤城の…………、というより加賀の言う通りかもしれんな」

 

 意外なことに、率直な応答が返ってきた。

 

「さすがに少し、疲れてたかもしれん」

 

 モニターの電源を切り、ゆったりと椅子に背をもたせかけながら、独り言のようにそう言った。その横顔を見て私は気がついた。

 八幡さんの目もとに、普段以上の疲労感が漂っているのだ。改めて観察すれば、いつもよくない顔色もより一層ひどく、頰の肉が少し落ちたようにさえ見える。

 

「今回は参謀としても参加しているから、提督業と兼務しているんだ。どっちも後回しにできないから、食事と睡眠を後回しにしてる」

 

 ずいぶんと乱暴な論法だ。

 

「だが赤城に気を使われているようでは、本末転倒だな。赤城いじめも、説得力がなくなるってものだ」

「部下をいじめることに労力をそそぐ暇があるなら、ご自分の食事と睡眠に時間を割くべきです。ひどい顔色をしていますよ」

「いつものことだ。それに、その言葉は上司に向かって言うセリフじゃない」

 

 呆れ顔をしたものの、さすがに気になったのか、細い顎を撫でつつ、

 

「ま、少し気をつけよう。人に好かれようとは思わんが、無能と言われるのは、耐えられんからな」

 

 涼しげな、と言ってもいいほどの貫禄がある一言だ。

 私は飲み込んだ気遣いの代わりに、外面だけは、あくまで丁重に告げた。

 

「無敵に見える八幡さんにも、不得意な分野があると知って、いくらか安心しましたよ」

「不得意な分野?」

「"人付きあい"という分野です」

 

 八幡さんが、片眉をピクリと動かした。

 

「知力も論理も八幡さんには遠く及びませんが、この分野はまだ私に分がありそうです」

「言ってくれるな」

 

 余裕の笑みに、かすかに苦笑が混じる。

 

「言いすぎついでに付け加えるなら、加賀さんとは早めに和解しておくべきです。提督としての仕事を効率よく遂行し、参謀としての仕事に充てる時間を確保するための、論理的帰結だと思いますよ」

「知ってるか?赤城。頭の回転の速い部下って、たまに癇に障るものなんだぞ」

「狙い通りの効果が出て、嬉しいです」

 

 憮然として応じれば、今度こそ、八幡さんは小さな笑い声をあげた。

 構えたところのない、ごく自然な笑い声だった。

 

 

 ーーーー

 

 

 今月中に本艦隊による深海棲艦の殲滅作戦。

 それが会議室にいる私たちに言い渡されたものだった。

 本艦隊のみならず、複数の艦隊も組んでの出撃の予定だ。つまり、ここに集められた艦娘はほぼ全員出撃すると考えてもよい。

 

「つまり、判断はやはりあそこにいる、ということですか」

 

 龍三老人の穏やかな声が、会議室に響いた。

 説明をしていた男性が、老人に視線を移して、静かに、しかしはっきりと頷いた。

 

「判断はそうです。現状なら殲滅は不可能ではない」

「それで、出撃ということなんですな」

 

 龍三老人は、白い眉の下の目を細めて考え込むような顔になった。

 その傍らでは、龍三老人の秘書艦の羽黒がただでさえ色の白い顔からさっと血の気が引いている様子だった。そのまま倒れるのではないかと心配になるくらいだ。それでも気丈な態度でいる。

 

「出撃はせず、様子見っていうのはダメですかな?」

 

 老人の微塵も平静さを失わない声が、問いかけた。

 さすがに昔から修羅場を見てきた人物だということだろうか。羽黒に対して、動揺すら見せない。

 

「たしかにこの場所は、まだどのように敵が現れるかはわかりません。しかし、ここに艦娘を集められているのもそれほど長くはないんです」

「つまりは、出撃できるとしたら、今しかないということですか」

 

 男性は黙って頷いた。

 傍らの羽黒は、何かに耐えるような青白い顔で、一心に祖父の横顔を見つめている。

 

「出撃しなければ、ここが火の海になるかもしれない。出撃したらしたで、より危険かもしれない」

 

 老人は軽く目を閉じたまま、読経するかのようにつぶやいた。

 

「こいつはなかなかの難問ですな」

 

 しばしの沈黙ののち、目を開けた老人はほのかな笑みとともに言った。

 

「少しばかり、考える時間をいただいてもよろしいかな?」

 

 柔らかな声に、ただ一同頷いただけだった。

 

 

 ーーーー

 

 

 正解はない。

 それが戦の難しいところだ。

 いるかどうかも確定的ではない場所へ出撃するのが良い結果に繋がるのか。誰も答えを知らない。

 決断を下すのは人間。しかしその先は、神様の領分だ。しかし、神様にゆだねる前に、出来得ることを尽くしておくのが、私たちの領分なのだろう。

 私は、まとまりのつかない思考にため息をつきながら、頬杖をついた。

 カチャンと小さな音に、思わずびくっとして下を向くとペンを落としただけだった。少し、神経が疲れているかもしれない。

 私はもう一度ため息をついてペンを拾い上げ、再び頬杖をついた。

 私はなけなしの気力を鼓舞して、立ち上がった。

 月光の描く幾何学模様を踏み渡るようにして廊下を抜ければ、灯りのない外に出る。海の近くまで足を進めると、人影が見えた。

 ステッキに顎を乗せ、身じろぎもせず眼前の事実夜空を見上げている。近くまで行くと、老人がゆっくりと首を巡らせて振り返った。

 

「おや、赤城さんでしたか」

 

 深みのある声とともに微笑んだのは、予期したとおり龍三老人だった。

 

「こんな時間までご苦労様ですな」

「眠れないのですか?」

「いやなに、柄にもなく月夜に惹かれて出てきただけです」

 

 ゆっくりの空の星々に視線を戻す。

 

「格別、怖くて眠れんわけではないのですよ。正直に言うと、この歳になれば、死というものに対して恐怖が薄れていくものでして」

 

 傍らに腰を下ろしたわたしに、ほのかな笑みを浮かべつつ続ける。

 

「ましてや、何度も死にかけたとなると。今はただ周りにとって一番都合のいい選択は何だろうかと考えるばかりです」

「都合のいい選択ですか?」

「出撃した方が、事が丸く収まるならそれで良し。しない方が誰も傷つかぬなら、それもまた良し、ということですかな」

 

 さらりとそんなことを告げていた。

 胸中にあるのは、当惑だ。驚きとも言っていい。

 龍三老人は悩んでいた。

 だがそれは平和のためにどうすべきかを悩んでいるのではない。この艦隊にとってどれが最善なのかを悩んでいるのだ。出撃した方が平和が訪れるのか、しなかったらどうなるのか。そういう私の思惑の埒外に、最初から老人はいたのだ。

 

「ただ気がかりは孫のことでしてな」

 

 私の戸惑いに気づいた様子もなく、老人は苦笑まじりに嘆息する。

 

「なかなかジジイ離れのできん孫でして。赤城さんたちにもずいぶんと迷惑をかけているでしょう?」

 

 不意打ちである。いささか面食らいつつも、どこか面白がるような様子さえ見せる龍三老人に、慌てて私は答えた。

 

「迷惑なんてとんでもない。むしろ昨今まれに見る情愛深いお孫さんの心根に、私が多く反省させられてます」

「あれは優しい子なんですよ」

 

 私の返答を微笑で流しつつ、老人は続けた。

 

「早くに両親を亡くしてましてな。当時はわしも子を顧みずに戦場に行ってばかりいましたが、あの子を育てるために一念発起してここに来たんですよ。おかげで今は、こんなロクでもない老人を、親以上の親として大事にしてくれるんです。そんな可愛い孫だからこそ、危ない目に会わせたくないと思いつつ、羽黒ももう20過ぎたかと思えば、ジジイ離れをしてもらわないといかんと思うのです」

 

 ポツポツと語り続ける老人の横顔を青い光が照らしている。

 この世界には色々な家族がある。

 私のように親も祖父母がいる人がいれば、親ともにいない人も多い。それでも親戚などがいる分まだ良い方で、八幡さんのように若いのに天涯孤独の人さえいる。

 それに比すれば、北川家の祖父と孫の関係は、少し奇妙な感はあると言えども、愛すべきものと言っていいかもしれない。

 

「出撃をしてみても良いのではないでしょうか?」

 

 ほとんど無意識のうちに流れ出た言葉に、龍三老人が振り返った。

 

「お孫さんを思うのなら、戦う道を選ぶべきではありませんか。その道のりが険しくとも、いや、険しければ険しいほど、あなたがそれを選んだ事実が、いつかお孫さんにとっての励みになるのではないかと思います」

 

 老人は、小さな目を見開いてる私を見つめていた。

 やがて訪れた沈黙の中、骨ばった頰に手を当てて何か思案していたが、

 

「気難しい顔をして黙々と考え込むでいるかと思えば、こんなロクでもない年寄りに、親身になってよりくださったりする」

「私にとって大事なことは、龍三さんがロクでもない年寄りかどうかではなくて、深海棲艦をどう倒すかです。言うまでもありませんが」

 

 こんなときに私は気の利いた言葉が出てこない。心中やれやれとため息をついたところで、ふいに傍らの老人の痩せた肩が小刻みに上下した。おや、と思った時には、龍三老人は堪えかねたように、笑い声を響かせた。

 

「あなたは……、いや失礼、赤城さんは実に愉快な方だ」

「不快と言われるよりは愉快の方がいいかもしれませんが……」

「いや、勘違いしなさらないで。面白がっているのではないのです。たまらなくわしは嬉しいのですよ」

「嬉しい?」

「さよう、嬉しいのです」

 

 少し蒼さました月光の下で、老人は、奇妙なほどに愉快そうに笑っていた。

 

「深海棲艦をどう倒すか。なるほど……」

 

 言葉をとぎらせて、あはは、と笑い声をあげている。

 その声が消えていった後には、いつのまにか目の前に、鶴のように細い手が差し出されていた。

 

「ならば戦場の方をお願いしてもよろしいですかな、赤城さん」

 

 力のある声であった。

 

「もうひと頑張りしてみようかという気になってきました。年寄りのわがままに、力を貸してもらえますかな、赤城さん」

 

 透徹した目が私を見ていた。

 老人の目というより、歴戦の猛者の瞳であった。少なくともこの戦地から退場する老人の目ではなかった。

 そっと痩せた手を握りかえせば、応じるても力強いものだった。

 

「はい、お任せください」

 

 私も敢えて力を込めて答えたのだ。

 

 

 ーーーー

 

 

 瑞鶴がかなり多忙である。

 元来、空母は多忙なのだが、装甲空母という特殊な存在であるゆえに、より一層忙しい。

 そんな時に、

 

「この作戦が終わったら大本営直属の艦隊にに配属されることになりました」

 

 と瑞鶴が、出し抜けにそんなことを言ったのだ。

 どうやら艦娘の1人が結婚を機に退役し、人が足りなくなったためのようだ。

 瑞鶴や加賀さん、私などが所属する横須賀鎮守府は、それこそどの鎮守府よりも多くの空母がいるが、体力や仕事量が、常人と比べてはるかに多い瑞鶴が去る影響は、無視できないだろう。

 

「それよりも、結局出撃することになったんだってね」

「耳が早いですね」

「だって、久しぶり大きな作戦になるから、みんな気が気じゃないんだもの」

「……瑞鶴も緊張しているんですか?」

 

 まぁね、と笑いながら、ソファに腰を下ろした瑞鶴は、しかし妙に落ち着かない様子でいる。

 

「どうかしましたか?」

 

 さして意味もない言葉に対して、瑞鶴の反応はいつもと違う。少し考えるような顔をしてから、答えた。

 

「今回の作戦の旗艦、私がすることになったの」

 

 私は思わず瑞鶴の方を顧みた。

 頭の中で、今聞こえてきた言葉を2度繰り返して、それから瑞鶴をもう一度見返した。

 

「横須賀から出ていくための卒業試験だって。さっき、提督から言われたんです装甲空母として横須賀でやってきたことの成果を見せてくれって」

「瑞鶴が旗艦を?」

「そんな不安な顔をしないでくださいよ。私だって緊張しているんですから」

 

 なるほど、こうして相対してみれば、常ならずぎこちなさが垣間見える。

 横須賀一能天気さに加えて、楽天家という、緊張とは無縁のようなこの艦娘が、とても塩辛い緊張感を醸し出している。

 

「まぁ、艦娘にとって、旗艦をやり遂げるのは登竜門ですからね。いつかはやらないとっては思ってたんだけど、こんな大きな作戦でだなんて思いませんでしたよ」

 

 後輩にとって、これは1つの試練なのだ。

 私が想像のつくものではないが、その横顔を見れば明らかだ。

 黙って見守る私の視線に気づいて、瑞鶴は困ったような顔をした。

 

「だから、そんな心配そうな顔をしないでくださいよ」

「心配はしてませんよ」

 

 敢えてはっきりと応じる私に、瑞鶴がかえって戸惑い顔をする。

 

「提督が任せたのではあれば、そういうこと。微塵も不安はないですよ。きっちりと深海棲艦を倒してくれればいいんです」

 

「うん」と瑞鶴は、大きくうなずいて見せた。

 私は瑞鶴から視線を外したものの、背後の気配が妙に希薄なせいで、そっと肩越しに振り返った。

 瑞鶴はソファに腰を下ろしたまま、視線を眼前の机に投げ出し、じっと考え込んでいる様子だ。頭の中で、きっとすでに戦地へと向かっているのかもしれない。

 "第一次攻撃隊。発艦始め!"の一声とともに、戦闘が繰り広げられているのだろう。

 瑞鶴は焦点を失ったまま沈黙し、脳裏に描く手順をひとつひとつ進めている。

 私は後輩の頭の中の戦闘を中断させぬように、そっと立ち上がった。

 瑞鶴は瞬きすら忘れたかのように、微動だにしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これからの投稿頻度ですが、月2話を目標にしていきたいと思います。もちろん、これよりももっと多い頻度になるように努力はしますが……少々厳しいかもしれません。とりあえず、ゆっくりと次回をお待ちください。

※一応、第3章のシナリオは頭の中では終わっています。で、早すぎるとは思いますが、次の章にいくつか候補があってどれから始めようか迷っています。そこで、活動報告の方にてアンケートを取りたいと思っています。回答してくださると大変ありがたいです。また、忘れている人も多いかもしれませんが、もう一つのアンケートも受け付けています。そちらの方も何かあれば回答してください。よろしくお願いします。

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