民間軍事会社"鎮守府"   作:sakeu

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 猛暑となる日が続いている。

 夏は暑いものだと言うが、さすがにこの気温が毎日続くのはきつい。

 日中、燦々と日が照っているおかけで、海の上にいる私たちは気温以上の暑さを感じる。太陽の光と海が反射した光のおかげでより熱せられているのだ。

 その上、ジメジメとした空気も相まってより私たちの戦意を削がれつつある。入る分には海は最高なのかもしれないが、ただ上で滑っている私たちにとっては砂漠かそれ以上の厳しい環境となっている。

 そんな暑さを遮断している鎮守府内で、私はとある部屋へと足を進めた。

 この殺伐とした状況の鎮守府の中で、のびやかな空気の漂う部屋は、気分転換の趣さえある。

 

「あ、お久しぶりです!赤城さん!」

 

 部屋の扉を開けたところで、そんな大声で出迎えたのは、私と同じ空母の飛龍だ。橙色の緑色の袴姿でショートカットの女性だ。

 もともと横須賀鎮守府で一緒に戦っていた艦娘で、私たちとともに修羅場の横須賀を支えていた主力だ。瑞鶴に劣らずの元気っ娘で、常に動いているか食べているような印象がある。それとは対照的に訓練はスパルタ気質で、どこか佐久間さんと似てなくもない娘だ。今は別の鎮守府に勤めている。

 この飛龍も同じようにこの鎮守府へと招集されていたのだが、なかなか顔を合わせる機会がなかった。

 

「どうです、少し一服していきますか?」

 

 言いながら手招きしつつ、奥の方へと誘ってくれる。

 

「明日は瑞鶴の初めて旗艦として出撃するんですよね?」

 

 先に立って歩く飛龍が明るい声で告げた。

 

「耳が早いですね」

「この前提督が連絡してきたんですよ。瑞鶴が大本営に行く前に、大将首をあげさせたい。でも、旗艦は荷が重すぎるかなって」

 

 私たちの提督は、猪突の人物ではない。慎重に慎重を重ねる人だ。迷いがあったときに、気負いなく私たち艦娘に相談を持ちかけるのは、昔から変わらない風景だった。

 

「なんと答えたんですか?」

「知りません」

「え?」

「知りませんって言ってやりましたよ」

 

 あはは、と大声で笑いつつ、

 

「私が見たことあるのって、艦娘になりたての頃だけですから。今の瑞鶴なんて見たこともないのに、そんなこと知りませんって言ってやったんです」

 

 なかなか乱暴な人だ。乱暴ではあるが、声の温かい人だ。

 でも、と肩越しに振り返りながら続けた。

 

「私も赤城さんたちも、今の瑞鶴の頃にはすでに旗艦は勤めましたよ。そう言ったら、勝手に納得しましたよ」

 

 飛龍と私たちの頃のことが今と同じようにいくわけでもない。でも、心意気は同じなはずだ。

 大切なことは、指揮官や先輩、教官たちの誰もが、面は笑顔で背中に冷や汗をかきながら、後輩や部下の育成を行なっているということだ。

 かくいう私も、佐久間さんから受けてきた指導の数々は、言葉にはならない重みがある。重みがあると言いつつも、その本当の重さは、なお歳月を経なければ分からないだろう。

 

「ところで赤城さん」

 

 ふいに飛龍の声が、私を記憶の泉から引き揚げた。

 

「そちらの方も大変そうですね。提督が言ってましたよ。せっかく引っ張ってきた軍神が、結構な暴れっぷりだと。私には手に負えませんって嘆いてましたよ」

 

 苦笑しつつ、奥の部屋の扉の向こうに足を踏み入れると、先客があったことに気づいて足を止めた。思いのほか広い部屋のソファに、のんびりと腰かけた長身の女性がいる。のんびりと羊羹を頬張っている先方は、私を見ても驚きもせず軽く肩をすくめただけだ。

 

「こんなところで何やってるんですか、加賀さん」

 

 ごくんと飲み込んでから、

 

「一息です」

 

 端的な言葉をが応じた。

 そのしなやかな声に重なるように、

 

「赤城さん、コーヒーでいいですか?」

 

 飛龍の声が響いた。

 

 

 ーーーー

 

 

「まだ病状が芳しくないって聞いてましたが」

 

 加賀さんの向かい側に腰をおろしながら、つい皮肉がこぼれてくる。

 言われた方の加賀さんは、細い眉を片方だけ動かしたから、再び羊羹を口にした。

 

「今日、やっと解熱したんです」

「解熱したばかりの身体で、そんなに食べるなんて、加賀さんらしからぬ軽率な処置ですね」

「もう一度体調を崩して、復帰先伸ばそうと考えているんです」

「艦隊の娘たちは、加賀さんの復帰を心待ちにしているんですが…………」

 

 少し声音を低くして、眉を寄せれば、さすがに加賀さんは軽口を収めた。

 

「冗談です。赤城さんに怖い顔は似合わないわ」

「加賀さんの言うとおりですよ。赤城さん、そんな不機嫌な顔をしないで」

 

 自らも羊羹に口をつけながら、飛龍が傍らのソファの傍らの椅子に腰をおろした。飛龍にたしなめられては、ぶらさげた不景気面も片付けざるを得ない。しかし、

 

「どうしてここに加賀さんが?」

「ガス抜きですよ」

 

 答えたのは飛龍だ。

 

「珍しくくたびれた様子で、ここに顔を出しに来たんです」

 

 言われて改めて得心した。

 たしかにこういう時、飛龍のような明るい娘といると普段から溜まってきたストレスが解放されるような感覚に陥る。

 

「おまけに飛龍、あなたが異動になった時に蒼龍までも連れ出して行ったから、私には、こっちの方が居心地がいいかもしれないわ」

「そうですね。私たちの鎮守府は楽天家な人が多いですから。色んな人が顔を見せたりしますよ」

「私は別に、好きで来ているわけでもないわ」

「そんな恨めしそうな顔をしないでくださいよ。だから異動するときは、加賀さんも一緒に来ませんかって誘ったじゃないですか。横須賀よりも楽ですよ」

「私は楽をしたくて艦娘になったわけじゃないの」

 

 お茶を一口飲んでから、湯呑みを置いた。その手で、すぐにもう一切れの羊羹に手を出す。

 

「あ、今日はまたたくさん食べますね。せっかくだからもう一本持って来ますよ」

 

 そんな言葉にさすがの加賀さんも慌てたが、飛龍は明るい笑い声とともに出て行ってしまった。

 部屋に残ったのは、空の皿と、微妙な沈黙だけだ。

 

「意外と…………」

 

 私はおもむろに口を開いた。

 

「愛されていますね、加賀さん」

「意外と、は余計です」

 

 軽くため息をつきながら、卓上の湯呑みを再び手に取る。

 

「言っておきますが、赤城さん。風邪というのも本当ですし、今朝から解熱したのも本当です。最近はいそがしいから免疫力が低下していたかもしれません。明日にはきちんと復帰します」

「何よりです。加賀さんのいない戦場で戦うのは、片手で弓を扱えと言われているようなものですから」

「なんですか、それは」

「やれと言われればできないことはないかもしれませんが、大変な上にまともに狙いを定めることができません。要するに、そんなことはしない方がいいんです」

 

 かすかに加賀さんは苦笑した。

 

「おまけに加賀さんが休んでからの現場は、とても雰囲気が悪いんです」

「それは仕方ありません。旗艦と指揮官が真っ向からぶつかった後ですから。我ながら、今思い出しても頭にくる話です」

 

 "俺の判断に口を挟まないでくれないか"

 八幡さんの暴言が思い出される。

 

「八幡さんの発言は、少々度を越しています。加賀さんが怒らないと、他の艦娘たちの収まりがつきませんよ」

「頭にきたのは、八幡さんに対してではありません」

 

 加賀さんは湯呑みに視線を落として、

 

「あの程度のことで、本気で頭にきた私自身に腹が立ったんです」

 

 意外な応答に私は口をつぐんで見返した。

 

「提督たちは提督たちの色んな事情があります。それを全てひっくるめて現場を回すのが旗艦の仕事です。そんなことはわかりきっているのに、八幡さんの言葉に本気で頭にきた私に頭にきました」

 

 結局、ともう一度大きくため息をついて言った。

 

「自分の未熟さにへこんでいるんです」

 

 少し厳しすぎる自己評価だ。しかし、そんな見地に立脚してこそ、今の加賀さんがいるはずだ。私が浮薄な論評を加えれる話ではない。

 

「はぁ、私が提督になっていれば、こんなことで悩むこと必要もなかったのに…………」

 

 何気なく投げ出された愚痴に、むしろ私は驚かされた。

 

「加賀さんは提督を目指してたんですか?」

「高校生の頃の話です。士官学校に行くには、英語と数学と国語と理科と社会の点数が少し足りなくて」

「念のため、何が足りていたのか聞いておきたいんですが…………」

「気合いです」

 

 うまくはぐらされたようで気勢をそがれたが、ふと思い当たったのが、今はその立場の八幡さんも歳上とはいえ、相当若いということだ。

 かつて加賀さんが、提督を目指していたのなら、加賀さんの目に映る八幡さんの姿は、また違う意味を持つかもしれない。

 

「まぁ、うじうじしているのも私らしくありませんね。六根清浄六根清浄」

 

 唐突に念仏などを唱えて、加賀さんは湯呑みの中のお茶を全て飲み干した。

 そんな姿を眺める私の胸中には別の想念がある。

 加賀さんが、指揮官にでもなっていれば、それはそれで現場に大きな存在感を示していただろう。しかし、加賀さんが正規空母であるからこそ、この厳しい戦場の中でも戦い続けれる人もいることは事実だ。何より私がそうだ。自然と生じる謝意の数々は、簡単に言葉にはできない。

 ゆえに私は、ただそっと感謝を込めて言い添えた。

 

「早く戻ってきてください。いつまでも片手でいるのは大変なんですから」

 

 ちらりと一瞥を投げかけた加賀さんが、かすかに微笑んだ。

 束の間満ちた沈黙を、にわかに押し流したのは、外から聞こえてきた飛龍の笑い声だ。壁越しの笑い声は、扉が開くとともに、室内に飛び込んできた。

 

「加賀さん、もう1人お客が来てますよ」

 

 飛龍がそう告げた。

 私と加賀さんが顔を動かした先にちょうど入って来たのは銀髪ロングの女性だ。

 あら、と私がつぶやくのと、先方が私を見つけて軽く目を見張るが同時であった。

 

「これは…………いつのまにか横須賀の空母寮が、ここに移動していたんですか?」

 

 五航戦の翔鶴であった。

 飛龍が渡した湯呑みを受け取りながら、加賀さんは気のおけない口調で迎えた。

 

「よくここにいるのが分かったわね」

「昨日、加賀さんが見ないなと思ったら、病欠だと聞いてまして。だとしたらここにしか居場所はありませんよね」

「いろいろ反論したいことがあるんだけど…………」

「でもまさか、赤城さんまでいるとは思いませんでした。2人っきりの方がよいですよね?」

「私も反論させてもらってもいいでしょうか?」

 

 思わず口を挟んだ私に、翔鶴は愉快げに笑う。

 

「赤城さんはたまたまここに来たんです」

「そうですか」

 

 ずいぶんとお気楽な会話が交わされている。

 飛龍は、またもう一つの羊羹を持ってきて、

「はいどうぞ」と机の上に置いた。

 いつのまにやら飛龍の部屋に、加賀さんや翔鶴と、横須賀鎮守府のかつての同僚たちが机を囲む格好になっていた。

 

「で、どうなんですか、軍事会社からきた八幡っていう人は?佐久間さんの教え子って聞いてましたけど加賀さんを怒らせるぐらいなら、佐久間さんに似て豪傑な方なんですか?」

「私の知る限りでは…………」

 

 と翔鶴が言う。

 

「とても素晴らしい指揮官だと思いますよ。指示は正確で分かりやすいし、優しい人です」

「あなたって本当に人を見る目がないわよね」

「私は加賀さんの味方ですよ。いつでも私たちのところへ…………」

「楽をしたいわけじゃないと言ったはずだけど、飛龍」

 

 ジロリとひと睨みする加賀さんに、翔鶴が穏やかに続ける。

 

「飛龍さん、妙な勧誘は困りますよ。加賀さんが移ってしまったら、士気に関わります。横須賀鎮守府は加賀さんがいるから成り立っているんです」

「あら、五航戦にしては、気の利いたことを言うのね」

「後輩の私たちは、加賀さんたちの背中を見て育ってますからね」

 

 臆面もなく告げる言葉に苦笑しかけた私が、そのまま笑みを保留したのは、翔鶴の言葉のどこかに、不思議な熱を含まれているように感じたからだ。

 おや、と視線を巡らせれば、加賀さんの珍しく戸惑う様子を見せている。対する翔鶴は穏やか笑顔のまま、加賀さんを見つめているだけだ。

 一瞬な複雑な沈黙のあと、ため息が吐き出された。

 

「よく言うわ、軽薄五航戦」

「軽薄とは心外です、戦闘時もプライベートも真摯であるのが、私のモットーなんです」

 

 複雑な顔をする加賀さんと、にこやかな翔鶴の間に、目に見えない何かが往来しているらしい。

 私がいなかった間に何かあったのか、と胸中で思案しているところで、飛龍がこっそりと耳元で囁いた。

 

「ね、こういうところは、いろいろ面白いことが見れるでしょう?」

 

 アハハっと笑ってから、飛龍はすぐに何事もなかったかのように、好物の羊羹を口に運んだ。

 私はとりあえず、沈黙のまま、湯呑みを傾ける。中身はすでにない。すでにない湯呑みを傾けながら、眼前の、2人を眺めやった。

 

 

 ーーーー

 

 

 加賀さんが復帰した日の夕方6時。

 自分の業務を終えて、軍港に足を運んだ私は、海を見渡して、かすかにため息をついた。瑞鶴を含め、多数の艦娘がこの鎮守府にいない。

 まだ戦闘は終わっていないらしい。

「お、赤城、おつかれ」と太い声をあげてたのは、海の方を向いてタバコを吸っている佐久間さんである。普段なら元帥として忙しい身であるはずなのに、こんな場所にいるのは大変珍しい。

 

「出撃した艦隊はどないなった?」

 

 何気ない口調の中に、ささやかな気遣いを含んだ声が聞こえた。

 

「4時過ぎの報告では、まだ終わる気配もありませんでした。その後の経過は分かりませんが、まだ戦闘中だと思います」

 

 そう、この日は瑞鶴を旗艦とし大艦隊による、殲滅作戦が実行されたのだ。私は鎮守府の護衛として出撃はせずにこの場所に残っている。

「そうか」と呟きつつ、佐久間さんは、手元の資料をパラリとめくっている。それを覗き込んで驚いた。

 

「佐久間さんが作戦の考案者なのですか!?」

 

 そこには今日の作戦の内容がこと細やかに書かれていた。本来なら、指揮官たちが持つものであり、今日来たばっかりであるはずの佐久間さんが持っている。それなら、この作戦を佐久間さんが立てたと考えるが、そんな話は聞いていない。

 

「わしのちゃうで」

 

 私の疑問を汲み取った佐久間さんが、表紙を見せた。

 

「八幡さんですか?」

「なんや、赤城、知らへんの?今回の作戦を含めて、ほとんどはたちゃんが考えてん」

 

 再び私は驚いた。

 たしかに八幡さんは参謀の役を担っていると言っていた。しかし、この資料を見る限り、八幡さんがやって来てからの作戦全てを彼が考えていたことになる。

 

「さすがのはたちゃんも連日連夜、働いて限界に達したんやて。今夜一晩だけ休ませてくれってわしに泣きついたわけや」

 

 はたと思い当たったのは、先日、私が相談しに行ったときの、八幡さんの妙に疲れ切った様子だ。あの日の時点で相当疲労が溜まっていたのだろう。

 それにしても、元帥であろう人が直々に代打に出てくるなんておかしな話だ。それほど、八幡さんが信頼しているのか、頼る人がこの人しかいないのかはわからないところだ。

 中に入ろうや、と指をさして佐久間さんは踵を返した。向かう先は、鎮守府内の広間だ。

 広間に移動し、ソファに腰を下ろしながら、

 

「赤城も一緒に電話番やらへん?こないな時、わし1人じゃ怖うな」

「言葉と表情が一致してませんよ」

 

 ニヤリと笑った佐久間さんは、「冷たいなぁ、赤城は」などとぼやきながら、机の下から将棋盤を取り出して、無造作に並べ始めた。どうして将棋盤の在処を知っていることは、何も言わずにしておく。

 要するに「相手をしろ」ということだ。

 私は6時半を示す掛け時計を一瞥してから、佐久間さんの向かい側に腰を下ろした。

 

「はたちゃんからの賄賂」

 

 と佐久間さんが駒を並べつつ、傍らのコーヒー缶を示した。私は黙って赤い缶を手に取る。

 

「駒落ちにしますか?」

「余裕やんけ、赤城」

「これでも自信がありますので」

「じゃ、一枚落とすで」

 

 言いながら、佐久間さんは私の陣中から飛車を取り上げた。のみならずそれを龍へと返してから、自身の王将をのぞいた場所にパチリと指した。

 王の代わりに龍がいることになる。

 

「これ、わしの王将な」

「随分と強力な王ですね」

「なに、赤城には敵わへん」

 

 ひと睨みする私を意に介さず、佐久間は飄然と笑って、歩を進めた。

 私は軽く額に手を当ててから、とりあえず櫓を組むべく、金将を動かした。

 

 

 ーーーー

 

 

「八幡さんは、なぜ軍隊を辞めて、あの会社に勤めているんですか?」

 

 攻めよせる佐久間さんの先鋒部隊に構わず、私は地道に守りを固めながら、声を鎮めて問いかけた。

 なるべく何気なく問うたつもりだが、佐久間さんはニヤリと意味深に笑う。

 

「はたちゃんになんか言われたんか」

「なぜです」

「自分が派遣されたばっかりの時は、何にも聞かへんかったやんけ。もともとそないなことには首を突っ込まへん赤城が、今更はたちゃんの昔話を聞きたけどるなんざ、なんかあったと考えるのが筋やろ」

 

 相変わらず鋭い。

 

「手厳しい論評を受けました」

「どうせ、1人の軍人として覚悟が足りへんやら、そないな話やろ」

 

 困った奴や、と佐久間さんは笑う。

 その指が、自陣の桂馬を大きく動かす。悪手だ。守りの要を自ら崩した佐久間さんの陣営は、隙だらけなのだが、王将だけは飛車の動きで縦横無尽に動くから、攻めにくいことこの上ない。

 

「あいつが軍隊に入ってきたのは、わしが左官のころやった。あの頃は優しゅうて懐の広い上司の下で、のびのびと鍛えとったもんや。元来が生真面目なやつで、今よりもツンケンしとったけど、とにかくどないな命令も二つ返事でうけとったさかい、上にはえろう気に入られとったもんや」

 

 真剣な話にもあちこち狸芝居を入れてくるのはいつものことだが、黙殺する。私は攻め込んできた角を袋叩きにしてから、問うた。

 

「その、気に入られてた八幡さんが、突然退役をして、民間軍事会社を立ち上げるなんて、ずいぶんと奇異な気がします」

「ま、普通に考えれば変やな」

「何かあったんですか?」

「もちろん、あったさ」

 

 さらりと言ってから、意味ありげな一瞥を私にくれて、

 

「聞きたい?」

 

 私は一瞬躊躇する。

 

「…………聞きたくないと言えば、嘘になりますが」

「教えてやらん」

 

 ニヤリと笑った。

 

「聞きたければ、はたちゃんに直接聞くとええ。わし、個人情報を流してはたちゃんに恨まれんの、いやさかい」

 

 はぐらかす言葉に、私はあくまで動じない。この程度で動じていては、佐久間さんのもとで何年も乗り越えれるわけがない。

「そうします」と答えて、先程討ち取った角を指した。

 

「私にとって大事なことは、八幡さんの過去ではありません。八幡さんの論評に対してどうするべきか、ということの方ですから。兵士は、目的を見失って、道具に成り下がってはいけない、と。目を覚まされるものがあります」

「まじめやなあ」

「八幡さんのことですか?」

「2人とも、や」

 

 遠慮せずに攻める私を、佐久間さんはおどけた笑みで返した。

 

「古風なんやで、あいつは」

 

 ポツリとつぶやくように佐久間さんが言った。

 その手はいつのまにか盤上を離れ、その目は盤上に向けられつつも、ここではないどこかを見つめている。

 

「八幡はああ見えて、恐ろしゅう古風な男なんやで」

「古風、ですか」

「戦士は、人生を捧げるくらいの覚悟が必要かて本気で考えとる。平和主義っていう鉄砲玉が飛び交う戦場で、いまだに日本刀を振り回してるようなものや」

 

 奇妙なたとえ話でありながら、不思議と違和感を覚えなかった。時代遅れの侍に、佐久間さんはたしかに共感していた。いや、共感にとどまらない。佐久間さんもまたら侍の1人であった。それも、自分自身の理想を実現するために、大本営という最前線で戦い続ける孤高の侍であった。

 

「こないなせんない現場やさかいこそ、あないな奴がおらへんとあかんのや。あいつの振り回す刀は相手を選ばへん。戦士としてなってへん思たら、たとえ相手がわしであっても遠慮のう斬りかかって来るやろう。負け戦ばっかりの戦場に、あないな奴がおってくれると、意外に心強いもんなんやで」

 

 意想外の言葉に軽く目を見張ると、佐久間さんは缶コーヒーに手を伸ばしながら、ちらりと目を向けて、付け加えた。

 

「こんなんわしが言うたなんて、はたちゃんに言わんといてや」

「言いませんよ、言ったところで八幡さんは信じないでしょう」

「なるほど、そらそうだ」

 

 笑いながら、再び盤上の上の龍を手に取った。

 

「ま、外から飛んでくる鉄砲玉くらいわしが防いだれる。赤城は自分の信じる道を歩けばええ。ただし生き急いだあげくに、勝手にこけて大怪我だけはせんようにな」

 

 ほとんど何気なく投げ出された最後の一言が、わずかに遅れて胸を打った。まるで打ち上げた花火の轟音がら光に一瞬遅れてから届くように、深く、重く、殷々と心の奥底を打ち鳴らした。

 思えば、佐久間さんの親友が亡くなってから、半年も経ってない。

 よく私に話していた親友と歩んできた期間は、30を超える。つまり私が生まれる前から戦い続けてきたのだ。その戦場で、唐突に佐久間さんは、右腕どころか半身を失ったのだ。

 少なくとも外面上は大きな変化はないものの、佐久間さんの受けた衝撃は計り知れない。

 

 "鉄砲玉は防いだれる。ただし、勝手にこけて大怪我だけはせえへんように"

 

 そのささやかな一言に秘められた切実な何かを、私は直感していた。打ち上げ花火の影響は、なお空気を揺らしながら、ゆっくりと遠のいていくようであった。

 しばしの沈黙は、しかしある人物の闖入により中断された。

 

「お邪魔でしたか」

 

 そう言ったのは、提督だ。頭を自分の右手で撫でながら、遠慮がちに広間を一望する。

 

「珍しいですね、元帥殿。こんなところに顔を出すなんて」

「まあな、瑞鶴はまだ時間がかかるかいな?」

「ええ」

 

 提督が柔らかな微笑を浮かべた。

 

「提督が、自分の部下を心配してるんですかい?」

「心配というほどではありません、ただ」

 

 顎に指を添えながら、

 

「それなりの年月をともに過ごしてきた仲間ですからね。瑞鶴の卒業試験を無事乗り越えた暁には、ぜひ祝いの一言も添えてやりたいと思っただけです」

 

 仲間、という表現が、いかにも提督らしい涼しげな響きを持って聞こえた。

 佐久間さんが面白そうな顔を私に向けて、

 

「なんや、瑞鶴もずいぶん愛されてるやんけ」

「そのようですね」

 

 なにやら不思議な面々が揃ったものだと見回すうちに、またもう1人やってきた。

 今度こそ瑞鶴が来たかと、全員が振り向けば、案に相違して私服姿の広瀬さんであった。

 佐久間さん、提督に私と、異色の3人組が一斉に振り返ったことに、広瀬さんの方が驚いたようだ。

 

「な、何ですか?」

「何というほどでもありませんよ」

 

 とりあえず私が応じる。それを引き継ぐように佐久間さんが言う。

 

「広瀬こそどないしたんや。今ははたちゃんのもとで働いてるんちゃうんか」

「いえ、その瑞鶴が今回の作戦の旗艦だって聞いたものですから…………」

 

 ソファをかこむ3人が思わず顔を見合わせる。その反応に、広瀬さんはますます訳がわからないといった顔をする。

 

「そういう佐久間さんたちこそ、何かあったのですか?」

 

 広瀬さんの当惑もやむを得ないだろう。

 日頃は、顔を合わせることも少ない面々が、所在無げに支えを囲んでいるのだ。ここに広瀬さんも加われば、はたから見れば奇異に違いない。

 

「各別、問題はありませんよ」

 

 困惑気味の広瀬さんに、おもむろに応答したのは提督だ。

 

「それよりも、こんな時に、娘さんを置いて来て大丈夫ですか?」

「大丈夫です。娘も訳を話すと分かってくれる歳になってきましたし、僕の母親もついていますから。それよりも佐久間さんたちこそ大丈夫なんですか?」

「問題ありませんよ。仲間を送る大切な日なんですから」

 

 そんな言葉に、落ち着いた笑声が和した。

 瑞鶴が旗艦を務める大作戦が終わりを告げたのは、それからおよそ2時間後のことだ。




引き続き活動報告にてアンケートをしていますので、よかったらお答えください。

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