忘年会をやろう。
そう言ったのは、この鎮守府の中で一番酒癖の悪い隼鷹であった。そんな彼女の提案に眉をひそめたのは言うまでもない。
「そんな嫌な顔しないでくれよ〜」
「日々の行いが物を言うんだぞ、隼鷹」
「まあまあ、そんな堅いこと言わないで。今年1年は色々あって大変だったから、その慰労の意味も込めて、ね?」
たしかに彼女の言うことも一理ある。
今年は航との再会から始まった。その再会も良い風をもたらすことには至らず一悶着もあった。その上、橘さんとの別れもあった。叢雲の昔の教師がやって来たり、横須賀からの派遣で赤城が来たかと思えば、今度は俺が派遣に出たり。その派遣先でも色々あった。
こうして振り返ってみると、今年1年はなかなかに濃ゆいものであった。それにこの会社が設立してから一番忙しい年でもある。評判がうなぎ登りであることを証明するのだが、しかしこの少ない人手だとやはり大変だ。だから隼鷹の言っていることも理解できる。
「まあ皆に疲れを癒してもらいたい、と言う気持ちは常からある」
「そうだろそうだろ?」
「だが」
「だが?」
「その忘年会の主催者が君であることが不安なんだよ」
そう、隼鷹の提案の最大の問題点は主催者が隼鷹であるという点なのだ。
別に俺は隼鷹のことを嫌っているわけではない。この鎮守府では比較的年配、つまり俺と歳も大して変わらぬ彼女は、後輩の面倒見がよい。頼れる先輩という評判も耳にするくらいだ。現場でも彼女の経験が活きる場面も少なくない。
しかしその良い所も打ち消してしまうほどに酒癖が悪い。ほぼ毎日、アルコールが入っているし、ひどい時は朝から匂わせているくらいだ。まだ実害はないが、いつか酒が入ったまま戦場に飛び出すんじゃないかとこちらがヒヤヒヤしている状態だ。
「大丈夫だって、鳳翔さんにも話をつけといたからさ。あとは提督が許可してくれるだけなんだぜ?」
「そういう所は手際がいいんだな」
少し睨みながら言ったものの、隼鷹は意に介した様子もなく、
「だろ?いい酒もたくさん仕入れたし、みんなでパーっとやろうぜ?」
「…………はあ、わかった。こっちも執務室にこもりっぱなしで皆と話をする機会すらなかったからな。いい機会だろう」
「よし!そうなれば、あとはいつやるかを決めるだけだ。そこは提督が調整してくれるよな?」
「ああ。決まり次第、君に伝える」
ヒャッハー、とどこぞの世紀末の人のような声を上げながら彼女は執務室から出て行った。
さっきは簡単に隼鷹の頼みを聞いたが、言うほど簡単じゃない。既存の計画を崩しながら、忘年会をねじ込まなければならない。2日酔いも予想されるので、最低でも2日は休みを作らないといけない。
と、あれこれ思案しているうちにその日の執務を終えたのであった。
ーーーー
「みんな!酒は持ったか?」
「ああ、全員に飲み物は渡ったぞ」
すでに酒の匂いを漂わせている隼鷹は、食堂のど真ん中に立ち上がって周りを確認した。
「あいつもう酒飲んだのか?」
「いつものことでしょ、今更気にする必要もないわ」
俺の横で叢雲が呆れながらそう告げた。
主催者は自分だからと、隼鷹がすすんで音頭を務めたがこの有様だ。
「よっしゃあ!行くぜ、みんな!かんぱあああい!」
「「「乾杯っ!」」」
隼鷹が高らかな声とともに多くのコップが上がった。
全員参加、ということで広い食堂を使うことになったが、こんな時も料理を振舞ってくれる間宮さんと鳳翔さんにはただただ頭を下げるしかない。
「それにしても、忘年会の会場が鎮守府内とはな」
「仕方がないことだ。赤城の歓迎会の時とは違って、佐久間さんの懐から金が出ているわけじゃない」
「だが、ここで皆と騒ぐのも悪くないだろ?」
「ああ、そうだな」
こくこくと酒を飲みながら騒がしい景色を眺める長門に俺は軽く苦笑した。長門の言う通りに、鎮守府内の食堂で忘年会は開催されている。金銭的な事情もあるが、この時期はどこも考えていることは同じらしく、どの店も予約が埋まっていたのだ。
とは言え、鳳翔さんと間宮さんというプロレベルの料理人がいる。それに今回の酒は隼鷹が選びに選んだものばかりらしい。そうなれば、下手な店なんかよりもずっと豪華な宴になる。
「ん、やっぱり美味しいわね。あんたも食べなさいよ」
「ああ、そうするよ」
叢雲に取り分けてもらった料理を受け取るが、俺の顔を見ると、
「なんだか乗り気じゃないわね。宴会好きじゃないの?」
「そんなことはない。だが、溜まっていく仕事を考えると、素直に楽しめなくてな」
「仕事のしすぎで、楽しむことを忘れたってわけね」
「そうだな…………」
叢雲の言葉に本気で考え込む俺の口に何かが無理やり詰め込まれた。驚きながらも、それを噛むとサクッとした食感のあとに肉汁が広がった。
「叢雲、こういう仕事人間には無理やり楽しませるのが一番の薬だ。どうだ提督、間宮さんの作った唐揚げは美味いだろ?」
「ん…………ああ、美味い。さすが間宮さんだ」
どうやら長門が無理やり俺に唐揚げを食べさせたらしい。
提督、とまた誰かに呼びかけられ、振り返ると千歳が一升瓶を手に待機していた。
「長門さんの言う通りです。今は自分が楽しんでください」
「それもそうか。そうするよ」
「では、一献」
と、千歳はコップになみなみと酒を注いだ。さすが隼鷹の選んだ酒なのか、辛口であるもののとても飲みやすいものだった。
「おっ、いい飲みっぷりだな」
「楽しめ、と言ったのは君らだろう」
「そうですよ。はい、もう一杯どうぞ」
空になったコップに再び千歳が酒を注ぐ。千歳自身はまだ飲んではいないようだ。
「…………君は飲まないんだな」
「提督が酔う姿を見たいので」
笑顔でそう告げる千歳に、俺は酒をまた一息に飲んでから、
「そう簡単に酔わないからな、俺は」
俺の軽口に、千歳は気分を害した様子もない。ふと隣をちらりと見ると、すでに顔を真っ赤にしている長門がいた。
「長門さんは違いそうですけど」
「放っておけ。昔っから、図体の割にアルコールには弱いんだ」
1杯飲めばたちまち顔を真っ赤にし、2杯飲めばもう完成するのが長門だ。今までサシで飲んで、まともに会話ができたこともない。
「どうだ、千歳も」
「あら、いいんですか?普段は口うるさく酒を控えるように言うのに」
「今日は特別だ。ほら」
「ありがとうございます」
千歳から一升瓶を受け取り、彼女は代わりにコップを手にした。返杯すると、千歳はコップと俺を交互に見てから、コップに口をつけた。
「ん…………ん…………、ぷはっ」
「やっぱり隼鷹と飲んでるせいか、いい飲みっぷりだな」
「…………」
返答がなく、妙だと思って千歳の肩を叩いた。
その頰はすでにほんのり赤く染めていた。少し嫌な予感がする。
「おい、飲んでるか?」
「ああ、しっかり飲んでるぞ。隼鷹」
「あれ、もう千歳に飲ませちゃった?」
「そうだが…………」
その瞬間、俺の手に持っていた一升瓶が何者かにかっさらわれた。驚いてその奪い取った主を見ると、それは一升瓶に直接口をつけた千歳が映った。
「ち、千歳?」
「いやぁ…………。千歳はさ、実は酒あまり強くないんだよね。だから一緒に飲むときは後半からなんだよ」
「暑ーい!」
「あと飲むと脱ぐよ」
「…………」
「あれ?どっか行くの?」
「皆の様子を見てくる」
「なら、ついでにみんなから酌をしてもらいなよ。いい機会だしさ」
「ふむ、いい考えだな。そうさせてもらおう」
隼鷹は酒飲んでばっかりだが、気がきくやつでもある。脱ぎ始めている千歳を俺が対処できるわけもないので隼鷹に任せて、俺はその場を離れた。
ため息を漏らしながら、周りを眺めると、ここ最近は仕事が多かったせいか、ずいぶんな盛り上がりだ。
「あ、司令官!何をなさってるんですか?」
「おう、朝潮か。少し様子を見に回っているだけだ」
朝潮が座る席の周りを見ると、暁を筆頭とした第六駆逐隊がともに座っていった。朝潮はその中にしっかりと馴染めている様子だった。
俺が黙ってその様子を眺めていたせいか、朝潮は不思議そうな顔をして、
「どうしましたか、司令官?」
「いや、みんな仲が良さそうで安心してるところだ」
「はい!みんな友達です」
すると、横から電がジュースの入った瓶を持って、
「お酌をするのです」
「お、ありがとう」
「あ、ずるーい。私もするわ!」
「私からもこのロシアのお酒を」
「ちょっと待て、響今なんて?」
「冗談だよ。ただのジュースだ」
人のことを言えた立場ではないが、この響という子は冗談を真顔で言うから困る。
とにもかくにも、俺は第六駆逐隊と朝潮から一杯ずつジュースで酌をしてもらい、俺がお返しにと一人一人に酌を返そうとするが、暁の時に、
「ちょっと待って、司令官」
「ん?どうした、暁。オレンジジュースは嫌か?」
「違うわ。レディにふさわしい飲み物をちょうだい」
「レディにふさわしい飲み物?」
「そうよ」
暁の言う"レディにふさわしい飲み物"と言うものは、当方皆目検討もつかない。とりあえず、ぶどうジュースに手を伸ばし、暁のコップに注ごうとするが、
「違うわ!もっとふさわしい飲み物があるじゃない」
「あー、暁の言うその飲み物ってどんなのだ?」
「えーっと…………、熊野さんと同じ飲み物よ!」
この時、心の中で頭を抱えたのは言うまでもない。どうやら、このレディが理想とする人物は、この鎮守府でもひときわ変人と名高い熊野であるらしい。
そして、現在その彼女は瓶を片手に、「とぉぉ↑おう↓!!」と声を上げている。一体どんな掛け声なんだ、まったく。
「そうだな…………このぶどうジュースも十分レディにふさわしいと思うぞ」
「でも、熊野さんはお酒を嗜んでいるわ」
「暁、熊野を目標にしていると、本物のレディになれないぞ?」
「え…………?」
どうやら、俺の言葉が相当衝撃的だったらしく、暁はそのまま絶句してしまった。
「い、いや、そう言うわけじゃなくてだな、暁は別の人を目標にした方がいいってことだ。熊野は少しハードルが高すぎるかな、って」
「むぅー…………。じゃあ、司令官はどんなレディがいいのよ」
「どんなレディって…………。頼り甲斐があるとか?」
「じゃあ、長門さんなのです」
と、横から電が答えた。たしかに頼り甲斐はあるが、レディかと言われれば…………
「そうよね。いつも落ち着いていて、全然動じないし…………、立派なレディよ!長門さんは!おっぱいも大きいし!」
「んー、胸は関係ないと思うぞ?」
「長門さんはよく飴をくれるのです」
「へー、そうなのか。初めて聞いた。あいつがそんなことをするとは…………」
待て待て。俺の脳内ビジョンだと、ただの不審者にしか映らないぞ。飴玉を手に駆逐艦の前で息を荒げているビッグ7が。
「そうなったら、長門さんみたいに…………」
と、暁が決意を固めた矢先、俺が先ほどいた場所から大声が聞こえてきた。何事かとその方向に首を動かせば、顔を真っ赤にしたビッグ7が、何を話しているのかもわからん声を上げながら隼鷹と肩を組んでいる。
「…………」
「べ、別の目標を探そうか?」
「う、うん」
願わくば、長門の評価がマイナスまでいかないでほしいものだ。
「なら、天龍さんはどうかしら?」
と、今度は雷が。普段の立ち振る舞いからは、レディとは程遠いような気もする。言葉遣いもいいとは言えないし、下着姿で歩き回るなどどちらかと言うと男勝りなタイプだ。
「そうよね。最初は怖い人かなって思ったけど、実はとても優しい人だし…………、きっとレディよ!おっぱいも大きいし!」
「だから、胸は関係ないと思うぞ?」
「怪我した時はおんぶもしてもらったわ!」
「意外な話だな」
てっきりこの鎮守府きっての武闘派と思っていたが、違うらしい。こればかりは、隼鷹の言う通り"いい機会"だ。それにしても、暁の言う"レディ"像がどうも胸に集中している気がしてならない。
「提督」
後ろから声をかけられて、振り返った俺はギョッとした。一升瓶を片手に俺を見下ろすように立っている天龍がいたからだ。
「ど、どうした?」
「提督…………」
普段には見られぬ威圧感に不覚にも怖気付いてしまったが、なんとか見た目だけは冷静を装った。そんな俺に襲いかかった出来事はあまりにも予想外であった。
「…………グスッ」
「え、どうした、天龍?」
「提督ぅ…………」
突然泣き出してしまったのだ。
「提督ぅ。オレ、オレェ…………」
「ど、どうしたんだ。急に泣き出したりなんかして」
「オレ、お前の役に立ってるか?」
「当たり前だ。君の働きにはとても感謝してる」
「お前はいつも死にそうなくらい働いてんだぜ?でも、オレそんなに頭良くねぇし、できると言ったら深海棲艦をぶっ倒すことだけで、お前の役に立ててねぇじゃねぇかよぉ」
と言った後、ついに大声で泣き始めてしまった。当方困惑している最中、天龍の後ろから、
「やっほー、調子はどう?提督」
「…………俺の調子よりも天龍の方を心配してくれ」
「いやぁ、天龍って泣き上戸なんだね」
「原因は君か、川内」
ほんとびっくりだよ、と呑気に笑うがこっちは笑ってもいられない。
川内が言うには、どっちが夜戦で強いかを話し合っているうちに、どれだけ酒が飲めるかで決着をつけようとしたらしい。そうしたら、6杯目くらいで様子が変わって、急に席を立ったということだ。
「ま、勝負は私が勝ったんだし、いいか」
「良いわけがなかろう。どうしてくれんだ」
「うぅ…………。オレはどうやったらお前の力になれるんだよぉ」
なぁ、と俺の服を掴みながら聞いてくる。どうしたら良いのかも分からず、とりあえず天龍の頭に手を置き、
「君は十分役に立ってくれている。戦果はもちろんだが、子供たちの世話までしてくれてるそうじゃないか。俺が死にそうなのは、手際が悪いだけであって、君がいなければここもまわらなくなってしまう」
「ほんと?」
「ここで嘘をついてどうする」
「う、うぅ…………よかったよぉ」
と再び泣いてしまった。いやもうどうしたらいいんだ。
「はいはい、あとは私に任せて」
「当たり前だ。タネをまいたのは君なんだからな」
川内は泣きじゃくる天龍の手を引きながら、
「ま、これが天龍の本音かもね。やっぱりみんな心配してるんだよ」
「…………そうか」
「根を詰め過ぎるのも良くないからね。だから、その分今日はハッチャケてよ」
じゃ、また飲んでくる、と空いている手をひらひら振りながら、天龍とともにもとの場所へと去っていった。
「…………」
「…………」
「意外な一面だったな」
「う、うん。あんなにカッコいい天龍さんもああなるんだ…………」
「だが、ちょっとレディとは違うんじゃないか?」
「うん」
酔いが覚めたときに、天龍が恥ずかしさで暴れないことを祈るばかりだ。またドアを破壊されても困る。
「なら、叢雲さんならどうだい?」
と響が。戦場では冷静沈着で、予想外の展開にも動揺しない。命令に柔軟に対応し、時には臨機応変に自己判断をくだす能力もある。はたまた鎮守府内では、秘書艦として執務のサポートをしてくれ、彼女のおかげで執務の終わるスピードが格段と上がっている。それにコーヒーを出すタイミングも絶妙で、まことに有能で気がきく"できる女"だ。
「そうよね。頭も良くて、強くて、なによりも"くーるびゅーてぃー"な人だから、レディよ!おっぱいは…………そんなに大きくないけど…………」
「それ絶対に本人の前で言うなよ?」
「いつも司令官のお手伝いしてるのを見てるよ」
「まあ、たしかにだいぶ世話になっているな」
やはり子供たちからも叢雲への信頼感は絶大らしい。ただ暁がレディを胸で判断してるのがあまりにも気がかりだ。そもそも熊野だって言うほどなかろうに。
「あんた」
再び後ろから声をかけられたが、俺はすぐさまは振り返らなかった。声と呼び方からして、叢雲で間違いはないのだが同時に酔っていることも察した。
叢雲は酔うと残念ながら豹変するタイプだ。酔うと途端に様々な不満を吐き出す。これは"江下さん"の一件で知ったわけだが。
「私が呼んでるでしょっ!」
と強引に肩を掴まれて面と面を向けられた。予想に違わず頰を赤くした叢雲が映る。
「や、やあ…………」
「どうして、あんたがここにいるの?」
「どうしてって、隼鷹が酌をしてもらえと言ったから、まわっているだけだが…………」
「どうして、一番最初に私から酌を貰わないのよ!」
「そ、それは…………」
「やっぱり、あんたってロリコンだったのね!?」
「違うぞ!?」
「じゃあ、なんで来ないのよ」
「いや、子供たちは前半までしか参加できない…………からだ」
「なによ、その取ってつけたような理由。だいたい、女性に対していっつも無関心を装ってばかりだからあんたの好みも分からないじゃない」
「別に無関心なわけではないが…………」
「…………胸、ね」
「は?」
いきなり何を言っているんだこの秘書艦は。
「胸が大きければ、あんたも関心をむけるのよね?」
「そんなことはないぞ?日々の君のサポートにはとても感謝している」
「そう…………なら、私の酌を貰ってくれるのよね?」
「ああ、もちろんだ」
俺はコップを手に持ち、叢雲から酌を貰おうとした。しかし、そのコップにお酒が注がれることはなかった。叢雲が手にしていた瓶の行く先はコップではなく、叢雲の唇へ…………
「ま、待て!ここには子供たちもいるんだぞ!?彼女らの前で手本である我らがそんなふしだらな行動をとることは…………」
「ん!」
「ん、じゃないじゃない!」
俺の制止の声も虚しく、叢雲は俺の頭をキッチリとホールドした。こっちは叢雲の肩を掴んでどうにかして防ぐしかない。
「こ、これがレディ…………」
「ち、違うぞ?」
「ふむ、叢雲さんは酔うと大胆になるんだね」
「響、冷静な考察も結構だが制止する方を手伝ってくれ」
暁を筆頭とした子供たちは、年頃なのか顔を赤くしつつも興味津々にこちらを見ている。
朝潮、手で顔を覆うのは賢明な判断だが、指の隙間から覗いては意味がないぞ。
「本当に頼むから、冷静に…………」
「ん!」
こっちは座っている状態、対してあっちは立っている状態からこちらの顔をホールドしているため、こちらに不利な状況だ。
誰か助けになりそうな人をどうにか探し出そうとしているときに、ちょうどよくこちらに近づく人が見えた。
「は、榛名!いきなりで悪いが叢雲をどうにかしてくれ」
きっとこの鎮守府きっての常識人の榛名なら…………
「はい、榛名はだいひょうぶれしゅ!」
「やっぱり戻ってくれ」
ベロンベロンではないか。叢雲以上に顔を赤くし、呂律はままならず、ふらふらとこちらに近づく榛名はこちらの制止する声も聞かない。
「叢雲しゃん、何をしてるんでしゅか…………?」
「ん、んん」
「なるほど!」
「え、分かったのか?」
ん、しか言ってないぞ、こいつ。
榛名は手に持っていた一升瓶をおもむろに口に含んだ。どうして、どいつもこいつも酒を手に歩き回ってるんだ。
この後、榛名が叢雲と同じ行動に出たのは容易に想像できることだろう。無論、大人である我々が子供たちの前でそんな不埒な行動をするのはあってはならないことであり、まだ理性のある俺が全力でそれを阻止したのである。さらに金剛も混ざってよりひどい様相を呈したが。
兎にも角にも、重なる出撃で疲労が見えていた鎮守府も久々に活気を見せたのは良いことなのであろう。未だに迫る叢雲たちをかわしながらそう思っていたのであった。
ーーーー
「提督、少し付き合ってくれねえか」
子供たちを部屋に戻し、大人どもも酔いつぶれあっちこっちで寝ている中、珍しくそれほど酒を匂わせていない隼鷹に声をかけられた。
「…………不可思議なこともあるんだな」
「酔っ払ってないことがそんなにおかしいか?」
そうだ、と答えても隼鷹はニヒヒと笑うだけ。
「付き合っても構わんが、こんな場所でか?」
みんながみんな大暴れしたおかげで、食堂ははちゃめちゃだ。とてもサシで飲む雰囲気ではない。
「ここじゃなくて、鳳翔さんのとこでだぜ」
「初めからそうする気だったのか」
「まあね。提督と飲み会う機会なんてそうそうないし」
さっさと行こうぜ、と隼鷹に催促され、俺は彼女の後についていくように居酒屋"鳳翔"へと足を進めた。
暖簾をくぐれば、まるで俺らが来るのを待っていたかのように鳳翔さんがキッチンで支度をしていた。
「鳳翔さん、料理は適当に頼むよ」
「はい」
隼鷹の適当な注文にも鳳翔さんは二つ返事で引き受ける。酒の方は隼鷹の自前のようだ。
鳳翔さんから受け取ったコップに隼鷹は並々と注ぐ。
コップは3つ。
初めは鳳翔さんの分かと思ったが彼女は手が空いていない。少し思案したのち、俺は一つの答えにたどり着きそれと同時に、俺は軽く目を見開いた。
「乾杯」
と、隼鷹は俺のともう一つ誰も持たぬコップに向けて言った。いや、そこにはいるのだ。我が鎮守府のもう1人の仲間が。
「この酒はさ、橘さんから教えてもらったものなんだぜ?」
「…………そうか」
この時、ふいに目頭が熱くなったが隼鷹には悟らぬように酒を口に含んでごまかした。
忙しさで感覚が狂っていたが、橘さんがいなくなったから随分と経つ。かつて橘さんのいた工廠はすでに明石がその代役を務めているし、夕張のサポートもあって、どうにかやっていけている。
1番近くにいた鳳翔さんも弱気なところを微塵も見せず、日々裏方で精力的にサポートしてくれている。
「橘さんがいなくなってから、もう半年以上か…………」
「ああ、時が経つのは早い」
「その間に色々変わっちまった」
隼鷹のその言葉に俺は目を細め、何か言おうかと思ったが酒で無理矢理飲み込んだ。
その様子を隼鷹は察したのか、
「別に悪い意味じゃないぜ?」
「わかっている。それよりも君がそんなに感傷的なのは意外だ。見ている分には面白いが」
「あたしだってそんな日もあるんだよ」
そういえば隼鷹はなぜここに来たのか、ということを俺は知らない。記憶を辿れば、いきなり長門が"新しい仲間だ"と連れてきたということだけだ。
「一つ聞きたいことがある」
「なんだ?」
「どうして君はここに来た?」
「…………」
「俺が言っちゃ悪いが、お世辞にもここは環境がいいと言えない。君が来た時はもっとひどい。海の平和のためならここよりも向こうにいた方が理にかなっているだろう」
「あたしには合わないんだよ。あんたと同じで」
意外と真面目な答えがかえってきた。ただ俺と同じということが腑に落ちない。
「俺と同じだなんて、どういう意味だ?」
「なんて言えばいいかなぁ…………国に尽くすのに疲れた、みたいな?」
「艤装を装着して、海に出て、深海棲艦を倒して、戻って、ドッグ行って、また艤装を装着しての繰り返し。余裕だなんてありやしない。そうしていると命のやり取りをしていることも忘れていたりする」
それに気づいた時、何か見失った気がするんだと遠くを見つめながら隼鷹は言った。
「ここはいいとこだぜ?微力にしろみんなの力にはなれるし、いい仲間もいるし、酒もある」
「最後に関しては、俺が許可したわけでもないのだがな」
「んなこと言わないでさ。目的もなくただ機械的に、そこまで仲の良くない仕事仲間と出撃するよりも、飲み仲間とたしかな報酬を手に入れながら戦うことの方がよっぽどいい」
こいつが言うと少し引っかかる部分もあるが、概ね俺は彼女と同意見だった。
「だからさ、これからも頼むぜ。あんたがいないとここはうまくいかないからさ。あたしの好きな場所がなくなるのは嫌だぞ?」
「言われなくともそうするつもりだ」
「心強いねぇ、軍神さんがいるのは。ま、疲れたらあたしが付き合うし、問題はないさ」
そうか、と一言告げて俺はもう一口酒を口に運んだ。
それにしても、隼鷹がここまで思っていてくれているとは考えもしなかった。日々の姿はあれだが、やっぱりしっかりと考えてくれているのだ。
「…………ありがとう」
「ん?なんだって?」
「ありがとう、と言ったのだ」
俺の素直な言葉に隼鷹は目を丸くした。
「そんなにおかしいことか」
「おかしいもなにも、あんたに面と面を向けてありがとうって言われるなんて…………色々と気味が悪いぜ?」
「上司の感謝の言葉を気味が悪いだなんて、失礼なやつだ。俺だってありがとうの一つや二つは言える」
実際今回のことはそれなりに理解している。連日出撃して、俺は執務室にこもりっぱなしのせいで、鎮守府全体が陰鬱とした雰囲気になりかけていた。隼鷹がこの企画を考えやしなかったら、陰鬱さが増してひどいことになっていたかもしれない。
「はは、こりゃあよかった。酒を飲ませてみるもんだな」
「俺としてはもうこりごりだ」
「まあまあ、今日は飲め飲め」
隼鷹が注いだ酒を俺は一息に飲み干す。そんな俺を隼鷹は満足そうに眺めていた。
いつまで飲んでいたかはわからない。ただ言えることは、鎮守府一の酒豪の隼鷹の飲みっぷりは尋常ではなく、俺が二日酔いで苦しめられることとなった。