民間軍事会社"鎮守府"   作:sakeu

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 怪我をして膿ができたらどうするか。

 

 おそらく誰もがその膿を取り出すだろう。放置すれば化膿がひどくなり痛みが増してくる。大きくなる前に取り出す必要がある。

 

 俺がやろうとしてることはまさにそれだ。膿を取り出すことは、すなわちこの鎮守府の諸悪を取り除くことである。そして、その膿は劣悪な環境、慢性的な疲弊、そして北方提督。それら全てだ。

 

 だが膿はすっかり化膿しまくって取り出しにくくなっている。すぐには治せないだろう。丁寧にやる必要がある。下手を打てばさらにひどくなる可能性もあるし、中途半端に出してもまた再び膿はできる。だから、時間をかけてでも綺麗さっぱり取り除かなければならない。

 

 では、どこから切開していくのか。そこから考えなければならなかった。

 

 俺は激戦を増す戦場を潜り抜けつつ、思案し続けた。今まで興味を持たなかった鎮守府の仕組みを洗いざらい調べ、今の立場で一番踏み込みやすい場所を探った。そして、今なら効果的であろう改善点を見つけた。それは"秘書艦"であった。

 

 アホみたいに多い遠征回数、適当な編成、杜撰(ずさん)な健康管理。

 

 ここを選んだ理由だが、簡単に言えば提督に近い役職だからだ。実際、編成と運用を担当している者が提督ではなく、まさかの秘書艦である戦艦の艦娘なのだ。

 

 驚いたことだが、北方提督は本来なら自分の仕事を専門ではない艦娘に丸投げしていた。何故かというと、「これごときに頭を使う必要ない」だそうだ。では、どこにその自慢の頭脳を使っているのか疑問ではあったが、それよりもここまで無知かつ無能であることに一瞬頭が真っ白になった。こんな馬鹿が存在していたのかと疑うくらいに。

 

 そもそも提督の仕事は、遠征の運営や艦隊の編成、艦娘の健康管理など多岐にわたる。俺たちは提督という頭脳の指示のもとに動く手足であるので、その頭脳がちゃらんぽらんならそのしわ寄せは当然俺らにくる。

 

 実際前任の提督ですら、きちんとやっていた。いや、もしかしたら前任が思っていた以上に有能だったのか。だが、戦闘だけしかやらなかった俺ですら、そのことは理解している。それを、仮にも士官学校を卒業したはずのエリートが知らぬなんて…………。しかし、実際に知っていないのだ。

 

 こんな無能が提督を務めれるのも、他ならぬ大佐の北方龍三の子息であり、その血筋も栄華であるから。名家の出身であることをいいことに、胡座をかき、大した努力もせぬまま上がってきたはず。そうでもなければ、あの能無しが提督なんてなれるはずがない。そもそも上に立つ器ではない。

 

 …………少し話が逸れた。

 

 とにかく重要なのは、現在鎮守府を回しているのは提督ではなく艦娘である秘書艦であるということだ。

 

 今の自分が手をつけれるのはここだ。提督よりも戦場を共にする艦娘の方がこちらも如何様にもできる。意見を具申し、運営を改善するようにしてもらうのもよし、交渉次第でその役職を譲ってもらうのもよし、と攻め手は色々ある。だからこそ、俺は目をつけた。

 

 改善してもらうにしろ、譲ってもらうにしろ、その秘書艦との信頼がなければ何も始まらない。大鳳のおかげで艦娘と仲は悪くはないのだが、それでも全員が全員仲が良いわけでもない。まだ、こちらと溝のある娘もいる。

 

 運が悪いのか、秘書艦は扶桑というまだ溝のある娘だった。今までの俺ならコミュニケーションを取ることすら難しかっただろう。しかし、今は違う。

 

 俺は扶桑に近付き、意思疎通を図った。ただ、あちらもこちらも忙しくなかなか機会に恵まれない。短い会話しかすることができなかったのもざらだし、長くて30分程度の会話が限度だった。俺はその限られた時間で、早急に信頼を得なくてはならない。時間がかかれば犠牲者も増える上、こちらの身も持たない可能性がある。

 

 俺は少し急いでいたが、しかし慎重に扶桑と接していった。幸いなことに、扶桑という娘は、とても物腰が落ち着いた人で、話が分かる人であった。最近は激務に駆られ、鬱憤も溜まっていたこともあり、話すたびに信頼してくれるようになっているようだった。2週間後には一瞬に食事をする程度の仲にはなった。

 

 頃合いを見計らい、俺は質問をした。

 

「扶桑さん」

 

「どうしましたか、八幡さん」

 

 扶桑は微笑んだ。誰が見ても美しいと思うような笑みだ。しかし、そこに一抹の陰りも見える。それに、陶磁器のように白い肌ではあるが、目元には目立つほどの隈が見える。

 

「扶桑さんは、今の鎮守府ってどう思います?」

 

 彼女の表情が、ピタッと固まった。

 

「どう、と言われても…………、具体的に聞かれないと少し分からないわ」

 

「これは失礼。鎮守府の運営はうまくいってると思います?」

 

「…………うまくいってるんじゃないかしら。それなりに戦果も出てるし、資材も回収できているわ」

 

 扶桑の目線が俺の目から逸れ、床に移されている。嘘だ。当初、俺は扶桑のことを掴みにくい人だと思っていたが、意外と行動に出て割とわかりやすい人だ。つまり、今の彼女は運営がうまくいっているとは思ってない。

 

 俺はすかさず語を継いだ。

 

「数字ではそうでしょう。だが、素人目に見てもその数字を確保するための苦労の数が明らかに釣り合っていない。そのせいか、失敗や艦娘たちの負傷も多く見受けられる」

 

「…………」

 

「負傷者増加のせいでドッグに空きがないことなどの、問題が付随して発生している。…………下っ端部隊の俺が言うのもなんですが、提督の運営方針は些かおかしいとは思いません?」

 

 俺は白々しくも、秘書艦がほとんどの運営している事実を知らないフリをした。

 

 表向きは提督の批判であるが、実際に運営しているのは扶桑であるため彼女を批判していることになる。

 

 少しひどいことをしているように見えるが、これは彼女のためでもある。奥底にしまったであろう、不満や苛立ちなどを吐き出させる。俺は指摘されたら困るであろう部分を刺激する。

 

 案の定、扶桑の表情は曇っていった。

 

「そう、ね。八幡さんの言う通り…………だと思うわ」

 

「秘書艦の扶桑さんもそう思いますよね。提督は一体何を考えてるのやら。真剣にやってくれてるのでしょうか」

 

「八幡…………さん。その、提督じゃないのよ」

 

「え?」

 

 出てきた。

 

「だから、提督じゃないの。私が運営しているのよ」

 

「そ、そうなんですか?」

 

 俺は知らなかったフリをした。

 

「なぜです? 普通に考えて運営や編成とかは、提督がやるはずでしょう。補佐ならわかりますが、それを貴女がやってるとなるとこの提督の存在意義すら…………」

 

「そう思うわよね…………。提督に"この程度くらいならお前でもできるだろう"って言われて。…………私はそういうことは学んでないから、全く知らのよ。かと言って、あの人に聞くのも怖くって……。みんな指揮官になるために艦娘になったわけじゃないから、知っている人もいないわ。なんとか、1人でやるしかなかったのよ…………」

 

「そうだったのか…………」

 

 光の消えた瞳から一筋の涙がこぼれた。

 

「私がちゃんとやっていれば、みんなあんなことには…………。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい…………」

 

「扶桑さん」

 

 俺はそっと彼女の肩を掴んだ。「え…………」と小さく溢した扶桑がこちらを見た。

 

 微笑んだ。不器用なりに。

 

「自分を責めなくてもいい。むしろ、よく頑張ったと思う」

 

「でも…………私は」

 

「たとえ皆が知っても貴女を責めやしない。ただでさえ貴女は主力としてほぼ毎日戦いながら、秘書艦をやっているんだ。それなのに、さらに運営などの提督業も任された。慣れぬことをするのは大変だ。勉強する暇もなかったんだろう?」

 

「八幡さん…………」

 

 張っていた糸が切れたように、彼女はボロボロと大粒の涙を流した。そして、誰にも言えなかった胸中を吐き出した。

 

 あまりにも無謀な命令を繰り返す北方提督への不満。

 

 それに対して何一つ言えない自分への自己嫌悪。

 

 自分の采配で傷つく仲間たちへの罪悪感。

 

 そんな中で誰にも頼ることができないという苦悩。

 

 今まで隠してきたであろう言葉を俺は何も言わずに聞いた。

 

 彼女はとても心優しい人だ。常に他人を思いやり、尊重する優しがある。しかし、同時に自己主張に乏しい。自分の意見が言えず、他人に流されやすいところもある。さらに優しさが仇となってやや決断力にも欠ける。

 

 ──厳しい言葉で言えばリーダーには向いていない人だ。そして北方提督からしてみれば、自分の言いなりになる、いい駒だと思ったに違いない。

 

 だからといって俺は扶桑を責める気にはなれない。元凶は彼女の性格につけ込んだあの腐れ野郎だ。

 

 もうこれ以上彼女をあいつの操り人形にさせてはおけない。

 

「扶桑さん。貴女はよく頑張った。もうこれ以上頑張る必要はない」

 

「八幡さん…………。わ、私、誤解していたわ、貴方のことを。こんなに優しいだなんて」

 

 俺はその褒め言葉には反応しなかった。

 

「そこで1つ折り入って頼みがある。扶桑さんの仕事を俺に手伝わせてもらえないだろうか?」

 

 

 ────

 

 

 俺の提案を扶桑はすんなりと聞き入れてくれた。

 

 北方提督への不満や恨みが積み重なっていたのもあるだろうが、自分のせいで仲間が傷ついているのが相当堪えているようだった。一緒にやってくれる人がいるとなれば、彼女への負担もなんとか減らせるだろう。彼女からしてみても願ったり叶ったりなはず。

 

 最初は手伝うだけだと考えてはいたが、予想以上に扶桑の精神がすり減っていたため、俺がその仕事を引き継ぐことにした。扶桑がすんなりと話になってくれたあたり、信頼はしてくれているようだ。しかし、その引き継ぎに1つ問題が発生した。

 

 扶桑の話から、どうやら北方提督は全く何もしていないわけではないらしい。ご丁寧にも上へ送る報告書といった重要な書類に関しては彼自身が作成しているらしいのだ。それを書き上げるには、当然だが運営の内容にある程度目を通す必要がある。つまり、今までの扶桑の采配をあいつは把握している可能性がある。

 

 それならば、いきなり俺が運営をしてしまうとすぐにバレるだろう。運営を改革してもその効果が現れる前にダメ出しをくらえば意味がない。だからこそ、不本意ではあるがあいつに認めてもらう必要性が出てくる。

 

 バレてあいつの態度が悪化してしまうよりは、こちらから出向いてしまう方がいいだろう。多少のリスクはあるが、なんとかして認めさせるしかない。

 

 それでも無理なら最悪は…………、よそう。そういったことを考えているとその通りになる、というのが自分の経験則だ。根気強く説得するほかない。

 

 滅多に足を運ばない執務室へ扶桑と向かい、彼女の仕事を引き継ぎたいという旨を北方提督に伝えた。

 

 大方こちらの予想通り、北方提督は難色を示した。そして、扶桑に対して「この程度の仕事すらままならんのか」と無意味に辛辣な言葉を殴りつけた。

 

 ただでさえ、出撃などで扶桑は多忙だ。それに加えて運営を投げやるなど、どう考えても北方提督に非がある。しかし、彼は肩を震わせ、顔を赤くして扶桑に罵声を浴びせ続ける。扶桑の様子を見る限り、いつもこのように叱責していたのだろう。

 

 ここまで無責任な態度を見せつけられると、怒りもわかずただ呆れるだけだ。こんなに器の小さい男にこの鎮守府が振り回せられているのかと、少し情けなさを感じるくらいだ。しきりに大声を上げ続ける提督に対して、ただ傍観するだけだった

 

 4、5分罵声を浴びせ続け、よくそんな体力があるなと思い始めたところで、怒りの矛先がこちらに切り替わった。

 

「たかが一捨て駒が、ぬけぬけとそんなハッタリをかませれるな」

 

 狐のような鋭い眼光でこちらを睨むが、別段怯みはしない。それよりも恐ろしいものは知っている。

 

「ハッタリではありません。自分ならより多くの功績をあげることができます」

 

 はっきりと断言すると、さすがの北方提督も目を白黒させた。少し気圧された様子で口ごもった。

 

「…………テメェ、随分な自信だな。ああ?」

 

「ええ。下っ端兵士と雖も、それなりの経験は積んでいます。下手な艦娘よりは鎮守府の運営はできるかと」

 

 そんなわけがない。だが、ここでは嘘を押し通させてもらう。

 

「ただの一兵が言うのもなんですが、秘書艦に運営を任せるのは良くないのでは。戦場における期待値が彼女らが高い分、彼女らは戦場に集中してもらって、"その程度の仕事"は戦場での貢献度の高くない私に任せてしまった方が得策ではないでしょうか?」

 

 名一杯の虚言を並べて、最後にもう一言告げた。

 

「…………提督、どうか検討を」

 

「…………」

 

 眉間にシワを寄せ、顎を撫で始めた。どうもどこの馬の骨かもわからぬ人間に意見を言われるのが気にくわないらしい。だが、特に反論する言葉も見つからないらしい。それに上辺だけを見れば彼にはメリットがある。

 

 ただ静寂だけが執務室を支配した。

 

 北方提督の冷ややかな目がギョロリとこちらを睨んだ。罵倒を吐き出し続けた口が静かに動く。

 

「…………貴様が。もし貴様が運営をしたら、こちらにどれだけの利益を生めるんだ?」

 

「2ヶ月もあれば、2倍近くは戦功をあげることができましょう」

 

 北方提督は眉をかすかに動かした。

 

「2倍? 貴様如きがか?」

 

「現在の運営状況を省みて、改善した場合の予想される功績がこのように…………」

 

 俺はポケットにしまってあった数枚の紙切れを机に広げた。そこには効率化の過程とその結果である、資源の消費量や獲得量、艦娘たちのパフォーマンス能力の数値を掲載している。

 

 その資料をもとに、いかにして戦績の向上させるかを説明した。出来るだけ、どれだけ戦果をあげれるかだけを話すようにして、艦娘たちに対する重労働の改善については触れないようにした。どうせこの男は表面上の数字にしか興味がない。

 

 説明を終えると、俺は静かに北方提督を見据えた。

 

 彼は腕を組み、静かに吟味しているようだった。

 

 さあ、どう答える。学のない俺が必死に練り上げた案だ。所々粗い部分があることは十分な承知ではあるものの、悪くない内容のはずだ。これを全面的に却下するならただでさえ小さい彼の、上立つ者としての器が粉々に吹き飛んでしまう。

 

 そして、彼は静かに唇を動かした。

 

「…………名を何という」

 

「八幡です」

 

「八幡…………なるほど、貴様があの八幡か。捨て駒にしては未だに長く戦い続けているだけはある。それなりにできるようだな」

 

 我らの部隊は表面上は対深海棲艦特殊部隊である。実情は捨て駒であるのが事実ではある。一応褒めているつもりなのだろう。しかし、根底にある差別意識を隠そうともしないのが彼らしいっちゃ彼らしい。

 

 北方提督は聞くだけでも虫唾が走るような声で笑って、

 

「下級兵士如きがな…………。ふん、まあいい。やってみろ。貴様の宣言通り2ヶ月で2倍までに戦果を増やして見せろ」

 

「…………ええ、お任せを」

 

 俺は無表情に敬礼をした。ここに来て、乏しくなった表情が役に立った。

 

「だが」

 

 北方提督はドスを利かせ、

 

「うまくいかなかったら、どうなるか…………分かるだろう?」

 

「…………」

 

 わかりやすい脅しだ。三白眼で睨みをきかせた。扶桑が真っ青な表情をしている。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 

 そんな脅しで俺が恐れ慄くと思っているのだろうか。失敗したらどうなるか、よくて監獄行きで、最悪は深海棲艦の餌なりにされるだけだろう。だが失うものがない俺からしたら恐怖の対象ですらない。

 

 ただ俺以外にこの現状を打開する人物がいない。俺の失敗は、この鎮守府の完全崩壊に直結する。だからこそ、失敗は許されやしない。

 

 ただただ軽蔑するだけだ。

 

「ええ、もちろん」

 

 自分でも分かるほどの生気のない声で、そう言い放った。

 

 

 ────

 

 

 能無しの北方の坊ちゃんから引き継ぎの許可を貰うなり、すぐに俺は改善へと努めた。

 

 とにかくやることはただ一つ。"出撃を減らし、かつ戦功を増やす"。

 

 一見、ありえないようなことに見えるが、実際はそんなことはない。元々行われていた出撃の効率が悪すぎたのだ。ただ疲労が溜まるだけの出撃もあるくらいに。ならばその問題点を少しずつ洗い出し、そしてそれを改善すれば自然と出撃は減り、戦功は増える。さらに無駄も取り除いていけば、ハッタリで提督に言ったことを達成することだって可能だ。

 

 さて、俺がまず取り掛かったのが出撃する艦娘のローテションの管理だ。1日に複数回出撃したり、出撃する日程が不規則であったりと艦娘に非常に負担がかかっている状態だった。そこで週ごとにそれぞれの出撃する日を設定し、1日に重複して出撃する艦娘がいないこと、出撃した次の日は必ず休みにするようにするなど調整して過重労働の改善を図った。だがこれは土台に過ぎない。

 

 次に手をつけたのが出撃する"内容"だ。出撃の失敗が多かった理由として、まず過労があるがそれ以外に、実力が足りていない、敵に対してこちらが不利になるような編成がある。もちろん扶桑を責めようとは思わない。彼女は艦娘だ。どの軍艦がどの深海棲艦に強いかだなんて知っているはずもない。

 

 だが俺もそこまで知識があるわけではない。どれが適材適所なのかは分からない。そこで龍弥の出番だ。彼はいろんな知識を持っているが戦艦にも明るかった。相手の編成によって、どの編成を組んだらいいのかを丁寧に教えてくれた。あと実力不足だが、これはやることは一つしかない。演習をする、それだけだ。実力が無いうちに出撃しても戦果は出ない。ならしっかり経験を積み、簡単な出撃から始める。

 

 運営の方針がガラリと変わったこともあり、艦娘たちは困惑していたようだった。「自分たちは演習だけでいいのか」や、「こんな簡単な出撃だけでいいのか」と、不安の声が絶えなかった。

 

 しかし、それは予想の範囲内だ。

 

 俺は艦娘たちにしっかり説明して、その不安を解消した。

 

 みんなはしっかりと理解してくれたし、なによりも北方提督への憎悪は皆同じ。あとは結果が出ればよし。

 

 そして結果は意外にも早く出てくることになった。

 

 俺がメスを入れてから1ヶ月ほど経ち、皆が変化に慣れ始めた頃になると、なんとなく艦娘たちの顔に疲労の色が薄くなり、余裕が見えるようになった。ダメージも減少し、轟沈はもちろんのこと、毎日のように出ていた大破者も見なくなるようになった。連戦連勝になったおかげか、みんなの士気も高まっているようだ。

 

 予想以上の結果だ。もちろん自分の改革に自信がなかったわけでは無いが、ここまでうまくいくと驚く。だが、ここで満足してはいけない。俺は次の手を次々に打つことにした。

 

 艦娘はある程度、戦い方については教えてもらっているが付け焼き刃もいいところだ。そこで、龍弥に頼んで彼女たちにも陣形や、状況によってどのような行動が有効なのか教えてもらうようにした。俺はと言うと、今まで隊長をやってきた経験を活かして、個々の連携や旗艦における指示の仕方や判断の仕方を教えることにした。もちろん、他の隊員も協力して、様々なことをして、全体の戦力の向上を図った。

 

 そして、もう一つ力を入れたことがある。それはメンタルケアだ。

 

 大きな鎮守府にもなれば専門のカウンセラーを雇って、メンタルケアを図っているだろう。しかし、当鎮守府にそんな人はいない。だからといって、あの男がカウンセラーを雇う許可を下すとも思えない。

 

 ならばどうするか。

 

 自分たちでやるしかない。ただ俺は、そういった相談事をされるのは得意ではない。だからこそ龍弥の存在は大きかった。普段から無愛想な俺よりも、物腰柔らかく人の良さそうな笑みを携える彼の方が、艦娘たちも話しかけやすいようだった。もちろん俺とて彼に任せっきりにしているわけにもいかないので、頑張って彼女たちの相談や愚痴に付き合ったりした。

 

 次第に頼られるようになると、この世界に入って初めての感覚に襲われるようになる。今までは捨て駒として扱われ、生きる屍のような存在だったのが、今やこうして頼られる存在になっている。なんとも言えないむず痒い気分だ。だが、それが嫌ではなく、むしろ快感に近いものだ。ああ、これが人間であることなのだろうか──。

 

 腐れ切ったこの鎮守府で、初めて俺は充足感を味わった。

 

 

 ────

 

 

 2ヶ月間はあっという間であった。

 

 改革の結果は、大成功だ。負傷や膨大な出撃数の減少によって、消費資源量は大幅に減り、それに反比例するがの如く戦功は膨れ上がっていた。

 

 下級兵士の俺がここまでうまくやるとは思っていなかったのだろう。北方提督は俺の報告書が信じれないのか、何度も目を白黒させていた。そうして面白くなさそうに、見下していることは変わらないものの、一応の労いの言葉を投げた。そして、これからも運営は俺がするようにと命令した。

 

 報告を終え、次の用事が艦娘寮にあるため、そこへ足を進めた。

 

 本館を出ると、照りつける日差しと暑さが俺を襲った。思わず太陽を手で隠す。提督が変わって気づけば4ヶ月。季節も外にいるだけで汗が止まらなくなるような暑さの8月になっていた。こうなってくるとますます体調面に気をつけなければならない。

 

 セミの泣き声が耳を貫く。セミの鳴き声を聞くと、どうして余計に暑く感じてくるのだろうか。

 

 

 その騒音に混じって、こちらへ駆け寄ってくる足音が聞こえた。こんな暑い中…………誰だろうか。

 

 俺が振り返ると扶桑が駆け寄ってくる姿が見えた。何か急用があるのだろうか。彼女は近くで立ち止まり、呼吸を整えると、今までは滅多にみせなかった笑顔を見せた。紅潮した頬や、汗で張り付いた髪の毛なども相まって、とても艶かしい雰囲気で、思わずドキッとした。

 

「その…………八幡さん…………」

 

 今にも消え入るような声で、何度か目配せをして俺の様子を伺っているようだった。最初の頃からは考えられないほど、いじらしい彼女の様子に、こちらもなんとなく緊張する。

 

「どうかしましたか? 扶桑さん」

 

「そのね、私…………お礼が言いたいの」

 

「そんな、俺は別にそんな大層なことは…………」

 

「そんなことはないわ!」

 

 彼女らしかぬ大きな声で言われ、多少驚いた。

 

「い、いきなり大声出してごめんなさい。でもね、実際にあなたのおかげで、いい方向に向かってると思うの」

 

「それはきっとみんなのお陰ですよ」

 

「あなたは素敵な人よ」

 

 彼女は無意識なのか、俺の手を握り、やや興奮気味に語を継いだ。

 

「私…………あなたがいなければ、どうにかなってたと思うわ。今こうして目一杯戦えるのも、あなたのおかげなのよ」

 

 さすがにここまでの美人に、褒めちぎられると、照れてしまう。

 彼女も自分がかなり大胆なことをしているのに気付いて、

 

「あ! ご、ごめんなさい。私ったら、つい…………」

 

「だ、大丈夫ですよ。それに褒められて嫌な気分になる人はいませんから」

 

「それなら、よかったわ…………」

 

「兎にも角にも、まだやることはたくさんです。互いに頑張りましょう」

 

「ええ、よろしくお願いします」

 

 扶桑は再び俺の手を握った。そして、笑顔を見せた。とても大人びて美しい、そしてどことなく儚い、笑顔だった。

 

 その笑顔を見た瞬間、心臓の鼓動が早まった気がした。それは、緊張でもない恐怖でもない、今まで感じたことのないものだ。ただ彼女笑顔を見て、こちらもなんとなく嬉しいのだ。

 

 この世界に入ってもう何年も経つが、環境は悪化しているはずなのに、俺はなぜか満たされていくような感覚に陥った。

 

 

 ────

 

 

「元気か? ホタカ」

 

 夕暮れ時の部屋のベッドでうつ伏せに寝ていた俺に、そんな言葉が降りかかった。言うまでもなく、その声の主は龍弥だ。俺は顔を上げることなく答えた。

 

「…………元気に見えるか?」

 

「はは、すまんすまん。最近は忙しそうで」

 

 俺らの寝泊りする寮はだいぶ年季がいっているようで、かなりボロい。それに加えて、部屋も広いとは言えない上に、2人で共有する。お世辞にも快適な場所とは言えない。まあ、寝れればいいのだが。

 

「あのアホはどうにかならんのか。報告するたびに無理難題を押し付けやがって」

 

「また、何か言われたのかい? ご苦労だねぇ」

 

「失礼するで〜…………、ってどないした? 八幡」

 

 今日は来客がいるらしい。ただでさえ狭い部屋に3人ともなると肩身が狭かろうに…………。龍驤なら別に変わらないか。

 

「ホタカは今日もお疲れみたいだよ」

 

「また、あのアホ提督に嫌味でも言われたんか?」

 

「…………まあ、そんなところだ」

 

 今日も朝から出撃して、帰ってきたら明日の出撃の予定を組む。それが終わったら戦績の確認…………ここまでは、はっきり言って龍弥がほとんどやってくれてたりするからそれほど苦にもならない。問題はここから、あのクソ提督に報告する時だ。絶対ただでは帰してくれない。必ず無駄に長い説教をかましてくる。燃料の消費が多すぎる、攻略が遅い、もっと数をこなせ…………ただでさえギリギリで運営されてるのに、どうしろと。

 

 扶桑があんなにやつれてたのもうなずける。

 

「ほんまにお疲れ様やで。急に、自分が運営するやら言うさかいびっくりしたけど、今じゃすっかり良くなって」

 

「そうだよ。ホタカの評判もうなぎ上り。みんな口々にカッコいいとか言ってるよ」

 

「…………そうか」

 

 俺としてはカッコいいと言う言葉は聞いたことがないのだがな。俺よりも頭一個分くらいは大きくて、性格もいい龍弥に言われるとなんだか嫌味に聞こえてしまう。

 

「あんた、実は提督業の方が向いとったりするんちゃうん?」

 

「冗談はよしてくれ。今は状況が状況だ。必要がないならこんな仕事したくない」

 

「俺も龍驤の言う通りだと思うけどなー。一戦を引いたら、なってみたらどうだい?」

 

「…………それまで生きていたら、な」

 

「そんな物騒なこと言うもんちゃうで」

 

 龍驤の言う通り物騒ではある。しかし、引退するまで生きていられるかはこっちとしては分からないのだ。除隊した隊員は漏れなく海に消えていっているのだから。

 

「そういえば、なんか最近よう扶桑とおるらしいやんか」

 

「…………? まあ、そうだが…………」

 

 あまりにも急な、そしてよく意図のわからない質問だ。

 

「え、そうなのか?」

 

「そんなに驚くことか?」

 

 そりゃあねぇ、と少しニヤニヤしながら目を合わせる龍驤と龍弥。こう言う時の、龍コンビは少々めんどくさい。

 

「うちもびっくりやで。めっちゃ親しげに食事しとったらしいやん?」

 

「おお…………。ついに、ホタカにも女が…………」

 

「せやけど、浮気ちゃうん?」

 

 そら見ろ。噂の渦中の人物を置き去りにして話が進み始めた。一体どうしたら、飯を一緒に食べただけで、女ができて、浮気したことになる。

 

「勝手に話を進めるな。扶桑とは仕事とか色々話すことが多いんだよ」

 

「じゃあ、ただの仕事仲間とでも言うのかい?」

 

「そうだと言ってる」

 

「ほんまか〜? 昼間に扶桑と手ぇ握っといてそらないやろ〜」

 

「本当かよ!?」

 

「ああ、せや。うちはばっちり見てもうたさかいな〜。照れてる武尊の顔もな」

 

「な、なんで…………」

 

「あーあ、こら大鳳が聞いたら嫉妬が爆発してまうな」

 

「へぇ…………、ホタカって意外と大人っぽい女性が好きなんだ」

 

「ちゃうちゃう。きっとあれやあれ」

 

 と、龍驤はない胸の前でジェスチャーをした。

 

「結局、男は胸部装甲なんや。………どいつもこいつも胸ばっかり。ぐすん」

 

「なーんで、言った本人が傷ついてんだ。傷ついてんのはこっちだぞ」

 

「龍驤、俺はそんなところで人を好きなったりしないから」

 

「…………せやな。龍弥がうちの味方やもんな」

 

 

 ここで俺は少し違和感に気付いた。なんだか妙に2人の距離が短い。それによく目があっている。仲が良いことは知っていたが…………。

 

「…………もしかして、付き合ってるのか?」

 

「あ、ばれた?」

 

「まあ、隠すことでもあらへんよな」

 

「…………なら、俺はお邪魔だったり?」

 

「いやいや、違うって! 今日はお前が元気なさそうだったから、龍驤と一緒に元気付けてやろうとな」

 

「せやせや」

 

「それはどーも。お陰で元気MAXだ」

 

「で、実際のところ扶桑とはどうなの?」

 

「大鳳のことはどう思てんねん? まさか、あんとき何もなかったんか?」

 

「…………君ら、本当に元気付けにきたのか?」

 

 なんだか、頭痛がしてきた。

 

 だが、今こうしてふざけれるのも余裕が出てきた証拠だ。やはり、良い方向へ傾いている。俺はゲンナリしつつもそう確信めいた感情を抱いていた。


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