佐久間隼人が小用を足してトイレから戻ってくると、教室の中はほとんど無人だった。
ゼノヴィアともう一人、染めた金髪をツインテールにした女子生徒──今日の日直である乾が、二人で窓を施錠している。しかし、彼女たち以外誰もいなかった。
「おい、なんで誰もいないんだ?」
「次の授業、戸田山先生が風邪引いて休んじゃったから、図書室で自習だってさ」
隼人の問いに、乾が答えた。
「それでか。で、なんで加賀美じゃなくてゼノヴィアが一緒なんだ?」
加賀美とは、乾共々今日の日直の男子である。
「あいつには先に行って図書室の鍵開けてもらってるとこ。ゼノヴィアさんは、単にアンタを待ってただけ」
「俺ェ?」
「君と一緒に行きたいだけさ。特に深い意味はない」
ゼノヴィアがそう言った。
「アンタたち、ホント仲がいいよね~」
「友達だからね」
乾の冷やかしを、言わんとする事を知ってか知らずか、冷静に受け流すゼノヴィア。
隼人は小さく溜め息をついた。
「んじゃ、さっさと行くか」
「うん」
出入口の施錠を乾に任せ、ゼノヴィアは隼人と一緒に教室を出た。
図書室までの道のりはもう覚えているはずだが、親のあとをついていく小さな子供めいて、隼人の後ろをトコトコと歩く。まるで兄妹のようだった。
◆
図書室に入り、授業開始のチャイムが鳴る。
クラスの担任である男性教諭の立花が出席を取り終えると、生徒たちは各々が自由に過ごし始めた。
隼人は読む本を探して、本棚の間をうろつく。
何故かゼノヴィアが、その後ろをトコトコとついてきた。
隼人はとある本棚の前でピタリと止まり、陳列された本の背表紙を眺めた後、一冊抜き取った。
「何を読むんだ?」
「ハーロック・ショームズ」
「──?」
隼人の返答に、ゼノヴィアは小首を傾げた。
「シャーロック・ホームズではないのか?」
「そりゃモデルになった人の名前だよ。確か、作者が通ってた大学の先生だったかな……その人の名前のイニシャルを入れ換えて出来たのが、名探偵ハーロック・ショームズって訳だ」
「なるほど──私も読んでみよう。どれから読むのがいいだろうか?」
ゼノヴィアは十冊近く並ぶハーロック・ショームズシリーズの背表紙を見て、悩む。
「どれからでもいいよ。ここにあるのは短編集だけだからな」
「わかった」
そう言って、隼人が本棚から抜き取った『ハーロック・ショームズの冒険』の隣にあった、『ハーロック・ショームズの事件簿』を取り出した。
二人は一緒に、テーブルの並んだ読書コーナーまで戻り、隣り合って着席すると、本を読み始めた。
その様子を別のテーブルから眺める者たちがいた。仲良しコンビの村山と片瀬だ。一冊の本を二人で一緒に読む振りをしながら、見守っている。
時々、ゼノヴィアが隼人の制服をクイクイと引っ張った。
その度に隼人は、ゼノヴィアが指し示す本のページを覗き込む。きっとわからない漢字の読み方を教えてあげているのだろう。
その様子は、本当に兄妹のような仲の良さで、見ている二人の方が心和むほどであった。