ホームルームが終わり、佐久間隼人は帰り支度を始める。そこへ、彼の制服の裾をクイクイと引っ張る者がいた。
そんな事をするのは一人だけだ。振り向くと、やはりゼノヴィアが隣の席から彼の制服の裾を引っ張っていた。
「おう、どうした?」
隼人はいつものように、気さくに尋ねる。
「忘れ物をしたので、更衣室までついてきて欲しい」
「おう、いいぞ」
隼人は快諾し、ゼノヴィアと二人で、まずは職員室に向かった。そして体育の担任である風見から更衣室の鍵を借りて、体育館に向かう。六時間目は体育で、体育館でバスケットボールをやっていたのだ。
廊下を歩くゼノヴィアは、心なしかスカートを押さえてるように見えた。
「で、何忘れたんだ? スマホか?」
隼人は何とはなしにそう聞いた。
途端にゼノヴィアの白い頬に、かすかではあるが朱が吹いた。
「……パンツ」
「ん?」
ゼノヴィアの声が小さかったので、聞き返す。
「……パンツを、忘れてしまった」
「ハァ?」
思わず声が裏返る。
「着替えてる時に、ブルマと一緒に脱いで、ブルマごと忘れてしまったみたいなんだ」
「パンチラ防止用のスパッツはどうした」
「それも、たぶん更衣室だ」
「忘れすぎだろ……」
普通気付くだろうと思った隼人だったが、自分もいつも制服のシャツやズボンのポケットに突っ込んでいるスマホを忘れてしまい、慌てて取りに戻った経験がある。普段からスカート穿きの女子なら、案外気付かないものなのかも知れないと思い直した。
彼は知らないが、ゼノヴィアは何かしら不足している環境においては、その不足を補おうとあれこれ思考するが、満ち足りた環境になると途端に抜けてしまうのだ。彼女を古くから知る者ならば、「またか……」の一言で済ませている事だろう。
体育館にはまだ人はいない。静まり返っている。
更衣室の前まで来ると、隼人は足を止めた。
「待っててやるから、さっさと探してこい」
そう言って、ゼノヴィアに鍵を差し出す。何せ女子更衣室である。おいそれと入る訳にはいかなかった。
しかしゼノヴィアは受け取らず、眉を八の字にして、隼人の制服の裾を掴んだ。
「一緒に探してほしい……」
心なしか、どこか舌足らずな喋り方だった。
もう一方の手は依然スカートを押さえたままだ。下着がなくて落ち着かないのか、あるいは自分の失態に自分であきれてしまったのか、とにかくいつになく弱気になっている……。
「──わかったわかった」
仕方なく、隼人はゼノヴィアと一緒に女子更衣室に入った。
中は、左右と正面の壁にロッカーが並び、真ん中に長椅子が一つ置かれてある。
軽く見渡したが、それらしき物は見当たらなかった。
しかし、誰かが気付いて職員室に届けたのなら、風見も何か言ってくるはずだ。その彼が何も言わずに鍵を貸した以上、ゼノヴィアの恥ずかしい忘れ物はまだここにあるはずだ。
ゼノヴィアは床に四つん這いになって、長椅子の下を覗き込む。
隼人は慌てて、彼女に背を向けた。
何せ今のゼノヴィアはノーパンである。あの短いスカートの下は、丸裸なのだ。探すのに夢中になっているせいか、もはやスカートを押さえようともしていない。彼女がほんの少し姿勢を変えただけでも、スカートがめくれてお尻やもっと大事な部分が丸出しになってしまいそうだった。
(一緒に探すふりして覗いちまうか?)
ほんの一瞬だが、隼人の胸の内にそんな下心が湧いた。
だがそれは、出来なかった。自分に無防備なまでの信頼を寄せてくれるゼノヴィアを裏切ってしまう。男として恥ずべき行為である。
とはいえ、密室に二人きりで相手はノーパン。
今の自分が置かれた状況を考えると、何やら変な気持ちになってしまうのも事実であった。
──その時である。
隼人の視界が変わった。
個室とも呼べないほど狭く、薄暗い空間。
上と下に網棚が設置されたその中の、下の網棚の上に、丸まった紺色の布切れが置かれてある。
(何だこりゃ?)
そう思う間もなく視界が再度切り替わり、荷物を抱えた女子生徒たちが体育館に続く渡り廊下に向かう風景が見えた。
そして視界は、再び元の女子更衣室に戻る。
(……まずい)
今の現象が何だったのかはさっぱりだが、それを抜きにしても、いずれ部活動で体育館を利用する生徒たちがやって来るのは確かなのだ。
そんな当たり前の事を今更思い出した隼人は、ますます落ち着かなくなった。このままではあらぬ誤解を受けてしまう。
なりふり構ってられず、隼人はロッカーを片っ端から開け始めた。最初に見た風景が、ロッカーの中のように思えたのだ。
幸運にも、三つ目のロッカーを開けると、下の網棚に丸まった紺色の布切れが置かれてあった。
横から彼の行動を見ていたゼノヴィアが手を伸ばし、それを掴んで広げる。
「あった! これだ隼人! 私のパンツとブルマだ!」
ゼノヴィアは安堵の笑みを浮かべ、ブルマの中から飾り気のない水色のショーツを取り出して見せた。
「見せんでいい、見せんで。早く穿け」
言いながら隼人はロッカーの中を調べ、上の網棚に彼女のスパッツが置かれているのを見付けた。
手渡そうと振り向くと、ゼノヴィアはちょうど彼にお尻を向けて、足を通したショーツを上げているところだった。スカートがその拍子にめくれて、わずかながら真っ白なお尻がチラリと見えてしまう。
隼人は全速力で顔を背けた、目まで閉じた。
「ほれ」
そのままスパッツを差し出すと、ゼノヴィアはそれを受け取り、穿いた。
「ふぅ、何とか落ち着いた……ありがとう隼人。ロッカーに入ってると、よく気付いてくれたね」
「床に転がってないならそういう事だろ。大したこっちゃねーよ。それより、早く戻るぞ」
「うん」
ゼノヴィアは幼い仕草でコクンとうなずき、更衣室を出る隼人の後ろをトコトコとついていった。
職員室にはまだ風見がいたので、彼に鍵を手渡す。
「忘れ物は見付かったか? いったい何を忘れてたんだ?」
風見は受け取りながら、何とはなしに尋ねる。
「パ」
「スマホを忘れてたそうです」
馬鹿正直に答えようとするゼノヴィアを遮り、隼人が誤魔化す。
「そうか。今度からは気を付けるようにな」
「はい、こいつにもよく言って聞かせておきます」
隼人はそう言うと、「失礼しましたー」と挨拶して、ゼノヴィアの手を引いて職員室を出た。
「隼人、私が忘れたのはスマホではなく」
「わかってるよ。わかってるけど馬鹿正直に答えなくていいんだよ」
「そうなのか? うん、わかった」
ゼノヴィアは小首を傾げたものの、隼人がそう言うのならそうなのだろうと納得した。
教室に戻るまで、二人は、自分たちが手を繋いでいる事にすら気付かなかった。