日曜日。
佐久間隼人はゼノヴィアが住むマンションを訪れていた。
「いつも世話になっているから、そのお礼がしたい」
前日にゼノヴィアがそう言って、場所を示す地図を渡してくれたのだ。
十階建てマンションの最上階。
その一番奥がゼノヴィアの部屋だ。
ゼノヴィアは隼人を迎え入れ、リビングに案内すると、コーヒーを出してから、「準備があるから」と言って隣の部屋(恐らく寝室)に引っ込んでしまった。
コーヒーを静かにすすりながら、隼人は一人暮らしの女の子の家という未知の世界に、ちょっと落ち着かない気持ちだった。
同時に、妙に殺風景なリビングにちょっと不安も感じていた。
特に散らかってる訳でもないので、ちゃんと生活は出来ているのだろうが、必要最低限の物しか見当たらない。マンションの各部屋に標準で置かれてあるであろう物だけといった感じだ。
(まぁ、
という事で、納得しておいた。
「お待たせ」
不意に声がした。
ゼノヴィアが戻って来たのだ。
しかし、その格好を見て隼人は凍りついた。
ゼノヴィアは、水着姿になっていたのだ。
いわゆるスリングショットと呼ばれるタイプだ。
その中でも特に布面積が小さく、ほとんどヒモと変わらない。かろうじて大事な部分をカバー出来ているが、ちょっと
「……何だ、それ」
「水着だ」
「見ればわかる。そうじゃなくて、なんでそんな格好してんのかって聞いてんだよ」
「言っただろう。いつも世話になっているお礼だ」
ゼノヴィアはそう言って、ソファに座る隼人の前までトコトコと移動した。
「男性は女性のセクシーな姿を見るのが好きなんだろう? 自分で言うのもなんだが、それなりに自信はある。楽しんでもらえると幸いだ」
そして膝に手をついて、前屈みになり、隼人と目線を合わせた。
「君の好みのポーズとかあれば、遠慮せず言ってくれ。何なら写真を撮っても構わないぞ」
ゼノヴィアは無邪気な笑顔で大胆な事を言う。
胸の豊かな膨らみが両腕で圧迫されて、深い谷間を作り出していた。
隼人は思わず、その魅惑の谷間に視線を吸い寄せられてしまい、すぐさまあらん限りの精神力で視線を逸らした。
その様を見て、ゼノヴィアは小首を傾げる。
「どうしたんだ?」
「いや、何でもない」
隼人は目線を逸らしたまま答える。
ゼノヴィアは不安そうな顔になり、隼人の隣に座った。
「私の身体では不服か? それとも水着ではなく、別の格好の方が良かったか?」
すがるような眼差しを向け、知らず知らず隼人のシャツの裾を掴んでしまう。
その拍子に水着がずれて、胸の先端の桜色が半分見えてしまっているが、ゼノヴィアはまったく気付いていない。
「いや、そうじゃなくて、えーっと……」
さて、どう言えば理解してもらえるだろうか。隼人は言い回しに迷って、言葉に詰まる。
だが、不意にゼノヴィアの胸から半分ほど大事な部分が覗いているのに気付き、またも視線を逸らしつつ、ズレを直してやろうと、水着の肩ヒモ部分を指で摘まんだ。
「──なんだ、裸が見たかったのか」
おお、何たる悲劇か。
ゼノヴィアは少年のその行為の意味を勘違いしてしまった。そして水着を脱ごうと立ち上がってしまう。
その拍子に、胸を隠していた部分が大きくずり下がってしまい、ゼノヴィアの左側の乳房が丸出しになってしまった。
ゼノヴィアは恥ずかしがるどころか、まるでここが更衣室か脱衣場であるかのように、そのまま躊躇いもなく水着を脱ぎ捨ててしまう。
隼人の目の前に、真っ白な裸身が惜しげもなく披露されるが、隼人は敢えて目を閉じた。
後ろ髪を引かれる思いで目を閉じた。
断腸の思いで目を閉じた。
ゼノヴィアのこの行為は、あくまでも友情から来るものである。宿題を教えてもらったお礼に缶コーヒーとかアイスとかを奢るような、そんな感覚でやっているのだ。
隼人を特別な相手として見ているのではない。
単に、友達ならここまで、恋人ならここまで、というような関係性に応じた線引きが出来ていないだけなのだ。
つまり、ここでゼノヴィアの裸体を観賞するのは、相手の無知につけこんで自分の欲求を満たそうとする邪悪な行いである。男のやるべき事ではない。
故に佐久間隼人は、決死の思いで目を閉じた。
しかしゼノヴィアにはそんな気持ちはわからないらしく、一糸まとわぬ姿で、隼人にすり寄った。
「どうしたんだ? やはり、私の身体では不服なのか? してほしい事やしたい事があるなら、遠慮せずはっきり言ってくれ。私は、隼人の言うことなら何でも聞く。私の身体に触りたいなら、好きな所を好きなだけ触ってくれて構わない」
言いながら隼人の手を取り、自分の胸にあてがった。
手のひら全体に伝わるモチモチとした柔らかさと程好い重さに、最早隼人の理性は崩壊寸前だった。
自分の中で、何か危険なものが爆発してしまいそうな感覚を覚えた隼人は、グッと拳を握ると──、
「ぬがぁっ!」
その拳を、自身の頬にめり込ませた。
瞬間、隼人は意識を失い、ゼノヴィアの胸元に顔面ダイブしてしまった……。
◆
目を覚ますと、ベッドに寝かされていた。
濡れたタオルが、折り畳まれて額に置かれてあった。
「やぁ、おはよう」
ゼノヴィアが枕元に座っていた。
もう裸でも水着でもなく、部屋着に着替えていた。
「あ、ああ……」
隼人はあやふやな返事をしながら、起き上がった。
「大丈夫か? 気分はどうだ?」
ゼノヴィアが心配そうに、顔を覗き込む。
「ああ、大丈夫。何ともない。驚かせて悪かったな、その、えーっと……」
裸を見たくなかったなどと言えば傷つくかもしれないと思うと、隼人はまたも言葉に詰まる。
そこへ、ゼノヴィアが抱きついてきた。
「お、おい……」
「すまなかった、隼人。君を困らせるつもりはなかったんだ。ただ、本当に心から、私は君に日頃のお礼がしたかった。君に喜んでほしかった。だけど私は、女の子らしい事など何も出来ない。だから、あんなやり方しか思い付かなかったんだ……君を困らせたかった訳でも、からかってやろうとした訳でもない。どうかそれだけは、わかってほしい」
「──わかってる。大丈夫だ、ちゃんとわかってる。ありがとうなゼノヴィア」
隼人は優しく言って、背中をポンポンと叩いてやった。
「でもな、裸を見せたり身体を触らせたりとかは、恋人とか夫婦とか、もっと特別で深い関係の相手に対してやる事だ。いくら感謝の気持ちからでも、友達相手にならやり過ぎだ……ゼノヴィアが、俺の事をそれだけ信頼してくれて、心を許してくれてるってだけでも、俺は充分嬉しいよ」
「本当か?」
ゼノヴィアは捨てられた子犬のような表情で、隼人が顔を見る。
「ああ」
「私を嫌ったりしないか?」
「しないしない」
「……ありがとう、隼人」
安堵の笑みを浮かべて、ゼノヴィアはまたギューッと抱き付いた。
隼人は小さな子供をあやすように、彼女の頭を撫でてやる。
「ところでゼノヴィア。ハーモニカ、聞きたくないか?」
自分の突飛な行動で不安がらせてしまったお詫びの気持ちから、隼人はそう言った。
「うん、聞きたい」
ゼノヴィアがコクンと幼い仕草でうなずく。隼人はリビングに移ると、ソファの隅に置いてあったボディバッグからハーモニカを取り出した。
二人が隣り合って座ると、『ラヴァーズ・コンチェルト』が優しく流れ始めた……。