朝の教室。
ホームルームが始まる前の自由な時間。
同級生の名護という男子が、佐久間隼人の席に紙袋を持ってきた。
「ほれ、借りてた本。ありがとな佐久間」
「……ああ、それはいいけど、なんで酒屋の袋に入れてくるんだよ。俺が酒持ち込んだみたいじゃねえか」
「それしかなかったんだよ、悪い悪い。袋は返さなくていいぜ」
名護は特に悪びれた風もなく、さっさと自分の席に戻っていった。
そんなやり取りを隣の席から見ていたゼノヴィアが、隼人に問い掛ける。
「何が入ってるんだ?」
「漫画本」
隼人は短く答えて、その漫画本入りの紙袋を、人目に付かないよう机の下に置いた。
クイクイ。
そこへ、ゼノヴィアが制服の裾を引っ張る。
「私も読みたい」
「昼休みにな」
「うん」
ゼノヴィアは嬉しそうにうなずいた。
(女の子が読んで面白いものとも思えないけどな……)
隼人は胸の内でつぶやく。
しかしゼノヴィアは、何だかんだ感性が男の子に近いので、案外楽しめるかも知れないとも思った。
◆
昼休み。
旧校舎の空き教室に二人は移動する。
隼人は机の上に、紙袋の中身を置いた。
全部で十冊ほどの単行本で、タイトルは『狂闘先生!』とある。表紙にはデフォルメの効いた絵柄で、学生たちがポーズを決めていた。その中心に、カバみたいな顔のスーツ姿の男性キャラがいた。
このカバみたいな顔のキャラがどの単行本の表紙にも載っているので、彼が主人公なのだろうとゼノヴィアは推測した。
『狂闘先生!』は白川市朗が週刊少年チョンピョンで連載中のギャグ漫画であり、バトル漫画でもある。
不良学校に教頭として就任した主人公の賀馬先生が、番長のみが着ることの出来る伝説の学ランに何故か選ばれてしまう……という出だしで、最初は教師なのに番長というシチュエーションが生み出すドタバタを描いたギャグ漫画だったが、やがてバトル物に路線変更し、賀馬先生が学ランを失った後改めて番長と認められる展開を経てから、急激に人気が上がり始めた。
そのため、1巻だけ賀馬先生がスーツ姿ではなく学ランを着ている。
ゼノヴィアは早速その1巻を手に取り、読み始めた。
黙々とページをめくり、時々クスリと笑う。
2巻以降に入ると、食い入るように読み始めた。
昼休みが終わるまでに、ゼノヴィアは6巻までを読み終えた。
隼人は単行本を紙袋に戻し、それを机の上に置きっぱなしにした。
「誰かに見られて酒だと勘違いされても困るし……お前、気に入ったみたいだしな。貸してやるから、部活が終わったらここに取りに来ればいいよ」
「いいのか?」
「返す時は別の袋に入れといてくれると助かる」
「ありがとう隼人!」
ゼノヴィアは本当に『狂闘先生!』にハマったようだ。嬉しさの余り小さな子供のように、隼人に抱きつく。
しかし彼女の肉体は小さな子供ではなく、年相応に発育しているのだ。豊かな胸の膨らみが、互いの着衣越しに隼人の胸板に押し付けられて、そのボリュームと柔らかさを無自覚にアピールしてくる。
隼人は嬉しさ半分恥ずかしさ半分の苦笑いをしながら、彼女の頭を撫でてやった。
「いいってことよ、俺は全巻持ってるからな……ほら、教室戻るぞ」
「うん」
ゼノヴィアは幼い仕草でコクンとうなずき、隼人と一緒に旧校舎を出た。
新校舎へ向かう小道を歩いていると、ゼノヴィアが不意に隼人の腕にしがみついてくる。
「うおっ!? 何だ、どうした?」
「何となく」
「はあ?」
「君とこうしてくっつくと、何だか落ち着く……さっき、そんな感じがしたのだが……うん、やっぱりそうだ。君とこうして触れ合っていると、とても落ち着く」
「そ、そうか……」
隼人は曖昧な返事しか返せなかった。
ゼノヴィアが密着してくるものだから、彼女の豊満な胸の膨らみが、腕に押し当てられて、それどころではなかったのだ。
もうずっと教室に着かなければいいのに……と、一瞬思ってしまった。
しかしそういう訳にもいかない。新校舎が見えてくると、隼人はしがみつくゼノヴィアの腕を優しくほどいた。
「いいかゼノヴィア。前から言ってるけど、友達ならここまでとか、ここからは恋人同士とか、関係によって付き合いの仕方ってもんが変わって来るんだ。俺とお前は別に付き合ってる訳でも何でもないんだから、ベタベタするのは良くない。でないとお前が、大して仲良くない相手ともベタベタするような奴だと誤解されるからな。だから、こういうのはやらない方がいい」
そう説教すると、ゼノヴィアは眉を八の字に下げて、不安そうにギュッと彼の制服の裾を掴んだ。
「迷惑だったか?」
「……まぁ、お前がそれだけ俺のことを好いてくれてるのは、嬉しいよ。でも今も言ったように、お前が変な誤解をされてしまうから、お前のためにも控えた方がいい」
「わかった、人前ではしないよ。でも、二人きりの時なら、構わないだろう?」
「……え~っと」
隼人は迷った。
しかし、不安そうにこちらを見つめるゼノヴィアの顔を見ると、欲望や理性とは別のものが勝った。
ゼノヴィアを悲しませたくない、喜ばせてあげたいという気持ちである。
「まぁ、誰も見てない時なら、好きにしろよ」
思わずそう口走ってしまった。
「ありがとう、隼人!」
ゼノヴィアはパッと笑顔になると、正面から思いきり抱きついて来た。
再びその胸の柔らかさを感じ取れて、隼人は不覚にも口許が弛むのを押さえきれなかった。
『木曜日のフルット』超面白いです