昼休み。
姫島朱乃は図書室にいた。
数年前に危機を救ってくれた『黒い翼の王子様』と、新入部員佐久間隼人との間に感じた奇妙な既視感。
あの小さなヒーローはあの時、大叔父の問いに『人間だよ』と答えた後、『テングだけど』とも言った。そして佐久間隼人は、天狗の
ひょっとして『テング』とは『天狗』の事なのではないか? あの少年が当時の隼人だとするなら、或いは隼人と同様に天狗の神通力をコピペされた人間だとするなら、彼の奇妙な返答にも納得がいく。
しかし天狗が、そんなしょっちゅう人間に自分の力を写したりするものだろうか? もしもそんな事はなく、隼人が例外だったとするなら、やはり彼こそは黒翼の王子様という事になる……それを確かめたくて、朱乃は天狗の事を調べようと思ったのだ。
しかしインターネットで調べても、わからない。収穫と言えるのは、九州に『英彦山豊前坊』なる天狗がいるらしい事くらいだ。あの男の子が名乗った『ヒコサンブゼンボー』とはこの事だろう。部室の蔵書は、西洋の黒魔術や悪魔伝承に関する物ばかりだった。それで一縷の望みを託して、図書室に足を運んだ次第である。だが、それも無駄足だった。日本の妖怪を紹介する、いわゆる『妖怪図鑑』的な本はあったが、天狗の習性に関して詳細に書かれた物はない。もっと大きな図書館に行けばわかるかも知れないが……、
(思いきって、本人に直接尋ねてみるべきかしら……)
などと考えながら図書室を出ようとすると、出入口でその佐久間隼人と鉢合わせた。ゼノヴィアも一緒だ。隼人の腕に自分の両腕を絡めて、ピッタリと密着している。
「あらあら、ちょうど良かったわ。佐久間くん、あなたの事でちょっと聞きたい事があるの。お時間いただけるかしら?」
「ダメです」
と答えたのは、ゼノヴィアだった。眉根を寄せて、ムスッとした顔で朱乃を睨んでいる。
後輩の険のある態度に、しかし朱乃はコロコロと笑った。小さな女の子が自分のお兄ちゃんを取られるのを嫌がってるかのようで、むしろ愛らしいと感じたのだ。逆に隼人の方が、「即答すな」とツッコミを入れる始末である。
「副部長。ちょっと用意しますんで、待っててもらえますか?」
隼人はそう言って、ゼノヴィアを伴い図書室に入る。二人が本棚の奥に消えた後、今度は隼人一人が出てきた。
「お待たせしました。で、話って何です?」
「……あらあら、ゼノヴィアちゃんはよろしいの?」
「ええ、アイツは俺と一緒ですから」
「……ん?」
小首を傾げる朱乃に隼人は、
「分身の術です」
と、事も無げに答えた。その様子が、あの時大叔父たちを翻弄した男の子と重なって見えて、朱乃はますます疑念を強める。
場所を旧校舎の空き教室に変えて、朱乃は隼人と二人きりで向かい合った。
「佐久間くんは確か、天狗の神通力をコピ、写されたのでしたわね」
「ええ」
「もしやその天狗というのは、英彦山豊前坊とおっしゃるのではなくて?」
「ええ、そうです」
「やっぱり……!」
思わず口に出た。
「副部長のお知り合いか何かで?」
「そう名乗った男の子に、危ないところを助けてもらった事がありますの……もう七、八年も前の事ですわ。佐久間くんはその頃、T県にいた事がございまして?」
「いえ、無いです」
「──え゙っ」
意外な答えがあっさりと返ってきて、変な声が出た。
「で、でも、確かにあの時あの方はご自分を『ヒコサンブゼンボー』と名乗りましたわ! さっきも調べたけれど、天狗が神通力を人間にコピ、写したなんて話は全然無かったし、つまりそれは、そういう事はほとんどやらない珍しい行動という事で、なのにあの方があなたではなく、たまたまあなたと同じ経緯で同じ天狗から力を得ただけの他人だなんて、考えられないわっ!」
朱乃は思わず隼人の両肩を掴み、詰め寄った。
「うーん……じゃあ確認しますんで、ちょっと副部長の過去を見させてもらえますか? 思い出してくれれば、それを俺が見ますんで」
「え、ええ……」
そんな事も出来るのかと半ば驚きながら、朱乃は目を閉じて、当時の事をなるべく鮮明に思い浮かべた。すると、
「あ、ホントだ。俺がいる」
という隼人の声が聞こえた。
「そーいやクワガタ捕りに、よその県まで飛んだ事あったっけか……さーせん、前にも話したと思うけど、つい最近まで神通力と一緒に記憶も封印してたんで、すっかり忘れてました」
「それじゃあ、やっぱりあなたが、あの時の黒い翼の王子様……!」
今本人の口からハッキリと(そしてあっさりと)告げられた事で感極まった朱乃は、思わず隼人の体を強く抱き締めた。胸部に搭載された102cmKカップの戦略兵器が押し付けられる。隼人はその圧倒的、ひたすら圧倒的なボリュームと柔らかさ、何より細腕からは想像もつかない朱乃の腕力の強さに、思わず呻き声を漏らした。
「ちょ、苦し……ギブギブ!」
ペシペシと朱乃の肩や背中をタップするが、朱乃は気付かない。
「あぁ、やっとお会い出来たのね、私の王子様……嬉しい……!」
目尻に涙の粒を浮かべ、頬擦りまでしてくる。そして更に強く、情熱のままに抱擁を強め、体重を掛けてくる。
「──ひゃっ!?」
が、不意に腕の中の感触が消えて、朱乃は前にたたらを踏んだ。
「アンタ、俺を殺す気か」
「ご、ごめんなさい……私ったらつい……」
朱乃は赤面して謝るが、すぐに隼人に歩み寄り、その両手を握る。
「命を助けていただいたのに、何年もお礼を言えないままで、気になっていたの……助けてくれて本当にありがとう、隼人くん……いえ、隼人さん……隼人様……! 私にしてほしい事があったら何でもおっしゃって……あなた様のご命令とあらば、どんな事だっていたしますわ……!」
紫色の瞳を潤ませ、白い頬を上気させ、朱乃は濡れた声で言う。思わず変な気分になる隼人だったが、ゼノヴィアの顔が脳裏をよぎり、その気持ちを振り払った。
「感謝する気持ちはわかりますけど、何もそこまで言わんでも……それに俺、マジで助けたつもり無いですよ? クワガタ捕るのに邪魔だからよそでやってほしいって、マジで思ってたし……」
「あなた様にそのつもりが無かったとしても、私が命を助けられた事実には何の変わりもございませんわ。あなた様がおられなかったら、私は大叔父様に殺されて、リアスとも会えなかった……今の私があるのも全てあなた様のおかげなのです……あなた様には、朱乃を好きにする権利がございますわ……」
熱に浮かされたように言いながら、朱乃は隼人の手を自身の胸に添えた。その上に自身の手を重ねて、後輩の手を胸に埋める。ゼノヴィアとは段違いのボリューム感と柔らかさが、隼人の掌中に伝わってきた。
「隼人様が望むのなら、朱乃はこの肉体だって喜んで捧げます……朱乃の目も耳も鼻も口も手も足も胸もお尻も、黒髪一筋にいたるまで全てが隼人様の所有物……何なりとご命令なさって……今この場であなた様に抱かれる事だって厭いませんわ……」
その時、朱乃の視界が暗転した。後ろから誰かが、彼女の顔を手で撫でたのだ。
急激な眠気が襲ってきた──と自覚する前に、朱乃は深い眠りに落ちていく。
力なく倒れたその体を抱き止めたのは、もう一人の隼人だった。
「危ないところだったな」
「いろんな意味でな」
朱乃に迫られていた方の隼人が、そう答えた。図書室でゼノヴィアと仲睦まじく読書に勤しんでいた方の自分に、他心通で救援を求めたのだ。それでもう一体分身を生み出し、神足通で飛ばしたのである。
「で、どーするよコレ……記憶封じるか?」
「副部長の中じゃあ大事な思い出っぽいし、それはちょっと可哀想だな……感動の再会でテンション上がり過ぎてラリっただけの可能性もあるし、もうしばらく様子を見よう」
「そうだな」
二人の隼人はそう結論付けると、ガッシと腕を組んだ。かと思うと一つに溶け合って、一人の隼人になる。
先程彼自身が言ったように、助けたつもりは本当にない。T県まで飛んだのもクワガタ捕りのためで、朱乃のためではない。天狗の神通力を得た事でよその県はおろか日本国内、果ては世界中のいたる所に、コンビニ感覚で行けるようになったのだ。隼人にしてみれば本当に大した事ではないのにああも情熱的に迫られるのは、ちょっとした恐怖である。
とはいえ、ちょっとだけ変な気分になったのもまた確かである。男の