青年期の激流   作:こたつ猫

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「常識とはなんだと思う?」

待ち合わせた喫茶店での最初の一言がそれだった。返事が出来ずに戸惑っていると、

 

「何、深く考える必要はない。言葉遊びのような物だ。ただのコミュニケーションだよ」

 

 言葉遊びか、他意がないなら思ったことを素直を話そう。変に合わせようとしてもバレるだろうから誠実に。そう決めた。

 

「常識ですか」

 

 口に出しながら思考を纏める。色々考えつつ、思ったことを紡ぎ出す。

 

「多人数によって定められる、モラルに乗っ取った共通見解でしょうか?」

 

 電車の中で足を組んでは行けない。歩きタバコはおかしい。とかそういう、自己を優勢した結果、不特定多数の人へ迷惑を掛ける行為。それらを禁ずるのが、常識だと。想像した具体例を彼女に伝えると、したり顔で頷いた。

 

「なるほど。モラルに乗っ取ったと少年は言うが、そうではない物も有るだろう?」

 

 言われて、学校でのことを思い出す。なぜか一緒に手洗いに行く女子。偉そうな運動部に侮られる文化部。そういうよく分からない風潮も、常識として確かに学校に有った。では、モラルなども関係するが、大衆によって決められる行動の指針、が彼女の意見なのだろうか?

 

「まあ、概ねそうだね。条件を付け加えるなら場所と時間だね」

 

 学校では学校での常識が有り、業界では業界での常識が有る。場所ごとに守らなければいけない常識が存在し、さらにそれらは時間の経過と共に変化する場合もある、とも。感心している俺に彼女は続けて語った。

 

「常識の中には、それに反しただけで酷いペナルティを受けることもあるのさ」

 

 どのレベルの酷さなのか気になった俺は興味本位で尋ねてみた。

 

「そうだなぁ」

 

 カップのソーサーを回しながら、彼女は言った。

 

「やはり金銭が多量に絡む場所は厳しいな。政界、医界、芸能界。これらで、挨拶のタイミング、席の座る順番などを間違うと左遷もしくは仕事が回らなくなるな。無論、一般の仕事でも挨拶をしないと結構トラブルは起きるぞ」

 

 学校で女子が行う仲間外れの拡大版みたいな物さ、と彼女は言うが洒落にならない。学校の中で彼女らがやってることに、権力と金銭が絡むようになるのだ。何か小さなミスをしただけで被害に遭い、人生を狂わされる。おぞましい話だ。自分が所属している学校という存在がいかに呑気な世界か理解してしまう。提出物を忘れたり、遅刻しただけでは退学にならない。何回も繰り返してようやく停学といった所。先程の世界と比較するとその甘さが際立つ。守られている子供だと立場を自覚する。

 

 「まあ、学校では許されたことが、社会では許されない場合が有るというだけの話だ。そんなに怖がる必要はない。第一、将来そちらへ進む予定なのか?」

 

 そんな予定は今のところないと伝える。自分がそんな人間関係がややこしい所に進むとは思えない。派閥とか考えるだけで憂鬱になる。しかも、今のままで進んだところで、誰かに従い、扱き使われるのは目に見えてる。今の自分からは想像出来ない未来だ。

 

「まあ、少年はまだまだいろんな選択肢があるからな。色々考えて、自分が何を求めているか、何をしたいのか、見つけるといいさ」

 

俺は何を求めているのだろうか。したいことはない。でも何か求めている気はする。自分に問いかけ、過去に思いを馳せ、胸に聞く。俺はいつも他人に傷つけられてきた、性善説を信じ、他人期待したこともある。だが、結局は虐げられ、また深く傷ついた。いつもその繰り返しだった。どんなに傷つけられても、まだ心の底で他人に期待する自分もいる。馬鹿なんじゃないかと自分でも思う。それでも俺は何かを他人にずっと求めて、この先も進むのだろうか。答えの出ないまま、考えに耽っていると、彼女が珈琲を一口飲み、続けて言った。

 

「話がずれたな、何を私が言いたいかというとだな。我々はその常識の中で生きているわけだ。他人によって作られた型をいつも嵌められている。その枷が守ることもあれば、邪魔になることもある」

 

 モラルに乗っ取った常識がなければ俺は学校の外でも、不快になったかもしれない。でも学校では他の常識が俺を傷つける。

 

「しかも、人によって形がそれぞれ違い、その型から外れたら攻撃されることがほとんどだ。SNSの発達に伴い、昔からあった陰口などが表面に出易くなり、それはより顕著になった。一方に合わせてたらもう一方に詰られる。だから、似たような価値観の人とグループを作るんだろうな」

 

 確かに似たような考えで集まればトラブルが少ない気がする。同じ物差しを持っていれば衝突する機会も減り、ストレスを感じなくなる。とても合理的だ。瞳がこちらを向いている。見覚えが合った。公園でみたあの瞳だ。じっと中を覗かれるようなあの眼差し。

 

「少年がこれから生きて行くなかで他人と衝突したり、どうしようもない理不尽に遭うこともあるかもしれない。辛かったり、苦い感情を得るかもしれない」

 

 カップを片手に持ちながら、こちらの瞳を見てはっきり言った。

 

「強く生きろよ、少年」

 

 その一言には同情も、哀れみもなく、ひたすら平坦でフラットな音だった。だが、その言葉は自分の何かを見透かされている気がした。

 

「潰されないように、詰られようが、罵られようが、自分の信念を持ち人生を歩む。それだけでかなり生きやすくなる。年長者の助言さ」

 

 自分の事情を彼女は知らない筈だ。気づかれないように、同情されないように注意していた。だが、どこか感じることが合ったのだろう。仕事の経験から、悟られたのかもしれない。だからこちらを重んじてナチュラルに助言したのか。人の機敏に敏く、相手にとって必要なことを投げ掛ける。調整役に向いている訳だ。有能過ぎる。そんなことを考えながら、信念に心当たりが無いと彼女に返答する。

 

「信念なんて何でもいいのさ、そこに貴賤や大小はないからな。俗っぽいと言われようが、所詮他人の主観だ。気にする必要はない。金持ちに成りたいとか、モテたいとかそんな所でもいいのさ」

 

 その言葉を聞いて、そんな物でいいのかと気楽になり、見つけようと思った。強く生きるために。その日は、後はたいして本質的な話は無く、ただの雑談で時間を潰し、彼女と別れた。自分は楽しく、とても有意義な時間だった。だが、相手がそうとは限らない。独りよがりはもう懲りている。緊張でほぼ、地蔵の様相で向こうにフォローされた形だった。反省点だ。何をすれば相手を楽しませられるか、分からない。次には要望を聞いてなるべく応えよう、そう俺は思った。また、彼女と話をしていて改めて社会人と学生の差と、彼女と自分の差を感じられずにはいられなかった。成長しなければならない。時間は不可逆的な物であり、依然としてその差は横たわっている。だが、これからの未来はある程度、自分の意志と行動で変えることが出来る。高めなければならない。意識を、己の能力を。そういう決意を胸に家路に着いた。

 

 

 家では妹が料理をしていた。話を聞いて見ると女子の間で、家庭科が切欠で、料理の上手さによるマウントが起こってるらしい。友達パーティーという名目のマウント合戦。そういうのが流行ってるらしい。

 

「いやーあたしは面倒だから、参加しないんだけど、家庭科の授業で舐められるのはもっと面倒なことになるのですよお兄ちゃん」

 

 女子の間も色々大変なんだな、と返しておいた。よくよく考えれば男子と違って喧嘩の強さで優劣が決まらないからそういう方面で階層を決めないといけないのかもしれない。そういうことを考えながら、マッカンを開けて飲む。どろどろに甘い液体が身体に染み渡り、生き返る。上手い。そうして妹ととりとめのない話をしながら安寧の一日を終えた。

 

 

 夜遊びをする気はもうなくなった。

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