結局ハセヲは、自らが抱いてしまった疑念を振り払えず。注目されすぎている現状への対策として、25層のボス攻略戦への参加は見送ることにした。
あるいは、ハセヲの行動により別のアクションが引き出せるかとも思ったのだが……結果はただただ、最悪だった。ハセヲが攻略に参加していたか否かでどれほど変わっていたかは分からないが。
……分からないが、ハセヲは今回だけではない何処かで、選択を誤った事を直感していた。
ハセヲ自身、今回は攻略から距離を置いていたため仔細は分からないが、ALSが偽情報を掴まされ、主力の大半が戦死したそうだ。リーダーであるキバオウを含め、無事な者達も、第一線から退く事を余儀無くされたと聞く。
そして、代わりに名乗りを上げたのが。
「ハセヲくん。君にも声を掛けるべきかと思い、今日はここに来た」
KoB——《血盟騎士団》だ。これまでは二大ギルドに次ぐ立場に甘んじていたが、 ALSの敗北に際して一転、トップに躍り出てきた。
団長であるヒースクリフはALS壊滅による混乱をいち早く収め、その手腕を存分に振るう事でフロアボス戦の実質的な指揮を取り、攻略に貢献。立役者として活躍したことで、攻略組の中で確かな信用を得ていた。
全プレイヤー中最高の防御力を持つとも言われ、実力は折り紙付き。そして今回証明してみせた、人を率いる能力。カリスマ。
キバオウがハセヲに幻視した役目を、ヒースクリフは見事にやり遂げた。
「キリトくんにはフラれてしまったが……君はどうかな? 力は束ねる事でより強く、鋭くなる。君なら分かるだろう?」
ヒースクリフはアスナと、そしてアイナを25層攻略直後に勧誘し、KoBに引き入れたと聞く。
本人の言う通り、キリトには断られたそうだが……ヒースクリフの行動は、正しい。一人で出来る事には限界がある。何処かで必ず限界が来る。分かるか分からないかなど、問われるまでもない。
ハセヲもまた、ヒースクリフと全く同じ考えだからだ。
断る理由は何も無い。ヒースクリフには攻略組をまとめ上げる力がある。力を貸すべきだ。それが、正しい選択だ。
だが、何故だろう?
「——悪いな」
ヒースクリフというプレイヤーを、ハセヲはどうしても信用し切れなかった。
「……理由を聞いても良いかな?」
「俺にも俺の目的がある。ギルドに所属するとそっちが疎かになりかねないんでな。もちろん協力は惜しまない。手が足りない時は声を掛けてくれ」
「なるほど。少し残念だが……今はそれで良しとしよう」
意外なほどあっさりと、ヒースクリフは手を引いた。
元々強制するつもりはなかったのか。それとも、この男にとっては断られることも予定調和なのか。
「ところで、次のボス攻略には君も参加するのだろう?」
「ああ、たぶんな」
生返事のような……しかし剣呑な響きを声色に乗せると、ヒースクリフは満足げに頷いた。
「では、攻略会議で会おう。それまで大事ないように」
「……お互いにな」
去っていくヒースクリフの背中を見ているうちに、ようやく気づいた。ハセヲが彼に、何を見ていたかを。
(オーヴァン。あんたと同じだ、あの時のあんたと。ヒースクリフからは悪意を感じない。だが何か……“何か”を抱えている。なんだ、それは? 一体、奴は何を隠している?)
今はただ、測りかねる。
*****
「キバオウ」
第一層《はじまりの街》。来たのはいつ振りか、ハセヲはそこに居た。以前は野暮用で幾度となく訪れていたのだが、最近はほとんど足を運ぶことがなかった。
上を目指す以上はそうなるのも必然だったのだが、久方ぶりに訪れた一層は随分と様変わりしていた。それも、以前よりもかなり良い方向に。
「こいつはお前の仕業か?」
「ワイにこんなことが出来ると思っとるんか?」
「はっ、ねえな」
「分かっとるんやったら聞くなや。……ワイはちょっと力を貸しただけで、主導しとるんはあそこにおるシンカーはんや」
キバオウの指差した方向に居る穏やかそうな成人男性、あれがシンカーだろう。低レベルプレイヤー達に炊き出しを行っているようだ。
リアルの身体には、点滴か何かで栄養は供給されているはずだ。極論、食べなくとも死ぬ訳ではないが……それでも、食事という行為は支えになる。余裕が無くなれば、命が無事であっても“心”が死んでいくのだから。
「《MMOトゥデイ》って知っとるか? 日本最大のネットゲーム統合情報サイトや。シンカーはんはあそこの管理者でな。MTDっちゅうギルドを作って、ワイと似たような方針で活動しとったんやが……まあ、人が増えるに連れて問題も出るようになってきたらしくてな」
キバオウのやり方は強引だが、そうでなければ纏まらない人種というのは必ず一定数存在する。まして、この世界には法律など存在しないのだから、秩序は個々人のモラルに依存している。
そして、数千人にもの人間が居て諍いが起きないはずはない。
ほぼ全員が日本人、あるいは日本で生活している人間である以上、共通する常識というものがあるはずだが、警察機関もなく、一般社会から隔離された別世界となれば、大小の違いはあっても揉め事など日常茶飯事だろう。
比較的精神的には安定しているはずの攻略組においても、強化詐欺の犯人が相手とはいえ、リアルの法律を逸脱した処刑騒ぎがあった程だ。仮にリアルであれば、私刑による死罪という選択肢は簡単には浮かばない。脳裏によぎるだけでも異常なのだ。
既にデスゲームが始まって三ヶ月以上経つ。開始当初は動揺や不安、恐怖から大人しくしていたプレイヤーも落ち着いている頃だろう。見張るもの、縛るものが無くなったのを良いことに、気を大きくして意図的にモラル破り、マナー違反を行う者も居るかもしれない。
あるいは、考えたくは無いがそれ以上のことも。
「なるほどな。ありそうな話じゃねえか」
「……で、あんたは何しに来たんや、ハセヲはん?」
気怠そうに、いやバツが悪いのを隠すようにハセヲは頭を掻いた。
すると、まだ何も答えてないうちからキバオウは嫌そうに顔を歪めて。
「まさか、ワイか?」
沈黙を、キバオウは肯定と受け取ったようだ。
「あんた本当に見かけによらんなぁ、チンピラみたいなナリしとるくせに……お節介っちゃうかなんちゅうか。呆れるわ、ほんま」
「るせえ、チンピラはお互い様だろうがお山の大将!」
「猿っちゅうとるんか、それは!」
声のデカい二人が言い争っていると目立つもので、たちまち視線を集めた。もちろんだが、好意的な視線では無い。しばらくは不毛な争いを続けていたハセヲとキバオウであったが、ふとそれに気づくと、流石に黙りこくってその場を離れた。
「……まあ、なんだ。意外と、大丈夫そうじゃねえか」
「……あんたに気ぃ遣われるほどは落ちぶれとらんわ。それにワイはまだ諦めたわけやない」
「へっ、そうかよ。なら、無駄足だったみてえだな」
吐き捨てるような口調とは裏腹に、喜色が浮かぶのをハセヲは抑え切れていなかった。
「待ってるぜ。あんたみたいなのが居ないと、上も張り合いがねえからな」
「言うとれ、あほんだら」
*****
思い出さない時など無かった。それでも、虚勢を張り続けるしか無かった。
後悔が無いなど、有り得なかった。あの時ああしていれば。そもそもこうしていたなら。思い返せばキリが無い。
だが気取られる訳にはいかなかった。弱みを見せれば、きっと誰もついて来なくなる。腕尽くで引き摺っていく以外のやり方を知らない男がそれすらやめてしまったなら、一体誰がついて来るというのか。
是が非でも、膝を折る訳にはいかなかった。
「……」
力が足りなかった。だから守れなかった。みんな死んでしまった。死なせて、しまった。
だからこそ役目を果たせず、このはじまりの街まで転がり落ちたのだ。
——まあ、なんだ。意外と、大丈夫そうじゃねえか。
——待ってるぜ。あんたが居ないと、上も張り合いがねえからな。
それを軽々しくも、宣ってくれる。
だが歯噛みするよりも、意地を張るより他なかった。
「解らん。あの男には、きっと解らん」
だって、そうだろう。
あんなにも強く、思わず頼ってしまいたくなるような男に、弱さに打ちひしがれる凡人の気持ちなど理解できる訳がない。
仮に自分ならば、仮に自分が逆の立場であったなら、声など掛けられるのか?
こんな狂った世界で、惨めさに押し潰されそうな人間を、慮ることなど出来るのか?
何より——憐れまずに、いられるのか?
「ワイは……どうしたらええんや。どうしたら、よかったんや……」
自問自答などせずとも、本当は答えなどとっくの昔に出ている。解ってしまった。いや、本当はずっと前から解っていた。ただ、理解したくなかっただけのこと。
あの素直じゃない男の励ましを、気遣いを受け取れず悶えているのも、全てそれのせいだ。
“器が足りない”。そんな酷く素朴で、残酷な答えに。
「教えてくれ……なあ、ディアベルはん」
誰かが代わりに、前に出なければならなかった。だから名乗りを上げた。自分なりの正義に従い、力の限りを尽くしてきた。そして、自分にはそれが出来ると信じて……“言い聞かせて”、駆け上がってきた。
その結果が、今この時、この場所で、無様に故人へ縋り付く小男という訳だ。
死人に口なし。一体誰が、答えてくれるというのか。
「……?」
ふと気づくと、見覚えのない場所まで来ていた。当てもなく呆け、この広い街を歩いていたのだから当然と言えば当然の話だ。
辺りには人気もなく、建物に日の光は遮られ、昼間だというのに妙に薄暗い。
「あかんな……何をやっとるんや、ワイは。はよ戻らな。また揉め事でもおこったら事や」
どれだけ情けなくとも、まだやるべきこと、やらなければならないことがある。
「はあ、何処やここは。この街は広うて敵わん」
マップを開き、現在地を確認しながら溜息をついた。最近はめっきり増えてきた。気をつけなければ、人前であっても漏らしてしまいそうなほどだ。そして、どうやらそう遠くには来ていないらしい。ほとんど一本道に近い。
情けない姿を人前に晒さないよう、両頬を平手で挟むように叩いたが、当然痛みは無い。戦闘で痛みを除去してくれるのは助かるが、このような場合は困りものだ。少しも気合いが入らない。
——だが、それを知覚するには十分な衝撃だった。
それは影に隠れ、白昼から逃れていた。気づいたのはほんの偶然だ。苛立ち混じりに唾を吐き捨てようとして、しかし仮想でしかないこの世界ではそれすら出来ずに、俯き加減に見つめた日陰。そこに蠢く何か。あるいは気の所為で済ませていたならば、気づかずに済んだかもしれない。
しかし彼は、気づいてしまった。そして、気づいてしまったからには、もう遅い。
「……黒、点?」
それは、目を合わせてはならないものだった。