「運が良かった。と、言うべきかしらね」
「そう……ですね。ただ、手放しにそうも言ってられません」
「もちろんよ。他のみんなは既に全員被害者の移動をサポートしに向かってる。私は総務省主導で設立された対策チームにアドバイザーとして参加することになったわ」
「対策チーム? また、随分と早かったですね」
「三回にも及ぶネットワーククライシスに、国の方も警戒を強めてたみたい。……ともかく、私はすぐにあちらに合流する。三崎くん、貴方は茅場晶彦について出来る限りの情報を集めておいて。手段は問わないわ」
「了解しました!」
「じゃあ、行ってくるわね。落ち着いたら貴方や他の職員にも対策チームに加わってもらう予定だから、そのつもりで」
そう言い残して、令子は事務所を後にした。
「ふざけやがって、なんのつもりで一万人近い“未帰還者”を生み出しやがったんだ……!」
過去の例には、リアルでは意識不明の状態でもPCだけが意思を持って動き続けていたというものもある。それを別にしても、亮自身もThe World内に閉じ込められた経験があった。
ログアウト不可能という状況だけ見たなら、“未帰還者”というのもあながち間違いではない。
悪態をつきながら亮は自身のPCを立ち上げた。別にネットを使って調べようという訳ではなく、NABのデータベースにあるはずの茅場晶彦に関する情報を抜き出すためだ。
あれだけナーヴギアに対して関心を持っていたNAB上層部が、その開発者である茅場晶彦を調べていない筈がない。
無論それだけで茅場を捕捉できるかと言えば可能性は低いのだろうが、足掛かりくらいにはなる。
「……よし、見つけた。——なっ?!」
結果は……予想だにしないもので。
「データが全て……消去されているだと?」
茅場晶彦に関するフォルダ自体は存在したものの、肝心要の中身は実にさっぱりとした伽藍堂。
いくらなんでも異常だ。ウィキペディアを覗けば見られる程度の情報すら残っていないというのは。
「……っ。まさか、あの野郎……NABのデータベースにハッキングを!? そんな馬鹿な、それがマジなら茅場のスキルは——」
「——茅場の力量は、火野にも比肩するものだ。彼ならば機密領域にない情報を削除するくらいの真似はやってのけるだろう。彼に抜かりはない。おそらく今頃は、保管してある記録メディアも破壊されている頃だろう。……NABが甘かったと言わざるを得ないな」
「えっ……?」
「まさに、不世出の天才と呼ぶに相応しい男だよ、彼は。絶対に尻尾は掴ませない。調べるだけ無駄さ」
「なんで、あんたが……いつ日本に戻ったんだ?!」
亮の前に現れたのは……。
「つい先日だ。久しぶりだな、亮。最後に会ったのは日本を発った時か」
「雅人、さん……?」
犬童雅人……かつて、オーヴァンとして
再誕の爆心地たる彼は、全世界のネットワークを揺るがすほどの衝撃をその身に受け、一時は意識不明の重体に陥った。その間、CC社に全ての責任を被せられ、国際指名手配されたこともあったが……今ではそれも沈静化している。
元はNABの調査員で、今は難病を抱えた妹、愛奈の居るドイツへ渡っていたはずだが……。
「すまない、亮。また、お前のチカラを貸して欲しい。友などとのたまいながら、お前を利用することしか出来ない俺を許す必要はない。だが、それでも頼む……!」
「と、突然どうしたんだよ、雅人さん!?」
深々と、そして沈痛な面持ちで頭を下げる彼の姿から……亮は、言い知れぬ不吉さを感じていた。
先に続く言葉も、口に出る前から既に分かっていたような気すらしていた。
「——愛奈が、茅場の世界に囚われた」
*****
「茅場晶彦とは、NABで調査員をしていた時分に、何度か話したことがある。……彼は、異世界というものに並々ならぬ関心を向けていた。おそらく今回の事件は、彼の人生すべてを賭けた計画なのだろう」
雅人は……彼にしては非常に珍しく、取り乱していた。しかし、それも愛奈が絡んでいたなら無理もない。自身のすべてと引き換えに救おうとした妹だ、それが再び危機に晒されたとあっては……。
「俺は、茅場の信念を買っていた。だからこそ、愛奈がSAOに興味を示した時も、俺は迷いなくあの子に与えた。やってみるといい、あの男の作ったものならば、信頼できる……と。——だが、俺は彼の情熱を見誤っていた。純粋であることと善良であることが等しい訳では無いと、わかっていたはずなのにだ。俺は再び、愛奈を未帰還者にしてしまった……」
今は亮と再会したことでどうにか落ち着きを見せ、詳細を語り始めたところだ。
「彼は。ほんの数年前までフェイスマウントディスプレイの性能を競っていた時代に、ナーヴギアなどというイレギュラーを投げ込んだほどの天才だ。そんな彼が……“怪物”がはじめた計画に、手抜かりなどあるはずが無い」
既に彼は、リアルからのアプローチで愛奈を救える見込みはないと判断していたのだ。彼もまた、天才の範疇に収まる人物である以上……そのシンパシーは常人には計り知れないものなのだろう。
「……つまり」
「そうだ、亮。だからお前を——ハセヲを頼る他にないと俺は考えた」
解決する手立ては、ただ一つ。
「
雅人のそれは……余人からしてみれば、あまりに身勝手極まりない提案で。しかし、亮を知る人物ならば、彼がそれを無下にすることが無いのも理解できる。
「所詮、“あんな手段”でしか愛奈を救えなかった俺だ。茅場に勝てる保証は無い……。だが、お前と“お前の半身”ならば——」
「ずいぶんと勝手なことを言うのね、犬童雅人。本当に……やってくれたじゃない、この卑怯者……!」
「さ、佐伯さん? どうしてこっちに……?」
「……卑怯者なのも身勝手なのも理解しているよ、佐伯令子くん」
SAO対策チームと合流したはずの令子の姿がそこにあった。その整った相貌に、確かな怒りを浮かべながら。
「三崎くん、よく聞いて。貴方に上層部から指令が下った」
「俺、に……?」
「貴方に、当初の予定通り、ナーヴギアを使ってSAOへログインするように、と。——あなたの差し金でしょう、犬童雅人! 貴方は初めから三崎くんに断らせる気などなかった。彼が断る断らないに関わらず、デスゲームに参加させるつもりでいたっ、違うかしら!?」
「……その通りだ。“碑文使い”ならばこの事態を有利に進められる。そして、俺はそれを全力でサポートすると、NABに持ちかけたよ」
次の瞬間、パンッと乾いた音が響いた。雅人の左頰が、にわかに赤みを帯びる。
「ふざけないで……いくら“碑文”の力を使えるからって、三崎くんが危険であることに変わりはないのよ!?」
「分かっている。分かったうえで、俺は……」
「……っ! 話にならないわね。三崎くん、素直にログインしてやる必要はないわ。私が上に掛け合って——」
「佐伯さん……俺は」
「言わないで、聞きたくないから……!」
「——佐伯さんっ!」
亮の言葉を遮ろうとする令子。そんな彼女に意思を伝えるべく、雅人を睨みつけ、亮を背中に庇うように立っていた令子の肩を掴み、彼女を振り返らせた。
長い付き合いで分かっていた。彼女がこんなとき、どういう顔をするか分かったうえで……それを人に見せたがらないのも分かったうえで、それでも彼女と正面から向き合った。
弱々しく、しかし責めるような佐伯令子の悲しげな表情と。
「……三崎くん、分かってるの? 死ぬかもしれないのよ、怖くないって言うの?」
「……そりゃあ怖いけどさ。俺はもしかしたら、愛奈のことが無くったって、最後にはSAOにログインしてたかもしれねえ……そうも思うんだよ。今となっちゃあ、分からねえけどさ」
亮の顔は、これから死地に赴こうという人間にしては、何処か穏やかで。けれども、確かな意思を感じられた。
「ここで見て見ぬ振りをして、中にいる誰かに任せちまったとしても、別に俺が気に病むことじゃねえのかもな。でも、それじゃあ俺は、昔と同じだ。何一つ変われてねえ」
「……三崎くん、貴方……」
「俺はもうこの事件と、SAOと関わっちまったんだ。俺にはそのための力もある。それに、愛奈っていう確かな“目的”まで出来ちまった。……だから佐伯さん。——俺は最後まで、関わり抜くことに決めたよ」
人の気を知ってか知らずか……いや、おそらくは理解したうえで言っている。それが令子には分かった。
それでも令子は亮を止めたかったが、それが如何に困難なものかも知っていた。
「……やっぱり貴方は、強い人間なのでしょうね。私には、貴方を止められない。いえ、きっと誰にも……」
「すみません、ほんとうに」
「全くよ。貴方に付き合ってたら、いつも気苦労の連続よ」
令子は亮に背を向け、外へ続く扉に手を掛ける。
「来なさい。こうと決まった以上、貴方の本物の身体を安全に管理できる場所へ移らないといけないわ。……ログインするのは、万全の体制を整えたうえで。必ず生きて戻ってくること。それが、私からの条件よ……」
「佐伯さん……!」
「犬童雅人、貴方にも責任は取ってもらうわ。ナーヴギアに不正なプログラムを組み込んでも問題なく作動する確率……それを必ず100%まで持っていきなさい」
「当たり前だ、むざむざと亮を死なせるつもりは俺にも無い」
関係各所……全てが整うのに掛かった時間は、僅か二日。あらゆる人間が亮を安全に送り出すために尽力した。
そのなかには、かつてThe Worldで彼と出会い、縁を結んだ者の姿も……。
「……三崎くん。覚悟は、決まったかね?」
「何を今更。ここ二日は身体面から精神面に至るまでありとあらゆる検査でたらい回しにされたんですよ。黒貝さん、貴方だってそこに関わってたんだから知ってるはずでしょう?」
黒貝敬介……かつてThe Worldに存在したPvP専門のアリーナエリアにおいて、最強の男として君臨していたPC“太白”のプレイヤーだ。脳外科医である彼もまた、亮をサポートするべく加わったチームの一人。
かねてよりネットゲームが脳に与える影響について研究していた実績と、The Worldにおける“未帰還者事件”に関わった当事者としての経験が買われ、令子にスカウトされたのだ。
「そうだな。……結果は良好、むしろ、自ら危険に飛び込む人間の物としては落ち着きすぎているほどだ。とっくに腹は決まっているというわけか」
「ええ、まあ。ここに来てビビってるようじゃ、先が思いやられますしね」
「素直に、残った人間に心配はかけられないから……と言えば、可愛げもあるのだがな」
「あんた……」
「佐伯くんから事情は聞いたよ。今回のこと、“他の仲間達”には言っていないそうだな」
「……海外への長期出張。期間は未定。そういうことにしています。NABとしてもこの件が明るみになるのは避けたいようですし、現地に俺の代わりまで送って隠蔽してくれましたよ。ついでに言えば、俺はいま日本には居ないことになっています」
家族にも伝えていないことだ。かつての仲間の中でも、亮の行方を知る人物はここに居る敬介と令子、雅人の三人だけだ。
「怒りを買うことになるぞ、それも手酷くな」
「……そういうの引っくるめて、きっちり怒られるためにも絶対に帰ってくるつもりですから」
「そうか……。では、これ以上は野暮というものだな。犬童くんではないが、私も、君に期待している一人だ。健闘を祈る。——ハセヲとしての君を、今一度示してくれ」
そう……亮は、これより死地とかした浮遊城へと旅立つ。準備が整った今、彼を阻むものは何もない。
*****
『ハセヲさん、お久しぶりです』
「お前は……!」
あらゆる医療機器が設置された、亮がアインクラッドへ旅立つための“扉”とでも言うべき部屋。そこで彼を出迎える声は、予想だにしなかったもので。
「欅か!?」
『ええ、その通りです。こうして会うのは久しぶりですね』
「いや、会うったって……」
“欅”……The Worldにおいて一大勢力を誇るギルド、“月の樹”のギルドマスターを務める人物だ。月の樹はRe.2時代に起こした“不祥事”で規模こそ縮小したものの、Re.Xとなった今でも存在する古参ギルドで、欅は未だ、そこの顔役に居座っていた。
月の樹はネットマナー向上等を目指す、いわゆるお堅いギルドなのだが、当のマスターである欅は、The Worldにおける裏世界……不正なPCや放浪AIが闊歩する“ネットスラム”を根城とするハッカーでもある。その“正体”については、亮もある程度感づいてはいるが、敢えて触れずにいるのが現状だ。
そして、会っているというのは若干語弊がある。
なにせ欅は、雅人が手に持った端末のモニターにThe WorldにおけるPCの顔を映してこちらに手を振っているという状況なのだから。
『まあ、細かいことは気にしない気にしない。……実は、今回の件には僕も噛んでいるんです。正確には、オーヴァンに依頼された形ですけど』
まあ。欅の正体が亮の想像通りならば、“ここ”で会えという方が無茶なのだが。
「ナーヴギアに碑文をインストールする際、彼に協力を頼んだ。より、万全な準備を整えるために」
「なるほど……確かにコイツなら、やって出来ないことじゃないか」
いつもニコニコと張り付いたような笑顔で本性を読ませない人物だが、その技術にも人柄にも一定の信頼は置いていた。
『ハセヲさん。貴方はしばらくの間、碑文とは距離を置いてきました。Re.Xに移行してからは、せいぜいデータドレインを行使する程度で、“
「……ああ」
『それに加えて、碑文にとっても“異世界”と言える場所での発動になる。貴方と“スケィス”が同調するまでは、なんの力も持たない普通のプレイヤーとして過ごすことになるでしょう。そこから同調率を高めていけば、同様に行使できる力も大きくなるはずです。……まあ、時間が必要というわけですね』
「危険は覚悟の上だ。今更そんなもんで引いてられねえしな」
『ははっ、ハセヲさんならそう言うと思ってました。ですから、ここからは注意事項です』
「注意事項?」
今になって何を注意するというのか。SAOについてのマニュアルは散々読みふけったし、ナーヴギア自体は初体験という訳ではない。加えて令子にも、迂闊な行動は慎むように口酸っぱく言われている。
あとは、実践して詰めていく他ないと思っていたのだが。
『一つ目は、ログインしてしまうと外部から SAOには手出しできません。ハセヲさんのサポートは不可能……それが見つかってしまったらハセヲさんが排除される可能性が高いので、極力避ける方向で考えています。二つ目は、碑文を持つハセヲさんのアバター……あっ、この場合は所謂、仮想体としての意味ですよ?』
「いいから、話を進めろよっ!」
『では、そうさせていただきます。ハセヲさんのアバターはThe WorldにおけるハセヲさんのPCボディと同じく“The Worldにおけるエリア一個分を上回る”ほど巨大なデータ質量を秘めたものです。The World内ならともかく、五感ごと仮想世界に入り込んだSAOでは、その違和感に気づくプレイヤーも出てくるかもしれません。その時は、それとなく誤魔化しておいてください』
確かに、目の前から島か小山のような質量感を持つ人物が歩いてきたなら、気にならない方がおかしいだろう。
見た目は普通のアバターでも、その違和感は拭いきれないのかもしれない。
……しかしそもそも。
「バレたら不味いのか?」
『信頼できる人間にならともかく、素性を明かすのも特異性を認めるのも余計な混乱を生むだけですしね……』
「まあ、そりゃそうか」
『あるいは、ソロプレイに徹するというのも手かもしれません』
「ソロ、か……」
The Worldとは違って、リソースの取り合いのようになりかねないSAOでは、ソロにも優位性はある。
多少の危険には目を瞑り、ソロで活動するのも悪い選択肢では無いのかもしれない。
「とはいえ、まずは愛奈を見つけるところからだな」
「……頼む。あの子は聡い子だ。無用な危険に首を突っ込むとは思えないが、閉鎖空間に押し込められた民衆が何をするかは予想できない」
「ああ。出来るだけ早く合流するつもりだ」
『……それでは、名残惜しいという気持ちもありますが』
「行くなら早い方がいい。準備は万端に整ってんだからな」
『分かりました。では、すぐにでも——』
「三崎くん!」
声を上げたのは、ここ数年、聞かない日の方が珍しかった人のものだ。
「……ちゃんと帰ってきなさいよ。身体の方は守っておいてあげるから。もし貴方を無事に返せなかったら、お嬢さん達にも申し訳が立たないんだからね」
「佐伯さん……。はい、絶対帰ってくるつもりです」
「……いってらっしゃい、“ハセヲ”」
「っ!——ああ、行ってくるぜ!」
リンク、スタート。——その直後、何処からか響き渡る“ハ長調ラ音”に気づけた人物は、ハセヲただ一人であった。