『茅場』
「……なんだ?」
『“奴”が、ここに来た』
「それは、誰だ?」
『我らがまだ未成熟な“泡”でしかなく、個を確立していなかった頃のこと——奴は、か弱き我らを滅ぼした。斬り刻んだ。踏みにじった。虐殺の限りを尽くした……!』
「……ふむ?」
『忘れもしない、この禍々しき気配……! 奴だ、奴が私達の世界に来たのだ、茅場!』
「今更、このデータで織られた世界で君達が恐れるようなものがあると……本当なら実に興味深いことだが?」
『忌々しき“八つの波”。“モルガナ”の子。我らに“死”の概念を押しつけた張本人。再び我らの前に立ちはだかるか——“死の恐怖”、ハセヲ……!』
誰にも聞かれることのない会話。
それは人の身で世界を形作り、自らの意思で禍つ神となった怪物と。——希薄な怪物でしかなかった我が身を、確固たる意志を持つ存在へと引き上げた知性体の間だけで交わされた。
*****
「ここは?」
気づけばハセヲは、見知らぬ広場に立っていた。
「そうか、ここが《はじまりの街》か。……はっ、デスゲームと知って入ってくるような馬鹿野郎にはキャラメイクなんざ必要ねえ手順って訳かよ」
プレイヤーが初めに訪れるエリア、第一層にある《はじまりの街》。どうやら無事にログイン出来たようだ。
そのことに少し安心しつつ、辺りを見回す。流石に開始から三日目ともなれば、こんなところに居るプレイヤーは……。
「……まあ、そうだよな」
ちらほらと見受けられる、力なく項垂れる人々。おそらくは、ようやく自らの現状を実感しつつある一部の者たち。
絶望して嘆くか、逆境に立たされ戦いに向かうか。
当然、中には現実を受け入れない人々も居ることだろう。
リアルの惨状を理解した上でここにやってきたハセヲには、彼ら彼女らの気持ちを本当の意味で理解することはできないのだろうが、起こり得る事態の一部くらいは予想できる。
(SAOは、基本的にモンスターを倒すことによって経験値を得るシステムだったはずだ。……ぐずぐずしてたらこの辺り一帯のモンスターは狩り尽くされて、リポップ待ちの憂き目を食らうってわけか)
まずはオーヴァンの頼みである愛奈の捜索を優先したかったが、それ以上にこの環境に慣れなければならない。ナーヴギア自体は初体験ではないとはいえ、この世界はハセヲにとっても未開の地だ。戦闘において根幹を成すシステムである
未熟なまま動き回れば、ミイラ取りがミイラというのもあり得る以上、慎重に事を進める必要があった。
そういう意味でも、数日はこの《はじまりの街》を拠点にするのがベターであるとハセヲは考えた。
「な、なあ? そこのあんた?」
「? 俺か?」
話しかけて来たのは、不健康に痩せ細った男性で、およそネットゲームでは見かけないタイプの顔立ちをしていた。
ハセヲがログインした際にキャラメイクが省略された件と合わせて見ると、もしかしたらここに居る者達は皆——鏡が無いために確認できないが、ハセヲも含めて——自身のリアルと同じ顔と体格をしているのかもしれない。
こちらも、大方の予定通りと言える。
長時間こちらの世界で生活するとなれば、“自身”というものを認識しづらい作られたアバターボディでは、精神的に不足の事態が起きやすい。茅場がリアルを追求していたこと、ナーヴギアにそれが可能であったことを考えれば、この状況はある意味当然のものであった。
「あ、あんた……いま、ログインしてこなかったか……?」
(……なるほど)
この男は、いまこの場にハセヲが現れたのを目撃して、SAOにログインしてきたものと当たりをつけたのだ。
この世界には魔法というシステムは存在しないものの、数少ないマジックアイテムの中に転移用のアイテムも存在する。しかし当然それは、少なくとも現時点ではとても希少な代物で、この《はじまりの街》でいきなりそれを使う人間はそうそう居ないのだろう。
事実、ハセヲはたったいまログインしてきたばかりで、目の前の男の予想は当たっていた。
……しかし、それを馬鹿正直に教えるメリットはなかった。むしろ余計な希望を与えかねないことを考えたなら。
「……悪りぃな。ちょっと無茶しちまって、もしもの保険に持っていたアイテムを使っただけだ」
「嘘だっ! 嘘だ嘘だ、あんたはログインしたはずなんだ! そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ俺が戻れないじゃないか!?」
「何を言われたって答えは変わら——」
「うるせえっ! こんなの有りえねえんだよ、本当のこと言えよ! なあ、これってイベントなんだろ!? そうだって言えよ、なあ!?」
「…………」
既にハセヲのことなど見えていないかのように、天に向かって男は叫び続けた。ゲームマスターなど存在しないこの世界において、それがどれほど無為な行為か知ってか知らずか。
見るに耐えなくなったハセヲは、現状を噛み締めながらその場を後にした。もし、彼のような人間が多いようなら……この街は、なるべく早く出るべきかもしれない。
「コイツが
簡素な皮鎧と、安価な武器を初期マネーで購入したハセヲは、早速フィールドにてソードスキルを試すことにした。
先程放ったのは、短剣スキルである《ファッドエッジ》だ。素早い四連撃がフィールドを徘徊するフレンジーボアを捉え、HPをゼロにした。
初めは発動するのにも苦労したが、何度かの挑戦で形になりつつある。心なしか、初めに放ったものよりも速度が上がっているようにも思える。
「いや……実際多少は上がってんのか?」
事前に入手しておいた情報によれば、使い手の練度……この場合は、単なる熟練度という意味だけでなく、プレイヤースキルによっても、速度や威力が増減するという。
もっとも、感覚的な部分が多く、分かりやすい説明は為されていなかったが。
幸いなことにThe WorldのPC“ハセヲ”と、この三崎亮の身体を持つアバター“ハセヲ”の体格は似通っており、間合いに関していえば然程苦労はしなかった。
……とはいえ、スピードはまさに亀とウサギ。いや、それ以上に劣っているかもしれない。
違和感は感じるが、やはりそれもすぐに解消されることだろう。なにせ、レベル1に戻されるのは初めての経験ではないのだから。
「まっ、短剣はこんなもんだろ」
ハセヲはウインドウを操作し、短剣をストレージに収納されていた幅広の両手剣と持ち替えた。
どうやらコツを掴んだ様子で、幾度も繰り返し振るった短剣のもの程スムーズではないが、一太刀目からソードスキルを発動。
突進からの振り下ろし、両手剣スキル《アバランシュ》を、フレンジーボアに向けて出会い頭に叩き込み、光の粒子へと四散させた。
「こっちは流石にしっくり来るな」
The World時代、ハセヲは
しかし、以前の再現をしようにも二対の短剣を操るソードスキルは無いようで、手持ち無沙汰というのが本音であった。
反面、同じくThe Worldの頃から使用していた大剣……つまり両手剣は多少サイズに物足りなさを感じるものの、手に馴染む感覚があった。
もう一種の武器に関してもカテゴリーとしては存在しないのだが、近似武器はある。今回は資金繰りを考えて購入は控えたが、いずれは代わりのものを仕入れるつもりだ。
その後数時間の間、ハセヲはフィールドで自身の動きを確認し、ソードスキルの感触を念入りに身体に叩き込み、西日が射し始めた頃になってようやくその作業を終える。
少しばかり気は進まなかったが、ひとまずその日は鬱屈な《はじまりの街》へと戻ることに決めた。
その日の夕方から夜にかけて、《はじまりの街》で愛奈の捜索を行ったが、結果は芳しくなかった。名前は、The Worldでそうだったように本名であるアイナを使っている可能性が高いと聞いているが、定かではない。なにせ初回プレイからこの世界に閉じ込められたのだ、いくらオーヴァンとて把握し切れないだろう。
彼から見せてもらった現在の愛奈の写真だけが確かな頼りであった。如何せん、情報が少なすぎる。
ハセヲはその日の捜索を切り上げると、装備を買い揃えた余りの金で安価な宿を取った。
「分かっちゃいたが、本当に俺の顔なんだな」
宿にあった鏡で確認した限り、リアルで毎朝見ていた自身の相貌であることは間違いなかった。……間違いなかったのだが。
「ったく、誰の差し金だよ」
髪は白髪、瞳は真紅。挙げ句の果てに、両頰には見覚えのある紋様が刻まれている。記憶違いであれば、PCハセヲの1stフォームの頰にあったものと同じだろう。
たまたま……というのは有り得ないだろう。碑文の影響か、あるいは。
「欅のやつか……」
その線が濃厚に思えて仕方がない。
リアルの自分の顔にハセヲの“ガワ”が乗っかっているのは少々恥ずかしくもあるが、今日街を見回った限りでも色鮮やかな髪や瞳が見受けられた。
自分だけでないなら、気にする必要はないだろう。せいぜい同じ穴の狢に見られるだけだ。
それに、この姿をしていると不思議と自覚できる。今の自分が、“三崎亮”ではなく、“ハセヲ”なのだと。
「…………」
心の中で碑文に呼びかけても、The Worldで自身とともに戦い抜いた半身の気配は、未だ感じられない。
だが、それでも。
「——俺は、ここにいる」
ここが仮想世界であっても、それだけは間違いない
*****
翌日、午前中は昨日回れなかった地域を重点的に捜索した。その途上で、数少ない女性プレイヤー達の寄り合いのようなものも見つけたが、そこでも愛奈に出会うことはできなかった。
そもそも酷く警戒された様子で、まともに取り合ってもらえなかったのもあるが、自分の名前と伝言だけは聞いてもらえた。もしそこに愛奈が隠れていたならば、ハセヲという名前で気づいてくれるはずだ。
それで駄目なら、もう愛奈はこの街にはいないのかもしれない。
(アイナとはオーヴァンを間に挟んだ仲で、然程親しかったって訳じゃねえが……それでも、年の割にかなり聡い子だったのは覚えている)
ハセヲと同じように、リソースが尽きることを予想して別の場所へ移ったとも考えられる。
とはいえ、はじまりの街は広大だ。愛奈がいる可能性がゼロではない以上、訓練を積みつつ、この街をしらみ潰しに回る他ないだろう。
「あ、あの……」
「?」
後ろから聞こえた声に振り返るが、一瞬誰も居ないようにも見え……しかし、ふと視線を下に下ろすと。
「あ、貴方……ですよね? アイナさんを探してるのって……?」
「! アイナを知ってるのか!?」
「ひっ!?」
そこに居たのは、中学生くらいの年恰好をした少女だ。
つい大声を出してしまったためか、驚いて物陰に隠れてしまった。
「あ、わ……悪い」
「い、いえ……こちらこそ……。わ、私……シリカと言います」
「それで、アイナを知っているのか、シリカ? ああ、俺はハセヲだ」
出来るだけ刺激しないように声音を抑えるハセヲに、再び少女……シリカは近寄ってきた。
「は、はい。……その、ハセ“オ”さん?」
「……ハセ“ヲ”だ」
「あ、すすすみません!?」
たしかに、ハセヲもハセオも表記はHaseoだし、ほんの少しのニュアンスの違いだから、さしたる間違いでもないのだが。
「いや、別に良い。それより、教えてくれ。アイナはいま何処にいるんだ?」
「…………」
「……シリカ?」
「そ、その……ハセヲさんは、どうしてアイナさんを探しているんですか?」
その目に浮かぶ警戒の色に……しかしハセヲは、何か温かいものを感じてしまう。
(この子……アイナのことを気遣っているのか)
愛奈のことを探す人物が居ることを聞いて、ただそれを教えることなら誰にでも出来る。しかしそれをしないのは、ひとえに彼女を慮ってのこと。それは当然だ。怪しい奴に知り合いの情報を無条件で渡すなんて真似、普通は出来ない。
しかしこの特殊な環境下でそれが行えるのは、この少女の優しさ故だろう。
そう考えると、不思議と笑みがこぼれた。
「わ、笑うなんて……!」
「ああ、いや……馬鹿にしたわけじゃねえよ」
知らない大人……それも男性の前だ、勇気を振り絞って出てきたのだろう。それを笑われたなら、怒って当然だ。
「おま……君が、こんな状況でもアイナを気遣ってくれているのが嬉しかったんだよ」
いつもの調子で「お前」と言いそうになったのを抑え、慣れない二人称を使いながら誤解を訂する。
「アイナは、俺の親友の妹だ。この世界に来ていることはアイナの兄貴から聞いていた。ここに居ないアイツの代わりに、俺がアイナを守らないとならねえ。……だから、頼む。知ってることがあったら教えてくれ」
「あっ……」
精一杯の誠意を込めてハセヲはシリカに向けて頭を下げた。
大人に頭を下げられたことなど無いのだろう。シリカはオロオロと慌てるが、やがて。
「……アイナさんは、もうこの街にはいません。年少の子たちのためにお金を稼いでくるって……」
「年少の子たち?」
「はい……私より少し小さいくらいの子達が二十人以上……。私はまだ、アイナさんが付いていてくれたから良かったですけど、中にはパニックになる子も居て。あ、アイナさんが、せめて、美味しいもの食べられるようにって……!」
仮想現実であっても、この世界では空腹を感じる。良質な食事が精神安定に役立つという考えは、決して間違いではないだろう。
次第にポロポロと涙を流し始めたシリカを慰める言葉を、ハセヲは持ち合わせていなかった。また、軽々しく耳障りの良い言葉を言えるほど、器用な人間でもなかったのだ。
ハセヲはただ、シリカが泣き止むまで、彼女から視線を逸らさないことしか出来なかった。
「……ご、ごめんなさい、私、困らせるつもりじゃ……!」
「ああ、分かってるさ。——アイナのことは任せとけ。絶対に死なせやしねえ」
「……っ。お願いしますっ、ハセヲさん!」
きっと、こうして背負うものを増やしていくのが自分なのだろう、と何故だか得心がいく思いであった。そして、背負ったもの全てと最後の最後まで関わり抜くというのは、きっと難しいことなのだ。
しかし、不思議と負担には感じない。むしろ
、この重さが自分のチカラになるように思えてならないほどだ。
ハセヲ一人の強さなど、所詮たかが知れている。それは、PKK《死の恐怖》としての最期の日に嫌というほど理解できた。
志乃を意識不明にした伝説のPK、
パイはハセヲに、“強い”と言ったが、それは仲間たちが……ハセヲと最後まで関わってくれた人々が居たからこそ、得られた強さだ。
決意も覚悟も定まったつもりでいたが、シリカと話し、それを再確認させられた。
(アイナは絶対に死なせねえ。そして——)
その日を最後に、ハセヲは《はじまりの街》から旅立っていった。