第二層に至ってより数日後のこと。
アイナは最近よく見かける二人組に遭遇した。
地味な灰色のケープを目深に被った少女と、何やらいつもと異なる趣味の悪いバンダナをつけた少年だ。少女は平常運転なのに対し、少年の方はいつもの黒ずくめを何処にやったのか……密かに彼のことをブラッキーくんと呼んでいた身としては、少しばかり気になって思考を巡らせようとして。
しかし、すぐに心当たりが浮かび、第一層攻略直後の出来事を思い起こした。
「でも、ハセヲさんまでここに来てしまっていたなんて……」
ハセヲとこのSAOで再会したことは、アイナにとってとても意外なことであった。確かにナーヴギアでのVRMMOという世界初の代物は、たとえばオンラインゲームをやらない人間にとっても興味深いものなのだろう。MMOを長く続けている彼が興味を持つのは理解できる。
しかしだからといって、NABの仕事に明け暮れ、合間にできた余暇もThe Worldに使うらしいハセヲが、一万人限定のSAOを入手するために奔走するとは思えなかったからだ。
「ああ……実は、NABの仕事も込みでな。お前のことはたまたまオーヴァンから聞いていたから、ずっと探していたんだ」
その時、なんとなくハセヲの表情に、違和感があったように見えた。気のせいかとも思ったが、妙にそれが気になり、問いただそうとするアイナであったが。
直後に起こった喧騒に阻まれ、それ以上言葉を出せなかった。
「——なんでだよ! なんで、ディアベルさんを見殺しにしたんだ!!」
それは、慕っていたリーダーであるディアベルを失ったパーティメンバーの慟哭であった。
コボルト王の、ベータとは違うソードスキル……ベータテスターであろうキリトはそれを知っていた。なのに意図して隠していたのだと、糾弾した。
その糾弾も、理性ある論理によって一時は覆されたが、あろうかとか今度はアルゴの作った攻略本がデタラメであったという結論に発展しようとしたのだ。
やり場のない怒りと悲しみを、分かりやすい仮想敵に向けようとする……言ってしまえば八つ当たりに近いものだが、悪意を持って見据えたならば——筋道は、通ってしまう。
おそらくは、その流れを止めるため……キリトは怒りの矛先が自身へ向くように仕向けた。
馬鹿なことをとアイナは思った。しかし、彼はもうそれを口に出してしまっていた。今更それを覆すこともできないし、この場を収められる代替案を提示することもできない。
それでもせめて、全て分かっているということを彼に伝えたくて、ただじっと見つめていた。
「……アイナ。また後で会おう、もう少し落ち着いた場所で」
ハセヲの提案にアイナは頷いた。
この場は確かに、落ち着いて会話をできる場所ではない。キリトが居なくなった今、今度は突然現れたハセヲに対して敵愾心を向けている様子だ。
それに今、アイナはキリトとパーティを組んでいる。このまま彼一人を行かせるつもりはなかった。おそらく、アスナも同じ考えだろう。
「アイツを追いかけるんだろう。早い方が良い、行ってやれよ」
「おい、アンタ……!」
「るせえな、別に後から来て手柄を寄越せなんて言いやしねえよ!」
結局のところ、ハセヲとはそれだけしか話せなかった。
いけ、というジェスチャーで見送られ、アイナはアスナとともに階段を上がり、キリトを追いかけた。
(つまり……変装のつもりなのね、あれ)
回想からそこまで読んだアイナは、とりあえず似合ってないからやめておけと忠告することに決めた。
「いつもの黒ずくめはどうしたのかしら?」
「……あんたもか……」
キリトの苦々しげな顔と、アスナのそら見たことかと言いたげな表情から、既に苦言を呈されていたことを察することが出来た。
「で、どうしたの、二人揃って。……デート?」
「違いますっ!」
「は、はは……いや、実は今から狩りに行くんだよ、アスナの武器強化用の追加素材を」
二の句に、余計なこと口走ってしまったばかりに……と付きそうな顔をしながら言うキリトを見逃すアスナではなく、彼の足を容赦なく踏みつけた。
「よかったら、アイナさんも付き合ってくれない? 夕食くらいは奢るわよ?」
「ええ、構わないわよ。特に用事もなかったし、夕食代が浮くなら私も助かるもの」
「……そういえば、アイナ。あのときのプレイヤーは一緒じゃないのか? 知り合いなんだろ?」
どういう関係か問われると実に困る相手のことを、悪気なく尋ねてくるキリトに、アイナはニッコリと笑いかけて。
「誰かさんが騒ぎを起こしたせいで、アレきり会えてないわ」
「あっ……そ、その……ごめん……」
「ちょっと? 本気で受け取らないでくれる?」
嫌な子みたいじゃない……と、不満を漏らすアイナにキョトンとした目を向けるキリトをアスナと一緒にひとしきりからかった後、一行は目当ての素材を落とすモンスターが現れる第二層西フィールドへと向かい。
思いがけない人物と出会う。
「なるほど、狩りか。そういうことなら俺も手伝おう、行き掛かりだしな」
それは、ほんの少し前に話題になったばかりの人。
「ハセヲさんは、どうしてここに?」
「経験値稼ぎ。と……後は訓練だな。飛行型Mobに慣れるなら、ここにいるウインドワスプは丁度いい」
白髪赤目が特徴的な、細身の男——ハセヲ。
フィールドに着いたアイナ達。偶然なのか、それとも“故意”なのか……彼はそこに待ち構えていた。
「素材の方に用は無いんでな、分けるのは吝かじゃない」
「でも、タダでというのは……」
「いいんだ。その代わり、俺が加わった分で空いたおま……君たちの時間を、俺に使わせて欲しい。少し君たちに話がある」
キリトもアスナもその申し出を訝しく思ったようだが、結局最後には納得したようだ。アイナが信頼しているというのもあるが、わざわざ彼女を救うために危険地帯である迷宮区を抜けてきたハセヲの精神性を二人は知っていた。
少なくとも、悪意のある提案とは考えなかったのだろう。
「なぁ、アイナ。君だけならともかく、ハセヲは俺たちに何を話すつもりなんだ? 心当たりは?」
「分からない……でも、たぶん意味のあることよ」
半分本当で、半分は嘘。
アイナにはハセヲが何を考えてこんな提案をしたのか、予想がついていた。
「まあ、俺としてはあの人の実力にも興味あるし、時間が短くて済むなら願ったりだしな」
「あら? 余裕ね、キリトくん。ビリの人はデザート三人分奢らなきゃいけないのに」
「——えっ」
「そういえば、そんな話もあったわね」
ノルマは百匹。つまり、三人で手分けするなら三十三匹、三十三匹、三十四匹……一人だけ一匹多く狩らなくてはならない計算だ。ならばとアスナが提案したのは、最初に三十四匹目を倒した人が一番、三十三匹目を先に倒した方が二番として、ビリが食後のデザートを奢るという競争であった。
キリトは深く考えずにオーケーしたようだが、青くなっているところを見るとその意味を理解してしまったのだろう。
第二層主街区《ウルバス》にある、美味である代わりに馬鹿に値段の張るショートケーキ……《トレンブル・ショートケーキ》。おそらくは、負ければそれを奢らされる結果となることを。
そういえばなどとアイナはとぼけたが、彼女のお目当もそれであった。普段は贅沢などできない彼女にしてみれば、負けられない戦いである。
「なんの話だ?」
当然、この騒ぎはハセヲの耳にも入る。
「い、いや別になん——」
「普通に狩るだけだと張り合いがありませんからね、一人ノルマは二十五匹。一番遅かった人がデザート奢り、という話をしてたんです」
「ああ、そういう話か。デザートくらいなら話の礼に奢ってもいいんだが……」
「えっ」
項垂れていたキリトがバッと顔を上げ。
「それも面白くねえか。よし、そういうことなら構わねえ。ビリケツが奢りだな」
再びがっくりとへたり込んだ。
「じゃあ、始めましょうか」
「ええ。目標は一時間以内で」
「了解だ。……っと、いくか」
キリトを尻目に、素早く三方に散ると、ちゃっちゃと狩りに取り掛かってしまった。
「あっ! おい、三人とも汚いぞ!」
*****
キリトが焦っていたのにも、当然理由はあった。
彼自身の実力は、実際問題SAO内の平均を大きく上回っていると彼自身把握している。ベータ版の知識と経験から早い段階で実力を高めた彼は、若干の罪悪感とともにそれを自覚していた。
そんなキリトと比べても、アスナとアイナの実力は優れていると言わざるを得なかった。彼をして、一対一で勝てると言い切れない数少ない者たちだ。
凄まじい《リニアー》でワスプの急所を的確に貫き、どんどんスコアを伸ばしていくアスナは言わずもがな。
両手槍のリーチを最大限に活かし、速度で負ける分は威力で補ってくるアイナも脅威だ。彼女はとにかく得物の取り回しが上手い。効率的な動きで無駄なくワスプを狩る姿も、なんとなくI.Qの差を感じさせられる。
当然といえば当然だが、キリトとて勝てるかどうか分からない勝負はしたくない。
加えて、実力未知数だったハセヲ——なんとなく聞き覚えのある名前なのだが、どうしても思い出せない——も、案の定というべきか、トッププレイヤーと言えるレベルの戦士であった。
こちらの戦い方は、正直言って真似できない。間合いや状況次第でクイックチェンジにより得物を切り替える様は、実際異質すぎる。短剣と両手剣……確かに違う役割を務めることが出来る両者を使えたなら、便利は便利だろう。しかしそれを実行するには、熟練度の上昇効率の低下や二種類の武器に注ぎ込む素材やコル、そもそも問題なくそれを取り回せる戦闘勘など、必要なものが多すぎて現実的ではない。
しかしハセヲには、それを意のままに操る圧巻のプレイヤースキルが備わっていた。
時には短剣スキル《クイック・スロー》で短剣を投擲し、直後に呼び出した大剣で攻撃を繋げ、更にそれを拾い上げて大剣を収納。短剣装備状態に戻って高機動戦闘を展開という荒技まで使ってみせた。
いくらなんでも装備状態を解除するのはやり過ぎではないかと思ったが、持ち方が短剣時は右利き用、大剣時は左利き用になっている点で、彼が装備フィギュアの右手セルと左手セルとで装備を使い分けていることが理解できた。
もっとも、つまり彼はどちらの手でもソードスキルを発動させられるという、参考にすべきか呆れるべきか分からない事実に気付かされただけなのだが。
(って、ヤバイ、そんな余裕なかったんだった……!)
普段なら自身と同等以上の技術を持つ人間に感心し、心強く思うところだが、今日だけは違う。もし仮に例のケーキを三人分も奢らされたらしばらくは質素な食生活を送る羽目になるだろう。
娯楽の少ないこの世界で、それは非常に辛いことなのだ。
誰も彼も予定の倍近いスピードでワスプを駆逐しており、全員が既に二十匹を狩り終えている。呑気に余計なことを考えていたばかりに若干出遅れたキリトは、現在アイナと並んで二十一匹。ハセヲとアスナはと言えば、二十三匹とほとんど王手をかけていた。
(な、なんとしてもビリだけは……!)
「——これで二十五匹ッ!」
しかし無情にもその時は訪れた。天国への最初のチケットを手にしたのは、アスナであった。敏捷力の高さに加えてクールタイムの少ない基本技である《リニアー》によるクリティカルの連打が決め手だろう。
「二十五……こっちも終わりだな」
二番手は順当にハセヲが取ってみせた。キリト……アスナにアイナもだが、基本的に使う武器種は一つだ。プレイヤースキルはもちろん、熟練度を上げるという意味でもそれが無難なため、大半のプレイヤーはそちらを選ぶ。
それに対してハセヲは多様性を最大限に発揮した時の強さを見せつけてきた。
絶対的な才能が必要なコレは、ある意味で彼の“ユニークスキル”といって良いだろう。——などと、考察している場合ではなかった。
現在……キリト、二十四匹。アイナ、二十四匹。お互いにラスト一体というところ。
次のリポップで勝負が決まるという瀬戸際だ。
アイナはリーチで、キリトは素早さで優っていることを考えたなら、先にリポップしたワスプを発見した方の勝利と言っても過言ではなかろう。
そして、その時は訪れる。
「ぃよしっ!!」
現れたのはキリトの数メートル先。アイナからは少しばかり距離が離れており、キリトは確実に彼女より先に倒せる位置にいる。
女性に奢らせるのはちょっと気が引けるが、そんな甘っちょろい戯言など今ばかりは忘却の彼方に追いやった。背に腹はかえられぬ。
喜び勇んで挑み掛かるキリト。全速力で間合いを詰め、ワスプに向けて刃を振り下ろしたその時。
——ゴゥッ!!
「へっ?」
凄まじい風切り音とともに、キリトの目の前のワスプが消し飛んだ。
一瞬何がなんだか分からなかった。だが、後ろから聴こえてきた……底冷えするような宣告とともに、それを理解する。
「——ケーキ、げっと」
槍スキル、投擲技《ブラスト・スピア》。
どうやら二十四匹目でタイマンになった時点で、勝負はついていたようだ。
キリトの、一週間黒パン生活が始まる瞬間であった。