「ふむ……情報を広めるのもまあ、情報屋の仕事っちゃ仕事だガ……それ、マジのネタなのカ?」
夜間、一通りフィールドを回ったハセヲだが、“大方の予想通り”……AIDAの影は見受けられなかった。そこで当初の計画に沿って街中をウロチョロしていたアルゴを捕まえ、事情を説明していた。
「事実だ。俺の素性は話しただろう? それに、俺がAIDAを排除したところはあんたも見たはずだ」
実のところ、排除したというのは正確ではない。碑文をインストールしたアバター……言うなれば、“碑文使いアバター”の性質は碑文使いPCと似通っており、AIDAのようなイリーガルな存在に対してもある程度攻撃を通すことが出来る。それ故に、穴の向こうからこちらに干渉していたAIDAにも対抗することが可能だった。
しかし、トドメを刺すには至っていない。単純に攻撃力が不足しているというのもあるが、データドレインをあの場で使用できなかったところが大きいだろう。
追い返すことは出来たものの、あの時AIDAは世界の裏側に逃げ込んだだけであった。
そして、第一層最奥から他のプレイヤーが退去した後でもう一度そこを訪れた時には、既にAIDAの姿はなかった。
「まあ、少なくともハセヲが普通のプレイヤーじゃないのは理解してるヨ。AIDAウィルスに関しても、オレっちはリアルタイムでニュースを見ていた世代だから心当たりはあル。ただ……」
「ただ?」
「あれ以降、オレっちはAIDAなんて見ていなイ。確証のない情報を流すのも気が引けるだロ?」
「情報屋としてのプライドってやつか……」
「せめてハセヲが、AIDAウィルス混入の根拠を教えてくれたら話は別なんだガ……」
別にハセヲは、それを隠していたわけではない。単に、正直に話したところでアルゴがそれを信じてくれるかどうか……それを危ぶんでいるのだ。
どこの誰が、AIDAは実はコンピューターウィルスではなく、ネット世界で生まれたデータ生命体で、人間に対する好奇心で人を襲うこともあるんだ……などという絵空事のような言葉を信じるというのか。
今さらアルゴのことを、コルにしか興味のない非情な人間だとは思っていない。これはただただ常識的な問題だ。
あまりに非常識な事実は、時として虚言と罵られる。
「AIDAの探査プログラム……それじゃ不足か?」
「でも、そのプログラムは今んとこAIDAの一匹たりとも見つけられていないだロ」
「それは……」
「やれやれ、ハセヲは交渉が下手だナ。ま、頭の片隅には置いとくヨ。じゃあナー!」
「あっ、てめ……! 待ちやがれっ!」
前回の失敗を糧にさらに逃げ足に磨きをかけたらしいアルゴは、そそくさとハセヲの視界から消え去った。こうなるともう、ハセヲの索敵スキルの熟練度では彼女の隠蔽スキルを見破るのは困難を極めるだろう。
「ちっ……仕方ねえ、地道に回るか……」
AIDAが夜間に姿を現さなかったのは、おそらく人が居ないからだろう。AIDAの興味は、人間の感情や行動に向けられることが多々ある。特に、自我を持つほどに成長できていない個体は、その傾向が強い。そもそも、AIDAがSAO内に存在する可能性が示唆されたのも、この極めて特殊な閉鎖社会においての人間の感情の揺れ動きに興味を示す個体が現れるのでは……という万が一の疑いからだ。
もっとも、自我を持った個体なら、目的も無しに無闇矢鱈に人を襲うこともないはずだ。……嗜虐的な自我を獲得した者なら、その限りではないのだろうが。
(だが、どうして今更“悪性”のAIDAが出現するんだ……?)
The Worldに馴染めなかった悪性のAIDAは全てオーヴァンの再誕によって消し飛ばされたはずだ。生き残ったAIDAは、少なくとも人間全体に対しての敵対意識は持ってはいない様子だと“聞いている”。
ならば、ここに存在するAIDAは一体……?
「考えても拉致があかねえか……」
しかし、少なくともボス攻略戦には顔を出す必要があるだろう。いま、このSAOでもっとも大きな感情の揺れ動きを生み出すシーンは、間違いなくそこなのだから。
*****
結果としてハセヲは、ボス攻略戦に参加しなかった。
危険な場面はあったものの、どうにか攻略は上手くいったからだ。しかし、その後の展開が芳しくなかった。
強化詐欺……システムを使った極めて巧妙な、武具の窃盗。
その犯人がボス戦のキーポイントを乗り越えることに貢献した……までは良かったが、彼は自らの罪をその場で告白し、裁きを求めたのだ。
「……思った通りか。——出やがったな、AIDA!」
彼を吊るし上げ、処刑すべしという気運が高まったその時のことだ。
流れを止めに入るべきか様子を見ていたハセヲだが、それ以上に気にかけていたのは、この状況であった。
悪意、怒り、後悔、恐怖、諦観……あらゆる種類の感情が混沌と渦巻くこの場を、第一層ボス攻略で最悪のタイミングで割り込んできた嗜虐的な性質を持つAIDAが、見逃すとは思えなかったからだ。どういったアプローチをかけてくるかは分からないが……そもそも、あの最低の空気をこれ以上掻き回させるつもりは毛頭なかった。
「カテゴリは……
現れたAIDAは、紫色の半透明な身体を持ち、ミジンコのような形態をとった比較的ポピュラーなタイプであった。4mほどの体躯は、アバターの目から見るとやはり大きいが、Annaは確認されているAIDAの中では小型な方で、そのうえ戦闘能力も高くない。
碑文使いとしての“本来の能力”が使えたなら、束になったところでたかが知れるような存在だが……。
「ぜぇああああッ!!」
今のハセヲは、データドレイン以外の仕様外の能力を行使できない。データドレインは本来、絶対に勝利不可能な敵……AIDAにさえトドメを刺せる埒外に強力な切り札だ。だが、そもそもそれを当てるためには、AIDAの持つプロテクトにダメージを与え、剥ぎ取らなければならない。
十全なデータドレインでさえそれなのだ。アバターのボディで放つ程度のそれでは、完全な消滅に至るかどうかすら分からない。
Re.1の時代に女神が授けたという腕輪ならば、話は違うのだろうが……そのくせ——以前、Re.X内に出没したウィルスバグに対してPCボディのまま使用した際に発覚したことだが——多用によるアバターボディの侵食だけは適用されるのだから質が悪い。ウィルスでもバグでも無いが、AIDAとて異物は異物……悪影響は免れないだろう。
それでも、碑文の影響はあるのか……通常の攻撃でもなんとかダメージは通る。
全力のソードスキルによる一撃でも、その変化は微々たるものであったが、プロテクトを崩すのは不可能ではなさそうだ。
しかし、時間をかける訳にもいかない。反応を探知したハセヲがAIDAと遭遇したのは、ボス部屋のすぐ手前の広間だ。
ともすれば、戦闘音に気づくプレイヤーが現れないとも限らないのだから。
ソードスキルを放ちクールタイムを迎えた短剣をクイックチェンジで両手剣へ移行。その最中に、先日入手に至った体術スキルを挟み、武器が切り替わるまでの時間を有効に処理。武器が切り替わった瞬間、続けざまに《アバランシュ》を叩き込み、Annaの真横を擦り抜けると。
『——』
つい数瞬前までハセヲが居た地点を、極太の光線が通過する。付近のデータに確かな歪みを与えながら放たれたそれは、Annaの持つアルゴルレーザーと呼称される攻撃手段だ。
「破壊不能の床や壁もお構い無しか! こっちでやり合うとこんな被害まで出るのかよ……!」
以前は本格的にAIDAと戦う際には、彼らの存在するThe Worldの外側にある異空間に乗り込む形を取っていた。通常空間でこのような被害が出るのは想定外であった。
幸いにも、このSAO世界のバランスを維持する《カーディナル》は働き者なうえに柔軟な思考の持ち主らしく、不測の事態にも関わらず既にエリアの修復を開始している。おかげで、ここで起きたことが誰かにバレることは無さそうだ。
しかし……システムの性能に脱帽するべきか、それほど優秀な管理システムであってもAIDAを排除出来ない事実に嘆くべきかには迷ってしまう。
……それは置いておくにしても、貫通攻撃というのは厄介だ。
つまるところ、ここから逃げ出したところで壁ごと撃ち抜かれて消し飛ばされるのがオチということか。
所詮、いまのハセヲは半ば休眠状態の碑文使いだ。あれをまともに食らってはひとたまりもあるまい。
続けてばら撒かれた光球の雨は、コボルブリッド。速度も遅く、一つ一つの威力は大したことは無い……はずなのだが、それでもアバターボディのままでは目に見えるダメージとして刻まれるだろう。
だが、六年前に散々避け続けた攻撃だ。もちろん以前ほど容易くとはいかないが、見極めるのは不可能な事ではない。
「喰らい——やがれっ!!」
上下に引き裂く二連斬り、両手剣スキル《イラプション》がAnnaの身体を捉える。
前述の二つ以外の攻撃手段を持たないAnnaは、他に比べて与し易い類のAIDAだ。進化するごとに行動も複雑化してくる彼らの中では、やはり下等に分類される。
攻撃の予兆さえ見逃さなければ、今のハセヲにとっても難敵とは言い難い。
散りばめられた光球を掻い潜り、放たれる光線を紙一重でやり過ごすと、斬りつけ、あるいは突き刺し、薙ぎ払い……息もつかせぬ連撃が、着実にAnnaのプロテクトを崩壊させていく。
どれもこれも簡単という訳ではないが……それでも、この世界に慣れてきたことにより、“The Worldのハセヲ”に近い動きを再現できてきたのは大きな要因だ。そもそもの前提として、一般PCとは異なるPCとの強い繋がりを有していた碑文使い達にとって、SAOもThe Worldも本質的には変わりないもの。
言い当て妙だが、体感覚のようなものが馴染んできたのだ。
「っと、危ねえな」
Annaはその巨体を用いた体当たりを繰り出すものの、そのスピード自体は大したことはない。衝撃に削り取られるエリアデータを横目にAnnaへ一太刀浴びせ、距離を取る。
(さすがに、“憑神”の時とは勝手が違うか……)
単純に、サイズ差そのものが武器となってしまっている。攻撃を避けるにしても、Annaの巨体に比して大きく動かなければ避けきれないのだ。
同じ土俵での戦いとは違う……弱者として強者に食らいつく類の、明確な地力の差によって形を成すそれは、ハセヲの想像していた以上の時間を浪費させた。
最奥からプレイヤーが戻ってくる気配はなかったことだけが幸いだ。視界にも索敵スキルにも、部外者の姿は確認できない。
「いい加減くたばりやがれ。この世界には、てめえの相手してられるようなゆとりはねえんだよ!」
何度目かのAnnaの突進……既にそのタイミングは見極めていた。両手剣を前方へと構え、敵の攻撃に合わせて一気に解き放つ——両手剣カウンタースキル《ホロウ・シルエット》。
自らの攻撃の威力も合わさったそれはAnnaの巨体を大きくノックバックしつつ、プロテクトの耐久度を大幅に削り取り……ついには、四散させるに至った。
「こいつでトドメ——っ!?」
右腕にデータドレインの砲身を展開させるとともに、ハセヲは気づく。
「なんでそこにいやがる……!!」
Annaの弾け飛んだ先に、尻餅をつく形で倒れ込んだ小柄なプレイヤーの影。そのシルエットは、ハセヲにとっても見覚えのあるもので……。
——彼女の気配なら、たしかにハセヲには感知できない。
「アルゴっ!!」
気づいた時にはハセヲは、前へと走り出していた。
*****
気づいたのは、最奥に助っ人とボスの情報を持ち込んだすぐ後だ。
アルゴは情報屋という立場柄、隠蔽スキルだけでなく索敵スキルに関しても、その辺のプレイヤーより高い熟練度を誇っていた。
いつから居たのかまでは予想もつかないが、ボス部屋の片隅には……正体不明のプレイヤー、ハセヲがハイドしていた。
ハセヲの実力を知っていたアルゴは、彼がボス戦に参加していないことに違和感を感じつつも、敢えて声をかけることはしなかった。彼の目的の一つがアイナの無事だというのなら、本当に危ない場面となれば必ず手を出すと予想したのも理由の一つだが、それ以上に……彼が探すもう一つの存在、AIDAが関係していると推測したからというのが大きい。
案の定、ハセヲは動いた。それも、プレイヤーの一人が処刑されようとしている最悪の場面でだ。
しかし、すぐにハセヲを追いかけることは出来なかった。相手も望んだこととはいえ、他ならぬアルゴ自身が連れ立ってきたプレイヤーが処刑されようとしているのだ。せめて顛末を見届けたかった。
結果として、処刑自体は行われず、大事には至らずに済んだ。それを確認してホッと一息ついたタイミングで、アルゴはボス部屋から引き返し……そして、目撃した。
——正体不明の巨大なモンスターを相手取る、ハセヲの姿を。
見たことも聞いたこともないそのモンスターは、以前のコボルト王のようにウィルスに侵されたものという印象ではなく。
言ってしまえば、ウィルスそのもの……バグモンスターなどより遥かにタチの悪いものに思える。
モンスターが一撃を振るうたびにエリアデータが削り取られていく様を見れば、誰だってそうだろう。
今になってアルゴは、ハセヲの追っていたAIDAという存在が、単なるコンピューターウィルスの枠に収まるものではないと理解した。
しかしそれはアルゴに非があったわけではなく、AIDAがあまりに非常識であっただけのこと。
(こいつは……マジでヤバイかもナ……!)
アルゴはその場で隠蔽スキルを発動させて身を隠し、AIDAの攻撃の射線上から避けるように立ち回った。下手に逃げ出しても、背後からエリアデータすら貫通するAIDAの攻撃を受ければ、一たまりもないと考えたからだ。
幸いにも、ハセヲの戦いは危なげないもので、このままやり過ごしているうちに問題なくAIDAは駆逐されると予想できた。
実際、ハセヲは徐々に徐々にAIDAを追い込んでいく。卓越したプレイヤースキルもさる事ながら、彼らに対抗する能力があるというのも事実なのだろう。
そうしてハセヲの勝利を確信し、息をつきかけた……その時。
「え……?」
ノックバックを受けたAIDAが、アルゴの居た位置まで吹き飛ばられてきたのだ。
油断していたアルゴは回避に失敗。AIDAの巨体に巻き込まれる形で尻餅をついた。運が良かったのは、完全な直撃を受けなかった点だろう。あるいはその場でキルされていてもおかしくはなかった。
しかし、とても安心する気になどなれない。彼女の目の前には、既に体勢を整え、前方へ粒子を収束させつつあるAIDAの姿があるのだから。
叫ぶ暇すらなかった。アルゴの視界は、まばゆいフラッシュで呆気なく掻き消された。
——だが、予想していた死がアルゴを襲うことはなく。光の収まった後……目を開けて、前を見てみると。
「……ハセヲ?」
アバターボディの所々に欠損を負ったハセヲの姿は痛々しく……おそらくは盾に使ったのだろう幅広の両手剣は耐久度を失ったのか、即座に砕け散った。
「ぐっ……! コイツは報酬代わりだぞ、ギャラの分しっかり情報は広めてもらうからな……!」
すなわちそれは、命の値段。そのロジックは、アルゴの中にストンと当てはまった。
ハセヲが右手をAIDAに向かって真っ直ぐに突き出すと、彼の手の周囲に半透明の赤いエフェクトが展開される。そして、かざされた手の目の前に瞳のようなエフェクトがかかると、そこから放たれたデータの砲弾のようなものがAIDAを貫き、消滅させた。
その際、なんらかのデータを吸い取ったようにも見えたが。
「ハセヲ!? おイ、大丈夫なのカ?!」
「るせえ……騒ぐんじゃねえよ、こんくらい……っぐ!」
その場で倒れ伏したハセヲの表情は険しく、まるで“本当に痛みを感じている”かのように思えた。
「無茶するナ! いまPOTを……!」
「誰のせいで無茶したと思って、やがんだ……この……」
「……ハセヲ? おい、ハセヲ!? 起きロ、おイ! ハセヲぉー!!」