リュウズは大ギルドのギルドマスターだ。それ故相応の責任感というものがある。異世界に転移したと知ってすぐ己の能力の全てを贄として仲間の帰る場所を守ることを是としたこと。心配する仲間のケツをひっぱたいて彼らが大好きな空、しかも本物の空に向かわせたりなどしたという事実が彼女の責任感の強さを証明しているだろう。
だが同時に彼女は『翼持つ人々』というギルドのギルドマスターでもある。『翼持つ人々』は拘束されることを嫌った者達の集まりだ。自由を心から愛し、探索しようがPKしようがマップの端を目指して延々飛び続けようが何をしようが好きにしてよし。人助けだって破滅行為だってなんでもいい。ただ心の赴くままに翼はためかせ行きたいままにゆくことを良しとする。そんな者達の集まりの、彼女はその長なのだ。ギルドの性格を一番強く出した者が長になることが多いと考えると、彼女が実は狂気の域に達するほど「自由」「わがまま」「後先考えない」「気の向くまま」「損得勘定零」というものに染まった人物であることは想像に難くない。だから、タンとチョウは図書室の中で自分の主が狂気の提案を余所のマスターにするのを心穏やかに見ていられた。止めて止まる者じゃ無いのだ。ネズミにダンプカーは止められない。であれば迫り来るそれを心穏やかに受け入れた方が精神の安全によいのだ。
「賭け事?」
予想外の一言だ、というのを隠しもしない声色でアインズが提案を復唱する。もしも彼に眉とまぶたがあれば怪訝そうに潜められていただろう。そんな声色だ。
「そう、賭け事。あなたのチップはモモンガくんの命」
「お断りですね」
命と言いつつアインズは死んでいるのだが、言いたいことはわかったのだろう。プレイヤーとしての死である。だからアインズは即答した。彼の背中にはもうナザリックをはじめとする色々なものが乗っかっているのだ。今彼が居なくなったら全てが崩壊してしまう。
アインズはいっそ失礼ともいえる提案を(無いけど)鼻で笑って許すことにした。この自由人に真面目に付き合ってたら体が持たないのだ。気持ち的には目の前の女性は女性版るし★ふぁーである。
だが、るし★ふぁーはまだマシなレベルのトラブルメイカーで迷惑な人間だったとアインズは直後思い知ることになる。オパール色で穏やかなはずの目を、まるで無垢な幼子を見つけた悪魔のように細めたリュウズが放った言葉の、あまりの蠱惑さと悪質さを耳にして。
「代わりに得られるかもしれないものが、モモンガくんの仲間四十人をこの地に呼び寄せる手段でも?」
弾かれたように振り向くことさえ、アインズには敵わなかった。からっぽの頭蓋を大気の振動たる音が満たし、それが彼の頭脳に言語としてしみ込み、理解した瞬間、彼は頭を動かさずに言った。
「何だと」
彼の口から零れた音は、モモンガの声ではなくアインズ・ウール・ゴウンの声だった。声に遅れてゆっくりとリュウズの方に向き直った髑髏の、その奥に灯る赤い輝きが色と深みと光の強さを増している。まるで平定される精神の切り落とされたものが輝きとなってそこに灯ったかのような声と目の光の差に、リュウズはかかえていたクッションをするりと横に置いた。そのオパールの目が、プレゼントにやっと手を付けることを許された子どものような輝きで満ちている。
「モモンガくん、最初はわからなかったけど、今はもうわかってるんでしょう?この世界にあなたの仲間はいないと。会いたいならリアルから呼んでくるしかないと」
「それは…」
沈黙だけはしたくなくて口を開いたが、曖昧な言葉で終わってしまった。それはやはり肯定を意味する。その応えが満足だったのだろう、寒色の下半身につられて色の白い肌に、うっすらと赤みをのせてリュウズは言葉を重ねる。
「仲間が見つけやすいようにって思いでギルドの名前で建国って、こうしてみると随分無駄なことだったのかもね。あ、でもすごいことだとは思うわ?私が起きて人界を見ていたのは四百年だけだったけど、その間にそんなことした人みたことなかったもの」
ずるり。爬虫類の鱗で覆われた蛇の下半身が、窓際に設置された柔らかなベンチから降りて書見台の前のアインズに近づいてくる。先日の大掃除で張り替えられたという真新しい木の床をずりずりと鱗が擦れる音がして、アインズの骨の手に、柔らかな肉に包まれた手が重ねられる。蛇の身ならば冷たいだろう。鳥の翼を持つ者ならば暖かいだろう。彼女の手は、それが混じって人間の温かさを持っていた。柔らかな女の手が、そっとアインズの手を包む。まるでその手に今だけ握れるものが来ているのよ、とでもいうように。
「モモンガくん」
細められた目に、明確な熱がある。アルベドがアインズを見つめる時のような熱っぽい目に似ているが、それよりも人を誘惑で絡め取るデミウルゴスの声の方に似ているだろう。物質的なものではなく、その奥に宿る熱の質が。
「っ」
デミウルゴスは悪魔だ。悪魔の誘いは人が乗ってはいけないものだ。アインズはもはや人ではないから悪魔の誘惑など恐れる必要はない。
けれど、神の誘惑はどうなのだろう?
アインズは思う。これは一体何なのだろう、と。
自分は手がかりが欲しくてこの自由と自分勝手の象徴のようなギルドに来ていたはずだ。蓄えられた長年の記録を読めば足りない知識が得られるかもしれないと思ってきたはずだ。それがどうだ。手がかりどころか答えが目の前にぶら下げられてしまっている。正確に言うとぶら下げられているのは「答え」ではなく「答えに至れるかもしれない切符」なのだが、無いよりはずっとマシだし全然違う。正直手を伸ばしたい。掴みたい。これは俺のものだと叫びたい。
でも。
でも、でも、でも。
(罠かもしれない)
シャルティアの洗脳を代表とする、自分の浅慮と軽率な判断が導いた望まぬ展開。それを思えばこんなわかりやすい餌に引っかかってはいけない。アインズは包まれた手をぐっと握り込んだ。
「な…何故、俺にそれを提示する」
けれど絞り出せたのはそんな問いだった。本当は断らなければいけないのだ。けれど、けれど、それはできなかった。アインズの心の内にあるモモンガが叫ぶのだ。「会いたい」と。その叫びが身のうちで響き、口から出る言葉を換えてしまった。
「ん?最初に会った時に言いましたよ」
そんなひねり出した言葉に返ってきたのは先程の熱を全く感じない、さらりとしたものだった。
「えっ」
あまりの温度のなさにまじまじとリュウズの顔を見やれば、彼女の目の奥に相変わらず熱がある。けれど他にも、呆れとか、愛着とか、「しかたないなぁ」とできの悪い子どもに微笑むような色があった。
「私はね、愛に溢れ、優しい子が好きなんです」
「そ、れは」
「冗談じゃあないですよ。だからね、神様になっちゃった身を生かして、お気に入りの子どもにちょっとしたサービスをしようかなって思ってるんですよ」
「あなたは自分が神様になったと思ってるんですか?」
「なったと思うっていうか、なってるんですよね、
「俺は人間じゃないですよ」
「あはは、神からみれば魔物も人も似たようなものよ。で、どうする?モモンガくん」
重ねていた手を引いて、彼女は寄せていた身を離した。そのままずるりと後ろに下がり、窓の下の暖かい所に戻ってとぐろを巻いてアインズを見つめる。まるで光でできた玉座に座っているかのような姿になった彼女は、浮かべている笑みを深くして、静かに問うた。
「今、君の前に奇跡はある。でも、その奇跡がいつまでもあるとは限らない。この瞬間を掴めなければ二度目はないかもしれないわ。―――いや、違う。違うわね」
どこかで聞いたような決めぜりふを、彼女は首を振って否定する。シーンが締まらない?いまいち決まらない?そんなこと、自由の民が気にするわけがない。
「これはあなたが掴んだ奇跡よ。有名になって、名前を広げて、多くの人に知ってもらって、そうやって作った情報網に引っかかった奇跡よ。
あなたは自分の行動の成果を、掴む?掴まない?」