「タブラさん!申し訳ない!あなたの愛娘のアルベドの設定を、よりにもよって設定魔のあなたの子を、俺は一時の戯れでいじってしまった!あなたの娘の精神を弄ってしまった!アルベドの在り方を変えてしまった!あれは本当に出来心だったんです!信じてください!いやほんゲフッ」
「落ち着けこのキチガイアンデッド。ごめんなさいね、まさか一皮剥いた下にこんな意外な一面があるなんて知らなかったもので」
アインズの暴走する怒濤の謝罪を留めたのは、土下座する彼の頭の上にどかりと腰を下ろすように落下してきたリュウズの尻…というか腰の下である。蛇に尻はない故に。大蛇の下半身と大鳥の翼に見合った体重を持つ彼女は「どしん」とか「どすん」という音を持ってアインズを物理的に鎮めた。ハイレベルな魔力系魔法詠唱者のアインズには物理攻撃は効かないのではないのか?などというツッコミをしていはいけない。彼らはただいま完全に『観察者の目』の領域内にあるが故に、いかなる魔法も特殊技術も発動しないのだ。たとえそれが普段使い慣れて大気のように「あるのが当たり前」なパッシブスキルであっても。
呼吸器に繋がれ喋ることすらあたわぬ男の目に「一体何がどうなっているんだ」という思考が透けている。片方の目はどうやら視力を失って久しいらしく白濁している。リュウズは残った片方の目をオパール色の目でじいと見つめた後、自分の体重で押しつぶし鎮静させたアンデッドの上から退いた。
「モモンガくん。あなたの目的は違うことでしょうが」
「うっ尻アタックって打撃攻撃判定入るのか…ダメージを負う感覚を覚えた気がする…」
「何失礼極まりないことを言っているのですか。あと、蛇にお尻はありません。それとどうします?賭けを辞めるなら今此処でアナタを放り出すこともできますが」
リュウズが大きな胸を腕で挟み込むようにして腕組みをして半眼になり、アインズを睨む。その目には先程まであった喜悦の色はかけらもない。当然だろう。彼女は「アインズのゲームをみている」のだから。例えば生放送の実況プレイ中に実況主が突然友人との電話を中座もせずにやり始め、ゲームをほったらかしにしたら視聴者はどう思うだろうか。もちろん怒るに決まっている。
それを察したのだろう、アインズは彼女の冷たい目を見てハッと正気を取り戻し、直後自分がかなり危ない橋を渡っている最中であったことを思い出した。即ち自分の命と仲間の命をチップに後戻りできないゲームである。こんなギャグ空気に浸っていていいわけがない。
「タブラさん!」
だからアインズは弾かれたように寝たきりの男の方に振り返った。呼ばれ、男の体がびくりと震える。だが逃げることはできない。何故なら肉体はもう限界であり、魂の方も限界だからである。
―――いったい、君は。
ぜい、ぜい、という声とも咳とも付かぬ音の合間に、空間に響くようにして言葉が届く。その意思伝達にアインズは違和感を感じたが、ちらりとリュウズを見ると彼女は組んだ腕の片方をほどいてコツコツと頭部を飾る世界級アイテムを指先で叩いた。つまり考えたら負けである。
「俺はモモンガ。ユグドラシルで一緒に遊んだ、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターのモモンガです。覚えていませんか?」
―――ユグドラシル…もう、何年も前に終わっただろう?
「もう何年も経ってるんですね。ええと、話すと長くなるんですけど…」
モモンガはしどろもどろになりつつも、ユグドラシルの最終日にその身にあったことを説明した。男は寝たままそれをじっと聞き続ける。リュウズは部屋の壁に寄りかかり、腕を組んでモモンガと男をじいと見つめている。モモンガと男は気づいていないのだが、もうここは彼女の持つアイテムの支配空間に入っているのだ。ここから彼女とモモンガが出る時は男の魂が体から離れる時であり、誰の邪魔も入らない。時という概念すら、そこへの侵入はできない。
モモンガがあらかた説明し終わると、男は激しい咳をしながら、ものすごい勢いで命を燃やし、それ以上の温度を持って視力の残る片目を爛爛と輝かせた。
―――なんと、なんという。これが奇跡、なんて、ああ、すごい!すごい!
「やばいタブラさんの設定魂に火がついた」
―――モモンガくん、君とっても素晴らしいことになっているんだね!アルベドについては、どっちかっていうと君の方が心配かな。彼女は良妻賢母になれる設定にしてあったような気がするから受け入れればよく君を支えるだろうけど、君の性格上そうもいくまい。
「ご明察です。ものすごく困っています」
―――モモンガくんは女性経験薄そうだからねぇ…。
「無いの間違いだったりしません…?」
「黙って下さい」
「嫉妬マスクの枚数は?」
「黙秘します!」
ニヨ、と笑う蛇の魔物にアインズは一瞥もくれず、タブラの手がある辺りに骨の手を伸ばす。基本的に何でもかんでもすり抜けるが、掴もうと思えば掴めるのだ。アインズは布団の上に置いてある皺だらけの死体みたいな冷たさの手を取り、ぎゅうと握り込んだ。
「タブラさん。俺の今いる世界は、とっても素晴らしい所なんです。そりゃ文明レベルが低かったり愚かな人間が多かったりしますけど、ここよりずっと、ずーっといいところなんです。環境が汚染されてないから地面には草が生えてるし、空気は綺麗だし、空は青いんです。夜になると満天の星空が見えるんです」
―――それはすごい。ここじゃあ、絶対に拝めないものだね。
ちらり、と男の目が外を向く。相変わらず昼だか夜だかよくわからない暗い空がそこには広がっている。終わり行く世界の光景だ。
「ええ。でも、それよりなにより、俺はまた、アインズ・ウール・ゴウンの皆と一緒に遊びたいんです。ううん、向こうでは俺はこの姿で生きています」
―――アンデッドなのに?
「アンデッドジョークのオチを先にさらわないでください。ええと、とにかく向こうで存在して元気にやってます。NPCはアルベドをはじめとしてみんな生きて動くようになりました。ニグレドも元気にやってますよ。あと、最近セバスが結婚しそうになっています」
―――セバスって誰だっけ。
「たっちさんが作ったNPCです。執事の、おじさん顔の」
―――あああの人のか…ゲームのNPCまでリア充になるとか、遺伝子強いね。
「全くです。そんな感じで、俺元気にやってるんです。とにかく、すごくいい世界なんです。このまま先もわからずここにいるよりは、一緒にあっちで遊びましょう。ね、タブラさん」
白骨の手がしわしわの手を、優しく、けれど強く握る。この世界の人間が見たらきっと驚くだろう。これはまさに死に神が死に行く人の手を握り、その魂を連れ去る光景なのだから。宗教が形骸化し神秘の全てが死に絶えて久しい世であっても、やはり「死に神」といった概念はあるのだ。その概念に従いこの世界の人間はこの光景に悲鳴を上げるだろう。
この世界の人間だけではない。向こうの世界の人間だって悲鳴を上げるだろう。だってここにいるのは
けれどここにいるのは双方の世界の住人であって今はそうではない者だけだ。だからこの光景の表面的な意味ではなく、本質的な意味のみを見ることができた。即ち、友愛である。
―――モモンガくん。
「はい」
しずかな、静かな声で、男は友の名を呼んだ。彼の声は、もしも動くのであればその手で友の手を撫でたのであろうと推察できるほどに柔らかい。柔らかさで満ちた声の回答を待つモモンガは、死に神の格好でありながら、まるで判決を待つ罪人のようで。
―――僕、アルベドが君に迷惑かけないように見張りたいしニグレドの様子も見たいしルベドのこと心配だしそっちの世界のことすごく気になるしそもそも世界の構造成り立ちに触れられるこの異世界への転移っていう現象が僕の神話探究心にものすごく油を注ぐわけで久しく活躍の場に恵まれなかったこの情熱がいや活躍の場がもうないと思っていたこの情熱がもう正直押さえられないんだよねあと…
「い、行くってことでいいですか…」
怒濤の答えにモモンガは目を白黒させながらしどろもどろになりつつ確認する。モモンガは、アインズ・ウール・ゴウンでは温厚な常識人であり仲間のことを何より愛する良き男だったのだ。そんな彼よりもタブラが濃い男であるのは、ある意味必然というか、当然というか、当たり前のことである。勢いに押されてくてんくてんになってしまうのは仕方の無いことである。
―――ああ。行くよ。行きたい。あと、遅くなったけど、最終日、一緒に居られなくて、すまなかった。君を一人にしてしまったこと、今ものすごく後悔している。
片目を揺らし、タブラの目が、くしゃりと歪む。謝罪の言葉を聞いてアインズは一瞬動きを止めたが、すぐにふっと雰囲気を柔らかくして首を振った。
「……仕方ない、ですよ。みんなリアルがあったんですから。俺は、ここで生きることができなかっただけですし。俺やアインズ・ウール・ゴウンのことを嫌いになったり捨てたわけじゃないんでしょ?」
―――嫌いになった、とか、捨てた、なんて言わないでくれ。飽きた、とか、リアルが忙しい、とか事情は人それぞれ一杯あっただろうけど。でも、絶対に、嫌いになりも捨てもできなかった。あそこから去る時に、痛みを感じない者はいなかったよ。それは、ギルドの一員として、断言できる。
確信を持って、呼吸器を付けた頭部が僅かに上下に動く。それが頷くという行為であり、その行為ですら今のタブラにとっては大変であることを状況を見て理解していたアインズは、眼窩の奥で揺らめいていた赤い光を数秒ぴたりと止めた後、絞り出すような声で答えた。
「―――嫌いになったわけでも、捨てられたわけでも、なかったんですね…」
もしも彼に涙腺があれば、その頬を涙が伝っただろう。そう思わせる声がぼろりと唇のない口から零れ、黒いローブに包まれた肩が、なにがしかの感情で大きく震える。ぶるぶる震えるその肩に手を当てて止めたのは、いつの間にか壁から背を離し側に来ていたリュウズだ。
「おめでとう、モモンガくん。一件目は成功ね」
―――あなたは…?
「私?ああ、申し遅れましたがギルド『翼持つ人々』のギルドマスターのリュウズです。この度はモモンガくんにあなたたちアインズ・ウール・ゴウンのメンバーの魂の救済に挑戦するチャンスを与えた者ですわ」
下半身の蛇の体を大きくくねらせ、背中の翼をばざりと羽ばたかせてリュウズは優雅に一礼する。そのまま彼女はモモンガの肩に置いていた手を滑らせ、タブラの手を握っていたアインズの右手を取った。
―――魂の、救済?一体どういう…
「あなたは死期が近い。その死の間際、魂がぺろんと剥がれるタイミングで私の世界級アイテムの力とモモンガくんの『縁』の力であなたの魂をあっちの世界にお連れするってことです。向こうの世界に行く際にユグドラシルの『概念を通って』『魂の最適化』をしなければいけないので、あっちの世界でのあなたはアバターの姿になります。失礼ですが、ユグドラシルではどのような種族に?」
―――脳喰いだね。
「それは……うーん、モモンガくんみたいにあからさまに骨でも元気にやっているので、多分適応できるとは思います…私も見た目やばいけど、こうして生きておりますし」
ぺちり、とリュウズは空いた片手で自身の蛇の下半身を叩く。苦笑を浮かべて戯けたようにそう言った彼女をまじまじ見つめ、タブラは不思議そうに呟いた。
―――君は、美しいからね。
「綺麗でしょう?」
少しばかりのドヤ顔をしてリュウズは豊満な胸をちょっとだけ張った。そのまま張り続けてもよいのだが、それでは事が先に進まない。彼女は適当な頃合いでいい気分を自分の意思でしまいこみ、アインズの手をぺたりとタブラの胸の上に置き、その上に自身の手を置いた。
「リュウズさん、何を…」
「死にかけ剥がれかけの魂を、引っこ抜いてあちらの世界に送ります。タブラさんとやらは楽になさって。モモンガくんは、じっとしてて。頭の中でタブラさんに関係するナザリックの光景を思い浮かべてくれるとやりやすいと思うわ」
答えつつ、リュウズはすうっと目を閉じた。集中のポーズである。アインズもタブラも、それに合わせて口を閉じ、意識を集中する。アインズは「やりやすい」と言われた手前、タブラの性質を如実に現す光景を一生懸命思い浮かべていた。ナザリックのことは隅々まで知っている。その仕事は彼にとってお手の物だ。
そうして、数秒とも数分とも付かぬ時間が過ぎた頃。アインズの手の下で、スウッと何かが抜けていくような感触があった。それと同時に横の機械がビーッビーッというけたたましいアラーム音を響かせはじめる。みやれば心電図の表示が完全にフラットになっていた。それが示すのは、手の下の肉体の命が、もうここには無いという事実。
「できましたか?」
「できましたよ。タブラさんはあっちに行きました。さて、次に参りましょう」
「一つ聞きたいんですけど」
「はい?」
もう目の前の死体に興味を無くし、ばさりと翼を羽ばたかせたリュウズに、アインズは少しだけ首を傾げながら聞いてみる。
「『タブラさんに関係するナザリックの光景』って一体どういうことですか」
「あなたが通り道になった先で、彼の出口になるポイントにするためよ」
「……うん、自業自得だな」
「?」
「いえいえこちらの話です。さて、次に行きましょう。俺の仲間を誘いに!」
「んんー。モモンガくんがそれでいいなら、行きましょうか」
―――そして、タブラ・スマラグディナはユグドラシルを辞めた時の姿で氷結地獄のニグレドの部屋にぼてりと落ちるように出現し、腐肉の赤子を持っていなかったがために危うく転移初っぱなで死にかけたのであった。そう。アインズの言うとおり、自業自得なのである。
モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗
タブラ・スマラグディナ 04 クリティカル成功
……持ってるなぁ………