岩のような顔。大樹のような体。ごつごつした指に、大きくて優しい目。彼を知る人が彼の説明をするのなら、きっと皆そんな風に彼のことを話すだろう。そしてつらつら述べた最後にこう付け加えるだろう。
そして、誰よりも自然を愛する人、と。
男はアーコロジーの外の汚染された世界に生まれた貧民だった。両親の手助けあってなんとか中学までは卒業できたがその先は無く、故に彼は汚染された世界の中で、黒い大気を吸って生きていた。
彼が自然というものを知ったのは、彼が中学の頃だった。ぼろぼろの図書室の、壊れかけた本棚の、その片隅に形が崩れた本が斜めにささっており、それを手に取ったのがきっかけだった。埃で汚れた本の背表紙には「地球の図鑑」と書いてあった。ぱらりとめくってふわりと舞い上がる埃の中に、彼は古い写真の中に映された過去の地球を見た。
今よりもずっと拙い撮影技術と印刷技術で作られた本は一言で言えばチープな出来だった。けれどその中に描かれた世界は、色あせていても少年の心を鷲掴んだ。明るい空。青い海。緑の森。ふわふわの腐葉土。海中を舞う魚たち。天高く飛び上がる鳥たち。草原駆ける四肢の獣。そのどれもが、今は失われてしまった全てが、少年の心をその瞬間にしっかと掴んだ。
成長して、男は過去の地球の姿を蘇らせることを願った。けれどそれはもう無理な話だとすぐに彼は理解した。だってもう、種族がいないのだ。鳥も、魚も、動物たちも、人間に直接関わる者以外殆ど全て死に絶えた。地球を貪る人間の手にかかって、もう多くの命が手の届かぬ所に行ってしまっていた。男一人ではどうしようも無い現実が、そこにはあった。
だから男は仮初めの世界、夢の世界で求めた。美しい光景を。素晴らしい世界を。風で囁く緑の森や満天の星空を。求めた結果作り上げた。小さくとも素晴らしい世界を。それで渇く心を必死に慰めた。友も協力してくれた。皆で仮初めの夜空を見上げただけのあの時間を、男は愛していた。
けれど、それはもう何年も前の話。あれからどれだけの月日が経ったのか、即答できない程には昔の話だ。
「ごほっ…」
今の男に、かつての男の体にあった巌の姿はもう影も形もない。悲惨な労働環境が、彼の全てを奪ってしまった。
彼は汚染された世界の中で、それでも命の萌芽を求めて必死に活動した。アーコロジーの外に必死に木を植え土を耕し、川をさらい魚を探し、けれどその活動に意味はなく、黒い毒の大気が男の体の中でたまりにたまって彼の命を蝕んだだけだった。
「ごはっ…ぐ、がはっ…」
咳をする度、胸が切り裂くように痛む。肺の病だ。人工心肺の稼働限界を超えた屋外活動のツケが彼の命を三十代半ばという若さでガリゴリと削っている。目詰まりしたフィルターを付けた使えない人工心肺の中に、毒混じりの喀血が飛び散った。
せめて家にまでたどり着ければ、換えの人工心肺で毒を除去した空気を吸えるのに。それでまだ少しは生きられるのに。伸ばした指先は黒い大気で煙り、形の変わった爪すら見えない。
視界がかすむ。一度でいいから柔らかな土に身を横たえてみたかった。地球の地下から生まれた水をこの手に受けてみたかった。空から降り注ぐ恵みを全身に浴びてみたかった。願っても願っても届かない願いを今際の際にもう一度願うなんてなんて無意味な行動だろう。けれど男の人生においてそれこそが燦然と輝く生きる意味だったのだ。願うことすら辞めてしまえば、愛することすらやめてしまえば、男は男でいられなくなってしまう。
―――きれいな自然を、感じたかったなぁ…。
ゴーグルの奥の目がかすむ。意識が消えているからだろうか。いや、これは涙だ。ほしくてほしくてたまらないものを得られない、その悲しみが、悔しさが、彼の目を涙で覆う。
―――くやしい、なぁ…。
すすけて黒いアスファルトの上に手が落ちる。ぱたりと下がった手は汚くて平らな地面の上にまっすぐ落ちる―――けれど、けれど、アスファルトの上に触れることはなく。代わりに真っ白で滑らかなものがその手を取った。
誰かが助けてくれたのか。ひゅーひゅー鳴る喉を懸命に動かし、彼は必死に顔を上げる。人の顔を予想して。人の姿を予想して。けれどそこにいたのは人ではなく、骸骨で。
「お久しぶりです、ブルー・プラネットさん」
柔らかな声は、かつて理想の世界を作ったときに一緒に遊んだ仲間だった。
「まさかブルー・プラネットさんがこんなにしおれているなんて…」
そう言いつつ、アインズは縁の元を辿った先にいた男の体を抱き起こした。手早く人工心肺の状態を確認すれば、表示されているのは「交換が必要です」というアラームライン。けれど手元には換えのフィルターなんてない。
「それが死因って結構間の抜けた方ね…」
「間の抜けたっていうか、他に大事なことがあって後回しになっただけなんです」
アインズは呆れたリュウズのツッコミから男を擁護し、その背をさすった。暫くして目の焦点が戻ってくる。彼はアインズの顔を見て驚愕に目を見開き、またリュウズを見てびっくり仰天した。
「も、モモンガさん…?げほっ、何、してる、いや、なんで、げほっ」
「落ち着いてくださいブルー・プラネットさん実はこれこれこういうことがありまして」
かくかくしかじかまるまるうまうま。五回目ともなれば慣れてきた状況説明をアインズはすらすらと口にして男に語った。
全ての説明を終えて、アインズは男に問うた。今この場で死んで、死んだ後にどこかに行くに任せるか、それとも異形の身となりて自分とともに残酷でも美しい世界に来るか。
男は答えた。是非に、と。飛び散った血で汚れたマスク越しにでもわかる、確かな笑みを見せて。
そう答えると思いました、とアインズは笑った。夜になるとナザリックの上にあなたが作った夜空とそっくりの美しい空が広がるんですよ、と骸骨の顔でありながら確かに微笑んだ。
そうして男は旅立った。人工心肺の不調による呼吸機能障害という、この世界では「三大めちゃめちゃ苦しい死因」の一つで死んでいたにしては、とても安らかな笑みを浮かべて。
モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗
ブルー・プラネット 自動成功