これはきっと夢なんだ。男はそう思った。だって一週間前に終わったはずのゲームの、しかも友人のゲームのアバターが目の前に立ってるのだ。どう考えたって幻覚の類以外に該当事案が思いつかない。
「睡眠時間二時間は流石にダメだこれ。あはは。病院行かないと。病院行くためにお金稼がないと。仕事に行かないと。今日は眠れないなぁ。あれこれループ?むしろ悪くなってる?うわぁ」
あはは、あはは、と男は渇いた笑みをだらだらと唇から際限なく垂れ流す。その顔色は生者であることが疑わしいほどに悪く、目の下には空に立ちこめるスモッグの如く真っ黒な隈が何年も前から描かれている。消える気配は微塵も無い。
今日もきっと眠れない。男はもう一度そう言うと、自室のデスクの横にある栄養ドリンクの瓶の山の中の未開封の瓶に手を伸ばした。ラベルには「栄養ドリンクで元気に仕事!今ならシールを集めてお皿が当たる!」という文言がコミカルなイラストとともに描かれている。百回は応募できるくらいこの商品を買ったが、男は一度もこの懸賞に応募したことはない。たぶんこれからもないだろう。何故なら男はもう栄養ドリンクの瓶を手に取れないからだ。
「あれ?」
伸ばした手は何も掴めなかった。瓶をスカッと通り抜ける。どうやら自分の目は幻覚を見るどころか現実すら見なくなっているらしい。たいへんだ。これでは仕事に行けないではないか。
「ドリンク飲まないとやってられないんだけど。まぁいいや。仕方ない」
「それはこっちの台詞です!」
「あれ幻覚が喋ってる」
男の前に回り込み、骸骨がぱかりと口を開けて叫んだ。骸骨なのにどこから声が出ているんだろう。不思議だなぁ。そんなことを考えつつ、男は幻覚に場所を譲って体をひねりながら居間から出ようとした。けど、その前に右手を掴まれた。満足な栄養を取れずに骨のように細くなった手を。
掴んだのはもちろん幻覚だ。おかしなことに幻覚なのに自分に触ってくる。どうしてだろう?バグかな?そんなことを考える男の前に改めて回り込み、骸骨はその眼窩の奥の炎をめらめらと燃やしながら、男に言い聞かせるように、かつ叩きつけるように叫んだ。
「いいですか、ヘロヘロさん!あなたもう―――もう、死んでます!死んでるんです!」
ヘロヘロと呼ばれた男はこの瞬間心の底から思った。「白骨死体に言われる筋合いはない」と。
どうあっても焦点の外れかけた目で現実を見てくれないヘロヘロにモモンガは力業での説得を敢行した。即ち骨のように細く
それでようやく自分が死んでいることを自覚したヘロヘロは同時にモモンガの言葉を全面的に信じた。即ち彼がユグドラシル終了と同時にどことも知れぬ不思議な異世界に転移し、その際人間を辞めて
そして、だからこそ彼は気になった。骸骨の顔に幻の汗を浮かべながら自分を必死に異世界に誘うモモンガの、その斜め後ろでじいと自分を見つめる見たことのない異形種が。
「モモンガさん」
「えっとそれで―――え、はいっ」
一生懸命な語りを途中で切ってしまうことに罪悪感を覚えつつ、けれどヘロヘロはこれは聞かねば不味いことだと直感していた。モモンガという人は(今は人じゃないというツッコミは置いておいて)仲間にはとても親身になり、親身を通り越して自己犠牲的な所がある男である。だがそれに反比例するように他人に対しては分厚い壁を立てて己を傷付けられないようにして己を守るような男だった。彼の交友関係は、アインズ・ウール・ゴウンの中で完結していたと言ってもいい。
そんな彼がヘロヘロの見たことのない者を連れている。気にならないわけがない。聞かずに済ませられるわけがない。伊達に現実のユグドラシルで最後の最後にモモンガに会いに来た男ではないのだ。ヘロヘロは隈の消えない目にほんの僅かに剣呑な光を灯して黙ったままの異形に顔を向けた。
「この方は?」
「こちらは『翼持つ人々』のギルドマスター、リュウズさんです」
「ご紹介にあずかりましたリュウズです。宜しく」
声と意識を向けられたからかリュウズは肘置きにしていた自分の蛇の体から身を起こし、艶然とした笑みを浮かべて優雅に小さくお辞儀した。
「これはどうも。僕はヘロヘロといいます」
同じくぺこりとお辞儀を返す。ヘロヘロが顔を上げると、リュウズは何か用か聞きたいことがあってヘロヘロがいきなり自分に意識を向けたのだと察していたのか、じいとヘロヘロを見つめていた。その不思議な色の目がヘロヘロの言葉を促す。
「あの、一つ聞いていいですか」
「一つと言わず、何でも。ただし答えられるものに限りますが」
さらりとした声は滑らかに言葉を紡ぐ。探られる腹なんてありませんよ、みたいな何でも無い風を装っているが、ヘロヘロは必死に自分を誘うモモンガの後ろでこの女性が先程ちらりと浮かべた表情を見逃してはいなかった。
それは愉悦の笑みだった。そんなもの、善意の協力者が浮かべるはずがない。
「どうも。それで、えーっと、なんであなたはモモンガさんと一緒にいるんですか?」
「それはこの時空の旅に私の力が必要だからです」
リュウズは組んでいた腕をほどき、右手で額の飾りを触った。紹介に答えるように額の宝石がきらりと光る。まるで生物の目のようだ、とヘロヘロが感じたのは、きっと仕方の無いことだ。
「それは?」
「世界級アイテム『観察者の目』です。これを使えば異次元を行き来できるんです。でも、これで異次元を行き来できるのは所有者である私だけ。だからモモンガくんと一緒にいます。仲間を愛する彼の心は見ていて非情に気持ちのいいものですからねぇ。そのお手伝いをしようかな、と思った次第というわけです」
口当たりのいい言葉だけをリュウズは述べる。その顔に、それだけではないけどねという愉悦色をした笑みを浮かべながら。ヘロヘロはじいと彼女の顔を見つめ返し、言外の返答を聞き取った。即ち「これ以上の事情があるけれど、今のお前に教えることは無い」という宣言である。
ヘロヘロは考える。目の前の半分蛇で一部鳥な人物は危険人物か?と。ヘロヘロは答える。間違いなく、もう一度言うが間違いなく、危険人物だ、と。モモンガの必死な様子を見て笑っていたのだ。悪魔に近しいものに違いない、と。素晴らしいことにその推測は一部を除き当たっていた。ちなみに「外した一部」とは「悪魔に近しいもの」という表現である。この女性は悪魔とは比べものにならないくらいたちの悪いものだからである。
ヘロヘロは自分の推測を元にまた考える。自分の取るべき道は何か、と。だがそれについては残念ながら最初から答えが出ていた。
何もせず、どうなるかわからない先に身を委ねるか。
異形の身となってでも異世界に行き、仲間とともに暮らすか。
もっと言うと異形の身となってでも異世界に行き、仲間と、あと自分の創造したメイドさんたちと一緒に暮らすか。
「メイドを取ります」
「仲間ね。仲間が先ですよヘロヘロさん。そのぶれない所俺好きですけど」
「正直モモンガさんのこともすごく心配ですけど!でも!それ以上に!メイドの愚痴なんて聞かされたら行かずには居られないじゃないですかー!!」
ヘロヘロは頭を抱えて叫んだ。そこに先程の武人の読みあいの真似事を不器用に行う男の姿はない。あるのはメイド狂のプログラマーの姿だけだ。
ユグドラシルの最終日、ヘロヘロは自分の愚痴で時間を潰してしまったことを申し訳なく思っていた。だから彼は先程深刻な話をする前にモモンガに聞いてみたのだ。異世界の生活ってどんな感じですか、と。その問いにモモンガが返したのはメイドさんたちが仕事熱心すぎて申し訳なくて辛い、という愚痴だった。
そんな答えをヘロヘロが、メイドのAIを、即ち思考と行動の骨を作った男が許せるわけがない。許容できるわけがない。
「行きます!行ってモモンガさんにメイドの素晴らしさを教えてあげますよ!ええ!メイドは素晴らしいんですからね!」
「へ、へろへろさ、テンション高いですね!?」
うわー!と腕を突き上げてヘロヘロが答えると、たまらずモモンガはのけぞった。だがその顔に驚きはあれど不快感や恐怖や不安というものはない。その証拠に、数秒もすると彼は笑いだした。
「ぷっ…あはは!ヘロヘロさん、結構元気じゃないですか!」
「メイドの話でテンション上がりましたとも!インクリメントとかデクリメントとかが動いて喋ってるんでしょ、もう、楽しみで楽しみで仕方ないです。あと―――モモンガさん、やっと笑ってくれましたね」
痩けた頬に笑みを浮かべ、隈の出来た目を細め、ヘロヘロは上げた腕を下ろしながらじいとモモンガを見つめた。日本人らしい黒い瞳に、柔らかな光がある。その光に見つめられ、モモンガはハッと硬直した。
「わ、笑う、って」
「なんか今日のモモンガさん、必死すぎてらしくなかったです。何かあったんですか。時間があるなら、相談に乗りますよ」
最後の時に一緒に居られなかった。いや、その前から、あの墓場にずっとギルド長を残していた。その罪悪感が、彼に言葉を紡がせる。ボロボロの肉体という枷から外れた彼は中々に元気であった。そして、それと反対にモモンガは中々に満身創痍であった。たっち・みーの一件からまだ立ち直れていなかったのである。
だからモモンガは思わず口を滑らせた。言ってしまった。自分の浅はかな行動でたっちの魂に取り返しの付かない絶望を与えてしまったということを。タブラを、あまのまひとつを、ぬーぼーを、仲間を説得できた自らの話術を過信した末、大恩ある人に酷いことをしてしまったことを。
もしも彼に肉の体があれば、途中から涙としゃっくりのせいでまともに話せなくなっただろう。けれど幸か不幸かそれがないモモンガはなんとか顛末を語りきり、そしてしょぼんとうなだれた。対するヘロヘロは思ったよりも重大すぎる事態に思わず天を仰いだ。自分のちっぽけな頭じゃこんな事態に対する解決策なんて出せっこない。
けれどなんとかしたくないわけじゃない。むしろなんとかしたくてたまらない。アインズ・ウール・ゴウンにおいてたっち・みーは無くてはならない人だった。ビッグネームだからか?違う。彼は愛すべき仲間の一人だったからだ。そして誰よりも「絶望に膝をつきその魂を砕けさせ消滅させる」なんて結末の似合わない男だったからだ。あと生真面目すぎる面が祟ってよく無自覚でいじられキャラになっていた愛すべき男だからだ。
なんとかする方法なんて思いつかない。けど、なんとかしたい。その情熱はどうやったって消せっこない。だからやせこけた人間と骸骨はそれから暫く、具体的に言うとあまりに暇すぎて寝始めたリュウズが寝息を立てはじめるまで、ウンウン唸って打開策を考え続けたのだった。
そんな二人は気づかなかった。無い頭を絞ってなんとか案を出そうとする二人の様子を、半分寝ながら、けれど半分は起きながら、じいとリュウズが見つめてことに。そのオパールに似た不思議な色の瞳の中に、愉悦の笑みとともにその半分くらいだけ懐かしいものを見る色があったことに。
モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗
テンパランス 53 失敗
ヘロヘロ 05 クリティカル
餡ころもっちもち 86 失敗
PL心情を考慮したGM判断によりクリティカル報酬をフラグ建設に消費しました。
成功7、失敗6