モモンガの
モモンガにとってユグドラシル最終日はもう痛みの伴う過去であり、言い換えるなら乗り越えた過去なのだ。彼にとって、それはもう上書きができる単なる事象でしかないのだ。そして今、彼は仲間という深い心の傷の上に貼る絆創膏を得ている真っ最中なのである。前に進む気こそ起きようとも後悔で足を鈍らせるわけがない。だってこの絆創膏はモモンガがいかなる金銀財宝いかなる名誉よりも求めた至高の存在なのだから。
そんな絆創膏を、モモンガはまた一枚得ることができた。
「それでは」
表情など浮かびようのない骨の顔に、確かに歓喜の色が浮かぶ。そんな彼の前にいるのは草臥れ萎れしぼみかけている男の体と、その体の側にいる草臥れ萎れている男だ。前者はもはや生物の要件たる魂を擁してはおらず、後者はこれまた生物の要件である肉体を纏っていない。
「それでは、源次郎さん、また向こうで会いましょう」
「おう。エントマどんな感じか楽しみだ」
にかり、と笑った半透明の手をモモンガが握る。その上からリュウズが右手を添えると、男は明け方に残った夜霧よりも儚く消えた。
男の姿が消えたことで少しだけ増した部屋空間の広さが、二人にこの部屋の異様さを伝えてきた。床に散らばっているのは多くの生活用品や仕事用品。それに埋もれるようにして仕事用のパソコンが置いてあり、それは随分前にスリープモードになっている。さらに、狭い部屋の奥にはこの頃にはだいぶ型遅れとなったダイブシステム器材が雑貨に埋もれて眠っている。
まとめていうと、汚部屋である。散らかりすぎて足の踏み場は当然ないし、ものを踏みつけること覚悟で足を出しても足の方が怪我しそうな有様である。そんな空間であるために、リュウズは転移してすぐに顔を顰めた。自分の体の置き場所がないじゃないか、という文句の表情らしかった。
「よくもまぁ、物を簡単に手に入れられない時代にこれだけ部屋を物で散らかせますね」
「汚部屋はある種の才能だそうですよ」
「そんな才能いらないと思うのですが」
「常識人みたいなことを言わないでください」
モモンガのツッコミも容赦がない。しかしそれは仕方ないかもしれない。源次郎で三十回目なのだから。一回三時間と考えても、もうモモンガはリュウズと九十時間は一緒にいるのだ。二メートルも離れられないことも合わせると、彼らの仲がある程度親密になるのは避けられぬ流れである。そして、親密になった故にツッコミが厳しくなるのも、仕方の無い流れである。
モモンガの容赦ないツッコミにリュウズは片眉を引き上げてモモンガを見たが、モモンガは彼女が彼を見る前に、彼がユグドラシルで遊んでいた時に利用していたダイブマシンと同じ型のそれに目をやっていたため、彼女の視線には気付かなかった。彼女が僅かに見せた人間らしい表情を、彼は見逃してしまった。
それが幸福なことだったのか、はたまた不運なことだったのか、それは事を終えて振り返ってみないとわからない。そしてリュウズは己の視線でモモンガが振り返る前に人間の顔を仕舞い込み、ふわりと笑って彼に先を促した。
「それではモモンガさん、次に参りましょう」
「はい。ああ、えっと、今は何人成功したんでしたっけ」
リュウズが伸ばした手を取る前にモモンガが尋ねると、リュウズは「数えていらっしゃらなかったのですか」と呟いてから教えてくれた。
「成功が十七名。失敗が十三名です」
「結構、断られてますね、俺……」
「ここは成功を誇るべき所ですよ」
モモンガは一度も天秤を失敗に傾けていない。それはすごいことだ。そう口にするリュウズに、モモンガは沈んだままの声で答えた。
「でも、俺はもっと多くの人がナザリックに答えてくれると思っていました」
「彼らにとってあなたの存在と問いかけは現実と空想のどちらを取るかという非現実的な選択肢でしかありません。そして人の心というのは不思議なもので、たとえ死んでも現実を捨てられなかったりするんですよ。仕方のないことです」
リュウズの言葉には実感がこもっていた。ちら、とアインズがリュウズを見ると、彼女の目には過去を懐かしむ色があった。
「あなたにもそんな経験が?」
「もちろん。私だってユグドラシルに最終日まで残っていたギルドマスターですよ」
「でもあなたの所には最終日にも人がたくさんいたんですよね」
「ええ。その点は、私はあなたよりも恵まれていたかもしれませんね」
くすくすとリュウズが笑う。それにモモンガは何か言い返そうとしたが、何を言い返すこともできぬと気付いて大人しく口を閉じた。代わりに、伸ばされたままだったリュウズの手を掴む。
「次、お願いします」
「ええ、あと三名、先に頷いてもらえるかしら?」
「絶対頷いて貰えます。俺は仲間をあの世界に呼ぶし、俺はナザリックに帰るんですから!」
「その意気よ、モモンガさん。君の顔が絶望に染まりかける所、早くみたいわぁ」
リュウズの笑みが音を立てて変質する。それは極上の美人が浮かべる最高の笑顔なのに、モモンガの肌のない骨の体の全身に鳥肌が立つ感覚を覚えさせた。そしてその笑みと悪寒が呼び水となったのか、この後モモンガはウィッシュⅢと獣王メコン川の説得に失敗した。
目の前で信じた仲間の魂が消えていくのを見ながら、モモンガの後ろでリュウズは楽しそうに笑った。
「成功十七名、失敗十五名。さて、あと三人よ、モモンガさん」
モモンガによる説得ロール、1d100で50以下で成功、51以上で失敗
源次郎 35 成功
ウィッシュⅢ 89 失敗
獣王メコン川 72 失敗
成功17、失敗15