立ち止まった所にあるのは、ついさっき草木を大急ぎで毟り取られたということがよくわかる大きな両開きの石の扉の前だった。扉や、扉の周りにも精緻な紋様が掘られている。だがその紋様の殆どは緑の蔦に覆われていてよくは見えない。蔦は扉を動かすために最低限必要な分を大急ぎで毟られたのだろう。取り切れず、引き千切られ歪んだ蔓がぷらぷらと揺れている。それがまた紋様の邪魔になっているのだ。そして辺りには草が切れた時に発生する青々とした植物の匂いが漂っている。天空城全体に淡く吹き続ける風がある中でそう感じるのだから、目の前の草がその匂いの原因だろう。
「古の王の居室、と言ったところか」
全体から感じる印象をぽつりと口にしたアインズに、タンが頷いた。
「言い得て妙というやつですね。こちらの世界に来てから古の存在になったのは確かですから」
千年とか六百年とか、アンデッドにしても大層な時間だ。アインズではなくモモンガの心で「だよなぁ」と小さく呟いたアインズの横で、タンがその小さな身をぐっとそらす。
「マスター、客人をお連れ致しました。アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターです」
タンが少し大きな声でそう言うと、中からの返事を待たずしてチョウが扉に手をかけ、ぐぐ、と押し開いた。途端、中の様子が見えてくる。一歩踏み出すまでもなく一行がその中に見たのは、奥の巨大なベッドにいる、一匹の美しい蛇だった。
いや、蛇という表現は正しくない。蛇であれば手足の無いその細長い全身がきっちり全て爬虫類の姿をしているはずなのだから。対して、居室の奥のそれは完全な蛇ではない。「どうぞ」とタンに言われ、一歩居室に踏み込んだアインズが見たのは、その蛇の、本来ならば頭部がある部分にすらりと滑らかな女性の上半身がついている様だった。それと、その背中から生えているのは一見すると緑色に見える大きな二対の翼。一見すると、という前置きを入れたのは、背後の大窓から差し込む光がその翼にあたるとその輝きをもって翼の色をめまぐるしく変えているからだ。緑色というよりは玉虫色と言うべきだ、と見る者全てに言わせる色だ。調教師として多くのモンスターを見てきたアウラが、アインズを除き一番最初に彼女の種族に気づいた。
「……ケツァルコアトル?」
ナザリックの第六階層にもいるモンスターだ。もっとも、あちらはもっと端的に蛇に翼が生えたような姿をしているが。
部屋の奥のベッドの上で上体を起こし、クッションにもたれかかるようにして来客を見つめる美しい異形。その異形は、彼らが入室してくる前からずっと浮かべている柔らかい笑みを浮かべたまま、アウラの言葉に首肯した。
「そう。私の種族は神羽蛇種。もっとも、プレイヤーだからモンスターのものとは全く違うけれどね」
くす、と。澄んだ緑青色の髪を揺らし、頭部に頂く目眩がするほど美しい額冠をきらきらと陽光で輝かせ、彼女は笑う。髪よりも少し濃い色の下半身の鱗を煌めかせ、おそらくは足を組み替えるとかそれに近しい動きをし、彼女はアウラからアインズに目を移した。
「こんにちは、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスター」
「こんにちは、翼持つ人々のギルドマスター。……あの、唐突で申し訳ないんですが、私のこと、覚えていますか」
つい、とアインズの白い骨が自分の顔を指さす。アインズ、というよりはもう殆どモモンガだ。普段はあるはずの支配者の威厳を全く身に纏わぬアインズにデミウルゴス達が目を白黒させているのなんて、アインズの意識からはもうとうに消えている。彼の中にあるのは、久方ぶりにプレイヤーと話せるという淡い淡い期待だけだ。NPCとは話してきた。けれど、自分と対等の位置にいる者とはずっと出会えてこなかった。だから、だから、友となりうる可能性を持つ者を見て、彼はらしくない一言を出してしまったのだ。
もしもそれがこの世界の人間相手のものだったら、彼を狙って利益を貪ろうとする者達がここぞとばかりに牙を剥いて襲いかかってきたかもしれない。アインズという殻に守られたモモンガに牙を突き立てたかもしれない。
けれど、ここにいるのはそんな奴じゃない。
遙かな古代で消え去った文明の神の姿を持つギルドマスターは、その目に心の底からの親愛をもって答えた。
「ええ。ずうっと昔にPKされかかっていたのを助けたことが、ありましたね。確か名前は……モモンガさん、でしたっけ」
それは、この世界ではナザリックの者以外の誰も知らぬ、アンデッドとしてのアインズの真名だ。それを言い当てられた瞬間、アインズは骨の顔ではわからないが大きく破顔した。
「ええ!覚えていて下さいましたか!」
「もちろん。私はね、優しくて、愛に溢れた子が好きなんですよ」
「あ、愛に溢れ…」
思わぬ賛辞にアインズの心の中に動揺が生まれる。それが強制的に平定された後、彼女はクッションの一つにその大きな胸を埋めながらおっとりと答えた。
「愛があるからあの世界を謳歌し、最後までしがみつき、そうしてついに転移に巻き込まれた。何を恥ずかしがることがありますか」
うふふ、と笑う神に、死の支配者やら死の神とやら言われるアインズは思わず照れから頬をかりかり掻いてごまかしたのであった。