Fate/Grand Order -Overlap control-   作:外山紡司

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いろいろ忙しかったのです。遅くなりました。そして、次も恐らく遅くなりますが、気長に待っていただけたら嬉しいです。というか、待ってくれる方がいるだけで、もう舞い上がりそうなくらい嬉しいです。


10話:得るもの、失うもの

 穴が開いた。

 Sの宣言によって、聖杯が起動し藤丸を中心として黒い渦が生まれた。最初は小さな点だったものが、徐々に大きく口を開いていき、世界の侵食を始める。

 何もかもを呑み込んでしまいそうなその穴は、何もかもを内包した可能性の全てである。その可能性が一点に収束させられている。穴の向こう側は底なしの闇が広がっていて、何かを見出すことすらできない。

 どんな演算が行われているか、S以外誰も知らない。いや、Sすらも知らないのかもしれない。世界の書き換えを最適にするプログラムを書いたとして、どのように書き換えることが最適かなど、Sに判断しようがない。人知を超えている。

 全ての世界に存在する48番目の概念を起点に、渦は進行していく。

 

「あぁぁぁあぁ!」

 

 藤丸は何を感じているのか分からなかった。頭が弾け飛んび、脳がひき肉になったような錯覚を感じながら、痛みのような物に耐えていた。

 歯を食いしばってみるものの、感覚すら遮断されているようで正確に行為が実行されているのか知る方法はない。触覚も視覚も聴覚も、消え失せた。

 ただ一つ感じ取っていたのは、藤丸という意識を押しつぶそうとする圧力。内側に入り込んで来る奔流に耐え切れず、ぶくぶくと体が泡のように膨らんでいくような触覚。

 

 パリン。

 

 何かが割れた。

 

 パリン。パリン。

 

 甲高い音の悲鳴が次々と、頭の中に木霊する。連鎖的に割れ続ける。

 大切なものが千切れてしまいそうで、藤丸は動くか分からない手を伸ばす。

 救済を求めているのか、全身を試みているのか。自分の意思すら理解できない。

 恐れも喜びも感じない。痛みもどこかに行った。

 今まで繋ぎとめていた自分というものが完全に吹き飛んで、壊れていまった。もう自身が誰なのかすら分からず、ただ思考だけがふわふわ浮かんでいる。

 

「ああああぁああぁ!」

 

 遠くから、悲鳴が聞こえる気がする。他でもない、自分の声だと藤丸は思う。叫ぶ藤丸を藤丸は見ているような感覚だった。

 今まであった肉体という自分が、自分でないような感覚がある。はっきりしない思考で、藤丸は考えているようだった。

 そのとき、天から一つの知恵が落ちて来たような気がした。

 これは感覚が遮断されているのではなく、感覚という入力が増殖した結果なのだ。あらゆる48番目の可能性を無理矢理、藤丸の体に収束させている。

 だから、これは世界と世界が刷り合わされたときに発生する摩擦であって、それを一身に藤丸が受け止めている。

 

―――進まなくちゃ。

 

 48番目はぼんやり考える。

 ホワイトアウトした視覚で見えるものなどなく、更に記憶までにも靄が進行してきた。次第に頭の中から色が消えていき、昨日のことさえも断片が見えるばかりになった。

 それでも、一歩を。

 伸ばした手がそこにある確証もなく、歩き方も忘れてしまった。

 

―――それでも、進まなくちゃ。

 

 

 

 

「どうした!?」

 

 藤丸を中心に空間が捻じれ始め、雲のような黒い渦が発生した。その渦は形成されると、次第に拡大を始め止まる様子もない。

 統一言語を用いた演算によって、束ねられていく世界の境界線がその渦なのだった。

 Sは予想外の事態に、困惑の表情を浮かべている。

 事象自体には想定との誤差はなく、書き換えが進んでいる。ただ一つ、室内に響く叫び声だけが予想外の事態だった。藤丸である。その叫びに正気は宿っておらず、擦れた音に藤丸の魂がすり減っていくのを感じた。

 

「藤丸くんに何が起こっている!? こんな計画のハズないだろう! このままでは藤丸くんがバラバラになるどころか、君の計画だって失敗するぞ! おい、S!」

 

 通信機の向こう、まだ渦に巻き込まれる前のあちら側から音が届く。計算の段階において、藤丸という座標が消失すれば、世界は元に戻るだろう。マシュたちはそれを知ったところで、藤丸を始末する様子は見せない。もちろん物理的に動けないというのもあったが、それでも意思が感じられない。そして、Sにとっても藤丸には生きてもらわなけれなならない。

 

「この反応は、まるで"意味消失"だ。情報が氾濫して、藤丸くんが消えかけている」

 

 マシュの息を飲む声が聞こえた。

 Sは何が起こっているのか分からなかった。長年進めてきた計画は完璧で、狂いなど在るはずもなかった。ここ数年の聖晶石の生成だって、この計画の為の下準備でしかなかったのだから。

 

「分からない」 

 

 それはダ・ヴィンチに向かってではなく、静かにそして無意味に呟かれた。

 

「何を言っている! このままでは君の計画は達成されない! 藤丸くんの存在はなくなり、『居なかったこと』になるんだ!」

 

 その言葉でSは何かを感じとった。

 藤丸を守るべくして叫んだダ・ヴィンチの言葉の中で「居なかったこと」になる、という一文だけが頭に残った。藤丸が始めから居なかったことになるのなら、何の問題が発生するだろうか。

 人理焼却が実行される。

 全ての世界線において48番目がいることが、人理焼却から免れる要因だった。それをSは自分の目で確かめた。

 Sは子どもの頃から、変な夢を見て来た。夢は一般的に荒唐無稽で、覚めるとすぐに忘れるものだが、Sの見る夢は論理的で、脳に付着したら忘れることなどできなかった。住む世界とは少しだけ違っていて、だからといって否定しがたい夢。

 友人が死んでいたり、会社の社員が違ったり、第三次世界大戦が起きていたり。拒もうと、可能性を渡り歩き、多くの喜びを味わい、絶望に浸った。その、全てを見て来た。

 だから、Sは世界に48番目が必要であると知っている。

 藤丸に起こった異変が、何らかの意図の介在するものであるとすれば、Sの計画をあらかじめ知っていて、人理修復をなかったことにするつもりだったことになる。だとしたら、可能な者は限られてくる。

 

「魔神柱! 君か!」

 

 Sは何もない空間に向かって叫んだ。

 

「ああ、そうだ。私だ」

 

 どこからともなく声がした。魔神柱だった。

 D社そのものが魔神柱なのだから、その体内にいるも同然だ。

 

「なぜっ!」

「当たり前だろう。私の計画は人理焼却の修復だ。Sの書いた統一言語の中にバグを仕掛けておいた。そもそも48番目という概念自体が弱い物なのだ。統合の段階で異物を混ぜ込めば存在ごと消える。当然であろう」

 

 確かに48番目の概念を使用した世界の統合は、その人格など様々な要素を無視している。概念として、そのまま世界に存在できないという点で弱い。

 崩壊してしまう。藤丸が消えた後に残る世界は無であり、無限の世界。終わることのない世界故に、意味がなくなった世界。

 そうなることをSは許容できるはずもなかったが、既に賽は投げられてしまった。起動している統一言語を止めることなどできない。

 

「どうして! くそっ!」

 

 Sは初めて怒鳴り声を上げた。世界を救う救う行為が、世界を破滅に導く手助けになるなどと誰に想像できるだろう。計画「Overlap control」は魔神柱なしには実現できなかったのは事実だが、人でないものの力を借りようとしたことが間違いだった。

 なんて惨めなのか。自分の計画を自分で失敗させ、世界を滅ぼすなどと。

 Sは統一言語を完全に理解しているわけではない。そして、分かっていないものを使える道理はない。SはD社内にプログラムを書き込み、その機能の呼び出しを行っているだけだ。文字の記述は世界そのものへの書き込みであり、世界への命令たり得る。口で命じることができないなら、書き込めばいい。Sの声に反応して、既存のプログラムが動作するようにすればいい。計画上、それで充分だった。

 しかし、予想外の事態に直面した今、Sは統一言語を話せないことを悔いている。Sは話すこともできないし、停止命令を今から書き込むには時間が足りず、打つ手がなかった。

 

「くそ!」

 

 叫びにも似た怒声だった。

 魔神柱は笑っている。

 

「お前たちは滅ぶべきだ。私は他の魔神柱のように、当初の計画をずらしたりなどしない。世界は滅ぶ。そして始まる。お前たちは否定したがね、永遠の中に意味があっても良いのだ」

 

 魔神柱が言い終えたあとの冷えた部屋に、なんの声も上がらなかった。。Sのプログラムのコマンドによって束縛されたものはもちろん、自由であったSとダ・ヴィンチさえも、黙っている。ただ、藤丸の叫びだけが心を押しつぶすかのように、響く。

 これで、おしまいだ。

 Sが立案した計画は、ようやく実行する段階になって崩れ落ちた。僅かにも希望は残されていない。皮肉なことに、可能性という名の希望は自身で消滅させてしまった。

 もう、誰かが悲しむ姿を見たくなかっただけなのだ。

 統合された後の世界ならば、統一言語を用いた演算で未来をシュミレーションすることだって可能なのだ。現在という数値を入力すれば、結果は自動的に出力される。それによって、一本線になった未来をコントロールする。

 そして、皆が笑える世界を作りたかった。そんな子どもじみた願い。そんな、単純な願いがあっただけ。

 誰かが笑うために、誰かが泣く可能性を消し去る。そんな、ただの幸福を望んだだけだったのに。

 時が止まったようだった。コマンドによって話すどころか、物音一つとして届かない。黒い渦に飲み込まれ、残ったものなど何もなかった。

 叫び声の中に溶けてしまいたかった。聞こえている叫びが、自分のものではないかとSは錯覚した。

 Sは膝から地面に崩れ落ち、拳を胸の前で更に強く握りしめて、俯いた。もう立ち上がる気力などなく、顔を上げる可能性もなかった。

 そんな可能性などない、ハズだった。

 

 静止した冷えた地下空間の中、何かが動いた。Sはそれを視界の隅に確認した。

 在り得ない。ここにそんな人物がいるわけがない。

 全ての人物は統一言語によって静止している。強制的に空間に固定していて、どんな怪力をもってしても脱出することなどできない。

 なのに、足音が響く。誰かが、悠然と歩行している。

 下を向いていた顔を慌てて持ち上げて、その姿を確認してみる。それは誰なのか。それはどんな、サーヴァントなのか。

 しかし、そこにいたのは長い髪をヒラヒラと揺らしながら歩く高校生くらいの少女だった。Sにはそのことが信じられなかった。

 

「君は、両儀未那......か?」

「そうよ」

 

 その声には何の感情も込められていないようだった。いや、何の感情か分からないくらいに多くの感情が混ざり合っていたのかもしれない。

 マナは退魔四家の内の一つ、両儀の生まれである。その母親はあらゆる概念を殺す「直死の魔眼」を持つ両儀式であることはSも把握していた。しかし、マナはなんの能力も持っていないはずだ。

 一人の人間が極められる技術は限られている。だから代々、両儀の家系は一つの人体に二つの人格を宿すことで、優れた人間を育ててきた。しかし、マナという人間は二重人格ではないし、ましてや突出した能力を持つわけでもない。

 だから脅威になり得ないとしていたのだ。マナは「無能」であるというのが、Sの判断だった。

 しかし、何故だ。

 Sはマナの姿に釘付けになっていた。

 マナの向かう先は渦の中心にいる藤丸である。制御が効かない闇に向かって、今にも無くなってしまいそうな、白い少女が近付いていく。まるで幻想を見ているようだった。

 

「藤丸さん。あなたは大丈夫」

 

 少女は言った。

 

 

 

 ある声が聞こえた。48番目は何も感じないハズだったのに、そのとき聴覚だけが働いて「あなたは大丈夫」と語りかけられたのを聞き取った。

 

「君はだれだ?」

 

 知らぬ間にそう返答している。

 真っ白な風景の中に一人、黒髪の少女が浮かんでいた。その無を体現したような風景は、自信の心象なのではないかと藤丸は考えた。

 

「私は両儀未那よ、藤丸さん」

 

 48番目は名前を聞いても、それが誰なのか分からない。マナと名乗る人物がどうやら自分を知っているらしいという情報だけ読み取ることができた。藤丸というのが自分の名前らしい。

 

「ごめん。君のことを俺は覚えていない」

「いいのよ。そんなこと、今は関係ないでしょう。あなたには、すべきことがあるはずよ」

「そう。俺は、進まなくちゃいけないんだ。こんなところで立ち止まっている場合じゃない」

 

 48番目が覚えていたのはそれだけだ。立ち止まってはいけない。自分が何処に辿り付くべきかも忘れてしまったのに、そんな思念だけが亡霊のように纏わりついている。

 

「藤丸さん。あなたは今、崩壊している。世界が統合されるときに発生する摩擦があなたを吹き飛ばそうとしているのよ。だから、あなたは自分を繋ぎとめなければならないわ。英霊召喚は覚えている?」

「ああ。もちろんだ」

 

 はっきりと答えた。

 

「なら、召喚しなさい」

「だけど、触媒がない。召喚式もない。俺一人ではできないよ」

 

 当然だった。ここには何もないのだ。

 

「私がいるわ。触媒はいらない。召喚するのは、あなた自身」

「何を言っている?」

「藤丸さん。あなたは仮にも"世界を救った英雄"よ。だったら、藤丸さん、いや48番目が英霊になった可能性は残されているわ。守護者となってしまえば、世界の枠組みの外側に存在できるのですから。私は英霊として召喚された48番目に、あなたを縫い付ける」

 

 藤丸は直観的な理解ができなかった。英霊というどの世界線にでも存在できる確固たる概念があり、その守護者ごと統合してしまえば48番目という存在が安定するということだろうか、と言語的に理解することはできた。

 

「分かった」

 

 マナは目を見開いて、藤丸を見た。

 

「いいの? あなたは更に苦しむことになるわ。あなたは今よりも安定するけど、少しずつ壊れていくでしょう。あなたは苦しむことしかできなくなる。死よりも恐ろしい体験になるでしょう。その先にあるのは地獄よ。それでもいいの?」

 

 何を危惧しているのか、藤丸には理解できない。例え苦しんだとしても、例え死ぬことになったとしても、躊躇う必要などあるだろうか。幸せな結果が得られなかったとしても、どんな終末を迎えるのだとしても、必ずここには何かある。

 

「ああ、いいよ。きっと俺が進む意味はある。それだけで、地獄だろうと進んで行ける」

 

 マナは予想していなかったのか、驚愕の表情を一瞬だけ見せた。しかし、その直後にはうっすらと笑みを浮かべている。世界で一番美しいものを見つけた子どものような、含みのない純粋な笑みを。

 

「分かったわ。世界を取り戻しましょう」

 

 その返答は首を静かに縦に振ることで為された。

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。振り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ......」

 

 幾度となく繰り返し、心に刻まれた詠唱を藤丸は自然と口にしていた。マナはそれに従い何かの用意をしている様子だった。

 最後の文言を述べ、全てが世界に響いたとき、最後の可能性がこの世界に現界した。

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