Fate/Grand Order -Overlap control- 作:外山紡司
荒野に突如雷鳴が走り、空間を切り裂いてその穴から魔神柱が姿を表した。軟体動物のような不可思議な動きに人ならざるおぞましさが宿っている。魔神柱から水源のように次々と流れ出す魔力はドロドロとしており、藤乃の体を圧迫した。
藤乃は右手で頭を押さえ、しばらくして再び目線を戻す。遠くの崩壊したビルの影から、息を殺して魔神柱を透視している。
少々の切り傷が付いていたが、魔神柱は固有結界に入る前と同様に溌剌としているように見える。魔神柱の表情などがあればもっと情報を得られたのだろうが、あいにく魔神柱にはそもそも顔というものが存在していない。
魔神柱は出現するとたちまち元のD社の土地の方に身をひるがえした。
ミツルの未来視の通りである。固有結界を破壊するために膨大な魔力を必要とするから、一度霊脈に戻るだろう。そこを叩け。ミツルの作戦だと、そいうことだった。
だから藤乃の役割は出現した魔神柱を捻ること。背を向けた魔神柱を一気呵成に畳みかけること。
藤乃は魔眼を起動して回転の軸を生み出し始める。
そこで、ふと気づいた。視界の隅に小さく、魔神柱と比較してみれば蟻のように黒い影が見えた。他ならぬ式とエミヤである。
エミヤが腹から血を流し地面に倒れ込んでいた。傷口は熱によって焼けただれて腸を落とす心配はなかったが、それでも重症であることに変わりはない。激しく喘ぎ、式をはねのけるように突き飛ばす。
この戦場に衛生兵はいない。倒れたら放っておくしかない。もしも助けようとするならば、他の誰かが手を貸さねばならなくなる。だからエミヤが式の救助を拒んだのは正しい。式の戦力をなくして、魔神柱と戦うことはできまい。
さらに重要なのは、エミヤが重症を負ったことである。つまりそれは未来が変わったことを意味していた。本来ならば、ここまでは全員無傷で辿り着く予定だった。確かに脱落する予定ではあったが、それはまだ先の話だったのだ。
藤乃は悪化したのだと感じた。未来が悪い方向に転がった。
藤乃は強く歯噛みする。何もせずにここまで蚊帳の外でぼうっと待っていたことを悔やんだ。そういう作戦だったとは言え、割り切れるものではない。未来の重大な転機だったというのに。
藤乃は目を細め、魔神柱を睨みつける。魔眼が赤く染まり、対象を曲げる強大な回転を意識する。
ここで未来を取り戻さなければならない。未来が変わったのなら、未来を切り開かなければならない。それだけの
遠くに見えるエミヤの口が「やめろ」と動いていることなど、知る由もない。
「曲がれッ!」
細くなっていた目が大きく見開かれ、魔神柱の中腹あたりに回転軸を発生させる。
のっそりと後退していく魔神柱に不可視の攻撃が襲う。
「ガアアア!」
魔神柱の一部の肉が小さく渦巻き始め、けたたましい音を立てながら引きちぎられて、穴になった。血が噴き出し、雨のように火の海に降り注ぐ。
「曲がれ、曲がれ、曲がれッ!」
しかし、初手で気付いた魔神柱に二射目以降は通用しなかった。もう出し惜しみはもうしない、とでも言うように魔力を放出し、その圧力が藤乃の皮膚を貫く。視界も心すら全て吹き飛ばすような畏怖が、乱射した二重螺旋が尽く消した。
本来ならば消えるハズがなかった。だが消滅した。それは藤乃自身が曲げられないと悟ったからだ。何度も曲げた経験があるにも関わらず、魔神に感じた絶対的な権力を前に太刀打ちができなかった。
だから、後には何も残らない。藤乃は一歩後ずさった。その足音を魔神柱は聞き逃さない。ギョロリと数多ある眼が一斉に藤乃の方を振り向いた。
余りもの絶望に、藤乃は戦慄した。何もかも、無駄だった。力は通じなかった。こんなに簡単に、何もかもが消えていった。
そして何より、藤乃の位置を知られてしまった。壁越しに魔神柱と目が合う。地上の動物とは明らかに違うその禍々しい眼の大群に、藤乃は怯えることしかできない。
終わりだ。位置を知らてしまった以上、藤乃の運動能力ではあの火力から逃げ切ることはできない。魔神柱に表情はなかったが、藤乃は嘲笑を受けているように感じた。かくれんぼで、隠れるのが下手な子どもを大人が見つけたときのような感じである。
神が最後の審判を告げるように魔神柱の眼が瞬いたのを、藤乃は見た。
数珠繋ぎになった爆発の連鎖が、目にも止まらぬ早さで藤乃に迫る。気付いたときには、もう影になっていた建物が爆散している。目の前に熱の塊があった。回避の動作を取る暇もなかった。
未来を取り戻す力はなかった。仲間の恨みすら晴らすことができなかった。そう、一瞬の内に理解した。
ただ間抜けに口を開けて、自分を焼き払うのであろう熱球を眺めることしかできない。
「
赤い外套が藤乃の前に現れる。腹の半分が消し飛んでいて痛々しい姿ではあったが、堂々と大きな背中を藤乃に晒した。
「エミヤ……さん?」
魔力で形成された大きな七枚の花弁が出現し、盾として攻撃を押しとどめている。
エミヤは遠くで倒れていた状態から、藤乃の危機を一瞬で察知して駆け付けたらしい。それも、この体の状態でである。そこで
証拠に、振り返って藤乃を見たエミヤの表情は、明確な何かが欠落し、気が抜けていて青白かった。最期に藤乃を守ることができれば幸せなのだと、その顔が語っていた。
死を受け入れていた。きっと死など怖くもないのだ、誰かを救えないことと比べたら。
ただ、単純に人を救う。それは、紛れもない正義のカタチである。
盾との拮抗が破れ、次第に爆発は小さくなっていく。
「ああ、良かった」
安堵だった。最期に貫けた、何者にも邪魔されない正義。何処の誰かもロクに知らないのであろう藤乃を助けるという、純粋な正義。
エミヤは立ち尽くしている。もう動かせないのであろう肉体から、自分の消滅を察している。
「ダメです! エミヤさん」
「逃げろ」
そう言われて、藤乃はエミヤの遥か向こうにいる、魔神柱の姿を見つけた。藤乃が直視するのは初めてだった。
「逃げろ!」
叫ぶような口調に気圧されて、藤乃は杖を持ちエミヤに背を向ける。
瞬間、背後で爆発が起きた。
爆風が藤乃の細い体を巻き込んで、軽々と遠方に吹き飛ばす。僅かな浮遊感を味わうと直後に落下を始め、頭を強く打ち付けて藤乃の意識は暗転した。
魔神柱は勝ち誇っていた。
エミヤが消滅して、人側にはもう英霊が存在しないのだから、相手らしい相手と言えば式くらいである。その式だって、たった一人で魔神柱を打ち倒せる程の実力はない。人だからと、手を抜くことなく全力で砲火を浴びせれば勝てる。あの刀を折ってもいいかもしれない。
もはや人類など相手ではなかった。広がる東京の大地は火の海と化して、繁栄の痕跡の一切が消えていく。そこで人間は寂寥感にさいなまれるだろうが、少し考えると更なる悪夢が待ち受けていることに気付くだろう。48番目の消失と、それに伴う人理焼却の再生。
これからヒトは東京の大地だけでなく、人類史全てを失うのだ。一つの国家の首都が崩壊したくらいで、嘆くのは馬鹿げている。
歪曲の魔眼の女を仕留めようと、魔神柱は移動を開始した。エミヤは確実に消し去ったが、あの女はまだ生きているだろう。ここまでの戦闘で、魔神柱は十分に人間のしぶとさを理解していた。少しでも手を抜けば、命取りである。
式が魔神柱の周辺を駆け回りチャンスを待っているところを砲撃で牽制する。仕留める必要はない。攻撃すら「殺す」ことのできる式を仕留めるには労力が掛るが、歪曲の魔眼ならばそう時間はかからない。奴は身体能力に特化しているワケではなく、一瞬見えた様子だとむしろ一般人よりも不自由な体のようだ。逃げることもできまい。
魔神柱は削れるところから削っていく方針に切り替える。
接近すると、頭から血を流す一人の女が地に伏しているのを見つけた。距離は遠かったが、魔神柱の鋭い眼は肌に付いた細かな傷まで見て取れた。よって、女が気絶していると理解するのもすぐだった。
眼を女に向けて、標準を合わせ、発射する。
「させるか」
眼から放たれた熱線は、高速で割こんだ式によって殺されて跡形もなく消える。しかし、それも想定内であった。
そして、その対処法は既に知っている。連射してしまえばどうやっても防ぎようがない。
だから、魔神柱は数十の熱戦は次々に放った。内、数個は式が切り殺すことができたが、その他はどうしようもなかった。
「チッ!」
式は舌を鳴らした。これから仲間を失うという絶望と苦渋に歪んだ表情を見て、魔神柱は高揚した。これがあるべき姿である。魔神柱は恐れられる存在でなければならない。
人間の骨まで溶かすことなど容易いであろう膨大な熱量が束になって女に向かって行く。誰にも止めることはできないだろうと思われた。
しかし、魔神柱は気付いた。近くに2体のサーヴァント反応があることを。
「
突如、巨大な城壁が発生し攻撃がすべて弾かれる。しかし、その城壁も元来の力を発揮していないのだろう、すぐに崩壊することになった。
城壁が崩れると、一人の少女の姿が現れる。マシュ・キリエライト。殆ど力を失った、戦力にはならないであろうと目された因子の名前だった。マシュは鎧を維持しているだけでも相当な労力が必要で、陸に打ち上げられた魚が喘ぐように息を吸っている。
「何故だ。何故、お前がここに来た」
マシュは聞いてなどいないようだった。
「先輩っ! 行かないでっ!」
初め、魔神柱には何を言っているのか理解できなかった。この戦闘において出てくるはずのない名が出て来たのだから。先輩。つまり48番目。
48番目は今や崩壊寸前のはずだ。そんな体を引きずって来たところで、何ができるというのか。
ブラフだと魔神柱は思った。ブラフだと信じたかった。
どうしてそんな妄念に囚われたのかは分からないけど、信じてしまったら何か決定的なものに敗北する予感があった。
しかし、その男はいた。
燃え盛る炎の中を、マシュ以上に不自由な体を引きずって走って来る。いや「走る」などという綺麗なものではなくて、もっと泥臭い何かだった。
「48番目! 愚かだ。よもや、そこまでの馬鹿だとは予想もしなかった。自ら死期を早めるなどと!」
「お前! 何しに来たんだ!」
式でさえもこの調子なのだから、独断行動なのだろう。そこに策略は見いだせない。式は走り回るのをやめて立ち尽くしていた。
マシュには薄いサーヴァントがあった。同様に48番目にもサーヴァントの反応が存在している。それは統合の際に英霊としての48番目を統合したからだ。
魔神柱の感知した二つの反応はこの二人で間違いない。
48番目は徐々に魔神柱の根本へと近づいて行く。
「……返せ」
48番目は低い声でそんなことを呟いた。
「何を言っている?」
「返せ……俺を……返せ」
それは恐ろしい執念だった。統合されることになった48番目の魂の叫びである。
それぞれの世界線には本来独立した個人としての48番目が存在したのだ。現在、それを無理矢理一つの肉体という箱の中に押し入れて、誰の意思でかも分からず強制的に動かされている。精神の内部分裂が起きているに等しい。
D社に踏み入れた時の発狂も、D社の内部が「聖晶石を生成する」為に世界線が混同していたためだ。マシュという個人はマシュとして存在が証明できるのに、48番目は48番目という概念としてしか存在できなかった。
しかし、現在、あのときとは比べ物にならない程、彼は狂っている。いや、その表現はおかしいかもしれない。何故なら狂った人間に誰が力を貸そうなどと思うだろう。
彼が本来持っていた異常なまでの純粋性の結果として、彼は自分自身を返せと言っている。それは統合された世界線を再び元の形に戻すことと同意だ。
彼は誰かに操作された世界ではなく、自分自身で選び取る世界を望んでいる。
気付くと、48番目は魔神柱まで到達している。だが、排除する必要はないだろう。魔神柱の肌に傷をつけるだけの力を彼は持っていない。
「何のつもりだ」
尋ねたところで48番目は答えない。
48番目は非力な腕で魔神柱の体を殴った。当然、びくともしない。むしろ、48番目の手から血が流れる。
しかし、止める様子はなかった。止める理由なんてなかった。
もう一度、殴る。殴る。殴る。
魔神柱の固い皮膚に衝突したときに、48番目の骨が砕けるような音が何度も燃える大地に響く。
一発一発、一つ一つが叫びだった。
自分たちの手で未来は切り開くのだ。だから俺の体を返せ。そんな叫び。
俯いた48番目の顔から、涙が頬を伝い鼻先に溜まって、地面に落ちる。