Fate/Grand Order -Overlap control- 作:外山紡司
マシュが案内されたのは、古めかしいビルだった。
東京という新陳代謝の凄まじい土地に、ポツンと残された廃ビル。周囲に建つものの中で特に悪目立ちしており、故に近寄りがたい雰囲気がある。恐らく建設から十年以上、ひょっとしたら二十年くらい経っているのだろう。
今にも崩れてしまいそうだった。藤丸にはこの建物が、崩れるか崩れないかという状態が、死の淵に立たされた環境の中生きてきた、ここに住む探偵の境遇そのものなのだというように感じられた。
「ここが事務所です。行きましょう、藤丸さん。マシュさん」
出会ったときよりも砕けた表情で、マナはビルへと足を進める。ラーメン屋では取り繕っていたのだろう、これがマナの本性だった。
藤丸はマナを追おうとするが、服の裾を掴んでマシュがそれを引き留めた。
「どうしたの、マシュ」
「この先に進んで、大丈夫でしょうか」
藤丸は危機感に欠けたところがある。人の言うことは否応なく信じてしまう。それが彼の魅力でもあり、欠点でもあった。敵にとっては付け入りやすい。
だからこそ、危機はマシュが守らねばならない。
マシュにはその自覚があったし、藤丸はそんな覚悟を感じとった。
「大丈夫だよ」
マシュを安心させようと、微笑みを浮かべる。
「でも……」
「俺たちはまだ手がかりも掴めてない。行くしかないよ」
冷静な説得だった。「それに」と藤丸は付け加えて言う。
「ここにはサーヴァントはいない。だよね?」
確認するようなその声はマシュではなく、カルデアにいるダ・ヴィンチに向けられたものだ。
『その通りだ。少なくとも、君たちの半径3キロメートル以内にサーヴァントの反応はない。
まあ、心配なのも分かるけど、マスターがここまで言ってるんだから、もしものことがあったら守ってあげればいいのさ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、って言うだろ?』
「ほら、ダヴィンチちゃんも言ってるしね。行こう」
藤丸はニッコリと微笑む。
「分かりました」
不承不承、頭を縦に振りマシュはビルに目を向けた。
そうして、二人は足を踏み入れる。
夜ということもあったが、中は薄暗かった。足元も照らせない天井の照明が不気味に光っていた。
探偵という人物がそういった周囲のことに無頓着なのか、趣味なのか、人を寄せ付けないためにやっているのか。いずれにしても少し世間とずれた人間が住んでいるのだろうということを藤丸は読み取った。
マナが廊下の突き当りを右折すると、そちらから少しだけ光が漏れていた。藤丸たちも続いて右に曲がり、マナを追う。
するとマナが立ち止まって、藤丸たちを待っていた。
「ここよ」
そう示した部屋から光は漏れていた。ここに探偵がいるのだろうということは、誰にでも予想がついた。
マナはドアノブに手をやると、一気に扉を押し開ける。
「ミチルさん! 客人を連れてきました」
室内は、暗かった廊下と一転して明るく、それだけで安心させるような何かがある。部屋の主は清潔であるようで、観葉植物が多く置いてあり、入り口からではデスクうっすらと見える程度である。しかし、藤丸はその向こうに一人の男の存在を感じ取った。
「はあ。まったく誰を連れてきたと言うんだ。ただでさえ君の母上に仕事を押し付けられてうんざりしているというのに」
「ミチルさんも、男ならもっと察しが良くなったほうがいいわ。たぶん、ミチルさんの力になる方たちだと思うの」
藤丸とマシュは二人の他愛もない会話を聞きつつ部屋入り、ミチルと呼ばれる男の姿を窺った。
マナは客人である、藤丸とマシュの方をむいて、上品な笑みを浮かべている。
「こんにちは」
藤丸は何をすればいいのか分からない、といった様子で挨拶を述べた。
「ようこそ、我が事務所へ。わたしは瓶倉光溜という。名前を伺ってもいいかな?」
ミツルと名乗るその男は、退屈を取り繕うかのような笑みを浮かべて言った。長い髪がそういう冷めた印象を与えるのかもしれない。意図したものかは分からないが、伸びた髪は片目を覆っている。
「わたしはマシュ・キリエライトと言います」
「俺は藤丸立香です。ええと、あなたが探偵の方ですか?」
ミツルは一瞬、マナを横目で軽く睨んだが、当のマナはただ嬉しそうに笑うばかりだった。ミツルは軽い溜息を漏らしてから「そうだ」と頷いた。
「藤丸君と、マシュ君だったね。取り敢えず座ってくれたまえ」
藤丸とマシュは、手前にあったソファに腰かける。ミツルも歩み寄ってきて、その正面に座った。
「それで、なんのご用かな?」
ミツルの問いにマナが割って入る。
「違うわ、ミツルさん。わたしたちは、きっと良い協力関係になれると思うの」
ミツルは少し考えたようだったが、しばらくするとマナの言葉を理解したようで藤丸の方を向いた。
「君たちがここに、来た……いや、恐らく君たちも事情を呑み込めていないのだろう。君たちが日本に来た理由はなんだね?」
藤丸はその質問に答えていいのか、頭を抱えた。この特異点を修復しても、正しい時間に戻るわけではない。レイシフトしていないのだから、修復してもそこから地続きで、未来に進むかもしれない。
ならば、一般市民にカルデアの情報を流してもいいのか。藤丸はそう考えた。
それに気付いたマシュが小声で耳打ちする。
「先輩、マナさんはもうわたしたちに気付いています。ならば、言ってしまっても問題ないでしょう」
その一言に背中を押されて、藤丸は話し始めた。
人理継続保障機関・カルデアから派遣されたマスターであること、それで東京が特異点になっていること、マナに出会ってここに連れてこられたのだということ。
決して要領を得た話し方ではなかったが、身振り手振りを駆使して、誤解なく伝わったようだった。
「なるほど。君たちの目的はわたしたちと利害が一致している可能性が高い」
藤丸の説明を受けて、ミツルはそう感想を述べた。そこから、一度わざとらしく咳をすると、さらに話し始めた。
「わたしたちが調べているのは、企業だ。D社という」
「D社……」
マシュは、心にその名を刻もうとするように呟いた。
『日本の企業だね。ネットワークでのアプリケーションサービスなどで稼いでいる会社だ。だが、それは表向きの話でね。裏では、魔術協会に協力しているのさ。魔術師って人種は機械にめっぽう弱いからね。そこで、どうしても“機械が得意な魔術師”が必要になるのさ。カルデアの演算機だってD社のものだ』
ダ・ヴィンチはマナとミツルにも聞こえるよう、スピーカーで会話に参入する。
「その通り。あと、魔術用の製品開発なども行っている。入って来た情報によると、最近は“聖晶石”って商品でボロ儲けしているらしい。どんな物なのかは知らんがね」
聖晶石はカルデアでもサーヴァントの召喚などにも使用される「あまたの未来を確定させる概念の結晶体」だ。D社はそれをどうにか製造する技術を発明したらいしい。
それを聞いたマシュは、藤丸に耳打ちするように言う。
「聖晶石は“あまたの未来を確定させる概念”の結晶体です。だとすれば、それが特異点に関係しているのかもしれません。製造工程は秘匿されていますが、通常の方法での生成は難しいでしょう。だとすると、その製造過程で何らかの歴史の歪みが起こっている可能性が考えられます」
「確かにそうだね。でも、まだ足りない。それだけで動くことはできないよ」
しかし、調査が進展したのだと藤丸は感じた。これからの方針を立てることができて、少し肩の力が抜けた。何をすればいいのか分からない、という状態が藤丸にとって、一番つらいことであった。
「それで、ミツルさんたちはD社のどこを怪しいと思っているのですか?」
「藤丸君、別に私は疑わしいなどと思ってはいない。とある人、というかマナのお母様から捜査の依頼を受けたから調べている」
探偵は先入観を持ってはいけない。全てを平等に疑い、隠された事実の繋がりを見つけ出さなければならない。そういう在り方が理想である。しかし人間である以上、それを完璧に実行するのは困難だ。意識できないところ、つまり無意識下で、印象は決定される。
その点、ミツルには才能があった。何が彼をそうさせるのかは分からないが、物事を常に俯瞰したところから眺める習慣がついていた。
それはまるで、世間、延いては時代の流れを、見守っているようでさえあった。
「では、その依頼の内容とは何だったのか、教えてもらえますか?」
「それは、プライバシーにかかわる問題でもあるが。まあ、あの『母様』にとっては、そんなの問題でもないだろう」
ミツルは依頼人を少し馬鹿にしたような態度を見せた。マナがミツルの事務所に自由に出入りしているのを見ると、「母様」はこの事務所の常連らしい。
「今、この街では連続殺人が起きている。元々、この街はそういう物騒な事件が多い傾向があるのだが、それにしても異常だ。昼夜問わないんだよ、殺人が起こるのは。人だかりの多い通りの近くの路地裏に、突如として死体が現れる。目撃者などいない」
藤丸は先程まで新聞を確認していたが、そんな記事は見つからなかった。この街に殺人鬼がいるというならば、ニュースになっているはずだ。そんな訝しげな顔を見て、疑問に答えるように、ミツルはさらに話した。
「関連性がないのだよ。死因にしても、その人間関係にしても。だから、警察は別々の事件として捜査しているはずだ」
「では、どうしてこれが連続殺人だと考えているのですか?」
マシュが藤丸たちの意見を代弁してそう訊いた。
「分からない。ただ、例の『母様』がそう言うのだよ。ついでに、このマナもだけど。母様は、まあ、なんだ、勘のいい人なのでね。自分の部下、二人がその連続殺人の被害に遭ったことから、何かを感じ取ったみたいだ。それで、私に依頼が来た」
まるで根拠はなかった。ただ、「母様」とマナの勘がそう告げているというものだった。
「失礼ね、ミツルさん。それでは、私たちが妄言を言っているみたいに聞こえるわ。ミツルさんだって、信じているのでしょう?」
ミツルは小さく唸ったが、認める気になったのか溜息をついた。
「そうだ。おそらく、何かが起こってる。君たちも既にマナの言動には驚かされたことがあるだろう。その力が何なのかは知らないが、確かに何かある。第六感みたいなものだと私は考えている。だったら、他の五感と変わらない。誰かが『見た』というのは信じるのに、その第六感だけ信じない道理はない」
言い終えたミツルは小さく息を吐いた。しかし、そんな説明がなくても、初めから藤丸は信じていた。
藤丸がマシュの方に目配せをすると、目が合った。無言だったが、その表情からお互いに意思の確認をした。
「なるほど。では、連続殺人が、どうD社と関係しているのでしょうか?」
ミチルは渋面を浮かべ、面倒くさそうに頭を掻いた。
「サーヴァントだよ。召喚がD社で行われているのを確認している。そして、私たちは既に一騎のサーヴァントを倒している」
「サーヴァントを……ですか?」
マシュはその言葉に目を見張って、訊いた。
「ああ、そうだ。路地裏で張っていたら、そいつは引っかかった。あとは例の『母様』がやってくれたさ。真名は分からなかったがね」
部屋の中に静かな空気が流れた。藤丸には「母様」の存在が、どこかで会ったことのある人物のような気がして、引っかかっていた。
「D社の本社の位置には霊脈がある。製品を生成するために、そこから魔力を汲み上げているようだがね。召喚の際は異常な量の魔力を汲み上げるため、霊脈の流れに少し乱れが生じる。それらしきものが観測できた。
それに、この街において英霊の召喚ほどの魔術行使をできる者はD社しかいないのだよ。魔術協会から、数年にわたって聖遺物を搬入していることも確認している」
「なるほど。でも、まだ確固たる証拠は得られていないわけですね」
藤丸はその状況を冷静に分析し、述べた。D社は確かに疑う余地はあったが、確証を得ることはできていない。
「そうとも。だからこそ明日、訪問しようと考えているのだよ。アポイントは取ってある」
ミツルは興味なさげに告げた。