Fate/Grand Order -Overlap control- 作:外山紡司
あと、前回までの話に改行とか加えて読みやすくしました。内容は一切変わっておりません。
その夢は“向こう側”に繋がっている。
その人物は、それを知っていた。
夢の中にも、現実があった。こことは少しだけ異なる日常。
何かがあって、何かがなくなった程度の、僅かにズレた世界。誰かがいて、誰かがいなくなった程度の残酷な世界。
彼は毎晩のように夢を散策した。知人に会うこともあったし、ましてや自分自身に会うこともあった。
そんなセカイ、ない方が良かった。だって、知ってしまったら、考えずにはいられない。
その夢は決して楽しいものなどではない。
それは、きっと、悪夢だったのだろう。
藤丸は自動ドアの前に立つと、何を思ったのか一歩引いた。自分を感知して開いた扉の向こうに何かを感じた。恐怖などではないし、アテが外れたと思い始めたワケでもない。むしろエミヤが現れた時点で、D社は「当たり」だ。
しかし、この先に行ったら、引き返せないことになる。そんな直観が藤丸の脳を支配していた。
「どうしたのかね、藤丸くん」
ミツルが声を掛けると、ハッと我に返ったように驚いた。
「大丈夫ですか、先輩?」
マシュが心配そうに訊くと、藤丸は反射的に、
「うん、大丈夫だ」
と返事をしていた。
今までの旅の中にも、こんなことはあった。数多の危機があった。それでも、乗り越えて来た。だったら行けるだろう、と藤丸は自分に言い聞かせる。
「行こう」と藤丸は言い、ビルの中へ一歩を踏み出した。
そこには、異変しかなかった。
ロビーの中には誰もいなかった。広いビルの玄関口の空気が、まるで凍ってしまったかのように、冷たい空気に満ちていた。暗く、閑散とした空間の入り口に彼等は佇んでいる。
罠かもしれないと彼等は気付いたが、もう遅い。罠だったとしたら、敵は逃がすことはないだろう。ならば進むしかない。
「どうしましょうか、先輩」
そう訊かれた藤丸は、何も反応できなかった。そんな声など聞こえないほど、彼の意識は遠くにあった。しとど流れる汗が額から流れ落ち、熱病に侵されているようだった。どこか、死を連想させるものがあった。顔は赤く燃えるように色付き、藤丸は床に倒れ込んだ。
「先輩!」
ビルに足を踏み入れたとき、脳を揺さぶられるような一瞬の衝撃が藤丸を襲った。それが物理的なものか、精神的なものという判定はできない。それらを超越したような何かが、藤丸にぶつかった。
その余韻が、今も残っている。酔ったように、世界が回り認識することなどできない。自分が誰なのかすら、分からなくなった。
マシュは藤丸を、咄嗟に抱きしめた。何か対処すべきだとも思ったが、何をすべきかも分からない。
「何があった?」
「これは、攻撃ではありません。言ってしまえば、車酔いみたいなものね。ミツルさんもここに入ったときの空気の変化には気付いたでしょう? その環境に適応できてないだけよ」
マナは何事もなさそうに解説した。
「しかし! 先輩だけがこれほどの影響を受けることがあるでしょうか」
切羽詰まったマシュの口調は、慌てたものになる。
「そうね。もしも影響が同程度であれば、藤丸さんよりも先にミツルさんが倒れていなければおかしいわ。しかし、そうはならなかった。それは藤丸さんだけが、ズレが強かったからでしょう。何故かはまだ分からないけれど。ここは敵もいないし、少し安静にするか一時撤退するべきね」
そのとき、ようやく声が出た。絞り切った雑巾を、さらに絞ろうとするようなかすれた声だった。
「大丈夫……だから……。まだ、進めるから」
衝撃に充てられたのは、踏み込んだ瞬間だけだったためか、徐々に回復をしてきていた。マシュはその姿に幾ばくかの安心を覚えた。
「先輩! 良かった……意識がありますね」
マシュは腕の中の藤丸を無意識に強く抱きしめる。
「うん、大丈夫だよ。まだ、大丈夫」
藤丸はこれだけ自分を気にかけてくれる後輩がいるのだと、改めて実感した。だから、これ以上心配を掛けないように、精一杯笑った。
マシュは藤丸の右手を両手で持ち上げた。かつて、自分が死の淵でそうしてもらったように。さっきそうすれば良かったと、後悔を込めて。
「はい」
マシュは安堵の笑みを返した。
それもつかの間だった。
「藤丸さん。病み上がりで悪いけれど、もう休んではいられなそうよ」
静かだったロビーに、唸るような重低音が響いた。それが、エレベーターの音だと、すぐに理解できた。
きっと何かが来る。何かが待ち受けている。藤丸は力の入らない体を、マシュに支えてもらいつつ立ち上げる。そして、身構える。
しかし、それは予想していた以上に、脅威足り得なかった。開いた扉の向こうにいた人物、それはただの人間だった。いや、魔術師かもしれなかったが、戦闘に特化したものではないとすぐに分かった。
「こんにちは。君たちが今日の客人かな。すまないね、出迎えが遅れてしまった」
黒いパンツとシャツの男だった。黒ぶちの眼鏡をかけており、顎には髭が生えていた。おかしな所など何処もない、一般的な、日本人だった。
一つ、特徴を挙げるならば、笑い方だった。仮面を被ったように無機質で、初めからその笑い顔で生まれて来たかのようだった。
実際は、生まれつきのものなどではなく、生活の中で焼き付くようにして顔面に馴染んだものだ。
「どなたでしょうか?」
「ああ、ごめん。名乗り遅れていたね。しかし、はて、何と名乗ろうか……。そうだ、Sと。私はSだ。よろしく、藤丸くん」
今日の訪問は、本来ミツル一人で行われるはずだったものだ。だから、D社にはミツルの名しか教えてはいない。しかし、藤丸という名を知っていた。それが何を意味するのか、まだ知る由などない。
藤丸は訝しげな目線を、Sに送る。
「どうして名前を知っているんだ、そう言いたげな顔だね。当然さ、私が今日という日をどれほど待ち望んできたと思っているんだ」
Sの口振りは、この状況を楽しんでいるように聞こえた。Sは戦闘になれば勝ち目がないはずだった。
笑った顔がそのような印象を与えるのかもしれない。Sの、舞台の上にいるかのような大振りな態度が原因かもしれない。
「何が目的だ?」
藤丸の質問に、Sは吹き出した。
「それはこちらが聞きたいね。君たちは弊社になにを話しに来たのかな? ああ、確か、何の仕事をしているか具体的に見たい、とかだったね。では、少し見学でもして行かないかい?」
まともな回答にどう解答したものか悩んだ挙、その提案をひとまず藤丸は了承した。それが一番安全だった。だれが傷つくこともなく、「ただの見学」で済ませることができる。まだ、まともでいたかった。
しかし藤丸は、それがただの保留であると、心のどこかで意識をしていた。
藤丸たちは、D社の内部を案内された。別段変わった様子のない、普通のデスクが並ぶ。デスクにはPCのような装置が一つずつ置かれているが、すべて魔力型演算機だとSは説明した。
「魔術と科学の合流点、それがここだ。我々は魔術によって、コンピュータネットワークに接続することも可能になった。これは大きな一歩だよ」
Sはまるで享楽に耽るように、熱を入れて語った。
やはりS以外、このビル内には誰もいなかった。Sはそのことについては何も言わなかった。訊かれても答えることはなかった。
ここはもしかすると、違う空間なのかもしれない。現実空間の外なのか、もしくは固有結界のような心が現実を侵食した世界なのか。藤丸にはそれらに近いモノだと感じられた。
人だけが消えた、広い仕事場は、まるで世界の終わりである。透明な空気の中に、水のような抵抗力を覚えつつ、藤丸は歩いた。
一階から上へと昇っていき、一通りの案内を終えると、藤丸達は応接室へと連れていかれた。
「我が社の内部はこんな感じだよ。どうだったかな?」
藤丸達が着席したのを見ると、Sは楽しげに切り出した。
「たいへん興味深い体験だったと思います」
「それは良かった」
「それで、聖晶石はどこで作っているのでしょうか?」
Sは道化のように、あからさまな驚き顔を見せた。
「そうか、君たちは知っているのか。それはね、地下にあるよ。サーバ室の更に下さ。霊脈に近い方がいいからね」
「なるほど」
マシュは感心するように呟いた。決して、地下に繋がる階段も、エレベーターのボタンもなかった。だとすると、地下への入り口は巧妙に隠されているのかもしれない。
「ところで、君たちの目的をそろそろ話してはくれないか? まぁ、おおよその検討はついているけどね。ぼくが殺人鬼ではないか、というのだろう?」
その話題を自分から切り出すのは思いがけないことだった。彼の目的が未だにつかめない。
「そうだ。私たちはお前、いや貴社というべきかな。まぁ、D社がサーヴァントを用いて連続殺人を行っていると疑っている」
ミツルが言うと、Sは喜劇でも見るように破顔した。
「そうかそうか。うむ、そうだ、あれは聖晶石を用いた実験だった。過程は省略するが、我が社はサーヴァントの召喚に成功したのだ。しかしだ、結果的には失敗だった。そいつらが“暴走”を始めてしまったのだよ。召喚したのはアサシンとアーチャーの二騎だがね、そいつらが人を殺して回っている。
しかし、アサシンを仕留めてくれたのは君たちだろう? 礼を言いたい。ありがとう」
それは意外な事実であった。だとすると、少なくとも連続殺人に関して、D社は藤丸たちの味方という分類になる。
藤丸は張りつめた糸が切れ、安堵の息を漏らす。喉元に何とも形容できない、一抹の不安がせり上がっていたが、その吐息の中に丸めて捨ててしまった。
「では、あなたが命じて人を殺させているワケではない、と?」
「そういうことだ。それで、私からの依頼なのだがね、探偵さん」
「なんでしょう?」
ミツルはきな臭さを感じつつ、尋ねる。
ミツルはSを信用してなどいなかった。しかし、探偵への依頼として持ち掛けられた以上、断ることはできない。いや、断ることもできるだろうが、その要件を訊くのは一種の義務だった。
「アーチャーを仕留めてほしい。彼は正常ではない」
その顔は珍しく、笑ってはいなかった。眼鏡の奥にあるその瞳は藤丸たちを見てはいなかった。その表情の中には少しの毒が混じっているようだ。一度その顔つきを作ってしまったら止められない、というような奇妙な誘惑を覚えさせる毒。
事実、それ以降Sが笑うことはなかった。
かくして、藤丸達はエミヤを倒すべく行動することになった。Sの真意は分からなかったが、エミヤを倒すことについての利害は完全に一致していた。Sはこれ以上自分のミスによる被害を増やしたくはないと言っていた。藤丸も殺人鬼を放っておくワケにはいかなかった。
藤丸とマシュは路地裏にいた。周囲を警戒しながら、暗い夜道を進んで行く。
二人が歩くたびに漏れる呼気は、白く濁り大気の中に広がっていった。
ダヴィンチの協力で彼等は半径3キロメートル以内のサーヴァントの反応を感知することができる。だから、それを利用してエミヤの位置を割り出す算段だった。
ミツルとマナも別行動で、見回りをしている。こちらはダヴィンチの協力は得られないが、マナがサーヴァントの反応を知ることができたので、それを利用することにした。
これによって、大きな範囲をカバーすることに成功するだろう、ということだった。できれば被害が拡大する前に、エミヤを倒す必要がある。
「先輩、夜の街の活気はすごいですね。いつ人々が眠りについているのかと不安になります」
少しだけ垣間見える大通りの風景を見て、マシュは言った。藤丸はマシュの方を見ると、マフラーに顔を押し付けながら、両手を拝むように擦り、寒さをしのいでいた。それが新鮮に感じられ、藤丸は頬を緩める。
「そうだね。カルデアに来る前は気にもしなかったけど、言われてみればそうだ」
「あ、そう言えば、先輩は日本出身でしたよね」
「うん、そうだよ」
そう答えつつ、カルデアに来る前の話しをする機会はほとんどなかったと、藤丸は思い出した。いつも死と隣り合わせの戦場で過去の感慨に耽る暇がなかったというのもあるけれど、それ以上にお互い、心のどこかでその話題を避けていた。
「やっぱり、東京を観光したことはありますか?」
「何度かある、かな」
マシュは横目でチラリと藤丸の顔を窺った。嫌そうではないか、話をしたくないのではないか、そんな危惧があった。しかし、杞憂と言わんばかりにいつも通りの口調で話しているので、マシュは安心した。
「どうでした? 楽しかったですか? 私、一度ちゃんとした『観光』というものをしてみたいんです。今まで多くの土地を訪れましたが、じっくりと見て回る機会はなかったですし」
「楽しかったよ。あれは、いつのことだったかな……」
マシュの期待の目線に気付いて、藤丸は自分の体験を具体的に語ろうと思い記憶を辿った。楽しかったという感情があった。それならばきっと楽しい記憶があるはずだと考えた。
「あれ……」
しかし、思い出せなかった。
何かの記憶を掴もうと思っても、まるで水のように指をすり抜けていく。いつ生まれたのか、親の顔はどんなだったのか、どんな友人がいたのか。まるで、蜃気楼のようで、思い出そうとしても、そこには何もない。
「どうかしましたか、先輩?」
痛みが走った。藤丸の頭を揺する、一瞬の衝撃。
昼間のD社に踏み込んだときと同様だった。意識が吹き飛ばされることはなかったが、それでも立っていられない程の、強い眩暈があった。
「先輩!」
藤丸は足元から崩れ、地面に落ちた。マシュは咄嗟に、それを片手受け止める。
パリン。
藤丸の耳に、何かが割れるような音が響いた。
何かが壊れたのだろう、と藤丸は思った。何か大事なものが無くなっていくのではないか、そんな漠然とした不安が藤丸の心を支配した。
藤丸の感じた痛みはすぐに引いた。しかし、何かが抜け落ちたように空っぽだった。ただ、「進まなければいけない」という感情だけがあった。
起き上がった。マシュが何かを言ったが、藤丸は聞き取れなかった。
周囲を見渡すと、どうして自分が路地裏に倒れていたのかを理解するのにも時間がかかった。
「先輩、聞こえていますか?」
マシュは恐る恐る声を掛けた。起き上がってから、三度目だった。それを漸く認識した藤丸は、マシュの方を向いた。
「ああ、マシュ。聞こえてるよ。どうかしたのかい?」
藤丸は何事もなかったように言った。まるで、自分が倒れたことなどなかったかのように。それを見たマシュは、困惑することしかできない。何かがおかしいと感じても、何も言うことはできない。
「せんぱ……」
マシュが何かを言いかけたとき、通信機が鳴った。カルデアからの通信ではなく、ミツルに手渡した礼装からだった。
『サーヴァントの反応を見つけたらしい。恐らくエミヤという男で間違いないだろう。マップのデータを送るから、早く来てくれ』
通信機はそれだけを告げると、すぐに途切れた。
「行きましょう、先輩」
マシュが駆けだそうとしても、藤丸は反応を見せなかった。
藤丸は違和感があることにに気付いていた。なんとなく日常に溶け込んでいた、違和感。なぜ誰も気づかなかったのか、不思議でしかない。
そんな単純なことに今まで気づかなかった自分の方がおかしいのではないか、そんな疑いを持つ余地がないほど、藤丸の視界は深い霧のような黒が滲んでいた。
「先輩?」
マシュは様子がおかしい藤丸について、ダヴィンチに相談を持ち掛けるべきだと思ったが、状況がそれを許さない。いち早く、エミヤを倒さなければならなかった。
マシュは藤丸の手を引いて駆けだそうとした。
「待って!」
藤丸は叫んだ。
余りにも急な変化だった。一体なにがあったのか、それは分からない。何を思い、何を感じているのか、マシュにはわからない。ただ、まったくの別人になってしまったように、発せられた言葉には、そもそも藤丸という人間が持つ空気が混じっていなかった。
しかし、藤丸は言わなければならなかった。これが、本物であるのか。なぜ、こんなことになってしまったのか。
パリン、と音が鳴った。しかし、そんなモノに構っている暇はない。
だって、それは決定的な間違いだったから。
「
唐突に突きつけられた問いに、マシュは混乱した。
「何を言ってるんですか、先輩」
「
マシュは何を言うこともできなかった。あまりにも事実と異なっていてただ、唖然とすることしかできない。
それを見て藤丸は何を思ったのか、更に先を続けた。
「君は簡易的にだけど、戦闘が可能だった。今日、俺を守ったときだ。それに、君は新宿にも行ったことがあるような口ぶりだったじゃないか。だから、おかしいんだ」
「先輩……」
マシュは何かに祈るように、小さくその名を呼んだ。
「君は、誰だ?」
藤丸が小さく発した問いは、どこまでも重く、のっぺりと、空気に絡みついた。