Fate/Grand Order -Overlap control- 作:外山紡司
ビルの屋上に、エミヤはいた。
夜の黒色を吸った、漆のような雨が、おびただしく体を叩く。本来ならば見えるだろう星も、隠れてしまった。
ただ、都市から漏れる人間の営みの光だけが光源だった。眼下に星が広がっているようだった。
足元に大きな鏡面があって、ありもしない空の実像が写り込んでいる。そう考えると、街の輝きも風前の灯火だ。石を投げ入れただけで、薄いガラスのように、鏡面が崩壊しそうな脆さがあった。
この人の光が絶えることがあるだろうか。そんなことをエミヤは考える。
きっと、あるだろう。
例えば、人理焼却。そして、逆行運河/創世光年。これらの魔神王ゲーティアの計画こそが、まさしく人の世の最後の顕現だった。
あらゆるモノには「終わり」が存在している。やがて全てが終わるのなら、そこに意味も価値もない。そんな人間の不完全性をゲーティアは嘆いた。そして、決して救われることのない、ただ醜悪な人間という存在が在ることを良しとはしなかった。
ならば世界を作り直そう。星の誕生まで時を遡行して、"死の概念のない惑星"を作り上げる。それがゲーティアの目論みだった。
ヒトを超越したモノによる、途方もない世界の再構成。人類を殺し、人理を壊し、そこで得たエネルギーを使った、星のリスタート。その計画は着々と進んだ。
しかし、結果的それは失敗に終わった。藤丸、マシュを含めたカルデアによって阻止されたのだ。
それでも、人類が無にも似た、死の淵に立っていたのは紛れもない事実である。
そして、ゲーティアだけではないはずだ。世の終わりは、深い藪に潜んだ鋭い刃のように、生存と隣り合わせで存在している。だから、この世の悪は、それだけではない。
しかし、悪とは何だろうか。永遠に終末を迎えることのない惑星を作ることは、果たして悪と言えるだろうか。誰もが永遠を望んでいる。ならば、それは善でないのか。
今現在もまた、同じ事なのだ。エミヤはそう思う。今、この東京都で進行している計画も、善悪の基準の先にある。
長らく、守護者として過ごしてきたエミヤにとって、何かを選択することなどなかった。だからか、久しぶりに与えられた自由に戸惑っていた。
だが、既に結論は下している。この計画は人の救済にはなり得ない。動機がどうあっても、それは人の為にならない。エミヤはそう決めたはずだった。
エミヤは今日もまた弓を引く。誰かの命と引き換えに、唯一可能な抵抗をする。自分が生きる為、人を救う為に、人を殺すのだ。
エミヤは、おぼろげに都市を見下ろし今日の目標を決める。投影魔術によって、作り上げた矢を構える。素早く視線を走らせると、すぐに獲物は見つかった。
いつもの動作。もう、慣れてしまった。守護者として召喚されたときと同様のことをすれば良い、それだけだった。ただの機械になれば良い。
湾曲する弓からは、壊れた歯車のような、不快な音が鳴る。
速やかに処理する。結局、いつもと同じ事。例え守護者として存在しなくとも、小数を贄に多数を生かす。
エミヤは自嘲するように笑い、そして、指を離す。
目標は3キロメートル先。その路地裏にいる一人の女性だった。現代のどんなライフルを使っても不可能であろうその射撃を、エミヤは弓だけで躊躇なく実行した。
矢は距離をもろともせず、路地裏めがけて真っすぐに飛ぶ。その軌道はエミヤのイメージ通り、一人の市民に向かって吸い込まれていく。まるで、その女が矢を呼んでいるように、真っすぐに。
――しかし、その矢が届くことはなかった。
ガキン。
射線上を、何かが高速で横切った。その僅かな残光だけが、エミヤの目に焼きついた。
遅れてやって来た衝撃音がエミヤの耳に届くが、それを気にもせず索敵を開始する。
そして、それはすぐに見つかった。
紫の影が、エミヤに向かって直線的に、ビルの間を飛行している。いや、そんな錯覚を抱くほどの速度でビルからビルへと、飛び移っている。それは人の軌道ではなかった。
エミヤは邪魔が入ることを予想していた。むしろ、ない方が不自然だとも思っていた。しかし、
「正面......だと」
在り得ない状況だった。
女を救えた、ということは敵がエミヤを補足していたということだ。しかし、補足していたならば背後から接近するのが常套手段だろう。その方が接近するにも、戦闘するにも効率がいい。子どもでも分かる理論だ。
しかし、敵が後方に控えていたのなら女は死んでいた。つまり、敵は事前にエミヤ補足していながら、正面に待機していたのだ。
ということは、初めから正面切ってエミヤと対峙するつもりだったことになる。
その思惑が読み取れない。
そんな出鱈目な戦闘をする相手の名は思い浮かばない。どんな姿なのかすら想像もできない。
だが、目ではそいつをはっきり捉えている。エミヤはまず自分の目を疑ったが、その影が紛れもない実像だと確認できると、その名を呟いた。
「マシュ・キリエライト......」
その疾走には迷いがなかった。停止はおろか、減速すらしない。むしろ、加速を続けている。
マシュはエミヤに発見されてから、既に1キロメートルほどの距離を詰めていた。
その姿にエミヤはある種の恐れを抱いた。その躊躇いのない突進にではなく、それを引き起こす心理にどこかエミヤ自身と同じものがあるのを感じたからだ。本当にそうならば、疾走などではなく、逃亡だ。
エミヤは矢を投影魔術により取り出すと、8本連続して放った。それは弓の性能を超えた連射であった。放たれた矢の5本はマシュの体を狙い、3本は退路を消す。
しかし、マシュに退路など必要ない。前方に盾をかざし、矢を弾く。止まることも、怯むこともない。
エミヤは続けて5本の矢を放ったが、意味などなかった。その間にも高速で距離を殺し、接近する矢は、ことごとく弾き飛ばした。
「まるで走る城壁だな」
その例えは実に的を得ていた。彼女の宝具を考えてもそうであったが、現存する人工物でその矢を凌ぎきれるものなど城壁くらいしかあるまい。
マシュに対し数を撃っても意味がないことを理解し、エミヤは一本の螺旋状の矢を投影する。その名を、
エミヤは、目にも止まらぬ速さで引き絞り、放つ。
直進するだけのマシュにはそれを回避する手段などない。もとより、全てを受けきるつもりだったのだろう。
だから、その衝突は必然だった。
夜空に大きな花火が巻き起こる。
ドン、と大きな衝撃で藤丸は意識を取り戻した。
空を見ると、大きな爆発の花が咲いている。それで藤丸は何が起こっているか、断片的に理解する。
「マシュ!」
藤丸は叫んだ。
どうしてマシュが自分の元にいないのか、藤丸には分からなかった。自分が路地裏に立ち尽くしていた理由すら思い出せない。
ただ、マシュが闘っている。それだけは分かった。この街で確認したサーヴァントはマシュとエミヤのみ。ならばその二人の衝突だろうことはすぐに想像できた。
藤丸は駆けだした。
空には爆発の名残りが、火の粉になって残っている。礼装にはいつの間にか、マップデータが送られて来ている。だから、その方角に向かえばいい。
作戦など無いに等しかった。昨日、理性的な判断をしていた藤丸らしからぬ、無謀な行動だ。無謀であると藤丸自身、頭では理解していたのだ。
しかし、走らなければならなかった。
エミヤに言わなければならないことがあった。
その疾走は、ただの衝動だった。
―――駆ける。
マシュはそれ以外の言葉を脳内に残してはいない。
時空を抉り取り、球状に広がった爆炎の中から、弾丸の如く飛び出す。そして、何事もなかったかのように加速を始めようとする。
しかし、1キロメートル先、僅かに姿を捉え始めていたはずのエミヤの姿が消えていた。風に揺れていた赤い外套は何処にもない。
それを見ても、マシュは昼間と違い「逃げた」などとは考えない。エミヤならば確実に相手を倒すべく、手を打っているはずだ。
マシュは初めて立ち止まり、周囲を見渡した。
エミヤとマシュの決定的な違い、それは攻撃範囲に他ならない。盾で攻撃する他に手段を持たないマシュと違い、エミヤは矢を使った遠距離からの攻撃が可能である。接近時には一方向からのみの射撃であったから防げたものの、来る方角が分からなければどうなっていたか怪しい。ならば、エミヤが身を隠したのは、射撃位置を特定されないため。
そう、マシュは判断した。すると自然と次に取るべき行動も見えてくる。建物の影に身を隠し、攻撃の方向を限定することだ。しかし。
『マシュさん! 後ろ!』
通信機からマナの声が鳴った。
後ろを振り向き、反射的に盾を構えると突如現れた二本の刀と衝突した。
しかし、軽い。本人が切りつけに来たのではなく、それはただ刀を投げただけ。だったら本体は、違う場所にいる。エミヤが刀を用いたということは、マシュの予想は外れ、接近戦に切り替えたということ。
マシュは混乱することなく、高速で思考を切り替える。
『敵は霊体化しています! 上方!』
マナのサポートが通信機から入る。マシュは姿勢を前方に倒しつつ、体を捻り、盾を上空に向かって構えた。
瞬間、マシュは盾越しに強烈な衝撃を受ける。それを受けきれず、マシュは後方へと弾き飛ばされた。
チッ、という舌打ちと共に、赤い外套の男がマシュの前に姿を現した。
「そうだったな。君たちに霊体化は通じないのだった」
エミヤは呟いた。
マシュは乱れた呼吸のまま立ち上がる。
「暴走した、と聞いていましたが。思いの他、理性的ですね、エミヤさん」
「Sはそんなことを言っていたか。確かに、契約者の意に反するようなサーヴァントは暴走している、と言えるかもしれないがね」
マシュはエミヤが返答をくれて安心をした。それは、会話に応じるつもりだという意思表明だろう。
「民間人を殺しているのは魔力補給の為、ですか?」
Sはエミヤとアサシンへの魔力供給を断ったのだと言っていた。だから、サーヴァントが現界を続けるためには、他の魔力源が必要となる。マスター以外から魔力を補給する手段として、民間人を殺すという行為は実に効率的だった。
「そうだ」
何の躊躇も見せず、エミヤは肯定した。
その解答に、マシュが納得できるはずもない。エミヤという英霊は、他者を救うためにあらゆるものを犠牲にしてきた。そのためなら、自己犠牲すら厭わなかった男である。
だが、エミヤが東京で行っているのは、"自身の生存の為に他者を殺す"ということに他ならない。
「どうして、ですか? あなたは誰かの為に戦ってきたはずです。あなたは何があろうと”正義の味方”だったはずです。その姿を、わたしは美しいと感じてすらいました。なのに、どうして、どうしてですか!」
マシュは叫んだ。
そこには願いが詰まっている。その行為に何か理由があって欲しいという願い。信じたものが変わって欲しくないという願い。
エミヤの姿に、藤丸の影が重なって見えた。そのイメージを、首を振って打ち消そうとする。しかし自身の脳から生まれた映像は、白い影となって瞼の裏にさえ張り付いた。
「いくら救ったところで意味なんてない。救ったところで死んでいるのだから」
「何を、言っているのですか?」
「独り言だよ」
まるで世界の終わりでも見るような、儚げな目だった。
「エミヤさん。あなたはD社で何を見たのですか……」
それから、間があった。
「私が馬鹿なのは自覚しているがね、Sも大概だ。彼は、すべてを救うと言っていた。その為には、『救えない』という可能性を摘み取ればいい、そう言っていた」
「可能性を摘み取る? 一体、何を……」
「何でもいいさ。ここで君には死んでもらう。聖杯を起動させるワケにはいかないのでね」
マシュは聖杯という単語に驚きを隠せない。それだけでなく、大きな疑問が浮かんだ。
「聖杯を起動する?」
「これは一種の聖杯戦争なのだよ。君は、本当に私とアサシンの二騎しか召喚されなかったと思っているのか? 召喚されたのは7騎。社内から逃げおおせたのが2騎だったという話さ。残りの5騎はもう聖杯に取り込まれているだろう。
そして、Sは英霊が”座”に戻るときの孔を利用するつもりだ。かつての冬木とは違なり、根源に至るためではないがね」
一瞬、マシュの頭は真っ白になった。
エミヤの言葉を信じるならば、Sがミツルにエミヤ討伐の依頼をしたのは、聖杯を起動するため。そして聖杯を起動し、Sは”可能性を摘み取る”という計画を始めるのだろう。
まだ、それだけじゃ分からない。情報が少なすぎる。それが正しいのかどうか、判断できない。
しかし、マシュはようやくエミヤの目的が分かった。人を殺し、魔力を奪い、自らを延命させることで、聖杯の起動を防いでいる。
それは、残酷な正義のカタチ。みんなを救うために、自分を犠牲にすることすらできない。エミヤにとって、死を上回る苦痛だろう。絞首台に首を吊るされたまま、生き続けているような、地獄。
だが、マシュは気付いた。
「でも、先輩と契約を結べばいい。先輩なら、エミヤさんを使役することだってできる。だから、もう、人を殺さないで」
「Sが計画はおそらく、聖杯を使って、空間に穴を開けることだ。穴を開けて、他の世界線にまで手を伸ばせるようにする。そして、全ての世界を救う。
だからね、ここで計画を阻止しても意味がないんだ。Sが計画をカタチにした時点で、Sの計画が実現する世界線は誕生するだろう。穴を開けることで本当に可能性を摘み取ることができるのなら、阻止するためには穴を開けさせた上で、Sを倒し、それから穴を塞ぐしかない。
ならば、Sの計画を受け入れるにしても、受け入れないにしても、君たちは私を倒さねばならない。違うかな?」
マシュは無防備に、雨を降らせる黒い空を見た。左手の手の平に、雨水を集めた。水は指の隙間から零れ落ちていく。
なんで。そう、マシュは思う。
――なんで、また、心に従うことができないの。
マシュが死に瀕したとき、藤丸は手を握った。火と瓦礫に包まれた地獄の中、危険なのも承知で手を包み込んでくれた。それがどんなに温かったことか。
その経験がマシュに、何かを与えた。言葉にできないカタチを与えた。
しかし、マシュは、藤丸を見捨てたのだ。あの路地裏に置き去りにして。状況が、好きにさせることをさせなかった。
また、同じことだ。誰が悪いわけでもない。何かをしたのでもない。それでも、信じるものを切り捨てなければ先に進めない。すべては必然だった。
マシュの頭でSの計画は薄れていった。ただ、エミヤを倒さなければならなかった。そうしなければ、藤丸を裏切った意味がない。
それ以外の思考は全て放棄した。
「分かりました」
エミヤはその一言で、理解したようだった。
マシュは静かに、手の平の水を零した。
そして、ゆっくり、盾を構えた。
戦闘シーンに慣れない。難しい。