Fate/Grand Order -Overlap control-   作:外山紡司

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遅くなってすみません。



7話:終わりに残るもの

 マシュとの通信が途絶えていた。礼装を地面に落としたのだろう。応答は一切ない。加えて、先程までの会話はマナの耳に届いていたが、今は激しい剣戟と雨の音が響くのみになった。

 マナはもう、マシュのサポートに回ることはできない。しかし、もう一つやるべきことがあった。

 歩行者の群れをかき分けて、マナとミツルは走る。雨で服が肌に張り付いてうっとおしい。そして、寒い。しかし、世界のシステム崩壊を目前に、そんなことを言ってはいられなかった。

 

―――藤丸を止めなければならない。

 

 藤丸の様子がおかしいことは、戦闘が始まる前にマシュから聞いていた。戦闘開始後、自失していた彼だが、ようやく意識を回復したと思うとマシュの元へと駆けだした。

 今回の戦闘において、マスターが戦場に向かう必要はない。それは、死に向かうだけだ。優れた魔術師であるか、突飛な戦闘能力があるならば別だが、藤丸はどこまでも平凡である。

 藤丸はマナが思っていた以上に人間だった。ゲーティアを破り、一部では「世界を救った英雄」とまで呼ばれるであろうその人物が、人間という殻の中にピタリと嵌まるなどと、初めは信じられなかった。

 人並のことしかできない。だから、止めなければならない。

 

「藤丸さん! 止まりなさい!」

 

 マナは礼装を使い通信を試みるが、返答はない。恐らく、耳に意識が向かってないのだ。手段を選んでいる場合ではなかった。

 マナは"第六感"で藤丸の行動予測をし、接触するための最短ルートを割り出す。"第六感"を使うとき、いつも世界が明瞭になるのを感じる。厚い雲の向こうにある月でさえ見えてしまいそうで、世界が透明なゼリーになったようだった。マナは、その感覚が嫌いだった。

 交差点を駆け抜け、路地に入る。道が狭いにも関わらず、減速もせず角を曲がり、進む。

 路地の狭い十字路で止まり、手を広げ、道を塞いだ。

 

「待って、藤丸さん!」

 

 マナは一度も視線を向けなかったが、そこには藤丸の姿があった。

 

「マナッ!?」

 

 藤丸は辛そうに言った。駆けていた藤丸は止まることになる。

 激しく息をする藤丸に対し、マナの呼吸はほとんど乱れていなかった。

 

「藤丸さん! どこに向かうのかしら」

「マシュの......マシュのところに行かないと」

 

 藤丸は肩で息をしていたが、マナを避けて走り出そうとする。マナは広げた両腕を強く主張させ、藤丸の行く手を阻んだ。

 

「藤丸さんが向かう必要はないわ。藤丸さんに何ができるというの」

「分からない......だけど、行かなくちゃ。マシュを助けないと」

 

 そこに、一つの足音が近づいてくる。

 

「藤丸くんッ......待つんだ」

 

 マナに付いてきていたミツルである。肩で息をし、酸欠なのか少しふらついている。

 

「遅いわ! ミツルさん!」

 

 ミツルは「君が速いのだ」と抗議するような一瞥をマナに送ると、すぐに藤丸の方を向いた。珍しく引き締まった顔つきだった。

 

「藤丸くん、君にマシュくんの手助けはできない。君はひどく混乱している」

 

 藤丸は何かを言いかけたが、結局、何も言い返さなかった。言い返せなかったのだ、とも表現できたが、それにしては視線に力が籠っていた。

 

「それに、エミヤとマシュくんの会話を聞いていたか? エミヤは聖杯の起動を先延ばしするために、殺人者となって延命していた。しかし、それでは『エミヤがSを止めることは根本的に不可能』なのだ。この街に、私たちを除いてSの計画を止めることのできる人物など存在しない。

 エミヤが正義の味方だというのなら、マシュくんに倒されるだろう。意図的に。ならば、私たちが介入する必要がどこにあるのだね」

 

 ミツルはロボットのように、推論される事実を述べた。

 それは、決定的だった。容赦することなく、一方的に論理という巨大な力で藤丸を殴りつける。

 終幕だろう。藤丸がもう進むことはないだろう、とマナは思う。だって、この先に行くことは、無為なことだとミツルが示してしまったのだから。

 誰だってそうだ。夢でも目標でもなく、他に可能な人間がいるのに、その上で不可能に挑む人間なんていない。各々が、何かの方程式に導かれるように在るべき所に納まっていく。

 在るべきカタチがあるから「あなた」と「わたし」に分かれていく。人間とは不可能性によって作られる殻なのだ。

 でも、だとしたら、全能は人間と呼べるのだろうか。

 マナは自答しかけたところで、その問いを消し去るように藤丸に目をやった。

 

「藤丸さん......」

 

 動かなくなっていた藤丸はようやくその声に反応し、一歩前に進んだ。何も言うことはなかった。

 もう一歩、声を掛けなくとも、進んだ。

 

「藤丸くん......?」

 

 ミツルは少し後退りし、そこで固まった。

 藤丸はまだ、進む。そしてミツルの目の前に来ると、藤丸はミツルを殴った。伸ばされた右の拳にミツルは対応することはできなかった。

 

「ミツルさん!」

 

 ミツルは尻もちをついて地面に倒れ、口から僅かな血が流れた。藤丸はそれを眺めた。俯いていて、表情は読み取れない。

 マシュが報告した通り、藤丸は壊れているのだと、マナは確信した。

 マナは咄嗟に藤丸に駆けよって、肩を揺する。

 

「藤丸さん、何をし......」

「マナ!」

 

 声を掛けようとしたところを、ミツルに遮られた。きっと、今の藤丸は危ないから離れろといった忠告だろうと思った。マナは気にもしない。

 もう一度意識を藤丸に向けようとしたとき、辺りに静寂が満ちていることに気付いた。雨音だけがノイズのように鳴り続け、遠くから走行する車の音が届く。

 そのとき、マナは自身が何かを勘違いしているのだと気付いた。この状況下で誰も動かないのは変だ。

 マナがミツルの方を見やると、ミツルは静かに首を横に振った。ゆっくりと、まるで「我々にできることはない」と主張するかのように。

 気付かぬ内に、藤丸を揺する手は止まってしまった。それを意識することができない程、大きなものが意識の中で膨らんだ。

 マナが再び藤丸に目を向ける。

 すると、呼応するように藤丸は顔を持ち上げた。濡れた髪に隠された影の中から、苦渋の滲んだ表情が浮かびあがる。無力と罪悪感と、雑多な感情が一緒くたになっていた。

 それは、正気な者だけが持つ顔だった。

 藤丸は肩に乗っていたマナの手を優しく下ろした。

 

「ごめん。でも、行かなくちゃ」

 

 笑みを含んではいたが、それよりも苦々しいものが多い。

 ミツルを殴ったときの藤丸は壊れてなどいなかったのだ。壊れていないのに、進もうとしているのだった。

 

 マナは唖然とすることしかできない。藤丸はマナの横を通り抜け、進み始める。どうすればその歩みが止まるのかマナは知らない。

 藤丸は走り出した。マナはそれを、足音の変化から読み取る。

 マナがようやく振り返った頃には、もう藤丸の姿はなかった。もしかすると、遠くに見える黒い影がそうなのかもしれないと、ぼんやり思った。

 

 

 

 

 

 アーチャーのクラスで召喚されたサーヴァントには「単独行動」と呼ばれるクラス特性が与えられる。マスターの魔力供給なしでも、現界を続けることができる能力である。

 エミヤが現界を続けていられるのも、このスキルの恩恵が大きい。普通ならば「アサシン」のように大きな能力低下で、すぐに倒されていただろう。更に、エミヤは投影した矢によって民間人から魔力を巻き上げていた。よって、魔力供給を受けているときと同様の力を発揮できている。

 

 マシュとエミヤの戦闘は一方的に進んでいた。エミヤは切るだけ、マシュは防ぐだけ。だが、どちらかが優位に立っているわけではない。マシュが持つ巨大な盾はエミヤの干将/莫邪の攻撃を易々と弾き返し、エミヤは攻撃の隙を与えまいと、すぐに次の手段に移る。状況が動かない、膠着状態が続いていた。

 しかし、長期戦になれば負けるのはエミヤである。いくら単独行動のスキルがあるといえ、魔力は有限だ。常に藤丸からの魔力供給を受けているマシュとは話が違う。

 刀では太刀打ちできない。ならば死角に逃れて矢を使うのが最善だが、矢の投影に魔力を使うことと、マシュ側に協力者がいることを考えれば隠れたとしても位置がすぐ漏れて効率的でない。どんな小細工も効果がないだろう。

 つまり、必要なのは最強の一撃。一瞬で相手を蒸発させうる、規格外の宝具。しかし宝具の贋作しか持たないエミヤにそれは望めない。

 エミヤは両手に持った刀、干将/莫邪を投げつけた。的確にマシュの顔に向けて投げられたその攻撃は、的確に盾によって弾かれた。だが、盾は攻撃だけでなくマシュ自身の視界をも遮った。

 エミヤはその瞬間、弓と偽・螺旋剣を投影し、放つ。渾身の一撃、最大の瞬間火力をぶつける。

 マシュに飛んで行った予測外からの強力な一撃は、突如として顕現した城壁によって消滅した。

 

いまは遥か理想の城(ロード・キャメロット)!」

 

 何故マシュが宝具をもってその一撃を防いだのか、エミヤに判定できない。ただ、決定的な一撃が圧倒的な力によって防がれたという事実だけが残った。

 これが通らないとなると、エミヤは何をもって勝負を付ければよいのか分からない。だから、長々と続けてきたエミヤの攻撃は止んだ。

 いや、それだけが理由ではあるまい。エミヤはもう既に、戦う意味を失っていた。エミヤが勝利した先に何もないことは理解しているのだ。そう考えれば、全身の骨が溶け出すように力が入らなくなった。

 

「エミヤさん、投降してください。あなたにわたしは倒せません」

 

 矢が爆発したことにより、煙が辺りに充満していた。その中から、マシュは平然と姿を現す。

 

「これは想定外だ。私が追い詰められるとはね」

 

 やれやれ、と首を振って見せるものの、その態度からエミヤは戦意があることを伝える。それを目にしたマシュの顔は見る見るうちに歪んでいく。

 

「なんでですか! もう、戦いたくなんてないです」

「マシュ、君だけじゃない。誰だってそうだ。戦いを望む人間なんていない」

 

 しかし、状況が許さない。

 エミヤの頭の中では、次に何の行動をすべきかの計算が始まっている。どうしてまだ自身の頭が働いているのか、エミヤには分からない。立ち止まって然るべき状況である。

 だというのに。

 

「I am the born of my sword」

 

 エミヤは自然とその言葉を口にしていた。自分自身を表現するのにこれ以上ない、詠唱の呪文を音にする。最強の剣がないのなら、無限の剣で対抗するしかない。そうしなければ、あの盾は破れない。

 どうしてここまで勝とうとしているのだろう、という疑問がよぎる。

 

「させません!」

 

 危機を感じたマシュは勢いよく突進した。しかし、エミヤは軽やかに距離を取る。

 

「Steel is my body, and fire is my blood. I have created over a thousand blades」

 

 勝利する意味など無い。

 しかし、何かが頭に浮かぶ。

 

「Unknown to Death. Nor Known to Life. Have withstood pain to create many weapons」

 

 白い月。美しい満月。あの夜のイメージが頭の隅で騒ぎ出す。

 

「Yet. those hands will never hold anything」

 

 矛盾している。

 可能性が消滅する、世界の在り方が変わる。それを人は拒むだろう。それにエミヤは気付いている。

 だけど、それが唯一理想を叶える方法ならば。それで世界が救われるならば、どうして縋らずにいられるだろうか。

 昔の夢が躍り出す。

 

「So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS」

 

 エミヤを中心に、現実が侵食され始める。エミヤの心の在り方で、世界を書き換える。

 それが、固有結界。

 一瞬の炎が空間に広がると、そこには異世界が広がっていた。広い荒野に、幾つもの剣が突き刺さっている。空は夕暮れ、地平の彼方には大きな歯車が軋みながら回っている。

 どこかでSの計画の成功を願っているのだと、エミヤはようやく気付いた。しかし、それが間違いであることも知っていた。エミヤは自分の心が何処にあるのかすら分かっていない。

 固有結界を発動したことで、エミヤの魔力はもう残されていなかった。それだけのリスクを背負い、マシュを倒さねばならないと思ったのだ。マシュが何かに悩んでいることは分かっていた。それがどこか自分と重なると、エミヤは思っていた。

 

 マシュは困惑を隠せなかった。なぜこれだけの敵意を向けているのか分からない。ただ、エミヤが本気ならばマシュも同等の気力で挑まなければ、殺られることは目に見えている。

 考えることは放棄した。マシュは遠方に見える歯車と同期するように、ただ体を動かすことだけに集中する。

 

「さて、休憩は終わりにしようか」

 

 地面の数本の剣が突然動きだし、背後からマシュを狙った。まるで生き物のように、誰の手を借りることもなく、宙を舞う。マシュはすぐに気付き、地面を蹴って躱す。すると、エミヤが放った矢がマシュを襲い、それを盾で防ぐ。

 攻撃の手数が桁違いに上がった。マシュはやっとのことで防いでいるが、いつまでもつかは時間の問題だと言える。

 

「私を倒して見せろ。マシュ・キリエライト」

 

 自身の剣に攻撃を命じながら、エミヤは言った。

 マシュはそんな言葉に反応を示さない。余裕がなかった。それに、もう何も考えないことにした。でなければ、エミヤを倒さなければならないという現実を直視する勇気などない。

 

「君はオレを殺したくないと言った。だけどね、誰かを救うということは誰かを救わないということだ。君が世界を救うためには、君自身の世界は救えない」

 

 マシュは聞かずとも知っていた。

 連続で襲いかかる剣が、鎧を翳める。肉に当たれば、そこを抉り取る。傷一つなかったマシュは、固有結界を発動した途端に血を流すことになった。

 問題なのは、マシュに攻撃宝具がないことだ。宝具とは言わば究極の一である。無限の劣化版よりも遥かに優秀な力を発揮する。しかしマシュの場合、それが盾であるから決め手にならない。

 まるで雨でも降るように、平然と剣が飛んでくる。回避と盾でやりくりするが、時間の問題だ。

 しかし、時間に迫られているのはエミヤも同じなのだ。魔力が底を尽きるのはもうじきだろう。ならば、はやくに決着の一撃を放つはずだ。

 その予想のもと、マシュは横目でエミヤを見ると、赤く光る矢を投影していた。そして、マシュを狙っている。確認するも、対抗する手段はない。飛び交う剣を防ぐことだけで、攻撃に転じる余裕などない。

 だから、守り切るのみだ。

 エミヤを取り巻く赤い光は徐々に大きくなり、その魔力量だけで圧倒されそうなものだ。そして、矢が一瞬の煌めきを見せたとき、エミヤは最後の一撃を放つ。

 

赤原猟犬(フルディング)

 

 マシュは咄嗟に回避行動に移るが、その矢尻がマシュを追尾するように方向転換をする。追尾性能を持った矢。さらに、その威力は測りしれない。

 

いまは遥か理想の城(ロード・キャメロット)!」

 

 避けられないと悟り、マシュは地面を踏みしめて宝具を展開する。

 そして、顕現した城壁と赤い奔流と化した矢が衝突した。

 赤原猟犬(フルディング)。それは射手が健在で在る限り対象を追尾し、殺す、その名の通り猟犬のような宝具。

 だが「いまは遥か理想の城(ロード・キャメロット)」とて同じ。これは精神の守り。使用者の心に穢れがない限り、どんな攻撃でも防ぐだろう。

 止まらない矢と、全てを止める城壁。そこに、矛盾が生じる。そして、武器が盾と矛の関係性を持つならば、結果は使用者に依存して決定することになる。

 マシュは叫び、盾に魔力を注ぎ込む。どれだけ魔力を使っても決して十分になることはないだろうと思われた。だから、出来る限りの力をつぎ込む。

 もしも、このまま拮抗が続くならば耐久戦になるだろう。そしてその場合、マシュが勝つだろう。エミヤに残された魔力は僅かしかない。

 しかし、それを分かっていたエミヤが耐久戦に持ち込むはずがなかった。

 マシュの背後で何かが動く音がする。何かが空間に現れるような感覚。

 見るまでもない、それは投影された剣だ。矢の対処で手一杯のマシュを、宙に浮かぶその切っ先は狙っている。

 そう、ここは固有結界なのだ。エミヤの投影により背後から襲うことなど容易い。

 マシュは剣が風を切る音を聴き取り、左腕を盾から離し、防ぐ。

 

「あぁぁ!」

 

 貫通することなく腕によって剣は止まり、ドロリとした赤い血が流れた。それは骨まで断ち切ったらしく、左腕を動かすこともままならない。

 意識が飛びそうなほどの痛みが襲ったが、それに悠長に浸っている暇などなかった。

 更に、2本の剣が立て続けに投影され、空中にセットされる。

 赤原猟犬(フルディング)の光は煌々と、城壁の向こう側にある。左腕動かず、右腕は盾を握らねばならない。

 誰が見ても「敗北」だった。もはや回避する術はなかった。

 動かない的であるマシュに向かって剣は駆けだす。

 そして。

 

「あぁぁぁぁぁ!」

 

 鎧の一部が弾き飛び、一本は太腿に、もう一本は腹に突き刺さる。薄いインナーの臍付近から血が滲み始め、下腹部を通り、内腿で合流し、足へと流れていく。

 盾を構えつつも膝をつき、力はどこかに逃げていく。

 次第に城壁は薄れていく。

 

―――ああ、きっと、先輩の元を離れるべきではなかったのだ。

 

 マシュは思う。

 城壁が消え始めたのは、痛みのせいではない。

 藤丸に恩を返すために今まで戦ってきたのに、それを亡くしてしまった。城壁の内側には「世界」と「藤丸」の二つがあって、その片方を失った時点で、城壁は崩れ始めていたのだ。

 だから目の前の赤い輝きは、当然の罪のようにも見える。自身を救ってくれた恩人を、この感情を与えてくれた大切な人を、裏切ってしまった罪なのだと。

 

「ごめんなさい……先輩」

 

 マシュは小さく呟いた。

 

「わたしやっぱり、お役に立てませんでした」

 

 マシュは静かに目を閉じた。そのとき、一粒の水滴が頬に乗った。瞼の向こうから、エミヤの宝具が放つ禍々しい赤が滲んで見えた。

 マシュは最期を覚悟した。

 しかし、いくら待ってみても最期は来なかった。

 

 二つの宝具は同時に消滅していた。

 マシュが目を開けると空の夕暮れは夜の黒色に塗りつぶされており、広がっていた荒野は都市の姿を取り戻している。雨が降っており、コンクリートに血が不規則に広がっていく。

 エミヤの固有結界が崩壊したのだと把握するまで、マシュは時間が掛かった。

 遠くにエミヤが倒れている。魔力が無くなってしまったのだと、すぐに分かった。今のエミヤからは何の力も感じられない。

 マシュは盾を杖代わりにして、エミヤの元に歩み寄った。

 まだ息がある。生きていれば、人から魔力を奪って力を取り戻すことも可能だろう。だから、ここで止めを刺すのが最善だ。

 カツン、カツンと盾を突く音だけが屋上に響いた。今にも倒れそうな体を支えながら、マシュは歩みを進めた。

 

「フッ……なるほど、魔力切れか。面白みに欠ける最期だな」

 

 マシュの接近に気付いたエミヤは、擦れ声で言った。体から血が垂れるマシュは、それを完全に聞き取れたかすら怪しい。もう半身の感覚が消えていた。

 

「エミヤさん。あなたを殺します」

 

 マシュは左腕に突き刺さった剣を引き抜いて、その剣先をエミヤの顔に向けた。剣から血が雨に交じって落ち、エミヤの頬に赤い斑点ができる。

 エミヤが顔を覗くと、マシュが泣いていることに気付いた。しかし、本人はそれを感じていないようだった。

 

「オレはね、『正義の味方』に憑りつかれた悪だ。迷っていたんだ。世界の可能性が無くなることを誰も望まない。だとしても、みんなを救える未来がそこにあった」

 

 エミヤは誰に向けてでもなく、自分自身にその言葉を言い聞かせた。

 

「マシュ、君は見極めることができるか。世界の救い方を、君は貫徹できるか」

 

 エミヤは何かを託すように訊いた。

 分からなかった。マシュはどうしても答えが出せない。

 正しいことをしているのに、救いたいものを救えない。そんな地獄の中で心を貫く自信などない。

 世界の為に自身を無にするという在り方はエミヤに似ていた。その呪いをマシュは受け継ごうとしている。

 目からとめどなく涙が溢れ出す。それに、マシュは気付かない。

 

「殺せ」

 

 エミヤは優しく言った。

 

―――嫌だ。

 

 それだけが頭を独占する。

 覚悟なんていらない。何も救わなくてもいい。ただ、この現場から逃げ出してしまいたい。

 立ち向かう勇気なんてない。マシュはそんなに強くない。

 何か縋るものが欲しい。手を伸ばした先にあった、温かい手の感触が欲しい。地獄のような世界で、唯一の救いだった、あの温度が欲しい。

 マシュはそのまま固まってしまった。エミヤを直視することもできず、瞼を閉じた。

 誰もいない。冷えた空気だけが皮膚を伝い、体の芯まで凍らせる。人の温度などなく、瞼の裏も出血のためか白く染まってくる。

 何かが欲しい。誰かが救われるという可能性が欲しい。。

 そのとき、遠くから足音が聞こえた。ゆっくりとした歩調で、背後からやって来る。

 予期しない来訪者にマシュは警戒を向けた。しかし、もう視界は限界に近く目を向けても、すぐにその姿を捉えることはできない。

 エミヤは視線を音の方向に向けると、口元を綻ばせた。

 それで、マシュはそれが誰であるのか、察した。それでも信じることができなかった。彼はマシュ自身が置いてきたのだから、どんな表情を見せていいか分からない。

 その人物は優しくマシュの肩に手を置いた。そしてもう片方の手で、エミヤに向けた剣を優しく奪う。触れた手の温かさは、マシュが覚えているものと同じだった。

 

「ごめんね、マシュ。一人にしてごめん」

 

―――ああ、先輩だ。

 

 マシュが氷解するように地面に崩れた。藤丸の左腕はそれを受け止める。もうマシュの意識はほとんどなかった。肉体と精神の両方がボロボロだった。

 マシュをそっと地面に横たえ、魔術によって簡易的に治療を施すと、藤丸はエミヤに向き直った。

 

「エミヤ、君は俺が殺すよ。Sの計画は俺が止める」

 

 藤丸は覚悟を持ってやって来た。何者にも揺らがない鉄の心を持ってやって来た。

 それ知り、エミヤは笑う。エミヤは自身が浮かべた表情をどこかで見たことがある気がした。どこの誰の表情だったか。しかし、その顔が何処までも安らかだったことだけは覚えている。

 

「ああ、安心した」

 

 エミヤの意思の全てを、藤丸は受け入れた。そんな目をしている。

 きっとこの先も、この瞬間を忘れることなどないだろう。星も月も浮かんでないけれど、藤丸の中に息づくことができる。この未練を果たしてくれる。

 それは、こんなにも幸福なことなのだ。

 

「だから、安心して眠ってくれ」

 

 エミヤは何も言わず、目を閉じた。

 満ちている。雨の音に、冷えた空気に、満ちている。

 生きている内に、こんな思いで死ねたなら幸せだっただろうに、とエミヤは感慨に耽る。

 始めからこんな結末を望んでいたのかもしれない。

 きっと、藤丸は英雄になるだろう。人を救う、エミヤ以上の英雄に。

「殺せ」と唇が動いた。声は擦れて音にならない。でも、藤丸はその意思を受け止める。躊躇する様子も見せず、藤丸は淡々と剣を振りかぶる。

 

 そして、すべては街の雨音の中に消えた。血も髪の一本も残ることなく、全てが流れていく。傷ついた街だけが残ったが、すぐに復元されるだろう。どんな戦闘の痕跡も、ここには残らない。

 その中で藤丸は、静かに一筋の涙を零した。




ごめんなさい! 戦闘にカタルシス一切ありません。
書いてて辛かったので、勢い任せでドンドン進めました。恐らく誤字だったりスッキリしない表現とかゴロゴロあるでしょうけど、温かい目でお願いします。
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