Fate/Grand Order -Overlap control- 作:外山紡司
ごめんなさい。それが9話と10話にまでズレました。
マシュが目を覚ましたとき、そこは見知らぬ部屋だった。物置として使われているのか、部屋の端には段ボールが積み上げられており、空中には小さな埃が窓から差し込んだ日に照らされて光っている。
そんな部屋の真ん中の、固いソファの上にマシュはいた。古いがそこまで使われていないであろう、薄い毛布が掛けられている。服装も、男もののジーンズとパーカーが着せられていた。
ソファのすぐ横に、木椅子があった。しかし、誰も座っていない。
部屋の間取りや雰囲気から、マシュはここがミツルの探偵事務所であると判断した。戦闘を終えてから、意識を失ったマシュを藤丸たちが運んだのだった。
―――ああ、そうだ。戦闘。そう、エミヤさんとの戦闘があった。
寝起きだからか、マシュの頭はぼんやりしていて、絡まった糸のように乱れている。記憶を取り出す順序がどうにもおかしい。
マシュは小さく呟きながら、戦闘時のことを思い出した。
「突進して……接近戦になって。ええと、固有結界が発動して、剣が体に……」
マシュは固まった。二つの出来事を同時に思い出したのだ。
剣で刺され傷を負ったこと。そして、藤丸が助けにやって来たこと。
藤丸の役に立てなかったと思うと、苦い何かが胃の奥から湧き上がってきたが、藤丸が助けに来てくれたのだと思うと、自然と熱い何かが溢れそうになる。どんな表情をしていいのか分からなくなって、兎に角行動しようと、ソファから起き上がる。
そのときに痛みを感じた。傷が治りたてだったのだから当然だった。そんなことにも気付かなかった。そして誰が治療したのだろう、とすら考えが及ばなかった。
マシュは自分の顔を手の平で叩く。こんなに腑抜けていては藤丸の役に立てない。
パーカーの裾を捲り、傷の様子を確認することにした。その時になってようやく、下着を身につけていないことに気付き始めたが、マシュは無視することにした。しかし、着替えさせたのが藤丸なのではないか、という想像をしてしまい顔が熱くなる。
腹の傷は完全に塞がっていた。どうやらこの調子だと、戦闘はできそうだと安堵の溜息を漏らす。
マシュがソファから立ち上がると、掛けられていた毛布が地面に落ちた。マシュは拾い上げて、ソファの上に戻した。
続いて大腿の傷を確認すべく、ジーンズに指を掛けた。
そのとき、カチャリと扉の開く音がした。
服を一新して、マシュは感謝を述べた。
「マナさん、ありがとうございます。服を持ってきて頂いて助かりました」
「いえ、感謝には及びません。マシュさんがご無事で何よりね」
マシュは白く大きめのパーカーを着ていた。それに黒いパンツである。先程の服装とあまり変わったところはないが、普段にはないカジュアルな感じが出ていたし、サイズはぴったりだった。
「ところで、マシュさん。先程、藤丸さんがこの部屋から真っ赤な顔で出ていきましたけど、何かあったのかしら?」
その問いで、マシュの頬は燃え上がるように染まっていく。マシュが傷の確認をしているときに、部屋に入って来たのが藤丸だった。
マシュは「あ、いや、あの……」と覚束ない返答しかできない。
マナはそれをニヤニヤと笑っているので、初めから何があったのかを知っているのだろう。
「マシュさんは面白いですね。わたし、そういう方は好きよ」
「マナさん。いま言われても嬉しくないです」
むうう、とそっぽを向いたマシュを見て、マナはまた笑った。マシュは顔を赤らめながらも、平和なことは良いことだと思う。日常がようやく帰って来たような感じがあった。
マシュはあえてマナを無視するように立ち上がり、伸びをした。
「元気そうですね」
「はい。なんとか」
「ところで、Sの計画はどうなっているか知っているかしら?」
マナは声音を真剣な調子に切り替えた。マシュもそれに応じるように、心を改めソファに座りなおす。
「さっき先輩がメモ用紙をくれたんです。そこに色々と書いていただいていました」
「そうなのね。てっきり何も知らないのかと思っていました」
マシュはポケットからそのメモ用紙を取り出すとマナに見せた。
書いてあったことは、昨晩の戦闘が終わってから何が起こったのか。そして、何が起こらなかったのか。
「的確ですね。エミヤが倒されたにも関わらず聖杯は起動した様子がない。それどころか、残りがエミヤ一体になった時点で起動していても可笑しくなかった。それでもまだ、なんの変化も見られないのです」
「ということは、他のサーヴァントがまだ生きている? それとも、条件が整っていない?」
マシュがその問いを発すると付け足すようにマナが加える。
「もしくは、何らかの理由で意図的に起動を遅らせているか」
「そんなことが可能なんですか?」
マシュは驚いた。
聖杯が任意のタイミングで起動できるものだとは思えなかったからだ。聖杯は規定以上の霊基が聖杯に蓄えられた時点で起動するようになっているハズだった。
「分からない。けれど、その可能性も否定できないわ」
マシュはもう一度メモ用紙に目を落とした。
「それで、起動前にD社にもう一度乗り込むのですか」
「そういうことね。昨晩の会議だとその方針に決まったわ」
「しかし、先輩は……」
藤丸の様子がおかしくなったのは、D社に乗り込んだからだった。ならば、次も同じことになるのではないか。そうマシュが考えるのも当然だった。
「藤丸さんは元気になっているわ。一応ね」
「はい。それは先程会ったときになんとなく分かったのですが」
「でも……そうね。もう一度立ち入って、何も起こらない確証はないわ。D社の中は特異な空間になっているのよ。固有結界みたいに、外界から空間が連続していない異世界に、ね」
「だとしたら、Sは何がしたいのでしょうか?」
「エミヤさんの話によれば『世界線管理』ね。人が不幸になる世界線をなくす、そのために聖杯によって固定された穴から他の世界に手を伸ばす」
マシュは顎に手をあてて考える。マナの文言に引っかかりを覚えたからだ。
「しかし、それは可能性がなくなることと同意です。それでは剪定事象になってしまいませんか?」
マナはその問いが来ることを予想していたのか、薄く笑みを浮かべる。
多世界解釈における、複数の世界線は「編纂事象」と「剪定事象」に分類される。世界線は何かにつけて分岐するが、無制限にしていると世界の許容量を超えてしまう。だから、正しい世界線を「編纂事象」、誤った歴史を「剪定事象」とし、剪定事象は滅ぼすことで調整をする。
可能性が無くなる、ということは誤った世界線として認識されることであり、ならば剪定の対象となるのではないか。マシュの問いはそういう意味だ。
「いえ、そうはならないわ。Sの計画は『剪定事象を消し去る』ところにあるのです。全ての世界線の人間を救うということは、全ての世界線に同じ結果が訪れる。そしたら、剪定と編纂の区別もないでしょう?」
それにマシュは頷くことしかできない。
マシュが考えている横で、マナは立ち上がった。唐突に「はい」と一言呟くのが聞こえる。
「どうかしたのですか?」
「ああ、マシュさんは礼装を失くされたのでした」
マナはそう言って、耳にある礼装を指し示す。
「召集です。ダ・ヴィンチ氏が呼んでいますわ」
ミツルの事務所に集合するように、ということだった。
マナはマシュの手を取って駆けていく。
藤丸とミツルが待っていると、マシュとマナが事務所に駆けて来た。「全員揃いました」と藤丸はダ・ヴィンチに報告すると、床に置かれた礼装が起動した。
青い光が立ち現れて、一人の人物を形作っていく。魔術礼装によるホログラムだった。光が完全に収束したとき、そこに現れたのはダ・ヴィンチ本人の姿である。
『やあ、こんにちは。お揃いのようだね。お二人は、かのダ・ヴィンチがこのような美女でさぞかし驚いていることだろう』
腰に手を当てて自慢げに話すのでミツルは「また変なのが増えた」というように、手を額に当てる。
「それで、ダ・ヴィンチ氏。いったい何の用かな?」
『君は〈ミツル〉といったかい? つれない男だねえ。しかしまあ、確かに無駄話をしている暇はない。さっそく本題に入らせていただくよ』
ダ・ヴィンチは端末を操作する。すると、新たなホログラムのウィンドウを4人の前に現れた。チラリと見ると、Sの顔写真が載っている。
『私は少々、Sについて調べていてね。魔術協会が保管している資料の中にそれを見つけた。一応は魔術師らしいね。言語魔術においての成績はそこそこ優秀だったらしい。モノに書き込むことで発動する魔術を独自に開発。そこから、科学と魔術を融合させる道に走り出したわけだ』
「書き込むことで発動する魔術とは何でしょう?」
マシュが訊いた。
『言ってしまえば、プログラミング言語のようなものかな。事実、コンピュータとの相性はいい。ある文法に則って記述することで、特定の魔術を作動させる。これによって魔術で動作する機械の開発が可能となった。
だから、D社を立ち上げることが出来たみたいだ。20年ほど前だね。まあ、立ち上げたのはいいものの、初めは雑用が多かった。当時はコンピュータに興味のある魔術師なんて除け者にされていたからね』
「コンピュータ……」
マシュは呟いた。
今でも魔術師で機械が嫌いというものも多い。
すべての魔術によって得られる結果は、科学によって達成できる。魔術は科学での過程を省略して、結果を出しているだけだ。科学によって達成できない神秘は魔法と呼ばれるが、その領域に到達できる者は少ない。
だからこそ、魔術師は科学を嫌うのだ。それが魔術師の矜持だった。しかし、機械の利便性と大衆性故に、今ではそこまでの偏見はない。
ミツルが資料に目を通していると、一つの記述に目が留まった。
「この“遺品回収”というのも、雑用の一種かい?」
資料には年表が記載されており、1999年のところには確かに「遺品回収」の文字が並んでいる。
『そうだね。魔術師の研究は世間に漏れないよう管理されなければいけない。しかし、それに反して魔術協会から失踪する魔術師も少なくない。“封印指定”なんかは特にね。で、その失踪者が死んだとして、警察当局がその家なんかに立ち入ったらどうなるか、想像するのは容易だろう? だから、その研究資料を隠匿するために近くにいた魔術師に“遺品回収”が命じられることがある。これは恐らくその一種だろうね』
長々と説明台詞を述べたダ・ヴィンチを労って「ありがとう」とミツルは返答した。
『それで、まあ、明日には君たちにD社に乗り込んでもらいたいのだが。マシュのケガは大丈夫かい?』
「大丈夫です。問題ありません」
『よかった。何をするにしても万全を期すに越したことはないからね……』
ダ・ヴィンチの歯切れの悪さにミツルは気付く。
「どうかしたのか?」
ダ・ヴィンチは『あ、いや……』と何かを言い淀む。そして、間を空けてから述べた。
『実のところだね、分からないところだらけでね。単純に考えればSの作戦は失敗する確率が高いんだ』
「というと?」
『魔術を超えた魔法という神秘の存在は知っていると思うが、Sの計画である世界線管理は言ってしまえば第二魔法の部類だ。空間に穴を開けて、その穴から他の世界線に影響を与える。だけどね、第二魔法は既に一人の人間が達成している。ゼルレッチというお爺さんなんだが、他の世界線に影響を及ぼすならば、そのゼルレッチと戦わなければならなくなる。ゼルレッチはそういう人間だ。恐らく穴の向こう側に手を伸ばそうとした時点で、Sは阻まれる可能性が高い。空間の外は彼の専売特許だからそこにはどうやってもいけない』
その考察に、事務所内は静かになった。
『だけどね、それを回避する手段があると見て行動するのがベストだ。他にも抑止力とかいろいろな防衛機構はあるけど、それについては考えないことにしよう』
「そうですね」
マシュが応じる。
「それで、こちらに作戦はあるのでしょうか?」
藤丸は訊いた。
『あるとも。単純なのが一つ。
異世界制御を可能とするには、“重なり合わさった一点”が必要になる。全ての世界線に共通して存在する一つの空間、または概念。それをもとに制御をしなければいけないはずだ。恐らくそれはD社そのものだろう。だからすることは簡単で、Sが穴を開け、その向こうの世界線をコントロール下におかせてから、D社を破壊してやればいい。それで、全ての世界線のD社が共通して崩壊する』
「なるほど。単純だ」
椅子に座りながら、ミツルは言った。
「ですが、そのためには相手に穴を開けさせる必要があります」
『そうだ。それでまだ、その穴の観測ができてない。しかし、そもそも観測できないように穴を開けていたら、もう既にSの世界線の制御は始まっていることになる。だから明日、君たちには万全を期して乗り込んでもらおうと思う』
藤丸は自分の拳を固く握った。具体的なことは何も見えていないが、すべきことは決まったのだ。
「わかりました」
『わたしからの報告は以上だが、何か他にあるかい?』
声を上げる人間はいなかった。全ての視線がダ・ヴィンチの一点に注がれていた。それをニヤリと笑い、受け止める。
それは、無理に作った笑みだった。ダ・ヴィンチはもう誰にも戦ってほしくはなかった。しかし、彼女にはもう笑う他にすべきことがない。
『では以上だ。君たちの健闘を祈ろう』
それだけ告げると、ホログラムはゆるゆると崩れていく。その歪んだ像の中で、一瞬だけダ・ヴィンチは眉を顰めたように見えた。
ダ・ヴィンチの姿と一緒に、事務所にあった緊迫感はなくなった。マシュはマナに手を引かれるように、部屋から出ていった。
「藤丸くん」
ミツルは呼んだ。
急ぐことなく、ゆっくりと藤丸は歩いてミツルのデスクの前に行く。
「昨日は申し訳なかった。私の推論は外れていた。それに君は、成し遂げることができた」
ミツルが言った。推論とは「エミヤはマシュに意図的にやられるだろう」といったアレであると藤丸はすぐに分かった。
「大丈夫ですよ。全然、気にしてないですから。それよりも殴ってしまったところは大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。明日も頼んだ。君が頼りだ」
ミツルにしては珍しく真面目に他人をほめるので、藤丸は隔靴掻痒な気分であった。そっぽを向いて鼻頭を掻く。
「どうしたのですか、マナさん」
マナはマシュを連れて屋上にやってきた。手を引くマナは終始無言のままだった。
マシュを離して屋上の柵まで歩くと、そこでようやくマシュの方を振り向いた。いつの間にか日が沈みかけており、夕焼けが空に滲んでいる。マナの表情はその夕日の影になって良く見えない。
「どうしましょう。藤丸さんの前でどんな表情をしたら良いのか分からないわ」
マシュはそれを聞いて、返答に困った。
「ああ、大丈夫。恋とかではありませんから」
マシュは安心したが、何故自分が安心したのかは分からなかった。だからそれを表情に出すこともせず、緩みかかった心のネジを締めた。
マナを見ると、何を言うべきか悩んでいるような表情だった。だからマシュは何かを問うでもなく、黙って聞くことにした。
「マシュさん。たとえば、あなたが全知全能だったら何を求めますか?」
「わたしが、ですか?」
マシュが問うと、マナはただ無言で頷いた。
「そうですね。先輩をお守りすることが楽になりますね。その点はいいことだと思います。しかし、それくらいでこれといった願いが浮かびません」
「そうでしょう。全てを手にしてしまったら、もう何も得ることはできないわ。だから願いなど生まれようもないのです。力がない者は何も為すことができませんが、力を持ち過ぎた者は『何も為すべきことがない』という点で、意味がないのよ」
マナの話の趣旨はよく分からない。ただ、マナが何かの力に悩んでいるのだろうとこはマシュにも想像がついた。
しかし、本当に全能者の人生には意味がないのだろうか。
「力がないということが『何も為せない』ということなら、そこに意味はない。わたし、そう思っていたわ」
マナは「でも」と逆説を述べようとした。しかしその前にマシュによって拒まれる。
「いえ、そんなことありません。意味はきっとあります。わたしは長い旅の中でそれを学んできました。こんなわたしにも意味があったのです」
マシュの噛み締めるようなはっきりした物言いに、マナは少し気圧された。
「そうです。わたしはそれを知ったわ。わたしは昨日藤丸さんを止めたのだけど、藤丸さんはあなたを助けようと進んだ。そのときね。藤丸さんは意味を獲得したように見えた。それがなんだか……」
そこまで言って、言葉に詰まったようだった。心を言葉に置き換えられなくなって、マナは口を閉じた。
なんでこんな話をしているのだろう、とマナは疑問に思う。
「そうですね、先輩は不思議です。出会ったときから、わたしは先輩に助けられてばかりで。昨日だってそうでした。
きっと先輩は『普通』なのです。色で言えば灰色、でしょうか。白黒はっきりとした境界はなく、その境界自体を無化するような灰色。だからこそ、先輩は誰でも救うことができるのでしょう」
マナは気付いた。藤丸と同じ在り方の人物を一人知っていると。それはマナの『パパ』であり、考えれば考えるほど、似ている気がしてくる。
「そうね。きっとそう」
「だから、全能も無能も関係ないのです。そんな境界は気にする必要がなくて、ただ『自分』であればいい」
それは単純なことだった。在るように在ればいい。そんな無際限の肯定がマナを包み込む。
日は山にビルの間に落ちていき、あたりは暗くなった。一緒に、マナの表情は闇の中に落ちた。暗さと人の気配を感知して、屋上に備え付けられていた明かりが灯る。
「マシュさんは、大丈夫ですか?」
脈絡がなく発せられた問いに、真意は見えない。不安定な声だった。
「わたしも頑張らなくてはいけません。何かを犠牲にする強さを持たなければ……。
マナさんと一緒です。わたしも悩んでます」
笑った顔が明かりの影に隠れた。
マシュの鼻先に白い雪が乗った。見上げると、細々と雪の結晶が街の明かりに照らされて浮かび始めている。
「中に戻りましょうか」
マシュは白い息と共に言葉を吐いた。