不道千景は勇者である   作:幻在

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封じ解き、縛り解く力

吾郎は、走っていた。

理由は、自分のまだ幼い息子が攫われたからだ。

だから走る走る我武者羅に走る。

場所は、八階建ての廃ビルの屋上。

普段は誰も立ち入らず、滅多な事がなければ入ってくる事は全くと言っても良い程に来ない。

ただし、誰も立ち入らないという事は、自殺などの命が失われるような行為を誰にも知られずに行えるという事でもあるのだ。

だから、犯人はここを指定した。

吾郎が裏階段を使って屋上へ駆け上がる。

「真琴!!」

屋上につくと同時に叫ぶ吾郎。

「お父さん!」

すると、すぐ目の前で声が聞こえた。

そこには、真琴が一人の男に片腕で抱えられていた。

一瞬、真琴へ視線が釘付けになったが、しかし吾郎はゆっくりと、自分の愛する息子を攫った不届き者を見る。

そして、絶句する。

「お前は・・・!?」

その男の手には切れ味の良さそうなナイフ。

そのナイフは、真っ直ぐに真琴に向けられている。

しかし、問題はそこでは無い。

そのナイフを持っている男。

そこに問題があった。

「久しぶりだなぁ、吾郎」

眼鏡をかけた、秀才そうな男。

スーツを着込んでいるその姿は、まさしくサラリーマンのそれだろう。

しかし、どうしてか。

男からはその風格の一切が感じられない。

政人(まさと)・・・」

男の名は、『旗田(はただ)政人(まさと)』。

泡沫の、かつての交際相手。

何故、彼がこんな事をするのか。

理由は、分かる。

「お前、そこまで泡沫の事を・・・・」

「いやね、もうこの際、彼女との過去なんてどうでも良いんだよ」

「は?」

首を傾げる吾郎。

しかし、政人からはこれまでない程の憎悪を感じていた。

「僕はこれまで上手くいっていたんだ。小中高全ての学校でトップの成績を取り、大学では将来有望と言われ、そして会社にはトップの成績に入り、泡沫のような美しい女性と付き合う事が出来た。だけど、だけど・・・」

男のナイフを握りしめる手に力が籠る。

「お前が彼女の前に現れてから全てが変わった!」

「な・・・!?」

「お前が彼女を口説き、僕の元から離れさせたから僕の人生の全てが狂ったんだ!全部、全部全部お前の所為でなァ!」

あまりにも身勝手過ぎる言い分に、僅かながらに頭にくる吾郎。

「十六年前にお前が彼女の前に現れなければ、僕は今頃全て成功していたんだ!お前の、お前のせいでな!」

「うるせぇ!んなもん、取られるような事してたお前が悪いんだろうが!そんな下らねえ事を言いにわざわざ真琴攫ったのか!?」

もしそうであるなら許さない。許してはならない。

そんな、子供を巻き込む様な事でもない事で自分の息子を攫うなど言語道断だからだ。

しかし、突然政人はとてつもなく嫌な笑みを浮かべた。

それに、吾郎は背筋がゾッとした。

「くだらない?君にとってはそうだろうね。だけど、これは僕にとっては意味のある事なんだよ」

政人は語り出す。

「泡沫を失った事で、僕の仕事ぶりは一気に転落したよ・・・会社からの評価は失墜し、ミスを繰り返し、ついには首にされるしまつだ・・・・だから、復讐する事にしたよ」

政人は、真琴を掴む手を動かし、そして、あるところで止めた。

「お、おい、まさか・・・・!?」

「ここで君の子供を落として殺す。その後君を殺す。そしてそのあとに泡沫を凌辱し、孕ませる。それで彼女は僕のものとなる」

なにを馬鹿な事を、と普通の人間なら思うだろう。

しかし、政人の恐ろしい嗤い顔と、迫真な口調から、吾郎は、今度こそ体の芯から冷えるような感覚を覚えた。

 

彼の言っている事を詳しく説明すると、

 

まず、真琴を殺し吾郎を絶望させる。

 

吾郎を絶望させた後に吾郎を殺す。

 

そして二人の死によって茫然自失となった泡沫を強姦(レイプ)する。

 

そして、そのまま彼女を孕ませ、政人との間に子供を作り出す。

 

結果、彼女は完全に政人に縛られてしまう。

 

 

 

まさに、悪魔の囁きともいうべき計画。

おおよそ、人としてまりにも外れた告白に、吾郎は、一旦は冷えた感覚が、一気に沸騰し爆発する。

「ふ、ざけんなァ!!」

「おっと、下手に動かない方が良い。というか、どうせ動いても動かなくてもどっちでも良いんだけどね」

「ッ!!」

政人の言葉に、吾郎は止まる。

「そこで傍観していると良い。君の子供が死ぬところをね」

「ま、待ってくれ!頼む!!」

吾郎は懇願する。

この際、自分のプライドも何もあったところで何かを救える訳じゃない。

「頼む。代わりに俺が死ぬ。だから、真琴だけは殺さないでくれ・・・!」

頭を地面に押し当て、あまりにも不格好な土下座で、プライドも何もかもを捨て去り、まるで無様とでも言うかのように必死に懇願する。

「頼む・・・・!!」

真琴さえ助かるなら、この際、全てを投げうっても良い。

「ふむ、君にそこまでの誠意があるというのなら、考えてやってもいいかな」

ふと、政人がそう言った。

「本当か――――」

それに、思わず顔を上げる吾郎――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

政人の手には、真琴はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――!?」

それに、目を見開き、そして、その後に見た政人の顔は――――

 

 

「なぁんていう訳ないだろ馬ァ鹿」

 

 

 

 

 

まさしく悪魔の嗤いだった。

 

 

 

 

 

 

その瞬間、吾郎の中で何かが焼き切れ、膝を地面についた状態から地面を蹴り、咆哮を上げ、政人に殴りかかる。

「咆えるなよ、社会の汚らわしいゴミが」

次の瞬間、嗤う政人の左手に付けられていた腕時計が発光する。

その光が、やがて集束し、形を成す。

 

それは文字。其れは、『霧』。

 

 

 

いきなり政人の周囲に発生した霧が、確かな打撃となって吾郎の腹を殴り飛ばした。

「ぐはッ!?」

そのまま宙を舞い、元居た場所に仰向けに落ちる。

あまりにも重く、そして、耐えられるほどのものでもなく、吾郎はその場にうずくまる。

「アハハハ!無様だなぁ。お前それでももと極道(社会のゴミ)かよ?情けないなぁ?」

「う・・・・る・・・せぇ・・・・!」

吾郎は、どうにか立ち上がろうとする。

そして、どうにか立ち上がった。ところで――――

「ま、そうだろうね」

吾郎の顔面にまた衝撃が走った。

その衝撃は吾郎を吹き飛ばし、そのままの勢いでいけば、屋上から投げ出されてしまう。

「どこにいくんだ?」

が、今度は全く反対方向から衝撃が来て、吾郎を全く反対の方向へ吹き飛ばす。

そして、また屋上へ投げ出されるかと思いきや全く別の方向から衝撃が来て、吾郎を全く別の方向へ吹き飛ばしていた。

やがて、それが終わるころには吾郎はズタボロになって、コンクリートの地面にひれ伏していた。

その無様な様子に、政人はとうとう嗤いを抑えきれなくなる。

「くく、アハハハハハハハハハハッ!!!」

政人は、高嗤いをする。

「無様だなぁ!春風吾郎!僕から、この約束されたエリートであるこの僕から未来を奪ったくせに、そんな奴がここまで遅いなんてなぁ!」

何が起こったのか分からない。何故自分は吹き飛ばされた?何故、こうなった?

「なぁんにも守れないくせにぃ、この僕から未来を奪うなんて、弁え知らずも甚だしいんだよぉ。お前のような奴がぁ?泡沫を幸せにするなんてぇ、無理な話なんだよォ!」

政人が、地面に伏せる吾郎の頭を踏んづける。

吾郎は、耐え切れずに涙を流す。

「ちく・・・・しょぉ・・・・」

真琴を守れないどころか、このクズを殴り飛ばす事も出来ないのか。

それが、悔しくて悔しくて、今すぐにでも、死にたい。

もう、このまま、終わった方が――――

 

そう、吾郎の心が弱い方向で傾きかけた時。

 

 

 

 

 

 

「自分を諦めないでください、吾郎さんッ!!!」

 

 

 

 

 

次の瞬間、政人が吹き飛ばされた。

「ぐはぁああ!?」

背中からの衝撃は、政人を屋上の手すりに叩きつけ、ぐったりとさせるに至った。

そして、吾郎は、頭の重みがなくなった事で、その頭を挙げた。

そこにいたのは――――

「ち・・・千景・・・・?」

そこにいたのは、まるで罪人のような拘束具の鎧を纏った、白い装束を着込み、その小さな体で持つにはあまりにも大きすぎる大鎌を持った、千景がいた。

「すみません。来るのが遅れてしまいました」

「なん・・・・で・・・・?」

吾郎は、何が何だか分からないとでもいうような表情になる。

「説明はあとです。今は、ここを離れましょう」

「え・・・」

何かを言い返す前に、千景はありえない程の膂力で吾郎を持ち上げ、そのまま政人が吹き飛ばされていった方向とは反対の方向へ、空中へ躍り出た。

「な、なぁぁぁぁあああ!?」

落下しながら絶叫する吾郎。

だが、千景はこの高さをものともしないで地面に足を向け、ものの見事に地面に着地してみせた。

「吾郎さん、怪我は?」

千景がそう聞くも、吾郎は、ふとある事を思い出し、いきなり千景を振り払った。

「触るんじゃねえ!」

「ッ!?」

振り払われ、地面に落ちる吾郎。

しかし、吾郎の内心は悔しさでいっぱいだった。

「今更、いまさら、お前が来たところで・・・・真琴は・・・!!」

「・・・」

悔し涙を流し、嗚咽を漏らす吾郎。

それに千景は何も言わない。

「ぐ・・・くぅ・・・」

生き残ったところで、真琴は帰ってこない。

こんな自分が、泡沫の夫である資格など――――

「おとうさん!」

 

時が、止まった気がした。

 

ゆっくり、ゆっくりと、声がした方向へ顔を向ければ、そこには――――

 

「おとうさん、大丈夫?」

「吾郎・・・・」

無傷の真琴と、泡沫がいた。

「ま・・・・こと・・・・?」

「真琴が落ちてくるのが見えたので、どうにか下で受け止めました」

「どういうことだ・・・?」

真琴が吾郎に駆け寄り、そして、満面の笑顔で言った。

「おにいちゃんに、うけとめてもらったんだ!」

「・・・・・!?」

それはほんの数分前。

 

 

 

千景は街中を全力で走っていた。

「あの手紙の内容では、この辺りだった筈・・・」

犯人が、恐らく吾郎宛に出したと思われる手紙には、『速やかに東の一番高い廃ビルの屋上まで来い』とだけ書かれていた。

犯人はバカなのかと思うが、これでは警察に場所を特定されやすい。何か捕まらない自身でもあるのか。

それ以前に、おそらく犯人があの男だと特定しておいて、あの体格では吾郎には勝てないだろう。

やはり、何かある。

「早まらないでくれよ・・・」

つい、手紙を奪い取って読んでしまい、周囲から殴られかけたが、今はそんな事を気にしてられない。

泡沫は、吾郎が飛び出した数十分後に出たと聞く。

泡沫はあまり運動するのは得意ではないと聞く。

ならば、泡沫が吾郎に追いつく事など不可能だ。

しかし、それは逆に、千景が彼女においつける事を意味している。

「あれは・・・」

ふと目の前に見えた人影。その身長、体格、そして今の状況から、その人物を特定する。

「泡沫さんッ!!」

「え・・・・!?」

呼んでみれば案の定だった。

その人物は、泡沫だった。

「貴方・・・なんで・・・!?」

「説明は後です。吾郎さんがどこにいるか分かりますか?」

「なんで貴方に・・・」

「こんなところで時間喰ってていいんですか!?」

千景の怒声に、泡沫は一瞬怯み、やがて観念したかのように言った。

「たぶん、あのビルだと思う・・・」

千景は泡沫が指さしたビルを見上げる。

そこは、たしかに犯人の要求通り、この街の東にある廃ビルの中で一番高いビルだ。

といっても、三百年前に、東京というところにあると言われている『東京スカイツリー』なる建物と比べれば、また、東以外の地区にあるビルよりかは低い。ただ、その地区だけは、そのビルだけが突出して高かった。

「行きましょう!」

「あ、待ちなさい!」

千景が走り出し、泡沫がそれについていく。

やがて、例の廃ビルの下に辿りつく頃。

 

二人は、真琴が落ちてくるのを見た。

 

「真琴ッ!!」

泡沫は、悲鳴のようにその真琴の名を呼んだ。体から、血の気が引くような感覚を覚え、思わず、足がもつれ、転ぶ。

「真琴ぉ!」

倒れ伏し、泡沫は上体だけ起こして悲鳴をあげる。

その間にも、真琴はどんどん自由落下によって加速していく。

さらに態勢は最悪な事に頭が下だ。このまま地面に頭から入れば、即死は確定。

 

死。それは人にとってはあまりにも当たり前な事。

 

いついかなる時でも、死は突然にやってくる。

死が確実な病気にかかっても、一体いつ死ぬのか、そんなもの医者であっても分からない。

もしかしたら容態が急変して突然死したり、また、逆に奇跡的に回復するかもしれない。

 

そう、奇跡が起きれば、だ。

 

 

 

千景は、こう結論付ける。

 

この世で起こる事全ては必然の元、起きているのだと。

 

偶然などなく、誰かが手を加えるだけで、その運命は確かに変えられると。

 

落下しても、打ちどころが悪い良いを決めるのは、所詮、落下する時の態勢で決まるのだと。

 

 

そして、誰かが手を加えるだけで、その運命は簡単に変えられるのだと。

 

 

 

「オオオオオオッ!!!」

だから、千景は全力で走る。

リミッターを突破する。

速く速く、足を速く動かし、歩幅を大きくしろ。

足が痛くなっても、脳に酸素が回らなくなったとしても、とにかく足を動かして、落下してくる彼を救うのだ。

(間に合え―――ッ!!)

 

果たして、運命は変えられた。

 

「ハアッ―――ハアッ――――」

落下してきたものを受け止め、受け身をとりそこねて衝撃を全て受けて、地面に仰向けに倒れる千景。

どうにか頭を死守した。

そして、千景の手には――――不思議そうに眼を見開く真琴がいた。

「ハア―――間に・・・あった・・・・」

千景は心底安心して、まだ動く体を起こし、真琴の容態を確認する。

「痛いところはないか?」

「うん・・・・?」

首を傾げる真琴。

見た所、外傷はおそらく触られた時に出来た手の痕だけだろう。

とにかく、千景は立ち上がり、急いで泡沫の元へ走る。

「あ、おかあさん!」

「真琴・・・・!」

泡沫は、腰が抜けたのか、立ち上がらない。

だが、それをお構いなしに千景は彼女に真琴を預ける。

「おかあさん!」

「真琴・・・・真琴・・・・・!」

泡沫は、しっかりと真琴を抱きしめる。

その様子に、千景は安心したように笑う。

 

 

その瞬間、千景の首を何かが締め付けた。

 

 

「ッ!?」

引っ張られる感覚のもと、千景はすぐさま背後を、そして上を見た。

先ほどの首が締まるような感覚は、魔器発動を告げる、御神刀の警告機能。

つまり――――

(真琴を攫ったのは、魔器使い!?)

その事実には、千景は唖然とする。

しかし、それは次に聞こえた音で確信する。

その音は、何かを殴るかのような鈍い音。

それは、すなわち――――

千景は、迷わず懐に隠していた御神刀を取り出す。

「―――『天鎖刈』ッ!!」

叫び、千景の装束が瞬時に変化する。

それは罪人の鎖。罪人を封じる拘束具。

 

白は無を意味し、持たざる者を意味する。

 

鉄は罪を意味し、咎人であるという事を自覚させる。

 

ここに、罪人の救導者は現れり。

 

限りなき願いを持って、悪しき魂を殲滅せよ。

 

御神刀『天鎖刈』、着装完了。

 

千景の姿が突然変わり、泡沫は唖然とする。

「わあ」

真琴は目をキラキラさせているが、そうしている間に千景は膝を折り曲げ、すぐさま真上に飛び上がった。

さらに鎖を顕現させ、それを壁に打ち込んで体を引っ張り上げて機動力とし、ビルを駆け上がる。

その時、確かに、誰かを悪意を感じた。

それと同時に、誰かの諦めを感じた。

もし、その諦めの正体が、彼だというのなら、千景は迷わずに叫んだ。

 

 

 

「自分を諦めないで下さい、吾郎さんッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

故に、千景は吾郎を救出し、ここに来るに至ったのだ。

「千景!」

ふと、別の方向から、千景と同じく御神刀を発動させた椿が文字通り飛んできた。

「椿!?」

それに吾郎は驚く。

「吾郎、大丈夫か!?」

吾郎の状態を見て、はたからみても焦った様子で椿は吾郎の容態を確認する。

「それよりも椿、その恰好はなんだ!?」

「うえ!?ああいやこれは・・・」

椿の恰好は、よくよく見れば、かなり際どい、胸はサラシでしっかりと巻かれているが問題なのはそのサラシが椿の胸の形にぴったりフィットしているという事で、下手をすればあってもなくても変わらないような恰好なのだ。

それにくわえてへそ出しに太腿丸見えな短パンに学ランとあまり子供のいる母親がするような恰好では無い。

が、千景にとってはどうでも良いが。

それはともかく。

千景は救急車を呼んでいた。

「救急車呼んでおきました」

『早ッ!?』

「それよりも椿さん、この上に」

「・・・・ああ、いるな」

椿と千景が、ビルを見上げる。

ふと、後ろから吾郎が千景の肩を掴む。

「おい、これは一体どういう状況なんだ?お前が真琴を助けて、政人の奴は変な力を使って、あまつさえ椿もお前も変な恰好してる。説明はしてくれるんだろうな?」

吾郎が睨み付けてくる。

確かに、魔器の対処は自分たちの管轄だ。それも、他人に極秘裏に行われなければならない。

バレては人々の平穏を守れない。それが出来なければ、こんな事もありえるだろう。

だが、それでも、一貫して守らなければならない事があるのだ。

「すまない、吾郎。それは――――」

「申し訳ありませんが、貴方に話す義務はありませんし、知ったところで何も出来ません」

椿の言葉を遮って、千景がそう言った。

「なんだと・・・?」

「貴方も先ほど感じた筈です。奴には勝てない、と」

「そんな事――――」

「事実、貴方は奴の攻撃を受けて、本来なら一歩も動けない程の傷を負っている筈です」

「ッ」

千景の指摘に、吾郎は押し黙る。

「たしかに、自分の子供を危険に晒されたら、誰だって許せないと思うでしょう。しかし、許せないと思っただけで、何が力が無ければ、その怒りは無意味なものです」

その言葉が、吾郎の心に突き刺さる。それは、泡沫も同じだった。

自分には力が無い。だから何も出来ない。

それは、とても悔しい事だ。

「だらか」

だが、彼は、言葉を続けた。

 

「だから、俺が貴方たちの怒りを背負うんです。たとえ偽善であったとしても、俺は、貴方達が安心してくらせる街を守りたいから」

 

振り向いて、千景は、笑った。

それは、心から、誰かを慈しめて、どれほど傷付いても誰かを守りたいと思える、少年(きょうじん)の本音だった。

その笑顔に、吾郎は、()()()

その笑いが、まるで、自分たちへの意趣返しのような、悪魔の微笑みに見えたから。

「行きましょう」

「ああ」

二人は飛び上がり、一気にビルの屋上へ駆け上がる。

そして、そこには一人の男がふらつきながらも立ち上がった。

「ジャーニーカンパニー社員、旗田政人とお見受けする」

千景が、男に告げる。

「貴様が行った行為は、人の命を奪い、人の未来を奪い、人の尊厳を踏みにじる事。その行為は、我らにとっては許されない事だ。故に、我らは、貴様を狩る」

宣告はした。

「魔器『霧』、破壊させてもらう。覚悟しろ」

千景と椿が構える。

「・・・・・うざい」

政人が、頭を抑えながら、唸る。

「なんでこんなところで魔器使いが出てくるんだ・・・これじゃあ僕の人生設計が台無しじゃないか。どうしてくれるんだよ。この落とし前どうつけてくれるんだよ・・・・」

「「知るか」」

冷徹な言葉を同時に放つ千景と椿。

「ふざけんなよ・・・僕はまだ終わらないぞ・・・絶対に・・・絶対になァ!!!!」

政人が動く。

それに身構える二人。

だが、政人がとった行動は、二人の予想の外側の行為だった。

「『霧化』ァ!!」

「「!?」」

突然、政人の姿が霞んだかと思うと、その姿が一瞬にして煙――――否、霧となってその場にただよった。

「じゃあな」

「まずい!逃げられるぞ!!」

霧となった事で実体を失くし、そのまま飛び去ろうとする政人。

「逃がさねえよ」

ここで、千景は天鎖刈の能力を発動する。

 

「『封印縛鎖』・『結界』・『水蒸気』ッ!!」

 

鎖が展開される。

それは周囲に見えない金具にでも縫い付けられたかのように展開された。

「ハッ!そんなもの―――ぐふ!?」

その間を抜けようとした政人が、突然壁にでもぶつかったかのように止まった。

「な、なんだァ!?」

「封印縛鎖。鎖で概念を封じ込め、その概念に対しての『縛り』をうながす。その結界を張った」

いわば、条件付き結界。

霧は、いわば水蒸気が眼に見えるようになったものだ。

ならば、展開した鎖の結界に、水蒸気を封じ込めるという条件を与えれば、水蒸気そのものである霧になっている政人はその結界を抜けられない。

 

 

というか、水蒸気や霧の事は中学で習う内容なのだが。

 

 

「くそッ!」

「集束しろ!」

「なに!?」

結界が千景を中心に小さくなってくる。

それに政人は一気に押し戻される。

「魔器『霧』、お前を捉え損ねた理由は、その実態の無さ故だ。その所為で私はお前を足止めできず、逃がすに至った」

だが、と椿は言う。

「この縛り付ける『鎖』がある限り、逃げられると思うなよ」

そう霧になった政人を睨み付ける椿。

だが、そのまま黙っている政人ではない。

次の瞬間、政人は周囲にとてつもなく濃い霧を発生させた。

「『濃霧』ッ!!」

「「!?」」

これによって視界は一気に塞がれた。

「これは・・・・ぐッ!?」

突然、千景の脚が斬られた。

「なんだ・・・ぐあ!?」

さらに顎を下から衝撃を襲った。

「気を付けろ千景、こいつ、霧になって四方八方から打撃を繰り出してきているぞ!」

椿の鋼の体には、その攻撃に一切は効いていない。

しかし、頭部を狙ったその連撃には脳が揺さぶられてしまう。

椿としても早々に捉えなければジリ貧だ。

「ッ!!」

千景は打撃を喰らった傍から鎖を飛ばす。しかし、その全てが空を切る。

「あたらねえよそんな攻撃ッ!!」

さらに攻撃が襲ってくる。

「ぐッ・・うッ・・・」

千景は椿ほどではないが打たれ強い。

しかし、それも長くは続かない。

「千景ッ!大丈夫か・・・!?」

椿が叫ぶ。

このままでは先に千景がやられる。

その様子を、政人は嗤ってみていた。

(ひひ、このままあのガキを攻撃し続ければ、その内くたばるだろ)

思わず嗤い声が漏れる。

(身の程知らずが、将来を約束されたエリートを殴り飛ばした罪を、その身で味わえ!)

打撃の嵐が、千景を集中して襲う。

「コイツッ・・・!?」

そこで椿は敵の意図を取る。

敵は一度椿と戦っている。

その時に、椿のバケモノのような頑丈さを知っている。

だから、政人は先に千景を殺しにかかっているのだ。

なるべく、長く、苦しめるように、ゆっくりと。

 

確実に追い詰める為に――――

 

椿は千景に覆いかぶさろうとする。だが――――

「待ってください―――――」

「!?」

「あと、()()()()・・・・」

千景の言葉に、椿は止まる。

それに、政人はニヤリと嗤う。

 

今だ、と。

 

霧に、確かな形は無い。

故に、さまざまな形に成る事が可能だ。

故に、刃を作り出す事も可能だ。

だから政人は刃を作り出す。

 

千景の首を掻っ切る為に。それで、千景は絶命する。

 

(僕に屈辱を与えた罪、死んで償えッ!!)

霧の刃を、千景の首に飛ばす。

「『霧斬』ッ!!!」

そして、その霧の刃が、千景の首へ到達し――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千景は体を思いっきり逸らして霧の刃を避けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――――は?」

あまりにも、本当にあまりにも突然に、あっさりとかわされた事に、政人は呆気にとられる。

「ぐぅお!?」

ついでに言って、その霧の刃は千景の背後にいた椿に直撃した。

当然、その鋼の体には通用しないが。

「な、なんだ・・・・!?」

「な、なんで避けれたんだ!?」

先ほどまで、予測も出来ずに殴られまくっていた筈だ。

なのに、何故突然、避ける事が出来た?

(ま、まぐれだ。絶対まぐれだ!)

それを確認するために、もう一度、『霧斬』を発動して、再度千景にその刃を向かわせる。

しかし、千景はその全てを、まるで踊るかのようにことごとく躱していた。

「な、なんで・・・・!?」

「お前が散々足跡を残してくれたからだ」

千景は、言ってのける。

「打撃の順番から、お前の手順を探り、そして、その打撃から感じる『悪意』をくみ取り、そして、お前がどういう人間で、どういった悪意を持っているのかを理解すれば―――」

その瞬間、政人は背筋が凍るかのような感覚に陥った。

何故なら、千景の視線が、寸分狂わず、政人を射抜いていたからだ。

 

「―――お前がどこにいるのかを理解するのはさほど難しくない」

 

状況を冷静に見る状況把握、物事を冷静に見定める観察眼、手順から相手がどういう事をしてくるのかを予測する知性、今自分の周囲がどうなっているのかを感じる空間把握、敵の動きを見定める動体視力、そして、相手のありとあらゆる悪意を感じ取る直観力。

それらの要素が集結し、彼の小学生にしてはあまりにも高すぎる『推理力』が、洞察力が、敵がどういう存在なのかを、隅々まで理解した。

 

否、それは武術で言うなら、『盗んだ』に等しい。

 

千景は、『旗田政人』という『人間』を盗んだのだ。

 

「捉えた。もうお前は、逃げられない」

千景の言葉は、まさしく断罪の宣告に聞こえた。

身を沈めた千景。

「椿さん、俺が奴を実体化させます。その瞬間――――」

「―――斬ればいいんだな。行けッ!!」

椿の返答に、千景は地面を蹴る。

「く、来るなぁぁあ!!!」

政人はもはや我武者羅に斬撃やら打撃やらを繰り出す。

しかし、千景は分かっているかのように避けまくる。

時には鎌で弾き、時には鎖で防ぎ、時には巧みに躱す。

まさしく、踊っているかのように。

「く、くそッ!だったらこれだァ!」

政人が、何かをする。

(なにを――――ッ!?)

次の瞬間、千景の呼吸が止まった。

「『凝結』ッ!!」

それは水蒸気が水に戻る現象の一つ。

空気が、一立方メートルの中に蓄えていられる水蒸気量は、常に温度によって変化する。

一方で水蒸気が水になる時も、常に温度によって決まっている。

空気中に蓄えられた水蒸気は、その量によって、水に変わる時の温度、『露点』が変わる。その露点まで温度を下げれば、ガラスや壁などに水滴となって出てくるのだ。

政人は、その原理を、千景の肺の中に入った霧を使って行い、()()()()()()()()のだ。

これによって、千景は呼吸困難に陥り、決して助かる事もなく、死んでいくだろう。

(これでこのガキは――――)

勝った、と確信した瞬間。

 

「『圧縮縛鎖』」

千景がどうにか紡いだ言葉。次の瞬間、千景の口から大量の水が吐き出された。

「なに・・・・!?」

それに目を見開く政人。

しかし、そうしている間に、千景は、同時に鎖を操作する。

「『封印縛鎖』『水蒸気』『実体化』」

いつの間にか、政人の周囲には、鎖が出現していた。

「しまっ・・・・」

「もう・・・おそい・・・!」

千景が空いた手を握りしめる。

それと同時に、鎖が実体無き政人に絡みつき、その体を実体化させる。

「な・・・・!?」

「魔器使いはバカなのか・・・人間は地面に足をついているものっていう常識が残ってるぞ」

「ッ――――!?」

これで、政人は逃げられない。

「覚悟しろッ!!」

椿が走り出す。

「畜生ッ!!」

政人が、椿に向かって『凝結』を発動する。

「『封印縛鎖』『体内干渉』ッ!!」

しかし、それよりも速く、千景が椿を鎖で縛りあげ、体内への干渉を阻止する。

「く、くそぉぉ!!」

政人がなおも抵抗する。

突然、椿の動きが止まる。

「な!?」

まるで、体を粘土で固められたかのように、動きが重くなる。

霧で体の自由を奪っているのだ。

「く、こんなところで・・・」

「お前はあとだ!まずはアイツから――――」

次の瞬間、千景が叫ぶ。

「『封印()鎖』『拘束』ッ!!」

次の瞬間、椿に纏われていた霧が消滅する。

「な・・・!?」

千景が、政人の『霧』に与えられていた『拘束』の概念を()()()()()、椿を拘束から解いたのだ。

それによって、椿は、一気に政人の距離を詰める。

「ハアッ!!」

椿の手刀(てがたな)が、政人を切り裂く。

しかし、椿の手に、手応えは無い。

「むッ!?」

「それは偽物だよバァカッ!!」

政人が椿の背後に出現する。霧で作った分身だ。

それによって、椿を欺いた訳だが。

「それは分かっていた」

「へ?」

いつの間にか、政人の背後に、大鎌を振りかぶる千景がいた。

「もう、逃がさないッ―――」

地面を踏み砕く。

鎌を、背中から前へ。

刃を、政人へ、突き立てる。

 

そして、切り裂いた。

 

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁあああ!?」

断末魔の叫びをあげ、政人の姿は、元のスーツ姿に戻り、魔器も元の腕時計に戻った。

そして、霧も晴れ、戦いが終結した事を告げる。

千景は、鎌を振り上げ、腕時計を破壊する。

「魔器『霧』、破壊完了」

「これで、残り三つだな」

霧の文字が砕け散り、虚空に消えていく。

その様子を、千景と椿は、静かに見た。

 

 

 

 

 

 

 

顛末を話せば、政人は拉致及び暴行の罪で逮捕された。

終始、こうなったのは吾郎の所為だ。全て吾郎の所為だと、事の責任を全て吾郎に押し付けようとしていたが、今聞かれているのは暴行と拉致したという事実なので、問答無用で留置所に入れられた。

裁判では、それ相応の判決が下されるであろう。

一方で、犯人逮捕に貢献した椿は賞賛されたが、千景に対しては誰も褒めなかった。

が、この一件で真琴は千景に懐いてしまい、他人が近付いてはダメと言っても真琴はそれらを無視して千景に遊びを求めてくるようになった。

千景にとってもいい迷惑なのだが。

 

それはともかく。

 

 

「これで、魔器は残り三つとなったわ。判明している『強』と『燃』、そして未だ姿を見せない最後の魔器。これらを破壊すれば、今回の御役目は終わると思うわ」

神社の縁側にて、奏が千景に向かって、そう報告した。

「残り三つか・・・」

「この数ヶ月で二つ。ペースとしてはまずまずだけど、このままいけば、全ての魔器の破壊に成功すると思うわ」

「はあ・・・」

やはり、実感が湧かない。

魔器が無くなるのは良い事だと思う。しかし、その後の事を、千景は想像できないのだ。

いつも通りの生活が続く。ただ、それだけの筈だ。

「・・・・」

千景は、青い空を見上げる。

その空では鴉が飛んでいた。

「・・・・」

その様子を、奏は横目で見て、ふと何かを思いつき、それを口に出す。

「ねえ千景君」

「なんですか?」

「膝枕してあげよっか?」

「・・・・・何故?」

思わず怪訝そうな顔になる千景。

「別に深い意味はないわよ。ただ少し休んでみたらどうって話」

「今こうして座って休んでいますが・・・」

「体は休んでいても心はそうじゃないでしょ?さあお姉さんの膝にその頭を沈めなさい!」

「それ、一体どういう意味ですか・・・・」

「ほらほらぁ、これでも私の膝は柔らかいのよ~?」

妙に誘惑してくる奏。

それに、思わずジト目になる千景。

しばし考える千景。

「・・・・分かりました」

千景の返答に、奏は思わずガッツポーズを取る。

そうして千景はあっさりと奏の太腿へその頭を投げ出す。

「んにゅふふ・・・・」

「その笑い方は流石に気持ち悪い」

「酷いなぁ、君の顔はこんなに可愛いのに~」

「確かに俺の顔は女寄りですが・・・」

「自覚してるんだ・・・・」

確かに千景の顔は男子にしては女子に近い顔立ちをしている。女装してもバレないかもしれない。

ふと、奏は千景の髪を撫でた。

「・・・・?」

「ああ、気に障ったならごめんなさい。でも、貴方の髪って意外とサラサラなのね」

まるで、絹のように、引っ掛かる事の無い、綺麗な黒髪。

くせっ毛も無く、寝癖も出来なさそうなその髪は、とてもきれいだった。

「それが何か?」

「もったいない。もっと自慢してもいいのよ?」

「それは周りの奴らを不機嫌にさせてしまう」

千景は、あくまで自分よりも他人を優先させてしまう。

それ故の、答えなのだろう。

(もう少し、自分の事も気にすればいいのに・・・)

そう思いながら、奏は彼の頭を撫でていると、ある事に気付いていた。

「ん・・・んぅ・・・」

「・・・・・」

なんだから、瞼が閉じようとしたり、そう思ったら開いて、また閉じられようとしている。

(これってまさか・・・)

 

寝かけているのか。

 

それに、奏は思わず吹き出しそうになる。

(なんだ。顔だけじゃなくて、以外と可愛い所あるじゃない)

うとうととしだしている千景の頭を撫でる手をやめず、奏は、一つ、歌を歌った。

 

「眠れ、眠れよ、哀しみを知る者よ」

 

下手では無く、むしろ、凡人の中で、上手い方の、歌声。

 

「今はただ、目を閉じて、夜が明けるのを待ちましょう」

 

その歌声は、その場の静寂を破り、小さなメロディを奏でる。

 

「あなたは哀しみを知る人、今はただ、夜の安らぎを感じなさい」

 

その静かな歌声は、千景の眠気をさらに呼び起こし、だんだんとその意識を遠のかせる。

 

「心配しないで、私はここにいる」

 

千景は、眼を閉じ、眠りにつくとき、一つの情景が、瞼の下を横切った。

 

「あの蒼穹は、決して、あなたを見放さないから」

 

それは、在りし日の、大切な誰かが歌ってくれた――――

 

 

 

 

 

―――――子守歌。

 

 

 

 

 

千景が、涙を流しながら、眠りにつき、奏がその涙を拭っていた時、椿がやってくる。

椿は、音を立てぬように、二人に近付いた。

「『蒼穹』・・・か、久しぶりに聞いたな」

「千歳さんオリジナルの子守歌ですものね。千歳さんのお母さんがよく歌ってくれたって聞きました」

千景の母、千歳の母は、例の悪徳企業の社長に、()()()()()()()()()()()

その時、千歳の母の両親は、何者かに殺害されており、まるで仕組まれていたかのように母は攫われてしまったのだという。金で買われたというのは、犯罪者グループを雇う時に支払った金の事だ。

そんな不運が続き、社長の慰め物として扱われ、その時、儲けてしまったのが、千歳だった。

社長は、丁度千歳の母に飽きており、タイミングが良いのか悪いのか千歳の母を捨て、その時、そんな千歳の母を養ったのが、奏の両親だった。

まだ奏は生まれていなかったうえに、千歳の母は千歳を生んで六年後に病気で死去してしまったのだ。

その時、千歳の母が歌っていたのが、この子守歌の『蒼穹』。

名前に意味は無く、ただ、単純にそんな名前を付けたという。

「千景にも、歌っていたんだな・・・」

「そうですね・・・・」

千歳と千景。

共に、母と過ごした時間は、小学一年にあがるまでの六年間。

「こんなに、悲しい事って、あるんでしょうか?」

「さあな。ただ、私にとっては、千歳が一番つらかったと思う」

千景と違い、千歳は誰かを憎む事が出来た。誰かに想いを馳せる事が出来た。

ただ、それだけの違いだった。

「でも、今生きているのは、千景君です」

「ああ、千歳じゃない」

縁側の柱に手を置き、椿は、千景を見る。

すやすやと眠る、千景の寝顔を見る。

 

いつか、千景も、心の底から笑う事が出来たなら―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「~♪」

「千景、なに、うたって、るの?」

皿洗いをする千景に、冬樹が聞いてくる。

「ん?ああ、俺もよくは分からねえんだ」

「そう、なの・・・?」

「ただ、奏さんが歌ってくれたって事だけだよ」

千景が洗った皿を、冬樹が渇いた布でふき取る。

「というか、お前まで手伝う事は無かったんだぞ?」

「いい。わたしが、やりたい、だけ」

冬樹は、皿を拭いていく。

「・・・・なあ、もしかして()()()()()でやってるならそれは余計なお世話というもので―――」

「余計、でも、いい」

冬樹が、芯とした声で応じる。

「私は、ただ、償いと、恩返しが、したい、だけ」

そう、力強く言い返した。

それに千景は頭を掻きたくなる衝動に駆られる。

(絶対に二年前の()()()()が原因だよな・・・)

『キャンプって?』

ふと、郡が聞いてくる。

(ああ、二年前の秋にな・・・)

千景は、横目で冬樹を見る。

そこには、真剣に皿を拭く、冬樹の姿があった。

やがて、千景は思い出す。

 

 

 

 

千景にとって、最大の戦いの記憶を――――

 

 




次回『秋のキャンプ』

簡潔に言おう。強・制・参・加!
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