副題;もしも金田一が出向いていたら
神小路陸は小学五年生の夏に訪れた村に向かう為に最寄りの駅で電車を降り、ホームの階段を上って改札に向かっていた。
「白狐村、か」
知らなければならないことがあった。聞かなければならないことがあった。
「しかし、なんで茉莉香と凛の住所が一緒なんだ? まあ、手っ取り早くていいけど」
白狐村を訪れる切っ掛けとなった年賀状二枚に書かれた同じ住所に首を捻る。
「この二人なら俺らが川を下ってる時、キャンプに残ってたから何か知ってるかもしれない」
六年前のあの夏に陸の水筒に入れられた蜂。
キャップを閉めてあったのだから自然に入るはずがない。人為的なものであれば、陸が金田一と鐘本あかりと川下りをしている間にキャンプに置きぱっなしになっていた時に入れられた可能性が高い。
だとすれば、共に川下りをしていた金田一とあかりは外すとなると、残った面子の中で同じ住所である茉莉香と凛の下を訪れるのが二人一度に会えて一番手っ取り早い。
「…………もしかして陸、神小路陸か?」
改札を抜けて駅構内の地図を見上げてバス乗り場を探していた陸は名前を呼びかけられて振り返る。
そこにはスーツを着た知らない男が立っていた。
「えっと、確かに俺は神小路陸だけど、そちらはどちらさんで?」
「おいおい、何言ってんだよ、俺だって」
とスーツを着た男に妙に親し気に言われても陸には相手が誰だか分からない。
「金田一だよ、金田一一。小五の夏にカブスカウトで一緒に遭難した仲じゃないか」
「なにっ!? 金田一だって!?」
確かに言われてみれば当時の頃の面影があるが、正直に言えばスーツの男を年上と見ていた陸は金田一と聞いて目を剥いた。
「う、嘘だ!? 金田一はもっと軽そうな顔してるぞ!」
記憶にある金田一との明確な違いのある細くなった眉と知的に見える眼鏡を指差しながら陸は叫んだ。
「どんな顔だよ」
金田一はそう言いつつも満更でもなさそうな顔でニヒルに笑う。
「あれ以来会ってないし、六年振りか。陸は人相悪くなったよな。髪まで刈り上げてよ」
「ほっとけ」
不良仲間に付き合ったりしてガラが悪くなった自覚があるだけに陸は抗弁できずに顔を逸らした。
「金田一もこんな田舎に来たってことは目的地は白狐村か?」
「そうだよ。陸もだろ」
「ああ」
目的地が同じということでバス乗り場に連れたって歩き出す。
「眼鏡かけてるってことは目、悪くなったのか?」
「いや、これは度が入ってないんだ」
「じゃあ、伊達眼鏡か。しかし、なんでまた」
「カッコつけ」
マジか、と伊達眼鏡をクイクイとしている金田一に中身はあまり変わっていないようで陸も安心した。
「なんだそりゃ」
「これが結構切実でさ。人間、初対面の印象って見た目が大きいだろ。信用されるためにはそれなりじゃないと駄目だって痛感したんだ」
「…………流石、東京。シビアなんだな」
陸が住んでいるところは田舎というわけではないが、流行の発信地でもある東京は考え方からして違うと痛感する。
「東京とは関係ないぞ」
「へ?」
「少し前に探偵事務所を開設したんだ。高校生だってんで舐められるのは仕方ないけど、見た目ぐらいはちゃんとしないとってアドバイスされてさ。どうだ、少しは頭良さそうに見えるか?」
「そこで、ふざけてなければ多少は頭も良く見えたんだけどな」
眼鏡をクイクイとしている姿はそうでもないが、初対面でのイメージでは確かに社会人に見えたことは陸の心の奥底に押し込める。
「でも、探偵になったってのは少し納得したよ。お前、殺虫スプレーで火炎放射器みたいなのを即席で作ったり、ペットボトルで即席の救命胴衣を作ったり、頭の回転早かったもんな」
バス乗り場に到着して、時刻表を見れば白狐村に向かうバスが来るには少し時間がある。
「探偵になったってことは高校辞めたのか?」
「高校通いながらやってる。まあ、探偵って言っても依頼は殆どないけどな!」
ベンチに腰かけて笑う金田一は六年前と少し変わったけど、変わっていないところもあって陸も少し笑う。
「それって高校の制服じゃなくてスーツだろ。白狐村には探偵の仕事で来たのか?」
やがてやってきたバスに乗り込んで、最後尾の席に並んで座りながら気になっていたことを金田一に聞く。
「違う違う。ほら、カブスカウトの奴らに連絡を取りたいんだけど、住所だけで電話番号とかは分からなくてさ。凛のお父さんがキャンプ場に俺達を案内してくれただろ。もしかしたら他の奴らの連絡先を知ってんじゃないかと思って来たわけ」
陸にも連絡取りたかったんだよ、と言う金田一の目的が分からなくて陸は眉を顰めた。
「仕事じゃないんなら美咲とかの女連中に粉かけんのか? 流石は東京人、やることが壮大だねぇ」
「茶化すなよ。違うっての」
こんなことを言うからクセのある性格だなどと噂されてしまうのだが、陸には変えようがない。
「俺が探偵事務所を開設したのは、事件を起こる前に解決するのが目的なんだ」
ガタンと舗装がしっかりとされていないのか、バスが一際大きく跳ねた。
「え、なんだって?」
「だから、事件が起こる前に解決する為に白狐村に来たんだよ」
全く以て意味が分からない。
「普通は分からないよな」
陸の心の声が顔にも分かりやすく出ていたのであろう。似たような反応を今まで何度も見てきたのか金田一は苦笑するだけで流す。
「金田一耕助って知ってるか?」
「あの有名な名探偵だろ。話だけなら耳にしたことが」
そこで陸は言葉を止めて金田一の横顔を見る。
「金田一一と金田一耕助…………もしかして親戚か?」
「俺の爺ちゃん」
この日、何度目かも分からない驚きが陸を襲う。
「……マジ?」
「嘘ついてもしゃあないだろ」
「いや、まあ、そうなんだけどさ」
金田一が嘘を吐く理由も無いので、六年前の頭の回転の速さや妙な知識も金田一耕助の孫と聞いてしまっては寧ろ腑に落ちてしまった。
「ジッチャン譲りなのか、俺も昔から事件に巻き込まれることが多くてさ。事件を解決することも多かったんだ」
そこで一度、間を置いた金田一は淡く微笑んだ。
「で、昔からの知り合いや出会った人の中には、切羽詰って人を殺さないとって追い詰められてた人も少ないながらもいたわけだよ」
重くなった話に不良とつるんでいても一般人に過ぎない陸には何も言えない。
「そういう人達って一人でこれしかないって思い込んで犯行に及んじまうんだ。その前に誰かに相談できていたら別の道を選べたかもしれないってことは何度も思った」
窓の外を生い茂る木の葉が太陽の光を覆い隠し、陸にはその時の金田一がどのような表情を浮かべていたのかは分からなかった。
「ちょっと前に五年前の知り合いに電話したら自殺する間際でさ。その理由は結局、すれ違いや勘違いだったことは分かったんだけど、他にも同じように思いつめている人を助けることは出来ないかと思って探偵事務所を開設したんだ。昔の知り合いに連絡を取ろうとしているのもその一環」
木の葉の群れを通過して太陽の光が金田一の向こう側から照らし出す。
「陸は何か困ったこととかないか? 今なら特別料金で依頼を受け付けるぞ」
幻想と現実を行き来して感覚が麻痺した陸は、まるで何かに導かれるように口を開く。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
月江茉莉香は突如として白狐村を訪れて来た金田一と陸を自宅に招き入れた。
「どうしたのよ、金田一。わざわざ改まってさ」
金田一の変化に驚きつつも、何故か金田一の要請で凛と共に和室で向かい合うこの状況に頭を傾けた。
「陸は?」
「ちょっと席を外してもらってる」
眉毛が細くなっていることや伊達眼鏡をしていること、高校生なのにスーツを着ていること以上に固い表情を浮かべている金田一に眉を顰めた茉莉香は凛と顔を合わせる。
「二人に大事な話があるんだ」
もしかして自分達のどちらかに告白を申し込みに来たか、と凛とアイコンタクトを交わす。
剽軽とまではいかなくても、金田一は真面目というよりは軽い雰囲気だったと記憶していた茉莉香は見た目を整えてスーツまで来て、大事な話があるなどと言われれば年頃の少女としてはそんな勘違いをしてもおかしくはない。
「六年前のこと、覚えてるか?」
「あの遭難事件のこと? 忘れるわけないじゃない」
子供心にも大きな事件だったが、大変だったかもしれないが良い思い出で一杯だったから二人も良く覚えていた。
「その時のことで二人に聞きたいことがあるんだ」
しかし、金田一は二人と違って苦み走った表情を浮かべて、可能な限り感情を抑えているような声で問いかける。
「俺と陸とあかりが川下りした後、二人はキャンプに残ってたよな。その時、誰かスズメバチを捕ってなかったか?」
「もしかして陸がチクったの?」
「いいから答えてくれ」
一緒に来たらしい陸が話したのは間違いないと、ムッと眉を顰めた茉莉香だったが金田一が強い口調で返答を求める姿勢に気圧された。
「…………分かったわよ」
友達に代わりに追及させようとするなど、やはり陸は陰険だと決めつけて口を開く。
「三人がいなくなった後、キャンプの近くに迷い蜂がいて危なかったから光太郎が罠を張って捕まえたのよ。あの時、陸って一人だけ靴紐貸さなかったじゃない。だから、セコイ陸をビビらせる為に私と凛、光太郎で蜂を陸の水筒に入れたわ」
「…………そうか」
「死んだ蜂が水筒に入ってたって陸が金田一に言ったんでしょ。自分が言えないからって金田一に言わせるなんて靴紐の時と何も変わってない。やっぱインケンだわ。どうせ、そっちの部屋とかで聞いてるんじゃないの?」
「茉莉香、ちょっと」
「ん、分かってるわよ、凛。まあ、蜂を入れたことはやりすぎだって思ってたから、ちゃんと陸に謝るわよ」
茉莉香にとっても凛にとっても、そして蜂を捕まえた光太郎の三人は悪意はあれど、陸を明確に傷つけたい、害したいというものではなかった。
精々が
「――――――」
金田一は真実を告げるべきなのかと逡巡した。
陸から聞いたこと、茉莉香から聞いたことを合わせれば全体像が見えて来る。それを分かった上で茉莉香と凛に真実を突きつけるべきかと金田一は迷った。
「どうしたのよ、金田一?」
言うべきなのかと迷う金田一に茉莉香が聞く。
言えるのか、
茉莉香と凛の人生に暗い影を落としかねない行動に出られない金田一が迷っている間に、和室の襖が勢いよく開かれた。
「――――謝って済む問題かよ!」
陸が襖をパンと力任せに開き、和室に一歩入って叫んだ。
「な、なによ大声なんてだしちゃって」
「蜂は死んでなんかいなかった!」
それを聞いた茉莉香と凛は目を見開く。
「お前らの所為で母さんは……!」
「陸君……」
怒りそのままの眼光で畳に座る茉莉香と凛を睨み付ける陸はそれ以上の言葉を続けることが出来なくて、金田一に頼まれて陸を見張っていた茉莉香と凛の父が和室から離れるように促す。
去って行く二人の背中を彫像のように固まって見送ることしか出来なかった茉莉香は、全てを知っているであろう金田一を見る。
「金田一、陸のお母さんに何があったの?」
聞きたいけれど、あの陸の様子からして聞きたくないという気持ちはあったけれど、あの悪戯を主導した者として茉莉香には聞く責任があった。
「陸のお母さんは水筒に入っていた蜂に刺されたらしい」
もう隠すことに意味はないかもしれないけれど、叶うならば金田一は話したくはなかった。
真実は高校生が背負うにはあまりにも重すぎるから、それ以上、金田一は何を聞かれても言えなくて口を閉じ続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ごめん、陸。あの二人にはあれ以上、言えなかった」
あの後直ぐ居た堪れなくなって茉莉香達の家を出た金田一は、白狐村を出ようとバスに乗り込んでいた陸に追いつき、駅のホームで謝った。
「…………いいさ。俺が知りたかったのは真実だから」
金田一と顔を合わさないように遠くを見つめている陸は空っぽの声で言った。
「ごめん」
「だから、お前が謝る必要はねえって」
それでも金田一は謝らずにはいられない。
「あの時、俺がペットボトルと靴紐を使って救命胴衣を作ろうなんて言わなけりゃ」
「金田一が悪い事したわけじゃねぇだろ」
と言いつつ、新幹線がホームを過ぎ去っていく風に髪を揺らす陸は目を細める。
「俺だって幾ら母さんが無理して買ってくれた靴だからって拘らずに靴紐を貸せば良かったんだ。貸せないにしても意地を張らずに理由を話すなりすれば」
彼らは子供だった。未熟で短慮で思慮が足らない子供だったのだ。
今ならば別の方法を容易く思いつくほど、あの頃の自分達はどうしようもないほどに子供だった。
「母さんが死んで、父さんも俺が蜂を入れたんだと誤解したまま死んだ。アイツらの所為で俺の人生は滅茶苦茶だ」
両親が残してくれた生命保険とマンションのお蔭で高校に通って普通に生活できているが、家に帰ってもお帰りと迎え入れてくれる陸の家族は誰もいない。
「でもさ、それでもカブスカウトに参加したことを間違いだったとは思えないんだ」
「え?」
あのカブスカウトが原因で陸の人生は滅茶苦茶に捻じ曲がったはずなのに、それでも陸は晴れやかに笑った。
「金田一がいてくれて良かったよ」
その笑顔を金田一の方が直視できなくて顔を逸らす。
「もし、茉莉香と二人で会っていたら、あの調子だと俺は何をやっていたか分からない」
「陸……」
「だからさ、金田一が間に入ってくれたお蔭で少しは冷静でいられた。結局、飛び出しちまったけど、ありがとな」
感謝されるようなことではない。陸に起こった悲劇は金田一がいなければ、靴紐を求めなければ茉莉香に因縁を付けられることもなく起こらなかったのだから。
「ごめん」
「泣くなよ、金田一。俺も泣きたくなるだろが」
金田一には謝ることしか出来なかった。
「お前の活動、俺にも手伝わせてくれよ。大したことは出来ないかもしれないけどさ」
陸の優しさが胸に痛かった。
後悔は消えず、憎しみは胸の内にある。それでも一つの区切りはついた。
陸の心境はこんな感じでしょう。
何年かの後に彼らに和解の日が来ることを願って、本作はここで完全に終了です。
皆様、ご愛顧ありがとうございました。