奇想天外奇々怪々なんてものは世の中割と良くあることだと、僕は目の前の光景を他人事のように眺めながら、お馬鹿の代名詞中二へと上がったばかりのとある事件を唐突に思い出していた。
当時運動神経だけがアイデンティティと校内どころか、他校にまでその名を轟かす残念ながら僕の自慢の幼馴染である石岡君。僕が広部さんと一向に仲が進展しなかったのは、二割が著我が四六時中僕にくっついたりしていた所為だ。あれ?著我と一緒にお風呂に入ってたのっていつまでだったかな?まあ、どうでも良い情報だからいっか。それよりも、二割が著我なのだけれど肝心なのは残り八割を一人が独占してしまっている。僕等、馬鹿な男子の勇者と名高い石岡君。彼と幼馴染だというだけで、彼の負のオーラに若干どころじゃないレベルで感染する。実際石岡君を交えて数人で話していると、急に石岡君が舌を出し入れし始め、どう?どう?等とやたら必死に聞いてきたのだ。あまりの必死さに僕等はウィルスに感染しないように、石岡君から顔を背けて広部さんの髪型で一番美しいのは?談義を敢行するも、空気を読むというスキル皆無な彼は僕等を逃がしてくれなかった。回りこんで、これでいいか?こうだよな?と眩暈を起こすディープテクを見せ付けてくる。どこの汚いドーベルマンだよ。これが女子ならCIAに連絡していたことだろう。そんな彼を広部さんが踏まれたゴキブリを見る目で「誰かスプレーとライター持ってない?あそこ虫けら数人燃やしたいんだけど」と本気の言葉を口にした。これこそ石岡ウィルスの恐ろしさだ。無関係を装おうとも、インフルエンザよりも強力な感染力で僕達を殺しに来る。普通にしていれば、モテないけれど気の良い変態なのになぁ。
とまあ、そんな彼が一時期中指を骨折した事がある。本題はこっち。今までのは彼がどれほど有能な変態かを紹介しただけなのだけれど、ここからは更に深度が増していく。人はこんなにも深淵へとゆけるのだと、僕は感動さえしたものだ。そもそも彼が骨折した状況がおかしい。なぜなら彼は、トイレ掃除をしていて中指を骨折したのだから。どうしたら、トイレ掃除をしていて中指を骨折する事態に至ったのかだが、多少なりとも僕に責任があることは否めない。
中二は性への好奇心に目覚め、鉛筆が転がるだけで起立してしまうお年頃。そんな僕等は女体の神秘を、真理を求める探求者だった。その気持ちに一切の下心等なく、夢見る子供のような……はい、嘘つきました。下心っていうか下(しも)心で一杯でした。
数人で講堂のトイレ掃除をしていたのだが、隣の女子トイレは馬鹿な男子とは違ってすぐに掃除は終えられていたらしく、女子トイレは無人だった。部活もまだ始まってなくて、人の気配が僕等以外に感じられない。そんな中、石岡君は仙人のような達観した目で「さあ、行こうか」とやたら格好良く決めて、女子トイレに向かった。この時の僕は彼が気が狂ったのではと思ったものだが、今考えればあの年頃の男子にとって女子トイレとは、憧れのラブホテルに近いものがあった。体育倉庫、更衣室、女子トイレは三種の神器。彼はそれを手に入れに行ったのだ。まあ、女子トイレの個室に何をしに行ったのか、皆目見当もつかなかったけど。石岡君を神風特攻隊のように見送り、僕等はいち早く逃げ出すために掃除を黙々と終わらせようとしていると、一緒に帰ろうぜと著我が僕を迎えに来た……これが悲劇の始まりだった。まだ掃除が終わっていない僕を待っていた著我が、石岡君の存在に気付かずに用を足しに行ってしまった。数分後、著我が戻ってきた時、僕は石岡君の存在が露見したのではないかと、内心冷や汗を掻いていたのだが、幸いにも著我は石岡君に気付かなかったらしい。ただ「なんか、隣のやつめっちゃ鼻息荒かったんだけど、救急車呼んだほう良くない?」と心配する言葉。救急車よりも国家権力を呼ぶべきだろう。嫌な予感がした僕は著我を昇降口へと向かわせ、隣の女子トイレへと向かった。すると、やたら変態ブレスをしている個室があり、僕はそこに無表情で近づく……と、便器の前に正座して中を猛禽類のような眼で覗き込む石岡君がいた。全然僕に気付く事もない彼は、なぜか便器の中に指を突っ込もうとしている。まるで一万円札を自販機の下に見つけた浮浪者のように必死の形相で。「はぁ、はぁ……こ、ここでしゃ、しゃ、しゃ……せ、聖水……」等と言語すら崩壊している有様だった。さすが石岡君。落ちた著我の髪の毛を集めていた変態だ。もちろん、その髪の毛は焼却処分した。とまあ、そんな変態の石岡君の事後処理は幼馴染の僕の務めだ。そういう義務感から、情け無用で無言で彼の心のように穢れた尻を思い切り蹴飛ばし、その勢いで便器に指を思い切り打ち付けて彼は悶絶。これが広部さんの……だったなら、一生男として生きられなくしていたところだ。
と、これが石岡君が指を骨折した真実なのだが、この事実は僕と彼だけが知っていて、周囲にはバスケの最中にいつの間にか折っていたと彼は吹聴していた。まあ、誰も想像が出来ないしね。変態の果てに行き着いた骨折だなんて。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。
つまり何が言いたいのかと言うと……
「ねえ著我?いつの間にVRなんて買ったの?」
「え、佐藤が買ったんじゃないの?あたしへの誕生日プレゼントにさ」
「この前買わされたペアリングはなんだったんだよ」
土曜の夜、大学に進学した僕達はリタ(著我ママ)の勧めでルームシェアをしていて、寝落ちするまでメガドライブ版『雷電伝説』をプレイしていた。
縦スクロールシューティングで、元はアーケード作品。セガ信者でこの作品を未プレイな者はいないはず。この『雷電伝説』はセイブ開発が担当し、当時アーケードシューティングで有名な東亜プランを抑えて、一番人気があったシューティングでもある。そんなゲームを逸早く家庭用ゲーム機で発売したのがセガだ。さすが僕等のセ~ガ~だ。しかも、このメガドライブ版にはスペシャルステージが追加されているという豪華使用!ザクとは違うのだよ、と言いたげなスタッフの方達に涙を流して拍手を捧げたい。しかし、このスペシャルステージをクリア出来る猛者は数えるほどだ。このステージだけコンテニュー不可で、難易度が飛び抜けて高い。なぜスペシャルステージをここまで鬼畜ステージにしたのか、それには理由がある。スペシャルステージをクリアすると出てくるメッセージを、アンケート用紙に書いて送ると、10名にテラドライブのモニターになれる権利が与えられたからだ。ただ、テラドライブをやりたいが為、僕の親父は有給を使って一週間自室から姿を見せなかった。
雷電伝説……まさに、伝説の名に恥じぬゲームなんだけど……おかしいな。疲れてるのかな?数百メートル先に、黒い鎧を着た軍勢が見えるんだけど。黒い鬼の面を全員が着けていて、大筒隊やら弓矢隊が前方に出ている。あっれ、雷電伝説の隠しステージか何かかな?周りの風景も宇宙じゃなくて、広大な野原だし。
「ていうか佐藤、あたし等メガドライブしてんだからVRがあるわけないじゃん」
「いや、僕の願望ではあっても良いと思うけど。むしろ開発して欲しい」
「ああ、セガ信者の夢だよね~……てかさ、後ろにもなんか面はつけてないけど、鎧着た軍勢がいるんだけど」
ふむ、つまり僕達は睨みあう軍勢の中心でセガ愛を叫んでいるらしい。そういえばなんでコントローラーと本体はあるのに、テレビがないんだろう。
「佐藤さ、現実逃避で中学の時のこと考えてたろ?」
「これが現実とか無茶だよな?妄想逃避が正解」
なんて言って二人であははと笑うと、両陣営から二次元でしか聞いた事のない『てぇーーーーーッ!!』の合図。途端、砲弾と弓矢が宙に舞った。
「著我!コントローラー死守!僕は本体を命を懸けて守るから!」
「当然!佐藤の犠牲は無駄にしないからさ!セガの礎になりな!」
「おまッ!僕を盾にするなって!」
間に合わないかもしれないけれど、横に全力疾走。戦線離脱しなければ!間違ってメガドライブに矢が当たったりしたならば、僕は犯人を殺しかねない。しかも、さり気なく著我は僕を盾にするの止めて欲しい。
いくら僕でも限界があり、夥しい数の弓矢が頭上に降り注ごうとした時、僕の脳裏に、親父がカラオケで必ず歌うセガの名曲達が流れた。クソッ、なんでよりによって親父ヴォーカルなんだよッ!
いくつかは避けられるけど全部は無理だ。メガドライブを盾にすればいいじゃないかだって?HAHAHA!そんな選択肢は僕にはない!
あれだよね?どうせ死んだら夢でしたオチでしょ?そうだよ、こんなの現実なわけないじゃん。なら、いっそのこと……そう、だな。
「著莪」
「はっ、え?ちょっ、佐藤何やってんの!?」
著莪を抱き寄せて、僕の全身で覆い隠す。夢ならせめて僕の半身だけは守らなければならない。
「……ああ、映画のクライマックスごっこね」
「あ、バレた?どうせ夢なんだから、一回くらいやってみたいじゃんか」
「あたしよりもメガドライブは……ああ」
「ちゃんと守ってるから平気」
僕と著莪の間に二人の子供のように入り込んでいる。これで備えは万全。弓が僕を夢から覚ますまであと……
「ちょっと、こんなところで何やってんのよあんた達!?」
颯爽と現れた白いマント。そのマントで弓矢を払い落としながら、彼女は僕達へと問い掛けてくる。
「やばいね佐藤。この夢にはコスプレ少女が出てくるあたり、絶対佐藤の趣味だよね」
「ばっか!僕がこんな露出が少ない年下の女の子を出すわけないだろ!出すんだったら茉莉花をケモっ娘にして出すよ!」
「どうでもいいんだけどさ、あんた等早くどっか行ってよ。今あんた等を守ってる余裕なんてないんだけど……杏子!」
「オーケーッ!マミ、さぼってんじゃねぇぞッ!」
「はいはい、美樹さんはそのお二人を保護してね」
「はい、任せてください!」
お、おお……なんていう事だ。茉莉花と並んでも遜色ない少女達が、淫靡ではないが、そこはかとなく男子を誘惑するようなコスプレをして戦っている。特に金髪のおっとりとした少女が素晴らしい。どこが素晴らしいかは誇らしげに口に出来ないけどさ!だってどう見ても未成年だもん!一部分は未成年には見えないけども!
「佐倉さん、一気にやるわよッ!」
「あいよッ!」
鬼面の軍勢に向かい赤髪の少女は疾走。降り注ぐ弓矢を槍と三節昆が合わさった武器で次々と落としていき、そしてマミと呼ばれる少女は何もない空間からマスケット銃を何丁も生み出していき、目にも留まらぬ速さで次々と打ち出す。早撃ちに眼を引かれながら、僕はその精度に驚愕する。
あんなに速く撃っているのに、全てが必中。狙いなんてつけて撃っているようには到底見えないのに……
「さっすがマミさん!」
「へぇ~、佐藤よりも上手いんじゃね?」
「ふざけるな!僕のが勝負したらスコアは上だよ!ていうか夢じゃないっぽいんだけど」
「あのさ、スコアってゲーセンの話?」
それにしても、あの子達凄いな。マミって子が弓矢隊、大筒隊の足並みを乱して突破口を作り、杏子って子を筆頭に次々と相手を屠っていく。光陰矢の如しとはまさにこの事。そして何より凄いのは……
「全然パンチラしないじゃん!」
「それ僕の台詞!」
あれだけ派手に動いているのに!未成年に厳し過ぎだろ!茉莉花ならその奥まで見せてくれるのに、クソッ!
「ねえ、佐藤?」
「ん、わかってるよ著莪」
僕達を守ってくれている少女の横を抜けて歩き出す。
弓矢隊と大筒隊は機能していないし、これならなんとかなるだろう。
「ちょっと、あんた達何やってんの!」
僕達が気が狂ったとでも思っているのか、叱責するような声。
まったく、情けないったらない。僕達が今のこの状況で取るべき行動は一つだけ。腹の虫の加護は……十分だ。なにせ、僕達はスーパーに行こうかと話している時にここに来たのだから。
「ねえ、一つ聞きたいんだけど、ここで活躍したら僕達に褒美とかないかな?」
「は?」
「例えば、美味しいお弁当……とか」
僕の問いに、少女は首を傾げながらも答えてくれた。
「それなら多分、後ろのあたし等の大将が作ってくれると思うけど……料理が好きだって言ってたし」
それは兆畳。その答えが聞けたなら迷いは何もない。僕達の邪魔をする目の前の軍勢は野に放たれただけの獣だ。
「それがなんだって言うのよ?」
「いや、それさえ聞ければ十分。正直、年下の女の子に守られるだけなのは格好悪いし」
「もっと近くでならパンチラも見れるし」
狼の咆哮が二つ。僕と著莪の目の前には、褒美を邪魔する犬達。牙を剥き出して僕達は笑った。
『僕(あたし)達狼は食い散らかすだけさ』
城下町から大分離れているという空き家へと、安兵衛さんに案内された。季節は春なのだろう。空き家近くの桜が満開を迎えていて、少しの時間安兵衛さんと二人で桜を眺めていた。俺と安兵衛さんは、こうして離れぬように手を繋いで桜を見ることは今までなかったから、感慨深いものがあった。
空き家の戸の前に立つと、不思議な緊張感があった。この戸を開けることが怖いような、嬉しいような……
ご城代との別れが瞼の裏に映し出され、知らず手が震える。俺は、強くなれたのだろうか?ご城代が祈ってくれた俺でいられているのだろうか?ご城代の涙を拭った強さを今も俺は……
「直刃……なのじゃな?」
俺が二の足を踏んでいると、中から思い出の中のご城代の声と寸分違わぬ声が俺の名を呼ぶ。
「はい、ご城代」
ご城代の声に応え、ご城代を不安にさせないようにと、気丈な顔を張り付けて戸を開ける。
がらんとした部屋の中、ご城代が綺麗な姿勢のまま、俺をその聡明な瞳で見つめる。少し、潤んだ綺麗な瞳はあの日のままで……
「ご、城代……」
その姿を眼にしただけで、俺の強がりは打ち壊された。
声は震え、早くその愛おしい身体を名を呼びながら抱き締めたいのに、身体が思うように動いてくれない。
何度も、何度も何度もご城代を呼んだ。心の中でずっと呼び続けた。あの島で、みんなと穏やかに過ごしてますか?俺がいなくて寂しくありませんか?幸せでいてくれていますか?そう……数えるのも馬鹿らしくなるほどに、ずっと想っていて……
涙で情けなく折れそうになる自分を叱咤し、足を進め……すす……まない?
横を見ると、ぎゅっと俺の腕に組み付く安兵衛さん。
「あの~、安兵衛さん?」
「ん?どうかしたか直刃?」
「どうかしたかじゃなくて、その……ちょっと放して欲しいんですが……」
「なぜだ?せっかくもう一度会えたのだ、もう少し直刃と共にいたい。それをお前は放せと……」
「いや、そうじゃなくて……」
そ~っとご城代に目をやると、ああやっぱりと俺は額に手をやって溜息。
「これ安兵衛!直刃を独り占めにするとは何事じゃ!」
「何を申しますご城代。俺は独り占めになどしていません。左腕が空いているではないですか」
「そういう問題ではないわ!直刃!」
「はい!」
「直刃は私と抱き合いとおないのか!?」
めっちゃ抱き締めたいです!というか普通は感動の再会になるシーンですから!ぶっちゃけ昨夜から悶々と皆を想って……をしてたんだ!
「直刃が困っておるじゃろ!はよ離れぬかぁ!」
「いくらご城代の命でもそれは聞けません」
「むきーーーー!そこに直れ安兵衛!」
ああ、いつもの光景に別な意味で涙が出そうだ。幕末でも三人が俺との記憶を取り戻してから、いつも俺を取り合って喧嘩をしていたっけ。
幕末を懐かしんでいて、ふと気になった事があった。
「そういえば、ご城代?皆はどこに……」
「残念ながら、俺様で全員だ」
ご城代への問いかけに答えたのは、いつの間にか戸を開けて立つ数右衛門(かずえもん)さんだった。
相変わらず着物を着崩し、自由奔放を絵に描いたような人だ。
「え、全員って……どういう事ですかご城代!?」
ここにくれば、また皆と会えると……今度はどんな冒険譚が待っているのかと期待をしていたのに……主税(ちから)、右衛門七(えもしち)ともう一度会えるって、そう……
「すまぬな、直刃。皆はここに……いや、この世界には連れてくるわけにはいかんかったのじゃ」
別にご城代を責めたかったわけじゃない。だが、俺の勝手な期待を裏切ってしまった事に、ご城代は心を痛めたかのようだった。
「あ、すみません。ご城代が悪いわけじゃないのに」
「いや、直刃の申す事は間違っておらぬ。私の責任でもあるのでな、謝らんでも良い」
ご城代の責任?という事は、ここに皆がいないのも、安兵衛さん、数右衛門さん、ご城代、俺の四人だけしかいないのもご城代が関係しているってことか?
「あれ?ちょっと待って下さい」
ちょっと前のご城代の言葉が引っ掛かり、なんとご城代が言ったかを思い出す。
「あ、この世界?ご城代、この世界って一体?」
「うむ、まずは直刃には謝らねばならないのじゃが、その前に少し聞いて貰わねばいかん話がある」
まずは座ると良いと勧められ、ご城代の対面に俺、左右に二人が座る。
「まずはどこから話したものか……そうじゃのぉ、私の前に現れた黒衣の男の話をせねばならんの」
そうしてご城代が語ったのは、幕末へのタイムスリップなんて吹き飛んでしまうような信じ難く、予想だにしない疫災へと繋がる話だった。
「で、なんでこうなるかなぁ」
「何か不服か?ソロークとやら」
「いいえ、貴方のような美しいご婦人にお誘い頂けて、喜びに胸が打ち震えてしまうのですが……」
客室なのだろうか?彼女の使用人らしき女性がお茶を運んできて、僕は畳?という床の上に敷かれた座布団なるものの上に座らされ、なぜか将棋板が目の前に鎮座している。
「なに、ワシの暇潰しに付き合うだけじゃ。良かろう?」
う~ん、軽い自己紹介で指揮官やら軍師やらと語ったのがいけなかったらしい。どうにも将棋で僕の腕を確かめようとしているようだ。どうしたものか……
「その前に、主は将棋については知っておるか?」
「そうですね、僕の暮らしていた国でも将棋はありましたけど、ルールが同じかどうかは……」
「ルール?ルールとはなんじゃ?」
しまった。言語体系の違いもあるのか。会話が普通に成立しているものだから、僕等と寸分の違いもないと思い込んでいた。いけないな、未知の場所にいての先入観ほど視野を狭めるものはない。
「ルールとは決まりごと、規定の事です」
そう前置きして、僕の知る将棋のルールを語ると、彼女はふむふむと頷きながら、犬歯を見せて豪快に笑った。
「ほお、それは面白い!取った駒を自分の駒として扱えるとはのぉ!確かに、戦場で敵兵を陣営に招き入れる事も戦術のうちじゃ。そのルールとやらで打ちとうなったわ!」
なっ!?何一つ迷うことなく不慣れなルールで打つだって?明らかに不利なのに、それを嫌がるどころか豪快に楽しむなんて……プライドという概念を持たない?いや、天下人となると語った人間だ。プライドがないわけがない。
接戦にして少しの差で勝って、三局ほどで負けるのが上策かな。
「先番はぬしからで良いぞ。じゃが……」
一つ呼吸を置いたかと思うと、鬼の瞳で僕を捉える。その眼の異様な圧力に、金縛りになったかのように動けず、息苦しさを覚えた。
「頭(こうべ)が蹴鞠になりたくなくば、手を抜く事は許さん。良いな?」
僕はどうやら思い違いをしていた。正確に相手を見抜くなんておこがましい行為だった。目の前の鬼はプライドなんて持ち合わせていない。持ち合わせているのは、殺すか、殺されるか。その絶対の価値観だけだ。それ故に、僕に殺気がない事を悟ったのだろう。僕の本気を見せろ、見せなければ喰う。彼女はその真実を突きつけてきた。
参った。こんな燃える様な生き様をする人間を、僕は一人しか知らない。まったく、炎髪だけじゃなくて、そんなところまで似ているなんてね。それなら、遠慮は失礼だというものだ。
「……では、素敵で苛烈なお言葉に甘えましょう」
「存分に振るうが良い」
そうして始まった将棋だが、中々どうして面白い手を打ってくる。定石なんて一手も打たず、型破りな手ばかり。並みの打ち手なら形になるはずもない手なのに、先を読むとこれが綺麗に嵌まる。しかも、取るであろう駒を使っての手までも読んで。このルールが初めてのはずなのに、並外れた才覚……いや、先見の鬼だ。まるで白髪イケメンを相手にしているかのような、気の抜けない戦略の応酬だ。あいつを認めるようで癪だけどさ。
「ふむ、少しワシが不利のようじゃな」
「……本当に恐ろしい人みたいだ。僕と同じ先まで読んでいるなんて」
そう、何十手も先を見て僕は最初から打っていたけれど、このままいけば僕が王手を掛けるまでの絵は出来ている。出来ているけれど……なんだ、この不可解な不安は。僕は何を見落としている?そう思えてならない。
「かっかっかっ、なぁに、下手の横好きなだけよ。どうしたものか、このままでは負けてしまう。じゃが、負けるのは好かんでな。そこでソロークよ、ワシはどうすべきじゃろうな?」
間違いない、この鬼は僕を試して遊んでいる。最近思うのだけど、僕の周りの女性はなんで皆宝石のように美しくて、獅子のように逞しく獰猛なんだろうか。ハロもシャミーユも……ヤトリもさ。
せっかく傾城のような美鬼に試されているんだ、その期待に見事応えて見せようじゃないか。
不敵に笑い、僕はおもむろに……
「簡単な事です。僕なら、こうする!」
将棋板の駒を勢い良く手で薙ぎ払った。
板状はまっさらな状態で、勝ちも負けもなし。負けを打ち消す方法をいくらでも試せば良い。戦場で大切なのは、勝つ事よりも負けない事だ。不利な戦況でも生き残る。僕は仲間を死なせない。それが僕の最低限のルールだ。
「で、あるか……なるほどのぉ、まこと面白い。面白いのぉ、ソロークとやら」
どうやら僕は鬼の目に適ったらしい。下手な手を打ったらきっと、僕の頭は畳から鬼を見上げていたに違いない。
ふぅ、とりあえず窮地を脱したと内心安堵していたのだけど、それは一時のものだった。
「まったく、ワシはよくよく天運に恵まれているらしいのぉ。こんなにも面白い輩がワシの元に集うとは思わなんだ」
機嫌良く笑い、煙管を指で遊ばせながら立ち上がって、マントを翻しながら鬼が僕に穏やかな視線を向けて言い放った。
「気に入った。ソローク、ワシはおんしが気に入ったぞ!今からおんしは我が軍の軍師じゃ!その智謀、存分に振るうが良い!」
ご城代の話を聞き終え、場が静まり返る。数右衛門さんでさえ一言も喋ろうとしない。
「これが、この世界の存在理由じゃ」
理解が追いつかない。いや、理解は出来るが、あまりにも夢物語過ぎて……けれど、一つだけ信じられる物がある。ご城代は決してこんな嘘をつかない。それだけは信じられる。
「そんな、じゃあもしかして俺達のようにこの世界に別な時代、別な世界の人達がいるかもしれないって事ですか?」
「黒衣の男の言う事が真ならば。じゃが、あの男は狂言は言うが嘘は言うておらぬようじゃった」
なんだよ、それ?なんでご城代や俺がそんな……
「すまぬな、直刃。私の所為で」
「違うじゃないですか!ご城代の所為なんかじゃない!」
「しかしの、私があの男に恩があるのも事実。それを返さねばなるまいて」
「そんな……安兵衛さん!安兵衛さんは良いんですか!?」
諦めたように笑うご城代の代わりに、俺は安兵衛さんに助けを求める。安兵衛さんならご城代を止めてくれると、江戸からご城代に抗議をしにきた時のようにと。でも、俺の縋るような希望を安兵衛さんは振り払った。
「すまない、俺もご城代と同じでな。あの男に恩があるのだ」
「安兵衛さんまで……」
二人が感じている恩が何かは俺には知る由もない。話している最中に尋ねてみたけれど、頑なに答えようとしてくれなかったから。だから、俺には話せない事なのだろう。それに、ご城代がやろうとしている事は悪い事ではない。だけど、ご城代を……俺達赤穂浪士を体の良い道具にしようとしているのが気に食わない。
「安心せい直刃、何もただで利用されようとは思っておらぬ」
歯噛みする俺に、ご城代が意地の悪い無邪気な笑みを浮かべる。それは、ご城代がただで起き上がらない時の顔そのものだった。
「ご城代、じゃあ!」
「あったりめぇだろ直刃。目の前にいるお方を誰と心得てんだよ。俺達の道標、大石内蔵助、だぜ?」
「まったくだ。幕末で俺達が踊らされただけだったとでも思っているのか?」
そうだ、ご城代は一魅の策謀を逆手にとって、俺達を勝利に導いた凄い人なんだ。俺が信じないでどうすんだ。
「じゃあ、これからどうするんですか?」
「そうさのぉ~、まずは今川ヨシモト様の軍勢に参列させて頂こうかの」
「え、武田シンゲンか徳川イエヤスではなくですか?」
ご城代ならこの二人の武将のどちらかにつくと思っていた。なぜなら、ご城代は山鹿流兵法を学んでいる。山鹿流兵法は孫子の兵法や、信長、信玄の戦い方を組み込んだ兵法。だからこそ、ご城代は徳川への忠義か、武田シンゲンの弟子としてどちらかの下に向かうと思ったのに。
「直刃、様をつけるんだ。俺達にとって、かの武将は雲の上のお人なのだ」
安兵衛さんに注意されても、実際俺は現代人なわけで、そういう感覚は正直湧かないんだけどなぁ。
「直刃の申す事は最もじゃが、ちと理由があっての。それについては後々教えるでな。それよりも……」
さっきまでのシリアスな雰囲気から一転、ご城代は小さくなって俺に向かって飛びついてきた。
「す~ぐは~!」
解説しよう!ご城代は大人形態と子供形態の二つに変身する事が可能なのだ!ロリとアダルト二度美味しい!
「うわっ、ご城代!」
俺の胸に飛び込んできて、顔を埋めてしきりにこすり付けてくる。
「ご城代!抜け駆けはせぬようにと申していたではないですか!」
「な~にが抜け駆けはせぬように、じゃ!最初に抜け駆けして腕を組んでおったのは安兵衛ではないか!」
「そ、それはつい気持ちが……」
「直刃~、す~ぐは~」
「あは、あはは……さっきまでの陰鬱な雰囲気仕事しろよ」
兎にも角にも、俺達は今川ヨシモトの居城『駿府の館』へと向かう事となった。多分。
「おう、直刃!酒飲めるようになってんだろ?俺様に付き合えや」
「ほう、そうなのか直刃?なら私と夫婦らしく酌を交わそうではないか!」
「酌なら俺がします!夫の酌をするのは妻の役目ですから!」
「酒も呑めぬくせに酌など百年早いわ!」
「呑めぬからこそ夫に寄り添えるのです!」
「ぬぬぬ、ならば今宵は私と床に入るのじゃ直刃!」
「それなら俺は風呂を共に!直刃!」
数年振りの再会なのに、全然そんな気がしない。だからこそ俺は確信する。この先何があろうと、俺達は大丈夫なのだと。ご城代が道を示し、俺が踏み外さなければきっと……
「じゃあ私は今直刃を貰うわ!」
「いくらご城代でもそれは許せません!」
「すみません、綺麗に締めさせて下さい」
「なん、だと……こんな……」
「魔王様!」
ユニシロで全身をコーディネートした平凡を絵に掻いたような男、真奥貞夫と、顔面蒼白で地に膝を着ける彼を支えるように寄り添う長身の痩せ型の男、芦屋四郎。その二人の実態は魔界を支配する魔王とその側近で、地球では善良なフリーターと有能な主夫だ。そんな二人はかつてない事態に血反吐を吐いていた。
「魔王様、気を確かに!」
上田領内、人通りの少ない田んぼに囲まれた道に彼等はいた。
「芦屋、俺は……どうやらここまでのようだ……」
「なにを仰るのですか!この芦屋がいる限り、魔王様を決して一人になどしません!果てるのなら私も共に果てます!」
かつてない窮地に彼等は絶望を感じ取っていた。目の前にあるのは行けども行けども暗闇のみ。羽ばたく翼は折れ、道を切り開く牙は抜け落ちていた。なんて無残な有様。かつての栄光は廃れてしまっている。
魔王には果たすべき野望があり、芦屋はその野望を共に歩む事が至上の喜びとし、これまで幾度の困難を乗り越え生きてきた。それがどんなに強大な壁でも打ち壊してきたのだ。しかし、今目の前に聳え立つ壁はあまりに大きく、硬く、何者も寄せ付けない。その強大な壁を前に、ついに魔王は膝を屈したのだ。
「芦屋、あとはたの……む……」
「魔王様?まお、う……魔王様ああああぁぁぁッ!!」
力なく倒れ伏す魔王の身体を抱きとめ、芦屋は天に吼える。このような悲劇が許されてなるものかと、神を断罪する叫びそのものだった。
「……いい加減諦めなさいよ。ちーちゃんがいるんだし、シフトは回せるわよ」
そんな二人の本音の茶番に冷めた目と声で割り込む声。魔王を仇敵としてこの間まで憎んでいた遊佐恵美。父親の敵である魔王を追い、地球までやってきた勇者で、地球ではドコデモのコールセンターで働いていた。だが、父親が生きていて、自分を理解してくれる魔王に最近は心を開き始め、とある事件でコールセンターをクビになった後、マグドナルド幡ヶ谷駅前店にて真奥の同僚として働いている。
「おまっ、なんでそんな冷静なんだよ!」
「冷静も何も、貴方達の取り乱しっぷりを見たら誰でもこうなるわよ」
「ふっ、さすが血も涙もない勇者だな遊佐。いいか?魔王様は正社員登用試験で落ちた傷も癒えておらんのだぞ?そんな時に、何者かの手によって見知らぬ異世界へと召喚されたのだ。魔王様の悲しみがいかほどの物か貴様にはわかるまい!」
「わかりたくないわよそんな小さい傷なんて」
「小さくなんかねぇ!おま、すぐに帰れるなら良いが、帰れなかったらどうすんだ!俺は明日、朝一からのシフトなんだぞ!」
「あ~、何を取り乱しているかと思えばそんな事ね」
「そんな事って、恵美お前な!お前だって無断欠勤が続いたらどうなるかその身を持って知ってんだろうが!」
きっと、真奥にはクビ宣告は神々の戦争であるラグナロクに匹敵するのだろう。社会人ならほぼ全員が真奥と同じ気持ちを共有するはずだ。
「そうだぞ遊佐!それに我が家の冷蔵庫にはタイムセールで買った卵があるのだ!腐らせるなど、私のプライドが許さん!」
「悪魔大元帥のプライドの安さに涙が出そうだわ。こんな奴を必死に殺そうとしてた自分が情けなくて仕方ないわ」
「ふん!放っとけ芦屋!生活に苦しんだ俺達の気持ちなんて恵美にはわかんねぇんだからよ」
「そうですね。遊佐、貴様はいずれ一円に泣くことになると断言してやる」
「現代社会でそんなこと早々ないわよ」
一円を笑う者は一円に泣くとよく言うが、確かに恵美の言う通り、現代社会で一円に泣く者はほぼ皆無である。
取り乱す二人とは逆に、あまりに冷静な恵美に真奥は疑問を抱いた。無断欠勤という大罪を前に、自分とは違い一切取り乱さない。一度それが理由でクビになった恵美がその心配をしないのはおかしいと。
その疑問を問い掛けるよりも早く、深い、深い溜息を吐いて恵美は黙って持っていたスマホを取り出して、画面を真奥の目の前に突き出した。
「お前、これ……」
「気付いた?」
「アラスラムスの寝顔じゃねぇか!この壁紙俺にも送ってくれ!今すぐに!」
アラスラムス、イエソドの樹の宝珠であり、真奥と恵美の娘としてすくすく育っている。恵美の聖剣ベター・ハーフと同化し、恵美の体内と同化している状態で、恵美と一定の距離を離れると元に戻ってしまう。普段は表に子供として具現化することはないが、許可が下りたときだけ外に出て、パパとママと遊ぶ。
そんなアラスラムスは今は恵美の中でお昼寝中。
「嫌よ、これは私だけの壁紙なんだから!じゃなくて、良く見なさいよ。もっと他に気付く事があるでしょ?」
「あん?他に気付く事なんて……」
アラスラムスの可愛い寝顔以外どうでも良いと親馬鹿発言をしようとしたが、その言葉を途中で引っ込めて、スマホをじっと見つめる。
「魔王様?」
「芦屋、恵美が冷静なのも頷けるぜ。というか俺達にとっちゃ朗報だ」
「それは?」
「どういうカラクリかはわからんが、見ろ。時計が動いていない、一秒もな」
燦々と輝く太陽は徐々に位置を変えているし、電子時計を見なければ気付かなかったかもしれない。なるほど、恵美が冷静なわけだと得心する。
「この世界……おそらくだが時間が止まってるみたいだぜ?」