F&R   作:夜泣マクーラ

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戦国乙女に関してですが、原作のキャラクターで書いておりますのでご容赦下さい。


それぞれの主

 明智ミツヒデ……一般には本能寺の変の首謀者で知られる偉人だけれど、僕個人が調べた彼は、織田信長を敬い、その理想と生き様に忠誠を誓う清廉な人という印象が強い。なぜ彼が謀反を起こしたのか、未だに不明な部分があまりに多い。信長が彼の意見に対し辛辣な仕打ちをしていた等の説があるが、信長は光秀を心から家臣として信頼していた。そんな光秀に信長が理不尽を働くのか?また、光秀は信長を討つなんてことをするか?現代人の僕には当時の事は何一つわからないけれど、二人がいがみ合っていたとは到底思えないんだ。

「で、その話は長くなる?」

「細かく説明すると国語辞典くらいの長さだよ」

「そんなだから渚は彼女が出来ないんだって。どうせ、将来の生徒の為に?知識はあればあるだけ良いとか、殺センセみたいになろうとか考えて、無理矢理小さい頭に詰め込んだんだろうけどさ」

「どんな小さな事でも調べて知識にする事は重要だよ。生徒に聞かれた事の多くを知識から教えてあげられるからね。まあ、僕みたいな普通の頭じゃ、先生みたいにはなれないけどね」

「渚ならなれるよ」

「そうかな?そうだと良いんだけど」

「なれるって。だってさ……」

 業は後ろにいる僕……というか、更にその先を見て笑いながら口を開いた。

「普通の人間は城に潜り込むなんて出来るわけないじゃん?」

「言い出したのはカルマだけどね」

 現在、僕達はカルマの悪癖に付き合う形で明智ミツヒデが守る坂本城に潜入中。坂本城は東側が琵琶湖に面してして、西側が比叡山という天然の要塞となっていて、こうして琵琶湖から潜入するのが手っ取り早いのだけど、戦となるとこんなに簡単には潜入出来なかっただろうな。

「だって生ミツヒデに会えるとかヤバくない?」

「カルマの中でミツヒデが完璧にアイドル化してるよね」

 僕達と追いかけっこをしていた鬼さんにちょっと尋ねてわかった事は、どうやらこの世界はどうにも僕等の知っている戦国時代じゃないらしい。僕もカルマも最初からこの世界が異世界じゃないか?という推測は出来ていた。殺先生がいたという証である月は、破壊された跡もなく綺麗な形をしていたから、僕達はもしかしたらと現実離れした推測を立てていた。

「まあ、アイドルってのはあながち間違いじゃないだろうね。なんせ、俺等の知ってる明智光秀は男だし」

 そう、どうやらこの世界の数多の武将はほぼ全員女性らしい。その臣下の人もほとんど女性っぽかったし。なにより、驚くべき事にこの世界の武将のほとんどが天下を夢見て戦をしているらしいんだ。本来なら、明智光秀は織田信長の家臣であるはずなのに、なにがなにやら僕には予想も出来ない世界。

「ていうかさ、カルマ気付いてたでしょ?」

「何を?」

「ここが坂本城だって」

「それは渚もじゃね?」

 そりゃあ、それなりに歴史を学んでいれば誰でも気づくよね。琵琶湖と比叡山っていう自然の要塞の中に聳え立つお城なんて、坂本城しかないし。しかも現代に坂本城は存在していない。となれば、ある程度の時代背景も見えてくるわけで、だからこそそれ以外の情報が欲しくて、追手にある程度の基礎知識を教授していただいたんだけど。

 天井裏をゴキブリのように這っていると、僕の前を行く不意にカルマが止まって下を指さす。どうやら、ここから下に降りようという事らしい。それに頷いて、僕達は下に音を立てないように着地。ここからは気配を消しながら進むことになる。とりあえず、一つずつ襖の中を探っていこう。

 ああ、なんだか懐かしいな。昔も似たような事をしていたっけと苦笑すると、カルマも僕と同じ事を思い出しているのか、穏やかに笑みを浮かべている。

 そうだよね、僕等は何一つとして忘れてなんていない。あの鷹岡先生の事件の時の潜入時の事が克明に思い出せる。そういえば、あの時カルマは語尾に「~~ぬ」を付ける殺し屋の人に、なんとも酷い仕打ちを嬉々としてやっていたっけ……なんて笑っていると、カルマにしては珍しく驚いた顔をして立ち止まった。

 どうしたの?と目で聞くと、苦笑しながら小さな襖の隙間を指差す。

 それに倣って中を覗くと、僕も寸分違わずカルマと同じ顔になってしまった。

(千葉君と速水さん!?)

(みたいだねぇ~。てか、なんで捕まってんの?だっせぇ~)

 大広間と言うほど広くはない室内には、何人かの兵と縄で縛られて座らされている二人。状況を鑑みるに、二人も僕等の近くに漂着?して、追手の人に捕まったらしい。そんな二人をカルマは揶揄(からか)うネタが出来たと、時計の止まったスマホで撮影していた。

 千葉君と速水さんもこの世界にいるって事は、もしかしたら暗殺教室の級友はみんなこの世界に来ているのかな?それとも、何か条件でもあるのだろうか?

(どうしよう、早く助けなきゃ!)

(え~、俺等のクラスきってのベストカップルのこんな美味しいシーン、すぐに助けちゃもったいないって)

(ネタ集めしてる時間のほうがもったいないよ!)

 さすが、茅野さんが触手に侵されていた時、その暴走を止めるために彼女にディープキスをしてしまった僕を、その身を賭して撮影した猛者の内の一人だ。未だにあの写真消してくれないし。

 とにかく早く助け出さないと。僕一人じゃ無理だけれど、僕とカルマならやってやれない事はない。

(もう撮影は満足した?)

(ん~、もうちょっとピンチになるのを待ちたいかな)

(……じゃ、襖開けたら速攻ね。僕が右側の人達を相手にするから)

(もぉ、せっかちだなぁ渚は。それよりも気になってる事があるんだけど、それを確認したほうが良くない?)

(なに?あまり時間をかけても……)

(捕虜と兵はわかるけどさぁ、そんな状況で、ここの当主が部屋の中にいないのっておかしくね?)

 見落とし、というにはあまりにも致命的だった。なぜなら、僕等の背後から尋常じゃない殺気が立っていたのだから。それはまるで殺意の塊に思える密度で、これまでに相対してきたどんな殺し屋よりも濃密な死の臭いが僕達を包んでいく。

 咄嗟に襖を開ける余裕もなく、僕達は前に飛んで転がりながら襖を弾き飛ばした。

「なるほど、良い判断だ。存外鈍間ではないらしい」

 心臓が早鐘のように鳴る。こちらから仕掛けるなら冷静でいられるのに……まさか、僕達がこうも容易く背後を取られるなんて。只者じゃない、相対するだけで漂う異常な死の気配を纏うなんて……まるであの死神のようだ。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。

 背後を振り向くと、その気配を放つ女性は顔色一つ変えず、掛けた眼鏡を押し上げながら僕等を値踏みするように眺める。

「渚!?カルマ!?」

 突然飛び込んできた僕等に、普段は大人しい二人が驚愕の声を上げる。

「やあ、元気そうだね二人共」

「ええ。それよりも渚あなた……驚くほど背が伸びていないのね」

「驚いたのそこなの!?」

 二人は助けなくても平気だったかもしれない。こんな時に冗談を言える余裕があるなんて。冗談じゃないかもしれないけど。

「ほお、そこの二人の顔見知りらしいな」

「ああ、俺の下……仲間だよ」

「おい、今下僕って言おうとしただろ」

 千葉君がすかさず突っ込みを入れてくれる。一応下僕と言い切らないくらいには大人になっているんだけどね。

「で、俺の仲間を捕まえてどうするつもりだったの?豪勢な宴でも開いてくれるようには見えないんだけど。てかおたく誰?」

「名を聞く前に、まずは自分が名乗るべきではないか?」

「あっれぇ、礼儀とか宣う余裕があんの?てことはあんた二流だぁ」

 お得意の挑発をしながら、いつの間に持ってきていたのか、得体の知れない相手に小さな石を放つ。と同時にカルマは相手の懐に飛び込もうと姿勢を低くした――

「ならば、二流の私に二度も背後を取られる貴様は、果たして何流だろうか?」

 が、カルマが飛び込むよりも数段上の速さで、彼女は僕達の背後を取っていた。かろうじて見えたのはその淀みのない足運びだった。外から内へと足を付けることで音を消し、体幹がぶれることもない。その流れるような美しさに目を奪われてしまった。

「渚……」

「うん、カルマ」

 これは今現在の僕達の手に負える範疇にはないと判断し、揃って両手を上にあげる。せめて多少の備えがあればどうにでもなったんだけど。

「すみません、降参します。勝手にお城に入ったことも謝ります」

「あ~あ、無理ゲーじゃんこれ。せめて木の剣くらいは装備させて欲しかったな」

「なんでゲーム脳になってるのさ?」

「いやだって、多分ここじゃゲーム脳でいたほうが正解じゃないかな。ね、明智ミツヒデお姉さん?」

 自分を知らないはずの僕等に名前を呼ばれ、多少訝しむ明智さん。どうやら正解らしい。カルマが投石した瞬間、主が怪我をしないと確信していても、兵の体が一瞬硬直した。おそらく命があるまで動かないようにされていたんじゃないかな。でも、いざ主に危険が迫りそうになると兵の顔は強張った。つまり、彼女が明智ミツヒデの可能性は少なくはなかった。だけど、本当に明智ミツヒデなんだぁ~……うん、カルマの言う通りゲームの世界にいると考えてもいいかもしれない。少なくとも、僕の知る明智光秀は男だし、それに……

「私の名を当てるとは……どうやら多少の知恵は回るらしいな、異世界人」

 彼女のようにクナイなんて持って戦う武将じゃないもの。

 

 

 どうしてこうなったんだろう?

「直刃、負けてはならぬぞ」

「直刃~!あまり本気になるなよぉ!」

 刃引きした刀を手に、俺は駿府城の有名な試合場に立たされていて、そんな俺を物見遊山のような気軽さで、ご城代と数右衛門さんがお茶を飲みながら見ていて、そんな二人とは対照的に綺麗な姿勢で黙している安兵衛さん。そんな三人から少し離れたところには……

「あら、随分と期待されていらっしゃるのね」

 絶世の美貌を誇るかのような女性が一人。今更驚きはしないが、やっぱりかと思いもした。黒髪が美しく風にそよぐ彼女こそ、かの今川ヨシモトらしい。

 そもそも、普通に戦列に加えて欲しいなんて言っても信用はしないだろうとはご城代の言。ご城代曰く、今川ヨシモトという人物は政に長けているらしく、俺の知る蹴鞠ばかりしている呑気な人ではないようなのだ。内政で寄子寄親制度に重きを置き、家臣との結束を強めるだけでなく、それを実現するため、味方とする者を見定める目は常人よりも厳しいものだった。ただ、本人の性格もあって、見た目があまりに優れない者は受け入れなかったのだともいうが。

 その人柄も貴族の母親持つ為か、礼儀作法は美しく卒がない。だが規律に厳しいわけでもなく、実は人情に弱かったりと、高慢な言動とは裏腹にそういう優しさを持っている……との事なんだけどなぁ。

「あ、ああああ、あのえっと、お手柔らかにお願いします直刃さん!」

 相変わらず人見知りが激しいなこの子は。

 目の前に同じく刃引きした刀を持つ彼女、黛由紀恵。剣聖黛十一段の娘さんで、過去に何度か手合わせをしてもらった事がある。ちなみに、その手合わせの結果は俺の全敗だ。

 しかし、彼女もこの世界にいて、しかも今川ヨシモトに囲われていたのは運が良かった。たまたま町中で遭遇した俺達を今川ヨシモトと引き合わせてくれたのだから。なぜ黛さんが今川ヨシモトと共にいるのか聞いたら、野盗に襲われて仕方なく正当防衛をしてしまった場面を、偶然彼女に目撃されてしまい、黛さんの立ち居振る舞いと愛らしさが気に入って囲っている……と。う~ん、とんだ我侭武将だな。一々おほほほほと笑うのもなんか腹立つし。

 そんなこんなで今川ヨシモトの下で忠を尽くさせて欲しいと頭を下げた……これっぽっちも下げたくなかったけど!ご城代の方針に従って仕方なく下げただけだけど!

 すると、では貴方がたの実力がわたくしの家臣となるに相応しいかどうか、この目で確かめさせて頂けますか?と。そうして今の状況になるわけだけど、俺じゃなくても良かったんじゃないか?と思ったりもする。ただ、黛さんは極度の人見知りで、しかも仕合う相手が赤穂浪士となれば緊張で本来の実力は発揮出来ない。そういうわけで彼女と顔見知りの俺が抜擢されたわけだけど……安兵衛さん以外の二人が俺の勝ち負けを賭けているのはなんでだ。しかも数右衛門さんは俺が負けるほうに賭けてるし。そりゃ、全敗してるけどね!

 やんややんやと騒ぐ二人を安兵衛さんが窘める。

「二人共、お静かに」

「んだよ、こんなおもしれぇ見世物そうはねぇぜ?」

「それと賭博は別の話だ。大体、直刃が負けるほうに賭けるとはどういうことだ?」

「そうじゃそうじゃ!直刃が負けるわけがなかろう!」

「え~!あたしが負けに乗せなきゃ、賭けにならないってご城代が……」

 どこにいても変わらないなあの人達は。今川ヨシモトの御前では恭しくしていたのに、一度離れるとこれだ。

 一つため息を吐いて、気を取り直す。刀を火の位、上段に構えて相手を見据える。気を抜いて無事でいられる相手じゃない。しかも得物は竹刀ではなく、刃引きしているとはいえ刀だ。振るう者の力量次第では充分に斬れる代物。そして、その力量を確実に持つ者が目の前に立っている。

 中段に構えた彼女は、仕合となって初めてその本性が表に出てくる。清流のような淀みのない構えは隙がなく、どう斬りこもうと彼女にいなされる想像しか出来ない。

(やはり、凄まじいな。剣聖に自分を超える逸材と言わしめさせるだけはある)

 構えを取ってお互いの気力が高まり切った絶好のタイミングで、今川ヨシモトが合図の声を上げた。

「――始めッ!!」

 声と同時、先の先を取るため踏み込もうとした。

「せいッ!」

 が、俺の予想を大きく超えた剣先が俺の肩へと打ち込まれ、辛くもその剣先を鍔で受ける。

 俺の全力の初手より速いのかよッ!

 傍から見れば惚れ惚れとする剣線にほう……と溜息をついたかもしれない。

「……美しいですわぁ」

 うん、マジでぶん殴りたいあの武将。

 傍から見ていれば綺麗なものだが、受けているこっちからしたら綺麗なんてとんでもない。

「はッ!せいッ!」

 揺らがず走る刀は死神のそれだ。瞬き一つが生死を分ける。しかも一合一合が尋常じゃなく重い。過去に受けた中では、近藤勇クラスの力強さを持っていて、剣の美しさの中に野獣のような獰猛さも飼っている。

「おい直刃ぁ!少しは反撃しろやぁ!」

 軽く言わないで下さい!そんな暇があったらとっくにやってます!

「ご城代、あの娘相当な腕ですね」

「のようじゃな。驚くべき事にあの娘……巻き上げの警戒も怠っておらん」

 そう、俺が巻き上げを持っているなんて知らないはずなのに、巻き上げさせないように斬り合っている。剣聖に教わったのかよ、その隙のない心構えってのは!

 いくつか受けた後、ほんのちょっとの間が出来た。それは瞬きするかしないかの時間。しかし、俺達には致命的な時間。どんな達人もいつまでも刀を振るえるものじゃない。人間には体力の限界がどうしても付きまとう。不本意にも受けに回った俺よりも、幾度も刀を振るっていた彼女のほうが体力は消耗している。

 ここしかないと、骨まで届くかのような衝撃を受け続けた痺れの残る腕に活を入れ、今の俺に出せる最高の剣をと、逆袈裟に斬りつけようと踏み込んだ……

「――ッ!?」

 不意に悪寒が走り、咄嗟に俺は前に向かう体を無理矢理に捻る。

「疾ッ!」

 彼女の神速の刺突が首筋を撫でる。それだけで皮が斬られ血が流れた。

「クソッ!」

 捻った状態のまま横に転がりながら立ち上がる。あのままだったなら、突きから横薙ぎに斬られていた。危なかったと、内心汗が噴き出して止まらない。もしも着物であったなら、こんなアクロバティックな動きは出来なかった。運……だろうな。今俺が無事でいるのは運以外の何物でもない。

 お互い距離が空いて構えなおす。

 チッ、向こうは息一つ乱れていないっていうのに、俺は肩で息をしなければいけない始末。

「おほほほほほほほ!良いですわよ黛さん!そのような優男なぞ、とっちめておやりなさい!」

「……すみません、安兵衛さん。そこの武将を黙らせて下さい」

「直刃、一応あの方は今川ヨシモト様なのだぞ。出来るわけないだろう」

「一応とはなんです!処罰しますわよ!」

 庭で蹴鞠でもしてやがれ。

「直刃、もしも無理ならば私が代わっても良いのだぞ?」

 俺の様子を見て、ご城代が優しくも厳しい言葉を投げかけてくる。その言葉に俺はきつく歯を喰い縛った。

 わかっているんだ、ご城代も、安兵衛さんも数右衛門さんも。今の俺の心をみんなが見抜いている。知らないのは今川ヨシモトと黛さんの二人だけ。

「直刃、どうじゃ?」

 情けない。俺の心情を見抜かれて、挙句にご城代に情けの言葉を掛けられて……それを俺は、深見直刃は許せるのか?最愛に格好悪い姿を晒して、俺は許せるのかよッ!

 それだけは許してはならない。俺は赤穂藩藩士、深見直刃を名乗りたい、名乗っていたいんだろうがッ!ならば覚悟を決めろ!目の前にいるのは剣の申し子と言っても差し支えない存在だ。ならば、認識を改めろ。俺の目の前にいるのは新選組に勝るとも劣らない剣客だと。

「直刃、ならば俺が……」

「いえ、もう大丈夫です」

 片手で安兵衛さんを制し、息を整える。

 悠長なものだ俺も。ここは戦国時代で現代じゃない。ならば、それに相応しい振る舞いというものがある。

 沸々と湧き上がってくる鼓動。その久しい鼓動に自然と笑みが零れた。

「悪かったな、黛さん。謝るよ」

 安兵衛さんが教えてくれた言葉……『切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、踏み込み行けばあとは極楽』

 ああ、そうだ。この斬り合いが愉しくて愉しくて、永遠に溺れていたいと思えるような……あの時の感覚を身体が思い出す。そうだ、これこそがあの時に得た……

「今から俺と斬り結ぼう」

 武士の鼓動だ。

 

 

 

 全身が総毛だった。過去に幾度か試合をさせて頂いた事がある直刃さんが、今は全くの別人……いいえ、怪物に思える。

 私の知っている彼は真っ直ぐに素直な剣を振るう人で、そこには彼の人柄である柔らかさがあった。人はそれを甘さだと言うかもしれないけれど、私はそんな彼の剣が嫌いではなかった。ただ、時折太刀に迷いがあるかのようなぶれがあり、その正体を察することが出来なかった。むしろ、そのおかげで私は負けなかったと言っても過言じゃない。

「悪かったな、黛さん。謝るよ」

 息を整え、私を見据える。いえ、視線で射貫く。

「今から俺と斬り結ぼう」

 凛とした殺気。知らない、私はこんな彼を、こんな刀のような殺気を持つ人なんて今までに相対したことなんて一度もない。

 義経さんと仕合った時でさえ、私は彼女を恐ろしいだなんて感じなかった。なぜなら、私も彼女も殺意を持って斬り結んだわけではないから。そこにはなかったんです、死という存在が。

「直刃、さん?」

 本当に目の前に立つのは私の知る深見直刃その人なのでしょうか?年の割に落ち着いていて、穏やかで実直な剣を振るう……そんな直刃さんとは別人が目の前に立っている。

 あ、れ?どうして?どこかで刀の小さな音がする。私達以外に刀なんて使っていないのに。

 音の発生源に目を向けると、それは私の刀から鳴っていた。刀が細かく震えてる?ううん、違う。そうじゃない。直刃さんの殺気に私が怯えているんだ。

 そんな私の様子を見て、直刃さんはおどけてみせた。

「そっか、そりゃそうだよな。現代じゃ命懸けじゃないもんな」

 何を、言って……直刃さんだってそれは同じはずじゃ……

「でも悪い、実は俺は経験してるんだ、死合ってやつをさ。何度もね」

 仕合じゃなく、きっと直刃さんは死合って言ったんだと直感で理解出来た。

「黛さん、君は確かに卓越した天才だ。認めるよ。あの沖田総司となんら遜色のない才能だ。認めるよ。けど、それでも俺は負けない。仕合と死合は違う。それを知らない君に俺は殺せない」

 何を当たり前のことを彼は言っているのだろう。殺し合う必要が、そんなどうしようもない心構えが必要だなんて……

「いいか?刀ってのは人を殺す為に作られた凶器だ。それはどこまでいっても変わらない真実で、刀を振るうなら刃に命を乗せないなんてあってはならない。それが最低限の礼儀だから。まずはそこを理解することだ」

 父に刀を持つにあたってまず教えられた真実と同じ意味の言葉を、直刃さんは嗜めるように口にしながら、刀を鞘に納めて腰を落とす。

「おいおい、まさか直刃のやつ……」

「ふっ、負けず嫌いは相も変わらずか」

「うむ、それでこそ私の愛する男じゃ」

 彼の構えに、共にいた人達がおかしそうに笑っている。なぜこの状況で笑えるのか私には理解出来ない。

 今までどの試合でも見せなかった彼の姿、本能が顔を覗かせる。

 彼の身体から立ち上る気迫……いえ、殺気に足が竦んでしまいそうで、それをなけなしの気力で強がってみせる。ここで逃げることは、剣士の端くれとして許されはしないのだから。

 ああ、これは駄目だと心の隅で叫ぶ声を押し留める。わかっている。今目の前にいる相手は物が違う。あの百代さんだってこんな研ぎ澄まされた殺気を持ち合わせてなんて……

「黛さん、降参してもよろしくてよ?」

「いいえ、心配無用です」

 物が違うとヨシモトさんにも見抜かれたようです。このままでは私が斬り伏せられると……でも、やっぱりヨシモトさんもこの時代の人なのでしょう。命を懸けた戦いに水を差すのは無粋と、無理に止めることはない。それを経験していないのはどうやら私だけで、この場にいる全員が経験して得ている心構え。

「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、踏み込み行けばあとは極楽」

「その言葉……」

 昔、父が小さな私に良く口にしていた言葉……

「この言葉の意味を、今から体験させてあげよう」

 鯉口を切るのを目にした瞬間、濃密な何かが私を襲う。早鐘のように鼓動が脈打ち、絶対に抜かせてはいけないと、直刃さんが抜くよりも速く、これまでの何よりも速く――絶望的な焦燥感と共に、私は初めての死地に迂闊にも踏み込んでしまったのだった。

 

 

 

「役者が揃い始めたみたいだな」

「多少歪ではあるが、それもこんなにもまた美しく映るものだ。いやだからこそ美しいのだろうね。ああ、いや私の失策を忘却の彼方に置いてきたわけでは決してないのだがね」

「ほざけよ道化。こっちはお前のように俯瞰していられるほど暇じゃあない」

「いやはやこれは手厳しい。これでも舞台の幕を開ける準備に余念がないのだがね」

「恐慌劇(グランギニョル)を始めようとしていなければそれで構わない」

「私の信用も堕ちたものだ。億の渇望を形にすれば、辿る道は違えど結末は変わりはしない。故に美しいのだよ人というものは」

「戦争をしたければ好きにしろ。だが、その時にお前の首があればの話だ。それよりも……」

「あん?なんか俺に用かよ」

「ああ、そうだ。ここからはお前が舵を取れ。こっちは手が空きそうにないんでな」

「出たよ、俺ぁブラックに就職したつもりなんざねぇんだけど。残業代はきっちり出るんだろうな?」

「黙れ馬鹿。残業代が欲しいなら、その前に俺への利子を返してから言えよ」

「カビの生えた話をすんじゃねぇよ。お前、部下に過去の栄光とか語って?そんで陰口叩かれるタイプだわ」

「お前が上司なら会社は自己破産に追い込まれるだろうが。そうならないようにしてやっている俺の苦労を察しろよ」

「へいへい、そんじゃあお前等が重役出勤出来る位には働くとすっかな。あ、ボーナスは忘れんなよ?」

「黙れ不能……」

「イケメンな俺様にんなもんはハンデにもならねぇよ」

「はてさて、私は少しの間仮眠を取ることにするよ。終幕に間に合わないようではわが女神に顔向けできないのでね。花束の一つも用意する余裕は残しておきたいのだよ」

「一生目覚めなくても一向に構わないがな……。さあ、幕が上がるぞ主人公達。これから主人公のなんたるかを俺が教えてやるよ」


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