「平塚先生、何の用ですか」
「ああ、やっと来たか比企谷」
眠気がさす午後の授業を終え、俺は重ったるい身体を運ばせながら職員室に呼び出されていた。
もちろん、呼び出し主は俺の目の前で堂々と脚を重ね居座る平塚静先生。
腰付近まで長い黒髪を下ろしているアラサー女性の彼女は、まぁ容姿だけで見れば綺麗な部類に入るはずなのだが、生徒の前でタバコを吸うその姿勢が全てを台無しにしている。
「ふぅ……さて、場所を変えるか」
「そうすね」
一本のタバコを吸い終えた彼女が立ち上がり、別室へと足を運ぶ。
足先は間違いなく俺が何度もお世話になった相談室という名の、説教室。これなら生徒指導室でもいいのではと思う。
あー、俺なんかしちゃったかな……まあ、心当たりあるんだけど……。
「座りたまえ」
「はい」
相談室に入ると言われるがままに、革で作られた赤茶色のソファーに座り込む。
俺の隣に女子がいなければ、座り心地はさぞかし最高だだろう。
「なぜ呼び出されたかは、言わずともわかるよな?昨日の雪風の件だ」
「……比企谷先輩は関係ないはずですけど」
少し強ばった表情をしている雪風。少し震えている手を、両手合わせて隠そうとしている様子を見るに、かなり緊張しているのだろう。
「比企谷も雪風が巻き込まれだ場所に居合わせた当事者なんだ。関係なくはない」
「ああ。あと雪風、お前は悪くないからそんな身構えなくていいぞ」
「比企谷の言う通りだ、君たちは悪くない。どう見ても絡んできた他校の生徒に非がある。……しかし、なぜ夜遅くにあんな場所にいたんだ」
──それは昨日のこと。
受験生である俺は、学校帰りに予備校で学習をし終えたあとの事である。
22時を回りそうな時間。
晩飯はサイゼにしようと千葉駅の近くを自転車で走っていたとき。
今にも消えかかりそうな細い声が聞こえてきた。悲鳴に近い、怯えてるような声音だった。
「や、やめてください……!」
一度自転車を漕いでた足を止め、声のする方へ顔を向けた。
「いいじゃん、俺らとちょっと遊ぼうぜ。君、総武高の子でしょ?頭良くて可愛いとか最高だね!」
「ほらほら、カラオケ行こうよ」
「奢るからさ〜!」
飲食店が連なる間の細道で、黒髪の女の子が地元の高校生と思わしき男性三人に声をかけられている。
あからさまなナンパだ。女の子の方は断りを入れてるのにしつこく付きまとってることを考えれば、それ以上の輩かもしれない。
こんな人が沢山目に付く場所でよくやるな……。
君子危うきに近寄らず。
普通に飲食店から居酒屋まで並ぶこの場所では、仕事終わりの人間など人が多く通る。
あんなのに絡まれるのは御免こうむるし、俺が助けようとせずとも他の人が何とかするだろう。
「……行くか」
再びペダルに足をかけ、少し罪悪感を覚えながら一度女の子の方を見ると目が合ってしまった。
そそくさと行けばよかったものを、俺は後悔した。
男子高校生に絡まれていた女の子は──雪風雪菜だったのだ。
「はぁ……」
これは助けないわけにはいかないか……。
見ず知らずの人ならまだしも、彼女には恩がある。
恩返しにはもってこいの場面だろう。
「こんな所で何してるんだ雪風」
自転車を置き捨て、近寄る。
「ひ、比企谷先輩……」
「早く行くぞ」
とっととトンズラするのが吉だろう。
人が多くいる場所まで移動してしまえば、こっちのものだ。
雪風の手首を掴み、多少強引に連れ去る。
「おい待てよ──」
──とこんな感じであった。
最後に男子高校生から顔面を殴られたのは、正直泣きそうなほど痛かったが、幸いにもそれがきっかけで通り人がケータイで通報の電話を入れてくれた。
そのおかげで向こうの生徒は早々に消えてくれたからな。
その後は学校側が昨日の事件に巻き込まれた生徒を探し出すと、いとも簡単に見つかって今現在に至る。
どうやら雪風の両親が学校に帰りが遅いと連絡を入れていたようで、それと俺の殴られ怪我をし切れた唇が相まって見つかるまでにそう時間はかからなかったようだ。
「…………」
「雪風、別に言いたくないなら無理して話す必要は無いぞ」
「はい……」
「ふむ……では仕方ない。理由は分からないが、昨日のように夜遅くに一人で出歩くのはやめるように。今日はこれでお開きだ」
平塚先生が相談室を出ると、それに続いて俺と雪風も退出した。
「すいません、迷惑かけて」
「別に……そんなこと思ってねえし」
下駄箱へ向かう途中で、ふと雪風が謝罪の言葉を並べる。
「思ってなくても、実際に迷惑かけたことは事実です。怪我もさせてしまいましたし……ごめんなさい」
「だからいいって……」
痛かったのは確かだが、骨折やテニスのラケットを頭部に当てられるよりは何倍もマシだ。
「……よければ食事でもどうですか?お詫びに」
「そうだな、丁度飯くいに行こうと思ってたから行くか」
そのまま俺たちは二人揃って校舎を出ていった──が、その後を付けてくるものに、俺は気づかなかった。