第0話 チュートリアル
□二〇四四年 六月二日
授業と授業の間の休み時間。
友達のよく分からない話を聞き流しつつ、わたしはかばんから大好きなお水を取り出し、一気飲みした。
その瞬間、わたしは突然の目眩と強烈な頭痛に襲われ、椅子から崩れ落ち、そこで意識が途絶えた。
◇
目を覚ました時にはベッドの上に居た。
そばにはさっきまで得意げに話をしていた友達が居る。
わたしを見つめ、心配そうにしていた彼女は、わたしが目を覚ましたと分かると、ほっと胸を撫で下ろした。
友達の話によると、どうやら気絶したわたしは救急車にて近くの病院に搬送されたらしい。
私が救急車を呼んであげた、と感謝を求める友達に、事実なので言い返せずにしぶしぶ感謝していると、お医者さんを連れたお母さんがやってきた。
死んだかと思った、と涙を流すお母さんに大袈裟だなあもう、と言葉を返し、喉が渇いたのでポケットに常備してある小さいペットボトルのお水を飲もうとすると、お医者さんに止められた。
ちょ、なんで止めるんですか。お水はわたしの命の源ですよ。
思わずお医者さんを睨んでしまう。
だが、そこでお医者さんに告げられた病名は、わたしを驚愕させるのに充分なものだった。
「やはり水中毒ですね。これからは水を飲むのはなるべく控えるようにしてください」
「なんですとっ!?」
お水封印ですか!? 死ですか!?
◇
わたし、
お水を飲むのが好きだ。硬水より軟水派だ。
お水を見るのが好きだ。川とかずっと眺めてたい。
そして何より、お水に包まれるのが大好きだ。お風呂は毎日二時間は入っている。毎日手がふやけている。
水に敬意を表して「お水」と呼ぶくらいには好きなのだ。お水様なのだ。
そんなわたしが水中毒、生命を落としてしまうかもしれない病気らしい。つまり水がたくさん飲めない。
端的に言って死、いや、それより恐ろしい。
まさにデッド・オア・ダイ。
何とかせねば。
「という訳なんだけど、どうしたらいいと思う?」
今日は比較的体調がいいので、ちょうどお見舞いに来ていた友達に聞いてみる事にする。
「どういう訳なのよ。……まあ、どうせ水のことでしょ」
「さすが親友! 以心伝心だね」
「そういうのいいから。で、水が飲みたいんでしょ。そういうと思って持ってきたわよ」
ジャジャーン、と口で言い、彼女が取りだしたのはお水……ではなく一つの箱。パッケージには<Infinite Dendrogram>と書かれていた。
「なにそれ」
「私がいつも話してるゲームよ」
ああ、あれゲームの話だったんだ。厨二病の妄想話を聞かされてるんだと思ってた。
「そんな訳ないじゃない。絞るわよ」
「いやー、水分が減るー」
とんでもないことを言い出すやつだ。悪鬼だ。
「とにかく、このゲームは凄いリアリティで、味覚も再現されてるから、水もちゃんと飲めるよ」
「そうなの!? やる!」
「即断即決……最初からこう薦めてればよかった」
そうだよ。それならすぐやってたよ。
「早く、早く頂戴!」
「定価一万円になります」
えっ、お金取るの!?
「当たり前じゃん。タダであげるわけないでしょ。むしろ買ってきてあげたんだから送料払ってほしいくらいなんだけど」
ぐぬぬ……仕方ない、背に腹はかえられない。
意地汚い顔で見つめてくる友達は癪だが、こいつの言っている事は正しい。お金持ちなんだからプレゼントしてくれればいいのにとか思ってない。
しぶしぶ財布を取り出す。
「ここにわたしの全財産の7300円とちょっとがある。これでなんとか……」
本当は後でこっそりお水を買おうと思ってたけど、涙を飲んで全財産を差し出す。
「えー……はあ、まいっか。残りは早めの退院祝いって事で」
「ありがとー! れーちゃん大好き!」
「はいはい……あ、そのゲーム最初に出身地が選べるんだけど、グランバロアって所は私が居るから選ばないでね」
「え、そこは一緒にプレイするっていう流れじゃないの?」
もしかして私嫌われてるの?
「あんたと私じゃレベルが掛け離れてるし、何より私は他の土地の話も聞きたいの」
「えー、それは自分で行けばいいじゃん」
「<超級>ならともかく、国境を越えるって意外と大変なんだから」
「ふーん」
なんだかよく分からない単語が出てきたけど、れーちゃんの説明は長いからスルーしよう。
その後も、れーちゃんは色々と注意することを教えてくれた。
よく分からない単語は全部スルーしたけどまあ大丈夫かな、多分。
「じゃ、わたしは早速プレイしてみるから、お見舞いありがとね」
「どういたしまして。ちゃんと話聞かせなさいよね」
「はーい」
れーちゃんにもお帰り頂き、早速パッケージを雑に開け、中を覗く。
そこにはヘルメットのようなものと、解説書が入っていた。
解説書は頭を痛くする紙だと思っているのでゴミ箱に持っていき、早速ヘルメットを装着してみる。
……何も起きない。ヘルメットをペタペタと触ってみると、スイッチがあるのに気が付き、押してみる。
すると、視界が暗くなった。なんかデジャブ。
◇
「君で十二万三五一四人目だ。名も無き来訪者よ」
「ようこそおいでました〜。パチパチ〜」
目を開けると幼い男女がまず視界に入ってきた。
二人は、片方は姿勢の正しい立ち姿で、もう片方はだらしなく寝転がりながら語り出した。
「僕らは管理AI」
「十一号の〜」
「トゥイードルダムと」
「トゥイードルディーで〜す。よろしくね〜」
銀縁のメガネをかけた少年のトゥイードルダムと大きなヘッドホンを装着した少女のトゥイードルディーは、言葉を区切って交互に話すという独特な話し方で自己紹介をしてきた。
小さくてかわいいなあ。
で、管理AI? なんだっけ、聞いたことある気がする。
「管理AIとはこの<Infinite Dendrogram>を管理する者達の事だ」
「全部で十三体〜、みんなでこのゲームのいろんな管理をしてま〜す」
へー、そうなんだ。……あれ?
「わたし今声に出したっけ?」
「君の表情パターンを分析、解析した結果」
「疑問を浮かべてる事が分かったから〜」
「管理AIについての説明をした」
「ほめてもいいよ〜、すご〜いってね」
すごーい! 心を読んでるみたい!
じゃあ、これも分かるかなー。
──ここはどこでわたしは何をすればいいんですかー!
「ふむ……ここは入り口」
「色んな設定をする場所なの〜」
「君にはまずここでプレイヤーネーム設定、容姿設定、描画選択」
「あとはどこの国に所属するかと〜」
「初期装備と初期アイテム、初期費用の配布」
「そして一番大事な<エンブリオ>の移植〜」
「以上の六項目を行ってもらう」
「まずは名前からね〜。これからず〜っと使うことになるから〜」
「真面目に選択することを進めておこう」
「なの〜」
おお、通じた!
っと、名前かー。
普通に水樹でいいかなー。
いや、れーちゃんが名前と容姿は変えておけって言ってた気がする。
そうなるとどうしようかな。
水樹……水?
いや、わたし自身がお水なんて! そ、そんな恐れ多いことできない……。
うーん、ここはやっぱりお水様とは切っても切れない関係の……。
「じゃあ“シャボン”で」
「了解した」
「それじゃあ次は容姿選択ね〜」
「ベースのアバターを用意するから」
「自分で好きなようにいじくってね〜」
「老若男女、動物に怪物」
「全てシャボンちゃんの自由だよ〜」
な、なるほど。
いや、しかし、この情報量はすごい……。
わたしは目の前に現れたのっぺらぼうのマネキンとたくさんの体のパーツの名称が書かれたウィンドウを前に、戦慄した。
すると、そんなわたしにトゥイードルさん達が助け舟を出してくれた。
「迷ったのなら自分の体をデフォルトにするといいだろう」
「そこから自分好みに変えていけばいいよ〜」
「じゃあそれでお願いします!」
トゥイードルダムが指を鳴らすと、マネキンだったものがわたしそっくりになった。
うーん、身体中がむくんでいる。
やっぱりお水の飲み過ぎなのかなあ、これはちょっと可愛くない。
いや、可愛さよりもお水の方が大事か……?
むー……。
「……このむくみ消せますか?」
「可能だ」
「それ〜」
おお、身体のむくみがきれいさっぱりなくなっていく。すごい。
よし、だいぶスッキリした。ここからどうしようかな。とりあえず髪は水色にしてー。
うーん……あ、そうだ!
「人魚とかになれますか!」
「人魚か、まあ、不可能ではない」
「でも絶対生活しづらいよ〜? それより魚人みたいな感じの方がいいんじゃない?」
「たしかに……じゃあそっちで!」
すると、わたしのアバターの部分部分に小さな鱗がくっつき、顔の左右にはヒレのようなものが生えた。
おお、魚だ! これ魚だよ!
わたしお水と友達だよ!
やったぜ!
「これでお願いします!」
「了解した」
「あ、一応言っておくけど〜」
「アバターが魚人だからといって、本当に泳ぎが上手くなったという訳ではない」
「海に長時間潜ったら普通に溺れちゃうから〜、そこ注意ね〜。ゴボゴボ〜ってなるから〜」
「はーい」
そこからの設定はすぐに進んだ。
描画はもちろんリアルに、所属国はちょっと迷ったけど黄河帝国にした。
カルディナのオアシスも捨て難いけど、やっぱり黄河帝国の霊験あらたかそうなお水のほうが気になった。
本当はグランバロアも良いなと思ったんだけど、れーちゃんがダメって言ったから泣く泣くやめてあげた。
装備についてはよく分からないからトゥイードルさん達に適当に見繕って貰った。
武器は短い杖を選んだ。水魔法とか最高だよね。
あとは見た目よりもたくさん入る収納鞄ってアイテムと、このゲームで暮らしていくためのお金として5000リルを貰った。日本円では五万円くらいらしい。太っ腹!
そして<エンブリオ>の移植をしてもらうことになった。
「<エンブリオ>についての説明は必要か?」
「聞いておくのがおすすめ〜」
「じゃあ手短に」
「了解した。<エンブリオ>とは君のパーソナルを分析して生み出される相棒の様なものだ」
「様々な形で生まれる〜、シャボンちゃんのための、シャボンちゃんだけの可能性なの〜」
あー、これがれーちゃんが散々言ってた<エンブリオ>かー。確かに凄そうだなー。
「──移植完了だ」
「左手の甲を見てみて〜」
はやっ!
言われた通りに見てみると、わたしの左手には卵形の赤い宝石が埋め込まれていた。
「それが第0形態」
「しばらくしたら生まれて第一形態になるの〜」
「なるほどー」
それは大事にしなければ。わたしは赤い宝石もとい卵をなでなでした。
「それでは、これで設定は終了だ」
「お別れの時間だね〜」
おお、いよいよ。トゥイードルさん達と別れるのは名残惜しいけど、わたしにはお水が待っているんだ。
「この度はお世話になりました!」
「君の健闘を祈っている」
「シャボンちゃんの自由に幸あれ〜」
「はい、がんばる!」
といった所で、足場が無くなっていることに気付いた。どういう訳だとトゥイードルさん達の方を向くと、まるで元から居なかったかのように消失していた。
そして周りを見るとそこにあったものが全て消失し、代わりにわたしの周りには青空があった。真上にはじりじりと照りつける太陽がある。
あれ、これって、落ちる?
「……あー、あれが説明に書いてた大河かなぁー」
こうして半ば現実逃避気味にわたしの冒険はスタートした。