大きく分けて全五戦、の予定。
□【水質学者】シャボン
男の人に案内されてやってきた屋敷の中、その中心部辺りにある<儀式の間>にお邪魔すると、そこには両手を胸の前で交差させ、5本の指の間それぞれに銀の符を二枚づつ挟み込み、仁王立ちをしているおじさんが居た。
どうやら結界の中心で結果全体の展開と維持をしているらしい。
「連れて参りました、
「ご苦労、下がってくれ」
「はっ」
男の人は扉の向こうへ去っていった。
そして、リーちゃんとリーチャオさんは互いに見つめ合ったまましばらく立ち尽くしている。
やがて、リーチャオさんが口を重く開く。
「……璃嵐、そこの<マスター>は誰だ?」
「……友達だよ」
なんだ? すごい気まずいぞ!? 名前と顔からしてリーちゃんのお父さんだよね? 何故だ。
「あの、み……じゃなかった、シャボンって言います。よろしくお願いします」
「……ああ、娘が世話になってる。
あ、わたしには普通にいい人だ。よかった。
でもリーちゃんとは険悪なムードが漂っている。何かあったのかな……喧嘩中とか?
あ、そうかもしれない。考えてみればわたしと同い年くらいのリーちゃんが親元を離れて店を開くなんて、何か特別な理由が無いとしないよね。
お父さんと喧嘩別れしちゃったから気まずいのかな?
「璃嵐、積もる話は後だ。単刀直入に聞く、あれは何だ?」
あれって虫のことだよね? リーちゃんも初めて見るモンスターらしいし分からないんじゃないかな。
「……神話級特典武具から召喚された【トライポフ】っていうモンスターらしいよ」
「違う、その情報なら既に【学者】達が調べあげている。私が聞きたいのは、あれとお前の関係だ」
関係……ってどういう事だろう。
「……は?」
「お前の訪れた時期と【トライポフ】の出現時期が完全に一致している。何か知ってるんじゃないか?」
え、それって……
「……何それ、私がけしかけたって言いたいの?」
リーちゃんの怒りがこちらまで伝わってきた。
だって、それって完全にリーちゃんを疑ってる。それは、なんかおかしいよ。
「いや、そうではない」
「そうじゃん!」
リーちゃんが語気を荒げる。
「やっぱりアンタは変わってないよ!
……え?
◇
□二人と一人の親子
リーランが七歳というまだ幼い頃だったある日、親子三人で修行をしていたリーラン達は突如現れた伝説級<UBM>、【惑乱蝶 コンヒューディエ】により未曾有の危機へと晒された。
【コンヒューディエ】のスキルにより【錯乱】状態へと陥ったリーランの父、リーチャオはリーランの母へと危害を加えた。必死に抵抗する母だったが超級職に就いている父に、大きな怪我を与える事無く、その上娘であるリーランを守りながら無力化する事など出来る訳もなく、母は父の手によって命を落とす事となった。
この出来事は当時幼かったリーランにとって大きな衝撃であり、歪んだ精神形成をするに十分過ぎるものであった。
それから、リーランはリーチャオを父だと思っていない。
◇
□【水質学者】シャボン
リーちゃんの口から放たれた衝撃のカミングアウトに、わたしは呆然とその場に立ち尽くす事しか出来なかった。
えっと、リーちゃんのお母さんを、リーちゃんのお父さんであるリーチャオさんが? それが原因でリーちゃんは出ていった? だめだ、ちょっと混乱してきた。
額からは汗が滲み、室温が急激に上がったように感じる、かと思えば今度は急速に低くなり、全身の力が抜けそうになる。
この場にわたしなんかが居ていいのかというどうしようもないほどの不安に襲われていた。
で、でもシンメイは「リーランを支えてやってくれ」って言ってたし。でもこの状況でわたしに出来ることなんて……あるのかな?
そんな時、リーちゃんの手が微かに震えているのに気がつく。
……そっか。そうだよね。あたりまえだよ。
わたしは、リーちゃんの手をそっと、強く握る。
「……シャボン?」
「大丈夫、怖くないよ」
わたしがリーちゃんの立場だったら、きっとすごく怖くて、悲しくて、寂しい。
だから、わたしはわたしに出来ることをする。
リーちゃんの温もりが手を通して伝わってくる。わたしの温もりも、リーちゃんに伝わって。
「わたしがいるから」
「……うん」
ちゃんと伝わったかな。
リーちゃんはあの虫が蔓延る中をずっと待っててくれたんだから、今度はわたしがリーちゃんを助ける番だよ。
対するリーチャオさんは……なんだろう、戸惑い? 後悔? そんな顔をしている。
リーちゃんは気づいてないみたいだけど……これってもしかして……。
そんな重い空気を破り捨てるように、少女が一人、襖を勢いよく開けた。
「おい
芽香だ。
「……
突然現れた芽香に対し、リーチャオさんは冷静を保っている様に振舞っている。
でも、わたしにはまだすごく動揺しているように見えた。
「……どういう事だ?」
リーチャオさんが、今この現幻原で起こってる惨劇を説明する。
昨夜<仙湖>より響き渡った怪奇音。
突如現れた飽食蟲。
そして、<仙湖>の畔の小宇宙。
途中で聞き慣れない単語が飛び交ったけど、口を挟める空気でも無かったので大人しくしていた。
そして、説明を聞き終えた芽香は頭をガシガシと乱暴に掻く。
「あー……くっそ、“精神最強”の野郎……来てやがったのか。ってか、時期的にあたい達と同時……いや、アイツか!?」
「何か、ご存知で?」
何か知ってる風の芽香に、リーチャオさんは話を促す。
「“精神最強”は知ってんだろ? アイツがここに居る」
「それは、なんという……」
最強っていうのはなんだろう。
「恐らくだがあたい達と一緒にここに来たそとばってやつだ。よく考えたらあいつはあのモンスター共に対して“可愛い”とかくっちゃべってた、その時点で違和感に気づくべきだった……」
芽香は悔しそうに拳を握る。
そうか、あのそとばさんが今回の騒動の犯人なんだ。すごい変な人だったけど優しかったのに。すごい変な人だったけど。
「え、それってつまり……私のせいってこと?」
あ。
確かに、そとばさんに依頼をしたのはわたしとリーちゃん。とすれば間接的にわたし達のせいでこの<現幻原>に“精神最強”が放たれた……?
「私が<現幻原>に来たから、こうなったの?」
リーちゃんが震えている。
大丈夫だから。もしそれがほんとでも、わたしも一緒だから。
繋いだままの手を強く握る。
「いや、気にすんな。お前らの依頼が無くてもアイツはここに来てたさ。だからあたいもここに来たんだからな」
ほんとかな。気を使われてないかな。
「んで、アイツが傍にいながら気づけなかったってのかよ……自分が情けねぇ……!!」
芽香の握り拳から血が滲んでる。
「クソッ!」
そのまま勢いに任せて壁を殴ろうとして、途中で止める。
「あー! アイツぶっ飛ばしてくる!」
「な、芽香殿! 危険です! 相手は<超級>と呼ばれる猛者、一人で行くなど……せめて応援を要請して……」
「うるせえ! あたいは一人の方が強えんだよ! お前はここ護っとけ!」
<超級>! ってすごいやばい奴じゃん! 迅羽ちゃんと同じくらい凄い人がこの町を襲っている。
やっと事の重大さが分かった気がする……。
でも、それなら!
「そ、それならわたしもついて行くよ!」
「ダメだ」
はやい!
「え、なんで!?」
戦力は多い方がいいじゃん。リーちゃんはともかく、わたしならもし死んでも生き返るし……。
「生き返るとかそういうんじゃねえんだよ、アイツは」
「え、それってどういう意味?」
「あーうるせぇ! あたいはもう行くから、絶対着いてくんなよ!!」
「ひぃ、分かりました!」
怖いよ。そんなに怒んなくてもいいじゃん。
芽香は慌ただしく走り去っていった。
嵐が過ぎ去ったようなこの場に、残されたのは依然三人。
状況は芽香が来たことによって少し変わった。悪い方に。
ど、どうしよう。ほんとにわたし達が原因だった……。けしかけたって訳じゃないけど……結果的にはわたし達が連れてきたんだ……。
心臓が音を立てて弾ける。
なにか……なにかしなきゃ……。
焦る。逸る。
口が乾く。
お水を飲む。
落ち着かない。
「シャボン……」
「リーちゃん、わたし行ってくるよ!! 」
ダメだ、少なくともこのままはダメ。わたしにはなんにも出来ない。ならわたしにも出来ることをやる。
「シャボン!? 危険だよ! 芽香もやめとけって……」
「でも、この蟲の原因がわたし達なら、これを放っておけないよ!」
ここで何もしないのは、なんか違う!
「それなら……シャボンが行くなら私も行くよ!」
元を辿れば私の責任だし、とリーちゃんが続ける。
でもそれは……。
「ダメだよ!」
「ど、どうして!」
「だって、リーちゃんは死んだら戻って来れないんだよ!?」
そんなの、嫌だよ。わたしなら戻れる。また戻って来れる。
だけどリーちゃんは、死んだらおしまい。それまでだ。
でも、リーちゃんの考えはわたしとは違う様だった。
「それは、それは私だって同じだよ! 私だってシャボンが死んだら悲しいし、もし戻って来なかったらって考えると……」
リーちゃんがその場に崩れ落ちる。
お水の入ったコップを目の前でひっくり返された様な衝撃がわたしを襲う。
そうだった。リーちゃんはわたしが寂しくないように蟲の蔓延る中を待ってくれる様な優しい人だ。それなのにわたしは死ぬ前提で……。
いや、でも、だからこそ。
「リーちゃん、大丈夫。わたしは絶対戻って来るから。例え死んだとしても、戻って来る」
例え何があってもわたしがリーちゃんから離れることは無い。それがわたし達の数ヶ月間の証明だ。
「………………待ってる」
「うん! 待ってて!」
背を向けて走り出す。
リーちゃんの顔は……見てなかった。
◇
「動いて纏まって洗い流せ! 《水源動地》!!」
超純水である【オケアノス】を利用して結界外の目の前に居る蟲を粗方溶かす。
物凄い爆発音に驚いた研究者達がこちらに寄ってくる。
「おい、確かあんたは……シャボンか。なにやってんだ」
えっと、デンハイだっけ? 近くで結界を強化していた彼が話しかけてくる。さっきのシンメイの時は大丈夫だったし、問題ないよね? 結界壊れてないよね?
「ごめん! 急いでるから!」
「ちょ、おい」
「シャボン!!」
その声は……シンメイ? おっきい声出してるの初めて見たかも。
「シンメイ、なに? わたし急いでるんだけど……」
「璃嵐はどうした?」
「リーちゃんならリーチャオさんと居るけど……」
「………………ふむ、そうか」
何か含みがあったけど……そんな場合じゃない! 早く行かなきゃ!
「じゃあ、もう行くね!」
「ああ、行ってくるといい」
シンメイは手を振って送り出した……かどうかは分からない。
顔は見ていなかった。
◇
ここ、でいいのかな?
今わたしが居るのは<仙湖>の近く。シンメイと出会ったあの場所だ。芽香の戦闘の形跡と爆発音を頼りに来たけど、あってるよね。
物陰を辿り、そっと<仙湖>の周りを覗く。
居た。芽香とそとばさんだ。
「これはこれは、ようこそおいでですね」
「そとば……いや、“精神最強”くさばぁ!!」
「はい、私はくさばと呼ばれるものです」
相変わらず変な喋り方をするそとばさん……くさばさん? と怒り心頭の芽香。
「やっと見つけたぞてめぇ!」
「はて、私になんのご用がございますね」
そういえば、芽香はなんでくさばさんを追ってたんだろう。
「あたいはレジェンダリア青少年保護クラン、<
え、レジェンダリア……って、遠くない? ほぼ真逆では。
「てめぇには大多数の<マスター>及びティアンに対する精神破壊、そしてレジェンダリア軍幹部、エ・テルン・パレの殺害容疑がかかってる!」
精神破壊……と殺害!? なんてことしてるんだくさばさん! そしてそんな人と一緒にいたのかわたし達は!!
「てめぇを逮捕しに来たぜぇ、くさばぁ!!」
「そ、それは、違うですよ」
くさばさんが必死に弁明を試みる。
が、芽香は聞かない。
「知るかぁ! 死ねぇ! 《
雷を纏った拳がくさばさんを襲う。けどくさばさんは避けない。
そのまま拳は直撃し、物凄い衝撃と共にバリバリバリと電撃が炸裂する。
けど、くさばさんは吹っ飛ぶことも無く、焦げることも無く、どころか服すら焦げ付くことも無く話を続ける。
「エテさんは違うのです。エテさんは私を汚して……違って、それで……」
「うるせえ! そっちはどうでもいんだよ! あたいは<マスター>の精神破壊が許せねぇ! 《
今度は炎を纏った拳がくさばさんに刺さる。が、くさばさんは平気な様子で話を続ける。
「それも……私が始まってないなど、終わりたくなくて!」
何がいいたいのかまったく伝わってこない。でも、すごく憤っているのは分かる。
って、芽香の後ろからなんかカラフルなのが!
「芽香、後ろ! 危ない!!」
咄嗟に声が出てしまった。
わたしの声に芽香は拳を前に突き出す。
「チッ、《
突き出した拳は出現した黒い渦に飲み込まれ、代わりに芽香の背中から拳が生えた、ように見えた。
が、それは間違いで、芽香の背中側に黒い渦のもう片方が出現してそこから拳が出ていた。
カラフルなやつに拳が直撃する。けど、カラフルなやつは少し後ろに仰け反った程度だった。
芽香がこちらを凄い形相で見てくる。
「なんで来たんだぁ! シャボン!!」
「ひっ、だ、だってやっぱり一人より二人の方がいいと思って……ほら、なんか変なの出たし……」
カラフルなやつをよく見ようと、目を向ける。
「っ! 見るなァ!!」
──その忠告は遅かった。
宇宙だった。
まるでテレビの砂嵐のような、それを凝縮させて、まあるくしたような。それがリアルに出現したような。そんなシュールなおぞましさがある。
まるで金属の様な、複雑に、幾何学的に、規則的に、絡み合っているような。それが、浮いている。砂嵐の周りをたくさん。まるでスプーンを噛んだ時のような。それを数十倍にしたような気持ち悪さがある。
ミスマッチ。現実にあっていいものじゃない。もっと遠くのどこかに無いといけないものが、ここにある。
気持ち悪かった。
胃の中身がひっくり返った。
それでも収まらなくて、胃までもがひっくり返りそうになった。
心臓が痛い。
HPの表示は変わらず、状態異常もない。
だけど、何故か痛い。痛い。
違う。ゲームじゃない。リアルだ。
リアルが痛い。
痛い。
助けて。
いや。
あ──
「おらァ! シャボン!!」
衝撃。
何、やだ。
痛みがある。
「しっかりしろ、立てるか!? おい!!」
え、誰?
こわい。
いや、あれ。
「あ、や、芽香?」
「そうだ! 立てるよな!?」
そうだ。
そうだ、アレが…………アレ? ……ひぃっ!!
「あたいはいいから早く逃げろォ!!」
その言葉を聞くずっと前に、わたしは逃げ出していた。
足も自然に動く。
拒否している。情報を拒否している。
芽香の声は届かなかった。
──顔は、見えなかった。
一人目、脱落。
“力”でも“魔”でも“技”でもない。
人知より外れた“知”こそが、彼を最強たらしめる所以である。