□総合病院 水無月水樹
ログアウトを終えたわたしは、現実へと戻ってきた。
……あれ、わたしがゲームを始めたのは確かお昼くらい……で、日が沈むくらいまで向こうにいたと思うから……もしかして……。
「今何時!?」
ヘルメットを外してベッドの脇に置いてある時計を引ったくり、時間を確認する。
「やばいよ! 絶対カウンセリングの時間過ぎちゃってる……って、あれ?」
時計の針が指しているのはお昼すぎ、おやつの時間辺りである。
あれー? 疑問符を浮かべつつ、カーテンを開けてみると、お日様がサンサンと照りつけていた。
「いやっ、蒸発する!」
すぐにカーテンを閉める。危ない危ない。普段ならまだしも今はお水が飲めない状況だ。少しのお水も無駄にする訳には行かない。
ふー、それにしても、何でまだお昼すぎなんだろう。まさか丸々一日ゲームしてた訳でもあるまいし、そもそもそんなにしてたら流石にお医者さんに止められるよね。
うーん、ゲームの中では経過する時間が速くなるのかな? あー、なんかそんな感じの事をれーちゃんが言ってた気がする。三倍時間がどうとか。
今度聞いてみればいっか。
それよりわたし今うるさかったかな。ちょっと気が動転しちゃってたけど、ここ病院何だよね。
個室だから良かったけど、静かにしないとね。
そういえば何で個室何だろう? 昨日運ばれてからずっと個室にいるけど、相部屋に移されないのかな? 快適だからいいんだけどね。
◇
「わたしはですね。お水が大好きなんです。どこが好きかと言いますと、いろいろありますけど、まずその味ですね。お水には硬水や軟水、中硬水などいろんな種類がありますよね。でもお水には共通している点があるんです。それはお水にはミネラル以外の不純物が入っていないってことです。世の中の人達は、好きな飲み物と言えばお茶やコーヒー、オレンジジュースなど、色々な不純物の入った飲み物を挙げますが、そんなものは邪道だとわたしは思うのです。ミネラルっていう極少量の元素の集まり、それ以外に何も入っておらず、それ故に繊細な味を楽しむことが出来るお水こそが至高の飲み物だと言いたいのです。それをみんなして水に味なんてねーよとかどう考えたってコーラの方が上手いだとか何を馬鹿なことを言っているのか……あ、ごめんなさい、ちょっと興奮しちゃって。ともかく、お水というのはミネラルの量によってその繊細な味を何千通りにも変えることが出来る、まさに夢のような飲み物なんです。合成甘味料を入れて甘水にしたり、葉っぱを煮て苦水にしたりなど、あってはならない事なんです。あ、さっきからミネラルミネラルと言ってきましたけど、ミネラルが入っていない純水や超純水を馬鹿にしている訳ではないので、そこを勘違いしないで下さいね。あ、今純水と出たから言いますけど、お水の好きな点二つ目はお水は色んな姿を見せるという点なんです。純水はその名の通りミネラルが含まれていないお水の事なんですけど、これって不思議な特性があるんです。なんと、純水は何も含まれていない純粋な水だからこそ、他のものを吸着してしまうんです。その特性を使って精密な機械とかの埃を洗浄する時なんかによく利用されるんです。そんな純水なんですけど、お医者さんも学生のときに理科の実験とかで使った事ありますよね。学校では精製水っていう名前で、純水や超純水と比べると完全に不純物がないっていうわけじゃないんですけど、わたしそれをこっそり飲んで見た事があるんです。その時の衝撃は今でも忘れないですね。……なんと、不味かったんです。初めてですよ。お水を不味いだなんて感じたのは。これはお水じゃないんじゃないか、お水を騙る何かしらの液体なのでは、カルキ入ってるのではと思って、怒られるのを覚悟で理科の先生に相談に行ったんです。もちろん、怒られましたけど、その時に教えて貰った“ミネラルの旨み”や“純水、超純水の性質”などはおわかりの通り、今でもわたしの財産として残り続けています。そしてその時でしたね。お水の味わうこと、お水に包まれ生命を感じること以外の第三の選択肢、お水を見て、眺めて、観察して楽しむことに気がついたのは。お水の流れ、お水の波紋、決まった形は無く、まさに千差万別。そんなお水の持つ一面に、さらに惹かれていったのは必然だったんでしょうね……水時計を初めて見た時はまさに先人達の知恵に感謝しましたよ。わたしの先祖を辿っていくとこんなにも素晴らしい物を創り出せる者達がいるということを誇りにさえ思います。……あ、少し話が逸れましたね。えっと、つまり何が言いたいのかというと、芸術とはお水であり、お水とは芸術だという事なのです。川の流れ、太古の昔より姿を変え続けるその流れ、昔は大河だったかもしれない。はたまたただの水たまりに過ぎなかったのかもしれない。そんな空想にふけることが出来る。そこまで含めて芸術なのです。まさに歴史が創り出した一切果てることのない永遠の美。そして、そんな川に一つの小石を落として見る。生まれる波紋。それがまた美しさを引き出してくれる。風流という言葉をすでに通り越している、超越している何か。わたしごときがどれだけ言葉を尽くしても、流れる川の、その波紋の美しさを表すことなど出来ないのです。だけど、その美しさには無限の可能性がある。落とす速さ、角度はもちろん落とす時間、時期、落とす人が違うだけでもまた違った波紋を見せてくれる。まさに一瞬の儚き美。人が辿り着くことの叶わない一つの美の終着点なのです。そんな色んな姿を見せるお水がわたしは大好きなんです。そして! 何よりわたしがお水を好きな理由は! お水が全ての生命の源であり母だからなのです! ……こほん、人は羊水という名のお水の中で育ちます。あ、羊水にはミネラル以外にも入ってるじゃんっていう揚げ足取りはやめてくださいね。今はそんな話をしている訳ではないので。で、羊水に包まれるというのは、全ての動物の原初の記憶なのです。何かに包まれると安心する。人がハグをしたり、布団に全身を包み込んだりするのも、この羊水に包まれているという記憶を想起しているからこそ。遺伝子に刻まれた母の優しさ、温かさ。それは動物であれば誰しもに平等にもたらされるものなのです。そしてそれがお水であるなら尚のこと癒される。何せお水とは液体、つまりほぼ羊水なのです。わたしはお水に包まれるのが大好きです。それは羊水に浸かっていた頃の記憶を想起できるから。自らの生命に触れることが出来るから。自分が今生きているって再確認することが出来るから。だからわたしはお水に包まれるんです──」
〜1時間経過〜
「──以上がわたしがお水が好きな理由で、わたしが水中毒になった理由で、今水が飲みたい、お風呂に入りたい理由です。病院にマイ水時計がなかったらわたしは今頃発狂していると思います」
「え……あ、そう。うん、き、君が水が好きな理由がよく分かったよ。ありがとう。えっと……これでカウンセリングは終わりだよ、じゃあね」
「はい! ありがとうございました!」
何故か顔を引き攣らせていたお医者さんは最初の質問に答えただけなのにカウンセリングを終わらせてそそくさと去っていった。
あれー? わたしがお水が好きなことについての熱意を話すって事じゃなかったのかなー?
◇
「水樹って本当にアホだよね」
「なにおぅ!」
昨日のカウンセリングでの事をれーちゃんに聞いてみると、呆れ顔でそう言われた。れーちゃんったら好き放題言っちゃって。
「そっちがその気ならこっちにも考えが……」
「──水の飲み過ぎで高校生にもなっておねしょ」
「すいません許してください何でもしますから」
それを言われたらこちらとしては何も言い返せない……。なんとか墓場まで持って行って貰わねば。
「はあ……水樹の普段の熱意で水について語ったら医者だってびっくりするの。そのくらいわかるでしょ?」
「なるほど」
たしかに、ちょっと熱くなってしまったかもしれない。
「……一時間も喋って、ちょっと?」
「うん」
当たり前じゃん。お水についてならいくら語っても語り尽くせないよ。
「……ああ、そう。まあ、どうでもいいわ。で、あと一週間もすれば退院出来るんだって? 良かったじゃない」
「いやー、でもさあ、それまでお水を一滴も飲むなって言うんだよ? お風呂もお湯を飲むかもしれないからだめで、体を濡れタオルでふくだけだし……」
いくらお水大好きなわたしでも流石にお風呂のお水を飲むなんて……そんな事は……しないと思うよ?
「でも代わりに経口補水液飲んでるんでしょ? それでいいんじゃないの?」
「あの余計な不純物が入った甘塩水とお水はぜんっぜん違うから!」
「あーはいはい、ごめん。……はあ、めんどくさ」
「なんか言った?」
「めんどくさいって言った」
そこは誤魔化さないんだ……。
「もういいでしょ。時間は限られてるんだから。特に私は明日から学校だしね」
「おやおや、可哀想に。わたしは明日も休日なんだよねー」
羨ましかろう、へっへっへ。
「……勉強遅れても知らないから」
へ!?
「そ、それは困る!」
「がんばれー」
「え、そんなー、勉強教えてよー!」
その後いろいろと交渉を重ねた結果、わたしのデンドロでの生活の報告と引き換えに勉強を教えてくれる事になった。
れーちゃんはきっと最初からわたしに勉強を教えてくれるつもりだったのだろう。初めから勉強道具を、しかもわたしの分まで用意してるし。
そもそもいつものれーちゃんだったらこんなにわたしに有利な条件を付けない。絶対に。
れーちゃんったら、なんだかんだ言って優しいんだからー。
◇
「ふーん。水樹は【水術師】になったんだ」
「うん。よくわかんないけど、わたしに一番合ってるらしいよ」
勉強もひと通り教えて貰い、休憩替わりに昨日デンドロで起こった出来事を話してあげた。
「それより、水樹はどんな<エンブリオ>になったのよ?」
「あー、そういえばまだ<エンブリオ>生まれてないなー」
「え、まだ第0形態のままなの? 私は割とすぐに産まれたんだけど」
えー? なんでだろ。何か原因があるのかな?
「ちなみに、れーちゃんはどんな<エンブリオ>なの?」
「……まあそれはいいじゃない。あ、もうこんな時間。私、これからお昼食べてデンドロしないといけないから、もう帰るわ。じゃあね」
「……ばいばーい」
すごい早口でまくし立て、れーちゃんはそそくさと病室を後にした。
いや、怪しすぎるでしょ!?
そんなに言いたくない<エンブリオ>だったのかな? どんなのだろう。
……まあ、どうでもいっか。どうせいつか会いにいくつもりだし。その時に聞かせてもらおうかな。
◇
味気ない病院食も食べたし、わたしもデンドロやろっと。
そろそろ水を補充しなければ、昨日の様な醜態を晒してしまう前に。
ヘルメットを被ってスイッチを入れた。
◇
<幻花>の客間、そのベッドにて目を覚ます。
辺りはまだ真っ暗で、虫の声が聞こえてくる程に静まり返っていた。
あ、そうか。
現実とデンドロで三倍時間が違うってことは、現実の時間とデンドロでの時間が同じにはならないのか。
あれ、ということは、デンドロ時間ではわたしが寝てからもう……二日は経ったってこと?
これってまずくない?
わたし二日間もずっと寝たままのヤバイやつじゃないですか。
これはリーちゃんにどう説明すればいいのか……。
わたしは頭を抱えることになった。
といったところで、わたしは左手のとある変化に気づく。
左手の甲に埋め込まれていた赤い宝石が無くなり、代わりに“湖と波紋”の紋章が刻まれている。
孵化したんだ。わたしの<エンブリオ>。どんなのなのかな。
でも今出したらきっとうるさくなるよね。朝になったらでいいか。
夜の間は、リーちゃんから貰って収納鞄に入れていた水を飲んだり、暇なのでヘルプを見たり、あまりのつまらなさに気付けば寝てたり、二度寝したりして過ごした。