ソウルまで12キロまで迫っていた国連軍はソウルが激戦になると予想し進撃を一時中断した。
朝鮮半島にも航空基地が完成し陸軍航空隊戦闘機による制空権を確保し戦闘爆撃機による攻撃がソウルに対して行われた。また日本の福岡にある航空基地からB−29爆撃機が飛来し戦略爆撃が連日行われた。
またソウル突入に先駆けて火砲による砲撃が行われた。
2週間にわたり砲撃、戦略爆撃、機銃掃射が連日行われたのちに韓国第1海兵団を主力とした部隊がソウルに突入した。
市内には現存する建造物はほとんど存在せず瓦礫が山のように積みあがっていた。しかし北朝鮮軍はその瓦礫の中に戦車を埋め地下にトンネルを掘り奇襲作戦をとった。
韓国第1海兵団は奇襲を受けながらも市内の半数を手中に収めたが損害が無視できない程になり撤退した。
その後はアメリカ第1機甲旅団及びアメリカ海兵隊第5師団が担当した。
「瓦礫から発砲炎!」
近くに着弾し数人の歩兵を殺傷した。
「戦車を黙らせろ!」
「徹甲弾たたき込め!撃て!」
瓦礫の中に隠れていた戦車に徹甲弾が命中し弾薬庫に引火し砲塔ごと吹き飛んだ。
すると進軍してきたアメリカ軍を一網打尽にできると考えた北朝鮮軍戦車は瓦礫の中から姿をあらわした。
「敵戦車発見!攻撃開始!」
「撃て!」
100メートルにも満たない距離で砲撃戦が始まった。
M26パーシング重戦車には損害はなかったがM4戦車イージエイトはそうもいかなかった。
イージイエイトは車体はシャーマン戦車そのものでありアップグレードはしていない為正面装甲も50ミリほどでありt−34戦車の85ミリ砲によって簡単に撃破されてしまった。
しかしイギリス軍戦車部隊が救援に駆けつけた為被害は最小限で済んだ。
こうしてソウルを国連軍は北朝鮮軍から奪還し凱旋をはたした。
しかしソウル市民はこの凱旋に喜んでいる人間はあまりいなかった。
北朝鮮が攻めてきたときに市民を守るはずの韓国軍は市民を見捨ててソウルを去ったからだ。
しかも市民が橋を渡っている最中であるのにも関わらず橋を爆破し市民100名以上が爆破に巻き込まれた。
国連軍は前線司令部をソウルに移した。
国連軍は次の作戦を考えていた。
今まで使用していた港ではソウルから100キロ以上離れており補給線が伸びきっている状態である。
その為ソウルから近く北朝鮮に痛い打撃を与えられる場所として仁川が選ばれた。
仁川を確保できれば川を下り補給路を確保する事ができる。
また仁川に大規模な部隊が揚陸できれば平壌からもほど近く北朝鮮に圧力を加える事が出来る為である。
北朝鮮の武力制裁に国連軍としてトルコ、ニュージランド、ブラジル、フランスが新たに参加し第2波として編成されスエズ運河を通りシンガポールで補給の為寄港し補給を終えた後日本の佐世保港に入港し補給した後九州沖にて上陸部隊が集合し仁川に向かった。
仁川にてノルマンヂィー上陸作戦始まって以来の敵前大規模上陸作戦であった。