孤高のプリマドンナ   作:駄蛇

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第一幕:若者と死

 気付けば、私は落ちていた。

 何もない暗黒とも言える空間を、ただ終わりのない永遠を。

 

 落下(おち)て――

 堕落(おち)て――

 退化(おち)て――

 

 最早身体の動かし方、声の出し方、瞼の動かし方。そのすべてを忘れてしまった。

 そもそも自分の身体がどんなものだったかすら思い出すことができない。

 いや、最初から自分という存在はいなかったのかもしれない。

 何も持たない自分が、何物でもない存在(データ)に還る。何ら不思議ではないことだ。

 そう、これが普通のことなのだ。

 ……。

 …………。

 ……………………。

 いや、ダメだ! それだけは嫌だ!

 自分がなぜここにいるのか、自分が誰なのかわからない。でも、このまま消えていくのだけは耐えられない!

 ――――返して!

 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 何を返して欲しいのか、何を失ったのかわからない。それでも何かを求めている自分がいるのは確かだ。

 ならばこのまま消えるわけにはいかない!

 

「驚いた、こんなところに人が来るなんて……」

 

 声が、聞こえた。すでに退化して、あることすら忘れていた耳が、何時間、いや何日、いや何年振りかの声を聞き取った。

 声からして男性……いや女性?

 どちらにも聞こえる不思議な声だが、とても穏やかで優しい。

 

「迷子……はさすがに違うね。

 うっかり表の切れ目から落っこちゃったのかな。何にしてもそこは危険だ。

 もう少し落ちると彼が眠る場所に辿り着く。そうなれば侵入者扱いの君はすぐに殺される」

 

 彼、というのが誰を指すのかわからないが、声の主がこちらを心配してくれているのは伝わって来る。

 しかしこちらとしてはどうすることもできない。

 

「手を伸ばして。

 掴む動作、意思を示してくれれば、僕の方から君を拾い上げられる」

 

 言われた通りに腕を伸ばそうとする。

 全く力が入らず、そもそも自分の腕があるのかすら実感がわかないが、この暗闇に差し伸べられるであろう救いの手を求めて。

 

「上出来だ」

 

 空間が……割れる。

 まるでガラスのようにヒビが入り、どこまでも続く闇の空間が一変し、見渡す限りの緑豊かな草原が広がっていた。

 その光景を目の当たりにした瞬間、直感でわかった。ここは特異点だ。本来なら絶対に繋がることのない領域なのだと。

 そんな空間に立つ一人の人間。ぱっと見女性かと思ったが、男性のような雰囲気もある。服もゆったりと全身を覆うもので、身体のラインがはっきりしないのも相まって、どこまでも中性的な姿をした『彼』がこちらに微笑みかけていた。

「よかった、ちゃんと拾い上げられた」

 その口から発せられる声も先ほどの空間で聞いたものと同じものだ。

「でもまだ危険な状態だ。

 随分とあの空間にいたからか、身体の形が曖昧だ。今は大丈夫かもしれないけど、さすがにそのままでは自己消滅してしまうかもしれない」

『彼』が言っている意味はわからなかったが、その柔らかな物腰に自然とこちらも無防備になってしまう。

「自分の名前は思い出せる?」

 名前……わからない。

 ただ断片的には思い出せる。

「…………………………!? !?」

 声が、出ない……!

 声帯の動かし方さえ忘れてしまったらしい。

「落ち着いて。ゆっくりで大丈夫だよ」

『彼』の言葉になだめられ、一文字ずつ発音する。

 

 ――く

 

 ちゃんと声になっているのかわからないが、精一杯の力を込めて……

 

 ――し

 

 元の名の順番など関係なく、思い出した文字を一つ一つ紡いで……

 

 ――は

 

 散らばったパズルのピースを集めて並べていくように……

 

 ――み、な

 

 ………………………それもこれが限界。

 言葉が浮かんでこない。どうやらこの先の文字は散らばっているのではなく失っているようで、どうしようと戻らない。

 黙り込んでいると状況を察した『彼』は顎に手を当てて考え始めた。

「くしはみな……

 発音と文字の羅列からして東洋の名前だね。

 名前には詳しくはないけど、完全な名前ではなさそうだし、きちんと思い出せないのかな」

「……………」

 まだ満足に声は出せないが、頷くことで肯定する。

「なら、こういうのはどうかな」

 そういうと『彼』はもう片方の手を動かす。

 それにつられるように地面の草木が蠢き、みるみるうちにそれらは文字の形を成す。

櫛波(くしは)湊人(みなと)

 東洋の象形文字……漢字だったかな。

 僕もさすがに全ての文字の意味はわからないから、さっきの君の名前に該当する読み方の漢字を検索して当てはめることしか出来ないけど……」

『彼』の指が人という文字を指す。

「この一番右の文字。

 これは『人間』を指す文字らしいね。

 君を形作る最も重要な文字だから加えてみたよ。急造品ではあるけど、ひとまずこの名前でどうだろう?」

 ……………………ああ。

『彼』はこれを急造品という。しかしこれほど嬉しいものはない。

 パキパキと自分の身体が音を立てる。まるで蛹から成虫が出る準備をするように。この名前を起点に、自分が確固たる『人』として形作られていくのを実感した。

 そして、ようやく『自分』を観測する。視界に映る脱色したように白色の髪の毛、腕は細く、茶色を基調とした制服に身を包んでいる。スカートを履いていることと、多少なりとも膨らんだ胸部を見て、自分の性別が女だったのだと理解した。

「あり、がとう」

 得体の知れない自分にここまでしてくれたのだからせめてお礼を言わなければと改めて『彼』と向き合う。

 人の形は成しているが声帯の方は完全に退化しているらしい。とりあえず声は出るが我ながらかなりたどたどしい。それでも『彼』は優しく微笑んでくれる。

「どういたしまして。ようやく君の顔を見ることができたよ、ミナト。

 それで、気分はどうだい?」

「たぶん、大丈夫」

 今のところ軽く身体を動かす程度の確認しかできないが、声が出しづらいこと以外は特に違和感などはない。

 ただ、満たされた心の中に未だにシコリのように一つの感情が残っている。

「でも、頭の中に、『返して』って言葉が、ずっと……ゲホッゴホッ!?」

「落ち着いて。君が思っている以上に君の身体は衰弱している。普通に声を出すだけでもかなり無理をしてるみたいだ。僕はちゃんと聞いているから、ゆっくりでいいよ」

 その心遣いに甘えて、一言ずつゆっくりと自分の中にある言葉を声にする。

 自分の中に『返して』という声がずっと響いていること。何を返してほしいのか、何を失ったのか、それすらも思い出せないが、たしかに何かを返してほしいと願ってること。

 かなり時間がかかったし、口に出してみても曖昧なままだというのに目の前の『彼』は頷き、そして真剣に対応してくれる。

「いろいろと欠落したみたいだし、返してほしい物に関する記憶を失っているのかもしれないね。

 でも困ったな。手伝いたい気持ちは山々だけど、君たちのいる世界へ必要以上に僕が干渉するとどんな不具合が起きるか予測できないし……」

 しばし思索した後、何かを思いついたらしく『彼』はおもむろにこちらの手首を掴んだ。

 次の瞬間、『彼』の手が植物の蔦となって私の手首に巻きつき、ブレスレットの形に形成された。

「…………?」

「僕の力の一部を礼装として落とし込んでみたよ。遠見の魔術として機能するはずだから、君の探し物の手助けになると思う」

 たしかに、意識を集中させると視野が広くなり、この空間内のどこに何があるのかなどが頭に流れ込んでくる感覚がある。未だ何を求めているのかわからないが、闇雲に探すことは避けられそうだ。

 でも、どうして『彼』はここまでしてくれるのだろう?

「……これじゃあ不服かな?」

「っ! ……っ!!」

 あらぬ誤解を生みかけたので慌てて首を横に降る。

「どう、して……私を、手助けして、くれるの?」

「ああ、そういうことか。

 僕がこの姿になるきっかけになったある人が、今みたいにいろいろと手を施してくれたんだ。ここに来れたということは君と僕には何かしらの縁があるようだし、せっかくだから今度は僕がその真似をしてみただけだよ。

 あとは……」

『彼』は少し悲しそうに、しかし懐かしそうに顔を綻ばせる。

「僕たちはよく似ているから、かな」

「似て、る?」

 その言葉の意味を尋ねようとしたところで、突如として緑が生い茂る空間に亀裂が走った。亀裂は止まることなく広がり、そこにあった空間がガラスのように割れる。割れた隙間の奥からは得体の知れない漆黒の闇がこちらを覗き込み、そしてその闇はブラックホールのごとく周囲の草木や空気までもを飲み込んでいく。

「いけない。騙し騙し長引かせてみたけど限界だ。この空間はもうすぐ崩壊する。

 ミナト、手を。君が元いた世界の手前までは僕が責任を持って送り届け――」

 伸ばされた手を掴んだその瞬間、『彼』の腕を両断するように目の前の空間が割れ、なす術なくその裂け目な吸い込まれてしまった。

 どこか遠くから、先ほどの優しい声が切羽詰まった様子で呼びかけてくれる。

 

「ミナト、必ず僕が迎えに行く。だから持ち堪えるんだ――」

 

 その言葉を最後に、私の身体は再び闇の中へと放り出された。

 

 

 ぼんやりとした意識がだんだんと鮮明になっていく。起床時特有の気だるさを感じながら重い瞼を開けると、『彼』のいた草木に囲まれた自然豊かな景色とは一変。霧に包まれた石畳やレンガの建造物に囲まれた近代的な街並みが広がっていた。

 直接見たことはないが、知識として記憶している景色としては19世紀のイギリスのそれに近い気がする。

「空気が、ひどい……」

 どうやら空気まで再現しているらしい。本当に19世紀のイギリスにタイムスリップした可能性もよぎるが、おそらく違うのだろう。

「SE.RA.PH。これが月……ムーンセルの中に作られた世界?」

 おぼろげながらも覚えている知識は確かにそうだと言っているが、にわかには信じられない。

 魔術師から派生したウィザードと呼ばれるハッカーがいることも、過去の英雄をサーヴァントと言う使い魔として使役して、万能の願望機を得るための殺し合い……聖杯戦争が行われていることも。すべて実感がわかない。

 はっきりと覚えているのは学生として何ら変わりない生活を送っていたことぐらいだ。

 だが、意識を失っても手放さなかった『彼』の右腕が、この不思議な出来事が夢ではないことを証明しているような気がした。

(そういえば、名前聞けなかったな……)

 持っていても仕方ないかもしれないが、むやみに捨てる気も起こらず、とりあえずそのまま抱えた状態で行動に移る。

 まずは誰かに合わないことには話は始まらないのだ。未だ声帯が衰えているため、誰かに会ったときにスムーズに話せるように発声練習でもしておきたかったが、この環境では逆に喉を傷めてしまいそうだから我慢しよう。

『彼』から貰ったブレスレットのお陰で少し進んだ先に何か動く気配が集団でいることがわかっているのは不幸中の幸いだ。

 煙とすすが混じった霧に包まれた街を進むこと数十分、入り組んだ道に迷いながらもようやくブレスレットの力で知覚した気配がかなり近くなってきた。

 あとは目の前の曲がり角を越えればすぐそこだ。そうとわかった瞬間無意識に走り出した。『彼』のブレスレッドがあるおかげで孤独でないと自分に言い聞かせる事はできたが、やはり一人ぼっちで行動するというのは自分が思う以上に精神的に堪えていたらしい。

 櫛波湊人という人格がはっきりしてからここまで、『彼』以外に誰にも会わなかったのも合わさって高鳴る鼓動を抑え切れず、足早に曲がり角を曲がりその先を覗き込んだ。

「あ、あの………………え?」

 確かにそこには自分以外の存在がいた。ただし人ではない。右手に両刃の片手剣を携え、甲冑のようなものを纏った人形が佇んでいた。

 冷静に考えると、動く気配とまではわかっていたがそれが人であるかどうかはわかっていなかった。だが後悔してももう遅い。

 自分の中の記憶が全身へ警笛を鳴らす。

 ――あれは危険な存在だ、と。

 すでに鎧人形たちにこちらの存在はバレ、剣を構えて戦闘態勢を取っている。

「あ、ああああああああああああああっ!!!」

 気づけばなりふり構わずに鎧人形に背を向けて走り出していた。

 後方からガシャガシャと金属同士がぶつかる音が追ってくる。なぜこんなところにあのような鎧人形がいるのかはわからない。だが、追いつかれれば死が待っているという事だけは容易に想像できた。故に走り続ける。

 幸いここは入り組んだ道が続く街の中。ここを最大限に利用すれば逃げ切れないこともないはずだ。

 心の拠り所として『彼』の右腕を握りしめて曲がり角を右へ左へ、自分でも混乱するほどランダムに逃げ続ける。今自分がどこにいるのかブレスレットに意識を集中して把握する暇もないが、次第に追っ手の音が遠のいていくのは感じ取れた。

 だが、一つ大切なことを失念ていた。

 入り組んでいる道は巡り巡って元来た道に繋がっていることがあることを、そしてそこを進む方向を統一せず移動すればいずれどういう結果を生むのかを……

「――――あ」

 このままいけば逃げ切れるという気のゆるみもあっただろう。狭い路地を抜け大通りに出た先で、例の鎧人形と鉢合わせをする形となった。どうやら知らず知らずのうちに迂回するコースを走っていたらしい。

 思わぬところで対面することになると、先に鎧人形の方が動き、その手に握る片手剣を容赦なく振り下ろす。とっさに地面を転がることで避けられたが二度目はないだろう。

「はっ、はっ、は……は……く、逃げ――」

 石畳に舗装された道から外れ、霧などの水分で濡れた草木が生い茂る地面で全身を泥だらけになりながら次の攻撃に警戒して体勢を立て直そうとしたそのとき、空から新たな人影が降ってきた。

 シルエットからして女性。いや少女か。そしてまず目に入ったのは地面につきそうなほど長く、このような悪環境でも関係なく鮮やかに輝く薄紫色の髪。続いて特徴的なのは両足の脚具。全体的にはハイヒールのような造形となっているが、その細部は剣や棘といった鋭利な凶器が備わっている。そして最後に目に入った……というより少し現実逃避をして見ないふりをしていた服装にはそれまでの特徴が弱く感じるほどの衝撃を与えられた。

 上は袖の長いコートのようなものなのだが腹部が全然隠せていないというか隠す気がない。そしてなにより、下は秘部だけを隠すプロテクターのみというとんでもない服装だった。

 情報量が多すぎて鎧人形がその少女の下敷きとなりあっさりと倒されたということに気づくのに遅れてしまった。

「あら、下にエネミーがいたのね。ごめんあそばせ?」

 優雅に、しかし嗜虐的な表情で歌うように少女の口から言葉が紡がれる。それだけで容易に理解できた。

 彼女は『狩る側』の人間だ。彼女の前では私のような存在は彼女の欲望を満たすための遊び道具でしかない。それほどまでの絶対強者。

 エネミーと称された鎧人形を道端の石ころのごとく蹴り飛ばした少女は、そこでようやくこちらの存在に気付いた。

「驚いたわ。まさかこんなところに人間が――」

 狩る側に見つかってしまった哀れな弱者に向ける表情が揺らいだ。

「そんな……嘘。まさか……いえ、そんなはずは……たしかにあの時ちゃんとドレインしたはず……」

 見下すような視線が驚愕に変わり、何やら小さく呟いている。

 これは逃げるチャンスだろうか……? できる限り相手を刺激しないようゆっくりと立ち上がろうと両手に力を込めたその瞬間、彼女の横薙ぎの蹴りが周りの霧を巻き込むことで水の刃となって私のすぐ上を走り抜けた。

 その一撃で近くにあった街灯はいとも簡単に両断され、出店か何かだったのだろう屋台は無残に砕け散る。その光景にいやでもその威力を理解して背筋が凍る。

「動かないで、人間。貴女にはいろいろと聞かないといけないことがあるの。これから私がする質問に正直に答えなさい。

 嘘をつこうとか、逃げようなんて考えないことね。でなければ、貴女の首が飛ぶわよ」

 冗談を言っている様子はない。彼女に逆らえば次は自分があの街灯のようになることだろう。

 素直に頷くがひとつだけ問題点がある。しかしその対策をする暇は与えてくれない。

「素直なのはいいことよ。

 じゃあ一つ目の質問。貴女の名前は?」

「く……く、し……」

 声帯が衰えているため満足に声を出すことができない。さらにそのことに焦っているため余計に言葉が喉でつっかえる。

 そして、それが彼女の癇に障ったらしい。今度は威嚇ではなくこちらの身体を両断すべく足が振るわれる。

「――――ひっ!」

 避けることは不可能。絶対的な死が迫るのを目を固くつぶり身構えるが、いつまでたってもその感覚はない。

 恐る恐る目を開けているが自分の身体は無事だ。運良く軌道が外れたのだろうか?

 しかし目の前の少女の表情は再び驚愕に目を見開いていた。

「……すり抜けた? ホログラムか何か、いえそれなら流石に気付く。

 なら幻覚の類……いや、あの人にそんな能力があるはずないわ。ならやはりこの人間は別人?」

 相変わらず彼女の呟き声はほとんど聞き取ることはできない。ただ彼女の様子では、さきほどの一撃はたしかに自分に直撃したらしかった。

 だがそれならばなぜ自分は生きている?

 不安で無意識に『彼』の右腕を強く抱きしめると、ある違和感に気付いた。少女を刺激しないよう慎重に確認すると、抱えていた右腕の手首部分が鋭利な刃物で切られたように両断されていたのだ。

 落とさないようにずっと抱えていたのだからそれだけが切り裂かれるなんてことはあり得ない。

 もしかして、自分の身体だけをすり抜けたというのだろうか……?

「……動揺でらしくないことをしてしまったわね。少し落ち着きましょうメルトリリス。ええ、そうよ、さっきの行動は優雅じゃなかったわ。

 私はもう完璧な存在。弱者相手に遅れを取ることは有り得ないわ」

 自分に言い聞かせるような口調とともに自分をメルトリリスと呼んだ少女は息を整えたのち、再び最初の優雅さと嗜虐性を兼ね備えた表情でこちらに問いかける。

「あらためまして、人間。私はメルトリリス。このムーンセルの頂点に君臨するプリマドンナ。

 貴女の存在は見ているだけで私の癪に触るのだけれど、ひとまず処遇に関しては貴女の言い分を全て聞いてから考えることにするわ。

 それじゃあ人間、もう一度聞くけど貴女の名前は?」

 再びメルトリリスに自分の名を問われる。しかしこの短時間で声が出るはずもない。

「あ……あ……」

「……貴女、もしかして喋れないの?」

 再び眉をひそめるメルトリリスだが、再び蹴りが来る前にこちらの状態に気づいてくれた。そのことに心底ホッとしながら何度も首を縦に振る。

 それに対してメルトリリスはため息をつき、足元に転がっていたエネミーの片手剣をこちらに蹴り飛ばした。

「それで地面に文字を書きなさい。まさか、文字すら知らない赤子なんてことはないでしょう?」

 これ以上手を煩わせるな、という視線を受けすぐさま短剣で自分の名前を彫る。

 幸い自分がいる場所は石畳ではなく土の上だ。文字を彫るのにそこまで苦労はなかった。

 恐怖で震える手を無理やり動かし、『彼』からもらった名前を刻む。

櫛波(くしは)……湊人(みなと)

 それが貴女の名前でいいのね? 嘘偽りもなく本当に?」

 首が取れそうなほど縦に振ってその問いを肯定すると、メルトリリスはホッと息を吐いた。

「それもそうよね。私のドレインは完璧だもの。それに、よく見れば髪の色も違うじゃない。他人の空似よ」

 どうやら、彼女の中で何か納得がいったらしい。何が何だか分からないが、ひとまず助かっ――

「――なら心置きなく殺せるわね」

 メルトリリスの姿が消えたかと思えば、次の瞬間には腹部に彼女の脚具の棘が深々と突き刺さっていた。

「…………え?」

 いきなりのことで頭の整理が追いつかない。

 なぜ名前について執拗に聞いてきたのか。

 なぜいきなり攻撃してきたのか。

 そして、()()()()()()()のか。

 彼女が密着しているためよくわからないが、間違いなく彼女の棘は私の身体を貫通しているはずだ。なのに痛みというものが全く感じられない。もともと痛みを感じない体質というわけでも、死が近くなり感覚が麻痺しているという感じでもない。

 それはメルトリリスも感じたらしく、驚いた様子でまじまじと突き刺した場所を見ていた。

「貴女、不思議な体質をしているのね。私が手で触れている部分はちゃんと実体があるのに、攻撃された部分だけまるで手応えがない。どういう原理かしら?」

 そんなもの自分が知りたい。

 そもそも自分がこんな摩訶不思議な体質なのだと今初めて知ったのだから。

「それにしても運がいいわね。本来の私ならこんな手品を使っても問答無用でドレインできたのだけれど、今の私じゃ貴女のような曖昧なものからは何も吸い取ることができないの。

 ……今回は見逃してあげる。さっさと何処へでも行きなさい。私は貴女みたいなのに構っていられるほど暇じゃないの」

 突き刺した棘を引き抜きわざとらしくため息をつくと、彼女はこちらに背を向けてこの場から去ろうとする。今度こそ助かったのだ。身の安全のためにも、これ以上彼女の神経を逆なでするようなことはするべきではないだろう。

「――――――」

 だというのに、気付けばその腕を掴んでいた。

 どうしてそんな行動をとったのか、自分のしたことながらどうしてそうしたのかまったくわからない。ただ単純に一人になるのが嫌なだけだったかもしれないし、何か他の理由があったのかもしれない。

 少なくとも一つ言えるのは、腕を掴まれた瞬間の彼女の悲しそうな表情になぜか胸が苦しくなった。

「な、何のつもりかしら? あまり生意気なことをしていると容赦しないわよ?」

「あな、たは……わ、私のこと、何、か……知ってるんだよ、ね?」

「っ! 知らない。貴女のことなんて知るもんですか。

 私が知っているのは……私の大切な『あの人』は、もう私の中にいるの。私と一体となっているの!

 だから貴女は他人の空似。別人なのよ!」

 掴まれた腕を乱暴に振りほどき、威圧するようにメルトリリスは脚具を石畳に打ち付ける。

 だがこちらも引き下がるわけにはいかない理由ができた。

「わ、たしは、返し、て……もらいたいもの、が、あるの……

 でも、今の、何も覚えてない、ままじゃ……たぶん、見、つからない。だから……――!」

 彼女と面と向かうのは怖い。でも逃げるわけにはいかない。

「何でもいいから、教え、て……っ!

 私は……誰と似ている、の?」

「っ!! ああそう……」

 ギリっと奥歯を噛み締めたメルトリリスはどこか諦めたように、しかし嗜虐的な笑みはそのままで近づいてくる。

 そして、その鋭利な脚具を振り下ろして私の手を地面に縫い止める。さっきの感覚が正しいのなら、実際は縫いとめられていないだろう。

 しかし、彼女の放つ威圧感はそんなことを忘れさせるには十分だった。

「なら、私についてきてもいいわよ。

 ただし、貴女の人間性は極限まで排除させてもらうけれど。

 まず一つ目、私の方から話しかけるか、許可を出した時以外の貴女の発言を禁止します。

 二つ目、私の行動、発言に対してはすべて肯定すること。反論はもちろん、そういう素ぶりをするこのも許さない。抵抗なんて論外だから。

 そして三つ目――」

 メルトリリスは先程破壊した露店にかけられていた布を拾い、乱雑に私の頭に被せた。

「――その顔を私に見せないで。許可なく触れることも許さないわ」

 また、さっきの悲しそうな表情を見せるメルトリリス。

「……これで全部よ。それでもいいのなら私に同行することを許してあげる。

 どう、何者でもない人形さん?」

 喋ること、抵抗すること、顔を見せること、触れること。おおよそ考えられる彼女とのコミュニケーション手段をすべて封じられてしまった。

 最初から同行など想定していないのがよくわかった。だが、迷わず首を縦に振った。

「っ、いいわ。ならついてきなさい、人形」

 頷かれるとは思っていなかったのだろう。表情を変えまいと努めているが口元が引きつっているのがわかった。

 それでも約束通り同行を許可してくれたのは素直に嬉しかった。

「まずはここから離れるわよ。

 どうしてもこの辺りを探索しないといけないから我慢してたけれど、こんなジメジメしたところ長居したくないもの」

 言うが早く、メルトリリスは跳躍して早々にこの場から離脱していった。

 ……私を置いて。

「……………………マジですか」

 さっそく約束を破ってしまったがその場にメルトリリスがいないからノーカンということにしてもらおう。

 何にしてもまずは彼女に追いつかなくては話が始まらない。意識を集中させて『彼』から貰ったブレスレットで彼女の位置を突き止める。どうやらすでに一キロほど先を猛スピードで駆け抜けているらしい。

 本当に容赦ないな……

 そしてメルトリリスの反応とは別にこちらに近づいてくるエネミーの反応が数体知覚できた。さっきまで追いかけられていたものと同種だろう。

 次見つかれば今度こそおしまいだ。

 慌てて彼女の後を追ってこの場を後にした。




おおよそのどういう世界線のメルトなのかは察した人もいるかと思いますが、少しひねっています。
詳細は後々明らかになります(いつその話が更新されるかわかりませんが)

どうか気長にお待ちください。
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