ーヴァージニア・ウルフー
『記念すべき300戦目は俺の勝ちだな、キリト。何でも1つだけ言うことを聞くって約束だったよな?』
『バカ言うな。200戦目は俺の勝ちだったぞ。その時の約束がまだだ』
ああ、これは夢だ。
『さてなんのことやら』
『お前この野郎!』
まだアイツが覚めることのない眠りに就く前、日常を謳歌していた何でもない平穏な日々。
『まーたやってる。あのバカ二人』
『好きに
『ふふっ、シノのんもすっかり馴染んだね』
『俺はキリの字に2000』
『俺はアルトに3000だ』
『ならオレっちは大穴でアーちゃんに4000出すヨ』
俺とアイツが些細なことで戦い、それを見ていたリズ、アスナ、シノンが呆れながら観戦して、クラインとエギル、アルゴが賭け始める。
『兄ちゃん!頑張れー!』
『キリトくんも負けるなー!』
『あっ……武器が壊れちゃいましたね』
『あんたらー!!』
『『ギャーー!!』』
ユウキとリーファが応援をしてシリカが武器が壊れたことを知らせれば二人まとめてリズにしばかれる。
何度も繰り返していた日常だったけれど、不思議と充実していた。失われた時はじめてその価値を知る、とは誰の弁だったか。
口が悪くて捻くれてて粗暴で義理堅くて情に厚い。
いつの時代の人間だよ、とツッコミたくなるときもあるけど一貫して言えることはーー
仲間思いのお人好しだ。
いつも通り5時半に目が醒める。苦手だった早起きが、この世界に来てからは出来るようになった。その事実に、今更ながら感嘆する。これなら、直葉に叩き起こされることもないだろう。これもセルカのお蔭だ、と俺は昨日のことをふと思い出す。
――試合はユージオの勝利。その流れるような美しい剣捌きに全員が唖然としていた。
ユージオの勝利を疑っていた訳ではない。俺がみっちり教えたのだ。自慢する訳ではないが、そこいらの衛士ならば勝てる位には鍛えたと自負している。
俺が驚いたのは、ユージオが俺の想像を遥かに越える剣捌きをみせたことだ。片手剣ソードスキル《スラント》。俺が教えても、見せてもいないその技をまさか使うとは思ってもいなかった。
思い浮かぶのは、一人で懸命に剣を振り続けるユージオの姿。あの技は、練習の中で偶然見つけたのだろう。しかし、無駄のないあの動き。
もしこの先、彼が研鑽を積んで俺と彼が本気で戦う時がきたら一体……
やけになって林檎酒を飲み過ぎた俺は、セルカに引きずられるように教会に戻った。
『全く、さすがに飲みすぎよキリト』
と水を差し出すセルカ。冷たい水が、頭を冷やしてくれる。
『その……悪かったな。ユージオと話したかっただろ?明日にはもう…いや、まずは謝らないとな。ごめん。勝手にユージオを連れ出すみたいなことになっちゃって』
『……本当、あんたは…』
少し頬を赤らめた後、呆れ顔をしたセルカは続ける
『確かに少し寂しいけど、嬉しいの。ユージオがあんなに笑うようになって、自分からアリス姉様を探しに行くって決めてくれて。それに、前も言ったでしょ?私は私なりに生きていく――だから安心してユージオを連れて行きなさい。貴方達が、姉様を連れて戻ってくるのを待ってるから』
そのあどけなさの残る微笑みは慈愛に溢れていた。
『あぁ、ありがとう』
『ごめん』と一言口にし、セルカに顔を近づけ、真っ白な額に軽く唇を付ける。
セルカは暫く固まり、その後、顔を真っ赤にしてこちらを睨み付けた。
『あなた……いま、何を………?』
『うーん…《剣士の誓い》みたいなものかな』
ひとつ間違えれば禁忌目録違反よ、と呆れ顔のセルカ。
『で?誓いって?』
『約束だ。必ずアリスを連れて帰ってくるよ。俺は剣士キリトだからな』
――今思い出すと少々恥ずかしいものがあるが、まぁ酔いのせいだろう。気にしたら負けだ。
俺はいつも通り礼拝をして、朝食を食べた。セルカが俺と目が合う度に顔を赤らめているように見えたのは気のせいだろう。うん。
旅立ちの朝は、見事な快晴だった。
セルカが作ってくれたお弁当の重みを感じながら、俺とユージオはザッカリアへと続く道を南へと歩いていた。
ギガスシダーのあった森への分岐点までやってきた。すると、ユージオの顔がぱっと明るくなる。そこには1人のおじいさんが俺達を待ち構えるように立っていた。
「ガリッタじい!来てくれたんだね!会えてよかった!」
なるほど。確かユージオの《天職》の前任者だっけか。ガリッタ爺はユージオの肩に手を置き、優しげな瞳をユージオに向ける。
「まさか、儂が指の長さほどしか刻めなかったギガスシダーを、倒してしまうとはな……どうやったのかだけでも、教えてくれんかのう?」
「えっと……この剣とーー」
ユージオはちらりと俺を見た。
「キリトのお陰だよ!とんでもないやつなんだ」
どんな紹介だ、と思いつつ、ぼーっとしているネルの頭を掴んで2人で頭を下げる。顔を上げた俺たちの顔をガリッタ爺は厳しく見つめていたが——程なくしてふっと緩んだ。
「なるほど、そなたらが《ベクタの迷子》か。変動の相じゃな」
そう言われて、俺は《ベクタの迷子》としてこの地に降り立っていたということを思い出した。……本当に謎が多いやつだ。
「さて、折角の旅立ちを邪魔して悪いが、少々付き合ってくれんかね? 儂からの餞別をやろう」
「……いいよね?」
「ああ、もちろん」
ガリッタ爺について歩くと、倒れたギガスシダーの元に向かっていた。すでに樹皮には細い蔦がはい回っていて、この世界の植物の生命力に驚く。だが、よく見るとギガスシダーの枝は1本たりとも折れていない。恐るべき強靭さに苦笑すら浮かべながら、俺たちは樹の先端までたどり着く。
「いったい、ここに何があるのさ?」
「これじゃ」
ユージオがぼやくと、ガリッタ爺は1本の枝を指さした。ギガスシダーのてっぺんにある真っ直ぐな枝で、結構な長さに渡って小枝1本生えていない。
「これが、ギガスシダーのすべての枝の中で最もソルスの枝を吸収した1本じゃ。切り落として北セントリアのサードレという細工師に渡せば——その青銀の剣に勝るとも劣らぬ剣が仕上がるだろう」
「ほ、ほんとうかい? ガリッタ爺……そうだよ、僕らは2人なのに剣は昨日まで1本しか無くて、この先困るなあと思ってたんだ」
ユージオは目を見開くと、《青薔薇の剣》を握って先端の枝を見下ろす。だが少し手が震えていたし——その枝は俺が振るうことになるのだから、ユージオにチェンジを申し出ることにした。
「ユージオ、俺がやるよ」
「……うん、ごめん。ちょっと思うところがあってさ……ギガスシダー、倒れちゃったんだなって……」
返す言葉がなかった。規律と変わらぬ生活を何よりの信条としているフラクトライトたちにしてみれば、ギガスシダーが倒れたという衝撃は筆舌に尽くしがたいものがあるはずだ。
俺は《青薔薇の剣》を受け取ると、迷わずに枝の根元に振り下ろす。きん、と硬い音を立てた枝は、綺麗に折れた。それを剣の腹で受け止めると上に放り、左手でずしりと掴む。ガリッタ爺がそれを重さを感じさせない手つきで軽々と受け取ると、革袋に手早く包んだ。
「これでよし、じゃ」
「……ガリッタじい、本当にありがとう。僕、僕……頑張るよ」
「うむ。……どれ、時間を取らせてすまなんだな。儂はもう少しギガスシダーを見ていこう。……さらばだユージオ、そして旅の若者よ」
透明な瞳でギガスシダーを眺めるガリッタ爺に深々とお辞儀をして、俺たちは来た道を戻り始めた。
まずは、ザッカリアの街まで歩く。その延長線上に央都がある。
色々なことがあったけれど、ようやく一歩前進だ。
「フォウ!」
「あれって……キャスパー?」
「え?……本当だ」
特徴的な鳴き声に視線を巡らせて見れば、草むらの影からこちらを見ている
……見れば見るほどなんの動物なのか分からないな。
大きさ的にはリス、犬のように四足で歩く。
鳴き声も現実の世界では聞いたことのない特徴的なものだ。
そのキャスパーがユージオの前まで来たかと思えば足の周りを回り始める。
「警戒心が強い……んだよな?」
「うん、そのはずなんだけど……」
ユージオが屈んで手を伸ばせば、キャスパーはユージオの手に飛び乗り腕を伝って肩まで登ってしまった。
「懐かれたみたいだな」
「そう、なのかな」
「フォウフォウ」
てしてしと短い前足でユージオの頬を叩く。
肩から降ろそうと手を伸ばすが、器用に肩から腕、腕から腕へと飛び移って最終的には頭の上に乗り『止めろ』とばかりに頭を掘り始めた。
ず、随分攻撃的だな。
「わぁああ!ごめん!ごめん!」
「連れていくか?」
「いてて……離れてくれないし、それしかないかな」
「フォウ」
気を取り直してザッカリアへと歩き始めた。
「はて?ここは一体どこでございましょう。どうしたものでしょうか、なにも思い出せません……名前……そう、確か私の名前はーー」
「殺生院キアラ」
遅々として話が進まない……