当初の予定より五千字も増えてしまった。アニメ通りの表現をしようとすれば長くなってくどいですね。
表現しても主観に変換するのは難しい……。
あの後ユイは物の数分で目を覚ました。特に異常も見られずキリトは帰ろうといったのだがアスナがそれに反対した。あのような怪現象の後に転移するという移動法をとりたくなかったのだろう。
サーシャの薦めもあり、教会の空き部屋に泊まることになったのだが、親馬鹿の片鱗を垣間見た気がするな。
下らないことを考えに肩を竦めて、部屋の中にポツンとある洗面台で顔を洗った。それに続けて歯も磨く。
この行為自体に大した意味はなく、物心ついた頃からの習慣でしかない。やっていないと落ち着かないというのも勿論あるが。
SAOでは風呂に入ったりなどのことは出来るが、アバターが汚れて異臭を放つこともないから、殆どのプレイヤーは風呂に入らない。口も同じで歯垢が溜まったりはしないので歯を磨いたりする者は少ない。
朝のルーチンも終え、考えたことはユイが発作を起す前の言葉。
あの時彼女は確かに「みんなのこころ」と言っていた。「みんな」と言うのがどの「みんな」であるのか、【軍】の連中か、解放されたガキ共とサーシャであるのか、それともあの場にいた全員か、更に言えばアインクラッドにいるプレイヤー全員か。
抽象的な表現である可能性も捨てきれないが。
もし本当の意味で心が分かるのだとしたら一体何モンだ?
出入り口に続くエントランスに出てみれば、サーシャにキリト、アスナの姿がある。
開かれた入り口にいるのは【軍】の女性用制服に身を包んだ女性の姿。銀色の髪をポニーテールに後ろで纏めた女性はやはりというべきか美人であった。瞳は鋭く、怜悧という様が良く似合っているが怖さは感じられない。
「おはようアルト」
近くに寄ったところで俺に気が付いたキリトが声をかけてきた。銀髪の髪の女性の視線が向けられ、彼女は軽く頭を下げてくる。彼女からは敵意は感じられず、むしろ友好的な雰囲気が伝わってくる。その様子から昨日の一件での抗議というわけではないことは分かった。
「はじめまして。私は【
「アルトだ。んで?今日は何のようだ?」
やや挑発気味に聞いてみると彼女は少し目を泳がせる。
公にはしたくない用件か。
「サーシャ。今使ってない部屋使わせてもらっていいか?」
「はい、大丈夫です。どうぞ」
サーシャが中に入るように促すとユリエールは深く頭をさげて「ありがとうございます」と礼をした。
ユリエールが通された部屋に入り、本題に移る。
「ではまず昨日の件なのですが、誠に申し訳ありませんでした。派閥は違うとはいえギルドの連中が多大なる迷惑をかけたようで」
彼女は俺達を前に深く頭を下げる。
自身に非があるなら謝罪する。基本だが歳を重ねればしづらいことだ。すんなり頭を下げれるってことは随分と人間が出来てるみたいだな。
「アルトさん。連中に痛い目を見せてくれたこと感謝します」
「やっぱあの情報は正しかった訳だ」
「あの情報?」
「昨日の内にアルゴに確認を取ったんだが、【軍】じゃ穏健派と過激派で睨み合ってる状況らしい。その一つがキバオウ筆頭の過激派。徴税部隊が所属してんのもその過激派だろ」
「キバオウって確か」
アスナはハッとして口元に手を当てた。キリトも眉間に皺を寄せている。
まだ一層のボス攻略を前にβテスターは武器を渡せと正気を疑う行動を見せたあの
「そいつはもう一方の穏健派。ギルドマスターであるシンカー派。そうだろ?」
「はい。仰る通りです。元々は【ALF】という名ではなく、【MTD】という名でした。聞いたことはありませんか?」
【MMOトゥデイ】の略。SAO開始当時の、日本最大のネットゲーム総合情報サイトで、サイトの管理者がギルドを結成した、とアスナの疑問にキリトがスラスラと自慢げに話していた。
ドヤ顔かよ。俺を見ながらとか喧嘩売ってんのか。
「図々しいと罵られるでしょうが、覚悟の上でお願いします。シンカーを助けて頂けないでしょうか」
「なにがあった?」
【軍】の心象は、はっきり言って最悪だ。一般プレイヤーからすれば【軍】内部の派閥争いなど知るよしもなく、過激派による行動ばかりが印象に残ってる。好き勝手しておいて困ったときに誰かに頼ろうなんざ、確かに図々しいと言われても仕方ねぇが、俺を含めここにいる三人はその事を知っている。
「七十四層で軍の部隊が多大なダメージを負った事は知っていますか?」
「あの場にいたからな」
「そうですか。では話が早いです。あの日、部隊を送り込んだのはキバオウです。彼は自身の一派の中で不満が溜まっているのを察知し、それを解消するために配下の中でも特に高レベルのコーバッツ達を派遣したんですが、結果は知ってのとおり。このことでキバオウは激しく糾弾され、後一歩でギルドから追放することができるところまで行ったのですが、彼はシンカーを迷宮区の最奥に通じる回廊結晶を使って罠に嵌めたのです。シンカーは『丸腰で話し合おう』という言葉に騙され、装備の類はおろか転移結晶も置いて行ってしまった。これが、三日前の出来事です」
「み、三日前!? それじゃあシンカーさんは……」
アスナの焦りも尤もだ。
装備もなくモンスターが徘徊する迷宮区に三日も放置されれば誰だって生存を諦める。
しかし、帰ってきた答えは否。
「黒鉄宮の《生命の碑》を確認したところ生存は確認できました。私が助けに行こうにも迷宮区のレベルが高すぎて私ではとても。でもそんな時に攻略組の方達が現れたと聞き、ここに来た次第です。本当に不躾で身勝手だとは思ています。ですが、どうか私と一緒にシンカーを助けていただけないでしょうか」
ここに来て何度目かの頭を深く下げて懇願するユリエールに小さく息をつく。キリト達は俺の方を見て訝しむような、疑念を抱いているような視線を送ってきた。
彼等の視線は十二分に理解できる。SAO内で人の話を簡単に信じることは出来ない。今の話が全て嘘で、逆に俺達が迷宮区に閉じ込められてしまう可能性もある。それに今回は【軍】の問題というのもあるから尚更慎重に行きたいと言うのが本音だろ。
それぐらいは分かっている。それでも誠意には誠意で報いるのが俺の主義だ。
「いいぜ。行ってやるよ」
「ほ、本当ですか!?」
「嘘は言わねぇことにしてる。お前の話も嘘じゃなさそうだ」
肩を竦めて言うが、そこでキリトに肘で小突かれた。もっと警戒しろということなんだろう。
「一体なにを根拠に了承したんだよ」
「目を見れば大体分かる」
小声で言ってくるキリトに返すが眉間に皺を寄せている。アスナも同じであるようで、言っている事が本当なら助けたいと思っているようだが、裏づけが取れない限りはと言う感じか。
すると、今までアスナの隣でつまらなそうにしていたユイがユリエールを見やって二人に告げた。
「だいじょぶだよ。パパ、ママ、その人うそついてないもん」
その言葉は今までの舌足らずな幼児のような発音ではなく、歳不相応とも思えるしっかりとした口調で断言。
本当に何モンなんだか。
「ほらな?チビもこう言ってる事だし大丈夫だろ。ガキは大人より感情の機微に敏感だって言うしな」
「チビってユイちゃんのこと!?」
「おうさ。つーわけだ行けるか?」
出来ればすぐにでも離れたい。主に憤怒の表情を浮かべるアスナから。
「ぬおおおおおお」
気合の声を上げながら右手の剣を振るい。
「りゃあああああ」
今度は左手の剣で続いて突撃してきたモンスターを切り裂く。
久々に【二刀流】を使用してストレス発散をするように戦うキリトを眺めていた。戦いぶりからして相当体を動かしたかったみたいだな。
アスナはアスナで、はしゃいでいるユイを留めていた。
二人はユイのことを教会に預ける気であったが、結果は二人が折れ、ついて来ることになった。
ユリエールの情報によると迷宮に出現するモンスターのレベルは、六十層程度らしい。この情報によってレベルが87であるアスナと、90を越えるキリトと俺がいるのだから問題はないだろうという結論に至ったわけだ。
今潜っている迷宮区は意外にも《はじまりの街》の地下に展開している。ここは上層の進み具合で解放されるのだろう。
迷宮に入って最初はキリト達は戦闘に参加せず、俺が戦うのみに留めておこうということだったのだが、戦いを見ていたキリトが触発されたようで現在はキリトが戦っている。
「シンカーの様子は?」
「はい。場所は探知できているので安全地帯にいると思われます。そこまで行けば転移結晶が使えるでしょう」
彼女が言いながらウインドウを開くとアスナ共々覗き込めば、確かに紫色に発光するウインドウの中にシンカーの名前と、彼のカーソルが赤く表示されていた。
「でもいいんでしょうか。キリトさんに任せきりで・・・」
「鬱憤が溜まってたみたいだしいいんじゃね? 鬼嫁にでも色々制限されたんだろ」
本能に任せて短剣の【ファラン】を引き抜き、叩き落とすように振るえば、金属が弾ける音と共に軽い手応えを感じる。
アスナの細剣【ランベントライト】だろう。
「すこし痛い目を見てみますか?」
目だけをそちらに向けるとイイ笑顔のアスナがいた。
完全に鬼嫁だろ。
「心の底からごめんなさい」
「わかればよろしい」
アスナは言いながら細剣を納める。
それを見ていたユイはさぞかし怖がったことだろうと彼女を見てみたものの、ユイは楽しげに笑っていた。随分肝っ玉の据わったガキだ。
「いやー戦った戦った」
巨大ガエルの大群を蹴散らしたキリトの表情は実にすっきりとしている。
「なんかドロップしたか?」
誇らしげにアイテムウインドウから赤々としたグロテスクなものを一つ取り出した。それを見た瞬間、アスナが短い悲鳴を上げる。
「これ、さっきのカエルの肉か」
「おう。《スカベンジトードの肉》ってアイテムだ。アスナこれ後で料理して――」
言うが早いかキリトの手の中の肉は姿を消した。見るとアスナが遥か後方に放り投げた後だった。さらに後ろでは煌めくポリゴンとなって消えたのが見える。
「あーあ、もったいねー」
「もったいねー」
アスナがなにやらウィンドウを操作してるが、共通化されたストレージから《スカベンジトードの肉》を破棄でもしてんだろ。
「ユイちゃん。女の子がそんな言葉遣いしちゃいけません。アルト君もユイちゃんの教育に悪いから言葉遣いに気をつけて」
「いくらなんでも捨てることはないだろアスナ! ゲテモノほど旨いって言うじゃないか! 一回ぐらい料理してくれても」
「絶対嫌ッ!!」
「普通の蛙ならまだしもスカベンジ、腐った肉を主食にしてるのはなぁ」
正しくはスカベンジャーで、腐肉食生物のことを指す。文字通り腐った肉を主食としてるわけだ。
普通の蛙や蛇だったら鶏肉に近い味がするが、その肉だけは食指も動かねぇよ。
「個人的には蛇の方が好きだが。アスナーー」
「どんな理由があろうともカエルは絶対に料理しません!蛇もね!」
「えー!!」
「まだ何も言ってねぇじゃん」
「お姉ちゃん、はじめて笑った!」
キリトは心底残念そうにへこたれたが、このやり取りを見ていたユリエールが「ぷっ」と吹き出し同時にユイが嬉しそうに声を上げる。
その声は本当に嬉しそうな声だった。そしてふと思い出す。昨日ユイが発作を起したのは、ガキ共が笑顔を浮かべたときじゃなかったか?
時間にして二時間ほど迷宮を進み、水生生物系からゴースト系やゾンビ系のモンスターを相手にし、キリトが黒い骸骨剣士を吹き飛ばしたところでその奥に光の漏れる通路が見えた。
間違いなく安全エリアだろう。先ほど確認したシンカーの位置情報と照らし合わせてもあそこでほぼ間違いないだろう。
【索敵】スキルを使用して通路を観察すると、グリーンのプレイヤーがいた。ほぼ確定でシンカーだな。
「いるな、あそこ」
「ああ」
同じく索敵スキルを使用したキリトも頷いたところで、ユリエールが駆け出した。
「シンカー!!」
安堵と嬉しさの色を孕んだ声でシンカーの名を呼びながら駆ける彼女の後を追った。
安全地帯までの距離はさほどなかったようで、十字路の手前までやってきた。その先には安全地帯である光の漏れる小部屋が見える。
「ユリエーーール!!」
「シンカーー!!」
感動の再会というヤツに笑みを浮かべるものの、シンカーが漏らした次の言葉でそのムードは一気に破壊されることになる。
「来ちゃダメだ!! その通路には!!」
一瞬彼の言葉に走る速度を緩めそうになったが、強く地面を踏み込んで速度を上げた。前方を行くユリエールはシンカーの声が届いていないようで走る速度を緩めていない。
十字路の右側の死角となっている通路に黄色いカーソルが現れ、その下には見覚えのある定冠詞の固有名が表示された。
《The Fatal-scythe》。直訳すれば【破滅の鎌】。
「待って! 止まってユリエールさん!!」
後ろからアスナの悲痛な声が聞こえる。それよりも早く駆け、前を行くユリエールに接近すると彼女を抱きこむようにして跳躍。横断する通路を飛び越し、安全地帯の手前に倒れ混む。
体が交差点に侵入した瞬間、黒い影が僅か数センチ上を通り過ぎていったようだ。
影はそのまま左の通路へと移動したが、ユリエールを即座に立たせ、彼女をシンカーのいる安全地帯の方へ放り込む。キリトとアスナも合流し、ユイをユリエールに預けると、二人はシンカーのいる安全地帯へと退避した。
大剣を構えながら先にボスと対峙しているキリトの隣に立つ。しかし、ボスを見上げた瞬間息が詰まるのを感じた。
ボスの姿は一言で表せば死神。骸骨の頭には人間と同じように目二つだが、その上には更に二つの穴が開き、ボロボロの外套を纏い手に持つ大鎌からは鮮血が滴り落ちる。
人間の恐怖を具現化したような存在に思わず溜息をつくが、問題なのは恐怖感とかそういうもんじゃない。
隣のキリトもこのボスの異常さを察知したようだ。
「コイツ、データが見えねぇぞ」
「ああ。たぶん九十層クラスだ」
アスナが背後で声を詰まらせ、キリトの頬にも汗が浮かんでおり、かなり焦っているようだ。
「キリト、アスナ。お前等は安全地帯まで退避して転移結晶使って転移しろ」
「・・・」
「アルト君は!?」
「後から行くさ。シンカーは装備なしでここを切り抜けたんだ。フル装備なら何とかなる。行け!!」
弾かれるようにしてキリトがアスナを抱えて安全地帯に退避した。それと同時に俺に向かって凶悪な光を宿した鎌が振り下ろされた。
それに応えるように大剣を振り上げ衝突する。恐るべき衝撃と圧力が上から加わったり、大剣の刀身と鎌が凄まじい火花を散らせ、床に降りかかっている。
重いっ!!俺の筋力値でも相殺できねぇのかよ!
今まで体感したことのない衝撃に思わず膝をつきそうになるが、ここで態勢を崩せば間違いなく殺される。
幸い防御のタイミングが良かったからかHPはまだグリーンゾーンだ。だが次の攻撃を喰らえばイエローは確実。直撃を受ければレッドか死が待っている。
それだけはなんとしても避けなくてはなるまいと後退し、追撃に備える。
っ!あいつ等まだ安全地帯に!
「早く行け!! そこなら脱出できるだろ!!」
怒声をあげた瞬間だった。下から掬い上げるような一撃。防御を跳ね上げられその衝撃に耐え切れず、吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。
「ぐっ!!」
なんとか持ち直して大剣を杖代わりに立ってみるものの、今の攻撃でHPはイエローの後半まで削られていた。直撃ならば死んでいただろう。
態勢を立て直す間にも死神は大鎌を掲げて俺を殺そうと近づいてくる。
「いいねぇ、ようやく暖まってきたところだ」
突撃型のソードスキル《アーヴェント》なら、一撃加えつつ離脱出来る。例え九十層クラスのボスであってもソードスキルが通用しないことはねぇだろ。
「ダメ! 戻ってユイちゃん!!」
その声に反応し声のしたほうを見ると、キリトとアスナの制止を振り切ったユイがしっかりとした足取りでボスに向かってきている。
「なにしてる! 戻って転移しろ、ユイ!!」
怒声交じりのオレの声に動じた様子もなくボスに向かって行くユイ。彼女の瞳には一切の恐怖は見えなかった。そして彼女は凛とした声音で俺達に向かって告げた。
「だいじょうぶだよ。パパ、ママ」
言うが早いか死神はユイに気が付き彼女のほうに向き直る。そして大鎌をオレではなく彼女に向けて振り下ろした。
次の瞬間襲ってきたのは金属同士がぶつかり合った時のような大音響。そして俺は見た。ユイの頭上に【Immortal Object】の文字が表示されているのを。
それは決してプレイヤーが持つことのない文字。システムによって保護された絶対的な不死の表示だった。
「どうなってる?」
驚愕の声を漏らしたのも束の間、ユイが右腕を上げたかと思うと、轟!!という音ともにその手から紅蓮の火焔が巻き起こり、辺りを炎色に染め上げた。
一度周囲に散った炎は再びユイの手に凝縮し、形を変える。そして現れたのは炎と同じ色をした剣だった。しかしその大きさは桁違いで俺が持つ【ファラン】の数倍以上はある。
その剣が纏う火焔によってユイの服は焼け落ちるが、彼女が元々着ていた白のワンピースだけは残っている。彼女はそのまま空中にふわりを浮き上がると、長大すぎる剣の重さを感じていないかのように振るう。
それだけで炎熱が巻き起こり、周囲を赤く照らし出す。死神は奇怪な声を上げながら防御の姿勢に移ろうとするが、ユイはそれに一切の容赦なく紅蓮の巨剣を振り下ろした。
鎌の柄で一度は防御されたものの、剣はあっさりと柄を斬り裂き、死神の脳天に剣が食い込み、断末魔のような声を上げるが、そのまま真っ二つに切り裂いてしまった。
同時に放たれた眩い光で目が咄嗟に左腕で目を庇う。
やがて炎の熱さも消え、静寂が訪れた。
目を庇った腕を下ろし回りを確認するが、そこには死神の姿はなく、ユイが持っていた炎剣によって発生された残り火が煌めいているだけだ。その奥には白いワンピース姿のユイがいる。
更に奥にはあっけに取られた表情をしているシンカーとユリエール。そして驚きを露にしているキリトとアスナがいた。大剣を背中におさめたところでいつの間にかここまでやってきたユイに声をかけられた。
「大丈夫ですか?アルトさん」
「あ、ああ。大丈夫だけど、ユイ、お前は一体?」
「全部、お話します。わたしがどのような存在であるのかを、すべて」
安全地帯には俺とキリト、アスナ、そしてユイの姿があった。シンカーとユリエールには先に戻ってもらっている。
ユイの話を聞いたものの、想像を遥かに超えたものだった。
彼女の話したことはこの《ソードアート・オンライン》というゲームの根幹の話だ。この世界は巨大なシステムである《カーディナル》なるものによって制御されているという。それは人間の手を必要としないシステムで、二つのコアプログラムが相互にエラー訂正を行い、無数のプログラム群によってこの世界は調整されているらしく、NPCやモンスターのAI。その他アイテムの出現率や通貨など、全てが《カーディナル》によって調整されているということだ。
ほぼ完璧ともいえるシステムにも綻びがあったらしい。それは人間の精神性に由来するトラブルだ。そればかりはシステムである《カーディナル》も対処が出来ず、ゲームマスターが必要とされるはずだったという。
そしてここからがユイがどんな存在であるのかの話だった。彼女の正体は開発者達が試作した《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》、MHCP試作一号、コードネーム《Yui》。それが彼女の正体だった。彼女はAIだった。
自らのことを告白した彼女の双眸からは止め処なく涙が溢れ出し、同時に彼女はキリトとアスナに謝っていた。『感情模倣機能によってもたらされたこの涙も偽物』なのだと。
アスナがユイを抱きしめようと一歩歩みだしたものの、ユイは被りを振ってそれを拒否した。
だが疑問が残る。AIである彼女が記憶喪失などに陥るのだろうか?
ユイは一度顔を伏せるとぽつぽつと語り始めた。
《ソードアート・オンライン》が正式サービスを開始した日。《カーディナル》はユイにプレイヤーとの一切の干渉禁止命令を下したらしい。それによってユイはプレイヤーたちをただモニタリングすることに徹したらしいが、状況は最悪だった。
プレイヤー達は恐怖、絶望、怒りといった負の感情に心を支配され、時として狂気に陥ったものもいたらしい。本来ならばユイがその場に赴いてプレイヤーをケアするのだが、《カーディナル》によって身動きの取れなくなったユイはただただモニタリングをするほかなかったのだ。そうしたことが続きエラーを蓄積させたユイは、やがて崩壊して行ったのだという。
目の前のモニタで恐怖や狂気に囚われるプレイヤー。しかもゲーム開始当初は、外周から落ちればログアウトできるという根拠もない情報のせいで、多くのプレイヤーが身を投げた。中にはこの世界で生き残ることを選ばずに、自ら命を捨てた者もいる。
それら全てをモニタリングしていたユイが壊れてしまうのは、仕方ないのかもしれない。普通の人間がその状態であったら心神喪失してしまうだろう。
その状態であってもユイはモニターを続けていたらしい。そして今までとはまったく別の感情、喜びや安らぎ、けれどそれ以外にもある不思議な感情を持つプレイヤーが現れたのだという。それがキリトとアスナだったのだ。
ユイは二人に興味を抱き二人のモニタリングを続け、いつしか二人に会って話してみたいという感情を抱くようになったらしく、二人が結婚した後、一番近いコンソールから実体化してやってきたと。
「アルトさん、あなたにもお礼を」
「俺はなにかした覚えはねぇけどな」
「そんなことはありません。あなたがお二人の側にいることで笑顔が溢れていました。そのお陰で私はキリトさんとアスナさんに会ってみようと決意できたんです」
それに、と続け
「あなたの感情はゲーム開始当初から変わることはありませんでした。キリトさんやアスナさんのような喜びや安らぎ、嬉しさというような感情ではなく、このゲームを純粋に楽しむという幸福感に満たされていました。あなたはこのゲームを心の底から楽しんでいる。今もそうでしょう?」
「参ったな、全部お見通しか」
「はい。最初からどこか変わった人だなぁって思ってました」
「それぐらい自覚はある。……お前はさっき言ったな。キリトとアスナに興味を抱いて、自分の意思でコンソールを操作して、二人に会いに行った。これはお前の言う偽物の感情なのか?」
「それは」
「確かにお前はプログラムで感情を模倣してるかもしれねぇ。けどよ、その感情から生まれたもんが偽物って言い切れねぇだろ」
その感情が偽物だとしても、それから生まれた意思や思考が偽物だと誰が決めつけられる?
誰かの為に流した涙が偽物な訳ねぇだろ。
「お前が望むことはなんだ?」
「わたし、わたしは・・・」
ユイは両手をいっぱいに広げ、涙ながらに告げる。
「ずっと一緒にいたいです!パパ、ママ!」
その声に我慢しきれなくなったアスナが涙を流しながらユイを抱きしめた。キリトも二人を抱きしめる。
システムとかプログラムとか、関係ねぇ。
「でも、もう遅いんです」
彼女の言葉にオレも含め全員が疑問を抱いた。ユイは自分の座っている立方体に触れる。
それはゲームマスターが緊急アクセスするためのコンソールだという。
彼女が操作すると光の柱が立ち、電子音の後に淡く発光するホロキーボードが展開された。
「先ほどのボスモンスターはプレイヤーがこれに触れないようにするために、配置されたものだと思われます。わたしはアレを倒すためにコンソールからアクセスし、《オブジェクトレイサー》を使用してボスモンスターを削除しました。それと同時に言語機能も復元できたのですが、《カーディナル》は今まで放置していたわたしに気が付き、注目してしまっています。今はコアシステムがわたしを走査していますから、すぐにでも異物として削除されるでしょう」
「そ、そんな!」
「どうにかならないのか、ここから離れたりすれば!」
「パパ、ママありがとう。これでお別れです。アルトさん、パパとママをよろしくお願いします」
「…………」
健気で消えてしまいそうな細い声に、俺は答えなかった。いいや、答えるための言葉を持ち合わせていなかった。
ユイの体が僅かに発光しはじめた。ついに削除が実行され始めたのだろう。
「ダメだ! ユイ、行くな!!」
「パパとママがいればみんな笑顔になった。わたしはそれが嬉しかったです。だから、これからはわたしの代わりに……みんなを、助けてあげてください。二人の喜びを……みんなに分けてあげて……」
「嫌だ!嫌やだよ、ユイちゃん!ユイちゃんがいなかったら私笑えないよ!!」
消えてしまいそうな手を握りながらアスナは大粒の涙を流す。ユイは彼女に答えるようににこりと笑みを浮かべて、彼女の頬を撫でるが――
一際眩い光が視界を支配した。再び目を開けるとそこにユイの姿はなく、ただただ泣き崩れるアスナと悔しげに膝をつくキリトの姿があった。
その二人を見て、目頭が熱くなるのを感じた。そして俺の瞳からも涙が溢れ始める。
「……ざけんな」
小さく呟きながら背中の【ファラン】に手をかけ、黒い立方体に迫り振り下ろした。
的確に振り下ろされた一撃は立方体を捉えたはいたものの、発生したのは立方体の破壊ではなく、【Immortal Object】と表示される紫色の無機質で機械的な冷たい表示。
「ふざけんじゃねぇぞ!!テメェにユイの生き方を奪う資格があるのかよ!!まだこいつ等と一緒にいたいと言った!!ユイがAIだろうがなんだろうが関係ねぇ! アイツには自分の意思があった、それをエラーコード一つで奪うんじゃねぇ!!」
この行動に意味があるとは思えない。それでも自分を抑えることが出来なかった。
絶叫し、一際強く大剣を振るったところで剣が吹き飛ばされ、背後の石畳に突き刺さった。相変わらず表示されるのは【Immortal Object】の文字唯一つ。
不意にキリトがホロキーボードを展開した。
「キリト、お前なにして……」
「今ならまだGMアカウントでアクセスしてシステムに割り込めるかも知れない。お前の言う通りだ。これ以上、好き勝手はさせない!!俺とアスナの娘を返してもらう!!」
言いながら凄まじい速さでキーボードを叩き、いくつものコマンドを入力する。そして小さなプログレスバー窓が出現し、横線が右端に到達しようとした瞬間、突如として黒い立方体が発光し、キリトの体を弾き飛ばした。そのまま床に叩きつけられたものの、駆け寄ったアスナに笑みを見せ、掌にあったものをアスナに渡した。
大きな涙滴型のクリスタル。
「これは?」
「ユイの心だよ。さっきGMアカウントでアクセスしてシステムに割り込みをかけて、ユイのプログラムだけを取り出してオブジェクト化したんだ」
「それじゃあユイちゃんは……」
「ああ、そこにいる」
その言葉に驚きを通り越して感動を覚えた。あの一瞬でシステムに割り込みをかけて自分の娘を救ったのだ。
「まったく、大したヤツだよ。お前は」
キリトは苦笑いを浮かべ、安堵の涙を流すアスナの肩に手をかけた。その光景に幸せそうに微笑むユイの姿が見えたような気がした。
アインクラッド編完結まであと二話の予定です。
四話の最後でヒースクリフに呼び止められた理由も判明しますので暫しお待ちを