□アルター王国・王都アルテア南門前 ザトー
「パラシュート無しでスカイダイビングとか正気じゃねぇよ……」
突然、空から放り出された俺はあまりの気持ち悪さに今現在四つん這いになっている。
視界が目まぐるしく変わっていく感覚や、高速で落下するため猛烈な勢いで感じる寒さが今でも体に残っており、ちょっと吐き気がする。
「ご丁寧に、着地の時だけは謎の力が働いて無事だし……。そこだけに気を遣うなら、最初からワープにしてくれよ……」
愚痴を吐いてから三十秒、ようやく吐き気が収まってきた。
意を決し、立ち上がる。そして、辺りの景色を見回す。
――そこには、現実と変わらぬ世界が広がっていた。
眼前に見えるは多くの人が行き交う道。商人だろうか、恰幅の良い中年の男性が門を通っていく姿も見える。
耳や肌で感じるのは、風の音やそれが運んできた涼しさ。体に当たる感触が心地よく、とても肌寒い季節の現実と比べるととても快適だ。
鼻をさっきからくすぐるのは土の香りだろうか。都会で生まれ育った俺にとってその香りは新鮮に感じた。
「うわぁ……確かに、これはすごいな」
これが〈Infinite Dendrogram〉。宣伝文句である新世界という言葉に偽りは無いのだと実感する。
……はっ!いつまで呆けているんだ自分。
あまりの凄さにボケっとしていた脳内をリセットしようと、頭を叩く。痛覚はデフォルトでOFFにされているらしく、頭に痛みは感じない。
思考を止めた後にふと、後ろの城門を見てみる。門は巨大な白亜の城壁と一体化している。
多分、俺が何十人いても城壁の上に手をかけられないほどの大きさだ。
「まずはあそこに入らないとな」
初めて見る西洋風の門へ、興奮しながら歩いていく。気分は初めて海外へ観光に行く人みたいだ。
門をくぐり王都へ入ろうとすると、門を守っている二人の衛兵が目に留まった。西洋鎧を全身に纏い、手には槍を持っている。アルター王国の兵士だろうか。何だかとても強そうだ。俺もあんな装備欲しいなぁ……。
羨ましそうに見ていると、ふとその衛兵と目があってしまった。流石に失礼かと思いすぐに門を渡ろうとしたが、このまま無視して通りすぎるのも態度が悪く思えるので、軽く会釈をした。そうすると、衛兵も俺に会釈を返してくれた。礼儀正しい人で良かったと安堵する。
「おおー」
王都に入ると、街の活気にあふれた様子がうかがえた。
通りには、店や路上販売が並び、そこを様々な服装をした人間たちが闊歩している。
現実と違い、電柱は無く、代わりに夜に街を照らすであろうライトが立っている。
「ここが王都……。本当にゲームの世界みたいだ」
さて、王都に入ったけれど俺はこれから何をしようか。
俺はまだこの世界に入ったばかりの初心者。最初にやるとしたら装備を買い揃えるか、ジョブを取得するかだろう。
このゲームはジョブごとにレベルが設定されており、ジョブに就くことで初めてレベルが上がるシステムとなっている。
現在、俺はレベル0。つまり、無職ということだ。……自分から無職って言うと何だか悲しいな。
「じゃあ、ジョブを先に取得しとくか。……無職のままは何だか嫌だしなぁ」
何か俺に合うジョブはないだろうか。そう思いつつ俺はメインメニューを開いた。俺の目の前にウインドウが現れ、自身のステータスや数々のメニュー項目が表示される。
「マップはどこだろ……」
適当にメニュー項目をタップし、マップを探す。フレンドリストや種族討伐カウント数が表示されたりしているが、今はどうでもいいので閉じる。
「おっ、あったあった」
何度かの手間をかけてマップの項目を見つけだし、起動する。
すると、新たなウインドウが表示され、その中に王都アルテアのマップが示されている。
どうやら、初心者への配慮として首都やその近辺の地図、および首都の便利な施設が最初からマップに書いてあるらしい。右も左もわからない初心者としてはとてもありがたいことだ。
「ふむふむ。ジョブクリスタルは西門の近くにあるのか」
ジョブクリスタルとは、文字のとおりジョブに関する情報を持つクリスタルのことである。
プレイヤーが所属できる七か国と、プレイヤー懲罰用施設――通称、“監獄”に置かれており、これに触れることで人はジョブを取得することが出来るのだ。
ちなみに、一つのジョブクリスタルに全てのジョブは保有されておらず、各国限定のジョブなどもあるらしい。Wikiにそう書いてあった。
さて、一体どのジョブを選ぼうか。【剣士】や【戦士】は王道でバランスも良いだろう。今、装備している木刀も扱える。でも【拳士】もいいなぁ。小さい頃は空手を習っていたから成長も早いかもしれない。
……いやでも、俺に戦闘なんて期待しても無駄だろ。適当に【従魔師】でも選ぼうかなぁ。
そんな事ばっかり考えて、地図を見つつ歩いていると、
「っうわ!」
「む?」
真正面から誰かとぶつかってしまい、尻もちをついてしまった。
いけない、これは俺の不注意だ。謝らなければ。
「すみません。怪我はありませ……」
そう言ってさっきの事を詫びるために、ぶつかった人の顔を見ようと頭を上げようとして、
言葉を失った。
「すまないね青年、君の方こそ大丈夫かい」
――その男は異質だった。
背が高く、服装はファンタジーの雰囲気から幾分か浮いている煤けた喪服を着ている。
履いているブーツもインクをぶちまけたように黒い。
肌を見せないようにしているのか、ブーツと同じような黒色の手袋を着用している。
そして、一番特徴的なのは頭だった。
無機質な印象を感じさせる漆黒のフルフェイスヘルメットで頭をすっぽりと覆うようにしており、その上に煤色のフェルトハットを被っていた。
現実にいたとしても、怪しさしか感じないほど黒色に身を包んだ男に俺の恐怖が掻き立てられる。
……だが、俺がその男に最も恐怖を感じたのは服装なんかじゃなかった。
俺を心配しているかのような温かい言葉とは裏腹に、男からするのは内臓が全て氷に変わったように感じるほどの暗い気配。
注視するだけで、気が狂いそうになるような悪意。
深い穴をのぞき込んでしまったような不安。
まるで、人では無い者と向き合っているかのような――
「青年よ、どうしたのかい」
男は、いつまでたっても立ち上がろうとしない俺の目を真っすぐに見てくる。
まるで、俺の心を見透かすかのように。
「……あぁ、なるほど。君のその感情は、強い“恐怖”か。少々、私の気が緩んでいたからかな?……では、これで大丈夫かな」
男が理解できないことを呟いた後、男から感じるおぞましい気配が消えた。
――今だ。逃げねば。速く逃げねば。この男からは危険しか感じられない!
俺は恐怖に駆られ、男に背を向けて逃げようと試みる。しかし、男の動きの方が何十倍も速く、たやすく腕をつかまれてしまい、動けなくなってしまった。
「ほぅ、私を見ていきなりその行動は予想外だ」
「は、離せ!離してくれ!」
俺の行動に、そう反応する男。表情はヘルメットに隠れて見えないが、なぜか悪辣に笑っているような気がした。
「君の言動は興味深いな。普通の人だったら少なからず私と戦おうとするのに。君には勇気が全くない。……いや、昔にそれが折れてしまったと言っていいのかな?」
この男の言っていることがわからない。俺の中の恐怖が強まっていく。この男が怖い、今はそれしか頭になかった。
サイレンが鳴り響く俺の脳内とは逆に、男は穏やかな口調で俺に語りかけてくる。
「何で君はそうなったのだろう。あぁ、うん。君のことがもっと知りたくなったよ」
この男は一体誰なのか。俺に何をするつもりなのか。そんな思考が恐怖と結びついて錯綜する。
「だからさ――」
そうしてこの男は、
「――お茶に付き合ってくれないかい?」
俺の予想の斜め上の言葉を出してきた。
◇
あ、ありのまま今起こったことを話すぜ!
『俺は危険な匂いしかしない男から逃げようと思ったら、その男とお茶をすることになった』
何を言っているのか分からないと思うが、俺も、何でこうなったのかわからなかった。
頭がどうにかなりそうだ……
話の流れがぶっ飛んだとか超展開じゃ断じてない。
男の恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。
「ここの紅茶とケーキは美味しくてね、君も食べなよ」
「……ありがとうございます」
古い漫画の有名なセリフに、俺の心情を当てはめて現実逃避をしていると、男は注文していたケーキセットを俺に差し出してきた。勧められた物を放置するのも悪いので、恐る恐る食べてみる。チーズの味が濃くて美味しい。
……うん、ケーキで恐怖も和らいできた。一回、今の状況を確認しよう。
男と俺は、とある喫茶店にいる。結構な人気店らしく、マッチョや野武士など色々な人たちで盛況している。……なんか全体的にゴツイ人たちが多いな。
そして、男は俺とテーブルを挟みつつ向かい合っている状態だ。ここで俺に質問をするらしい。
「で、俺に対して質問って何をするんですか?」
「軽いものさ。すぐに終わるから安心したまえ」
軽いもの……、プロフィールとかそんな単純なものだといいけれども。
「君の一番のトラウマを教えてくれないだろうか?」
……なんてヘビーな質問をぶん投げてくるんだこの男は!?
「全然軽くしてないだろそれは!?」
「軽いじゃないか。少ない代償だけでクリアできる。ただ、君の心傷が掘り起こされて、君が不愉快になる程度だろう?」
「お前最悪だな……!」
「ああそうだな。ちなみに私の趣味は人の心傷を知ることだ」
自慢をするように男は語る。それを見て俺は確信した。とんでもないゲスだこの男、と。
「誰が答えるんだよそれ!」
「いや、答えてもらおう。これは強制だ」
男の頑なな姿勢は変わらない。
だったらこっちにも考えがある。こんな賑わった店なんだ、俺が席を立って逃げても、男は店内で大きなアクションは起こせない。仮に、騒ぎを起こしたら質問は中断せざるをえないはずだ。
そう判断して、俺は椅子に手をかけようとし……
「どこに行くのだね?『動かない』でもらおうか」
一瞬で俺の体がピクリとも動かなくなった。
尋常じゃない事態に思考が止まる。
ふと、視界に広がるステータスウインドウが目に入る。
そこには【拘束】の二文字が刻まれていた。
「……!……!」
男に向かって声を出そうとしても、口すらもろくに動かせず唸り声しか出せない。
……いつだ。こいつは一体いつ俺に【拘束】をかけた?
「ああ、口も封じてしまったか。すまないな、『頭だけ動く』のを許可しよう」
男がそう言った途端に、俺の頭だけが自由に動けるようになった。
「お前、俺に何をした!」
「何って、君が『動かない』ように“お願い”しただけだが。誤算だったのは、君が弱すぎて全身が動かせなくなったことだな」
カップに注がれた紅茶をストローで飲みながら、男は俺の疑問に平然とした様子で返答する。
“お願い”しただけ?……嘘に決まっている。だって、本当にそうだとしたらこの男は、ただ【相手に語りかける】だけで状態異常をかけることが出来るってことじゃないか。
底が知れない。また、男への恐怖が沸き上がってくる。こんなのがこのゲームにいることが怖くなっていく。
――やっぱり逃げなきゃ。せめて、誰か助けを呼ばなくては。
「ああそうだ、助けを呼んでも無駄だよ。この席の存在は他人に『聞こえない』し、『見えない』ようにしてある」
考えを読まれたかのように、男は俺に告げる。その言葉を聞いて、俺は店内を急いで見渡す。
注文を取っている店員に目が止まる。俺はその人に助けを求めるため、あらん限りの大声を出した。
だが、誰も俺を見向きもしなかった。
焦燥感に駆られ、もう一度助けを求める。
だがやはり、誰も俺を認識しなかった。
「な……何で、何で誰も俺を見ないんだよ……!?」
「そろそろ認めたまえ。君に残されている可能性は“質問に答える”しかないのだよ」
ふと、気づけば男の頭が俺の顔のすぐ近くにあった。テーブルから身を乗り出し、俺を凝視している。
「さぁ、答えたまえ。君から、何故常人よりも強い“恐怖”や“諦念”を感じた理由は何だ?私はそれが知りたいのだ。さぁ教えてくれ君の心傷を!さぁ、さぁ、さぁ!」
狂ったかのように、男は俺に回答の催促をする。
……どうしてこうなった。俺はただゲームがしたかった。したかったはずなんだ。
それがどうして、なんでこの男の恐怖に怯えているのだろう。思考が鈍っていく。心が麻痺していく。
そうして俺は――
◇
「……うん、ありがとう。それが、君の最も深い部分か」
――九年前の夏の出来事を、男に洗いざらい吐いた。
結局、俺はこの怪しい男の要求に抗えず、事細かに話してしまった。さっきまでの恐怖から、こんな男にトラウマ話すなんてやっちまったぜ、という感情へ心が塗り替わっていく。
……あの少年だったらこの理不尽と悪意の塊のようなこの男に啖呵切ってたりするんだろうなぁ。
「ふむ。ありそうであまりない、でもちょっとありそうな心傷だから評価が高いな。事故でなく、悲劇だったら更に加点したのだが。」
「俺のトラウマに点数をつけるのはやめろ。トラウマソムリエかお前は」
「ああ、すまない。だがこれは私の癖のようなものでね、どうか目をつぶってもらいたい」
「癖も最悪だな」
「私にとっては褒め言葉だ」
俺の罵りもどこ吹く風で男はケーキをヘルメットの中に運んで食べている。そういえば、何故店内でもヘルメットをつけたままでいるのだろうか。……まぁ聞いても無駄だろう。
「さ、目的も達成したしそろそろお開きとしようか」
「やっとか……。やっとお前から解放されるのか……」
「では、さよならだ」
そう言って男は立ち上がり、
「《■■■■■》――再現――〈アクシデントサークル〉」
なんだか不思議な色をしたモヤを生み出した。
「これに触れると、お前はアルターの何処かへと飛ばされることに設定した。行先はランダムだから私にも分からん」
「別れの仕方まで最悪だな!?」
「そう褒めるな、照れるだろう。……だがこのまま終わるのも味気ないな。……よし、おい青年。名前を何という?」
「ザトーだけれど」
「受け取れ、ザトー」
男はポケットから何かを取り出して、こちらに投げてきた。受け止めて確認してみると、それは小さな赤い宝石だった。
「これは?」
「《クリムゾン・スフィア》のジェムだ。凄い威力の爆弾だと思えばいい」
「……なんでそんな物を俺にくれるんだ?」
「なに、質問の礼だ。君の心傷は
何か質問はあるかどうかだと?それも一つだけとくるか。……だったらこれしかない。
「……お前は一体何なんだ」
「私に関する情報か。うん、それならばこれだけは教えよう」
男は俺に不思議なモヤを近づけつつ、こう言った。
「名前は……『ジョン・スミス』とでも呼んでくれたまえ」
「いやそれ、ほとんど情報な—―!」
俺が言い切る前に男……ジョンは俺にモヤをぶつけた。モヤの体積は膨れ上がり、俺の全身を包みこんで視界をすべて塞いできた。
「ではまたどこかで会おう。君が心傷から逃げるのか。それとも立ち向かうのか。どちらも期待して待っておくよ」
そして、世界が変わっていく。
◇◇◇
「――ん」
モヤに包まれ謎の浮遊感を感じてから五分後、ようやく視界が晴れてきた。
……ここはどこだ?
辺りを見回すと、どうやら俺は森にいることが分かった。
俺の周囲に立ち並ぶ木はすべて欝蒼としており、枝には果実をたわわに実らせている。
どんな味か気になったので、手が届きそうな場所にある果実をひとつだけもいでみる。
「色ツヤ共に良し。では、いただきます。……結構美味しいな」
イチゴの味とリンゴの触感が混ざったような果物だったらしく、とても新鮮だった。こうも美味しいと二つ目が 食べたくなり、またその果物へ手が伸びてしまう。うん、やっぱり美味しいな。
……まだ一杯食べたいしアイテムボックスに詰めるだけ詰めておくか。
そう思って三個目に手を伸ばすと、
『KITIKITIKITI』
「えっ?」
謎の音が後ろから聞こえたので振り返ってみる。そこには……体長八十センチはある青色のカミキリムシがいた。俺を獲物と見たのか、大きな顎をガチガチと鳴らしている。
「うおおおおおおおおおお!?」
突然現れた巨大な虫に動転していると、偶然にも森の奥に立ててある看板が目に入る。
――それには真っ赤な文字で〈レーヴ果樹園中央〉と書かれていた。